第61話 福音
医神アークの顕現。AC期以降一度も姿を現さなかった神が舞い降りたことにより、アスガルには三つの大きな変化が起こった。
「な、身体の傷が!」
一つ目の変化に最初に気付いたのはラーク。度重なる激戦により傷付いた自分の身体がみるみるうちに再生し始めていた。それはテレジアにも起こっており、あと一歩でトドメという所までボロボロになっていた身体の傷が跡形もなく修復されていった。
(違う! 傷だけじゃねぇ! 消費したはずの霊力も全部回復してやがる!)
ラークやテレジアだけではない。
カナエも、ユーリも、ファウストも、ミネルバも、シュプリも、そして隊長や天使たちも。
アスガルにいる全ての傷付いた生命。否、尽く破壊された建造物すらも時間が巻き戻るが如く傷が癒えていく。
医療が必要な場所に必要な医療を。永く医療教会に受け継がれてきたアークの教えに、正義も悪も存在しない。
既に絶命した者を除き、傷付いた全ての命に対してアークの治療は施された。
「分け隔てなく…………流石は神って感じだな」
ラークが戦慄する。
二つ目の変化が起こった。
『グギャアアア────────!!!!』
突如としてアスガルに響き渡った悍ましい咆哮。大地の底から聞こえてくる唸るような声は苦痛に悶えている人間を想起させるようであった。直後に発生した地響きと共にその悲鳴はどんどん大きくなり、ついに姿を現す。
『イィィツマデェェェ!!!』
カラカラに干からびた巨人のミイラに白い翼を取ってつけたような化物だった。大地の底から、あらゆる物質を透過するようにしてイーストウィングから飛び出したソレは、アスガルという国に寄生していた霊魔だ。
即ち、ラークがこの国にもたらした天使病の正体である。
「チッ」
飛び出してきた霊魔を見てラークは退屈そうに舌打ちした。
決して、霊魔は自分の意志で飛び出したわけではない。アークによって無理やり引きずり出されたのだ。
正確にはその神聖が持つ引力に引き寄せられている。その光景を傍から見れば、霊魔がまるで見えない糸に引っ張り上げられているような滑稽な有様である。
無意味な抵抗を続ける霊魔がアークの正面まで到達したそのとき。
────アークが初めて動いた。
「!!」
目撃者全員が目を見張る。
アークの動作、その仔細は右手に持った本を開いただけ。何の変哲もない、それ以上でもそれ以下でもない動作は、息をのむほどに美しかった。
『ギィイイ────────…………』
結局、霊魔は開かれた本の中に吸い込まれて消えていった。
そして本が完全に閉じられた刹那に起こった三つ目の異変。
────テレジア、ラーク、スルト(?)を除く全ての人間が意識を失う。元凶が消滅したことで人々に寄生していた霊魔も芋づる式に消滅したのだ。天使化した者たちにあった翼やヘイローは黒い靄となって消滅していった。
(……体が、軽くなった?)
テレジアは己の身体に生じた感覚に疑問を抱く。しかし判断する材料は十二分に揃っていたので、答えを見つけるのに時間は掛からなかった。
「なるほど。無症状だが我も罹患していたのか」
「…………あぁそうだよ。アスガルに足を踏み入れた時点で天使病は発病する」
ラークはおもしろくなさそうに溜息を吐いて、片手で髪を乱雑に掻いた。
「もう意味なくなったから教えてやるけど、アスガルに長期間滞在しない限り絶対に症状は出ねぇ。これは国外から来た人間が帰国した後に天使化しないように設けたボーダーラインさ。俺たちがアスガルを傀儡化してることが他の国にバレちまう可能性を配慮した」
「……」
「ソレだけじゃねぇ。不自然にならないよう一日の間に発症する人間の数を調整したり、鎖国とか情報操作で色々頑張ってたさ」
自棄になったようなラークの態度にテレジアは険しい表情を浮かべる。
「そんな矢先にお前ら部外者の横槍だ。だから仕方なく計画を前倒しで実行したんだ。本来出るはずの無かった俺とファウストが最前線まで出張って、あと一歩で全部終わるってとこだったのに…………」
ラークは歯噛みしながらアークを睨みつけた。
『…………』
怒涛の変化が起こっている一方で、スルト(?)はジッとアークを見上げていた。荒ぶる感情も霊力も今はすっかり落ち着いて、先ほどまでの暴走が嘘のようである。
そんな折、アークがチラリとスルト(?)に目を向けた。
【──────────】
『…………承知した』
スルト(?)は突然アークへ語りかけた。
『ラグナロクでまた会おう』
スルト(?)の肉体を覆っていた炎が剥がれ出す。炎が剥がれるにつれて巨大化した肉体も縮んでいき、みるみるうちに元のスルトの姿に戻っていく。
その過程で、アークの身体から生じた溢れんばかりの光がアスガルを包みこんだ。閃光は数秒間アスガルを真っ白に染め上げ、そして
やがて光が収まったとき、空には地平線の向こうまで続く青だけが残っていた。青空の何処を探しても、もしくはジャスティティアのどこを探しても医神アークはもういない。
────時間にして約五十四秒。
一分にも満たぬ顕現により、アスガルの運命は大きく変化した。
♢
「やっと消えたか。────ケッ! おととい来やがれってんだクソ野郎!」
澄み渡る青空に向けて、ラークは中指を立てながら唾を吐いた。
「あーあ! あのクソ神のせいで俺たちの三年間が全部台無しだ!! 次来やがったら絶対に殺してやるからなマジで!」
溜まっていた鬱憤を爆発させているラークにテレジアは失笑する。
「滑稽極まりないの」
「……あぁ?」
「誠、軟弱軟派な男よな。それくらいアークが居る前で言えばいいだろうに」
嘲笑いながらぶつけられたその一言が、ラークの逆鱗を撫でた。
「調子こいてんじゃねぇぞテメェ!!!」
霊臓を発動させることすら忘れ、ただ怒りのままに拳を振りかぶる。
────瞬間、テレジアの背後から飛んできた水球がラークの顔面を叩いた。
「うお!?」
握りこぶし程度の水の塊が顔に当たり、視界を塞がれたラークは思わず怯んで立ち止まる。
その一瞬を見逃さなかった。
「風魔之矢」
「グオァッ……!」
見逃さなかったのはカナエ。
アークの治療によって目を覚ましたユーリとカナエの連携が見事ラークの右肩に直撃した。
「遅すぎるわガキどもめ!!」
怒鳴るような声とは裏腹に、テレジアのとても嬉しそうに笑っていた。
「テレジアさん!」
生来優れた目を持っていたカナエは姿が変わったテレジアを見てもすぐにテレジアだと見抜いていた。
「チビ……じゃねぇ!? だ、誰だお前!!?」
ユーリは普通に見抜けなかった。
「誰とはなんだ貴様! あとチビって言うな!!」
「そ、その口調は紛れもなくチビの……ってことはまさか!!」
「フン……ようやく気付いたか」
「チビのお姉さん、ですか……?!」
「あぁそうだ! 初めまして!」
この様子ではいくら説明したところで意味がないと判断したテレジアは諦めた。カナエはジトッとした目をユーリに向ける。
「バカがごめんね。で、今の状況は?」
「あの男を倒せば全て終わる。あの男こそがラーク。この国に天使病をもたらし、全ての悲劇と憎しみを生み出した元凶じゃ」
「「!!」」
カナエとユーリの表情が一気に険しくなる。
「あの野郎が……!!」
「……絶対に許さない」
義憤に満ちた二つの視線が、貫かれた肩を手で押さえているラークに突き刺さる。
二人とも手に持っている獲物を握る力が強くなった。
「心してかかれよ! この国を蝕む最後の癌を終わらせるぞ!」
「もち!」
「当たり前だ!」
テレジアの発破に二人は気合の入った返事をする。
「思い上がってんじゃねぇぞクソが!!! 開幕出オチかました雑魚どもが、俺に勝てると思うなよ!!」
激昂したラークが霊臓を発動させる。
「
澄み切った青空の下、最後の攻防が始まった────。
────あとがき────
曇りのち、快晴。
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