第60話 降臨

 逃亡していた憲兵隊隊長が天使に足を貫かれる少し前。


 各地で暴れていた黒い天使たちに異変が起こっていた。


『グッ……』


 突如として胸を押さえ、激しく咳き込み始める者が現れ始めたのだ。顔を苦痛に歪め、地面に膝をついて咳き込むたびに真っ赤な痰が地面に飛び散る。


 無理もない。元はと言えば天使病という病に侵されていた人間だ。そして情動過負荷による肉体の再構築は霊力に対する適応を行うだけであり、病を治すわけではない。著しい身体能力の向上はあくまで副産物なのだ。


 当然、激しすぎる運動の負担は着実に病魔を加速させていた。限界を迎えた肉体がついに悲鳴を上げたのである。病に侵されていることを忘れ、感情の赴くままに暴れ続けた代償。


 その代償は命を以て支払われた。


「な、なんだ? 感染者たちが突然……」

「何だっていい! 今のうちに一般人の救助だ!!」


 倒れたのはごく一部だったが、それでも憲兵たちにとってはまたとない好機。いつかと待ちわびた時間だ。


『緊急連絡! 南部デリング劇場周辺で暴れていた感染者たちが突然力尽きたぞ!? 誰か霊臓でも使ったのか!?』

『西もだ!! 俺は知らねぇぞ!』

「北部も同じだ! 理由は分からないがとにかく感染者たちの勢いが弱まっている!! 余力がある者は今すぐ一般人の救助に当たってくれ!」

『無茶言うな! 三分の一くらい減ったとはいえまだまだ多いんだぞ!!』

「なら今感染者たちと交戦している者は足止めを頼む!! 鎮圧はしなくていい!! 聖王府を避難所として開放しているからそこまで誘導してくれ!!」

『『『了解!!』』』


 緊急時にも関わらず迅速で冷静な対応。三年間繰り返してきた、消毒という名の感染者の抹殺。皮肉にも積み重ねられた実戦経験が活きていた。


 この迅速な対応により、聖王府には憲兵に連れられて避難してきた者がぽつぽつと集まり始めた。


「早く中へ!」

「助かった……!」


 ようやく見えてきた希望の糸に、指示を出していた憲兵はホッと息を吐く。


 事態はこのまま終息に向かっていくと思われた。


『き、緊急連絡!!』


 インカムから切羽詰まった同僚の声が聞こえるまでは。


『あり得ねぇ……そんな、バカなことが……!』

「どうした! 何かあったのか!?」

『────……』


 激しいノイズ。ブツ切りで聞こえてくる声色は動揺しているのか上擦っている。肝心の内容はノイズのせいで何も聞き取れない。したがって何か良からぬことが起きたという情報以外は手に入らなかった。


「一体何が……?」


 煽られる不安と焦り。


 胸の奥で生じる不吉な予感の強烈さに憲兵が冷や汗を流したときだった。


「────うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 甲高い悲鳴が起こった。聖王府、避難所の中からだ。それは一つや二つではなく、不特定多数の人間の悲鳴が折り重なった悲鳴だった。聞きつけた憲兵はほぼ反射で足を動かし、飛ぶような勢いで避難所へと向かう。


「!!?」


 避難所の中でそれを目撃したとき、憲兵は言葉を失った。


「クソったれ!! 一体どっから入ってきやがったんだコイツ!」

「知るかよバカが!!! さっさと殺せ!!」

「ふざけた真似しやがって!!」



 その光景を一言で表すならばリンチの現場だ。一部は鉄パイプやレンガなどを用いていた。群がるようにして密集していたので誰が攻撃されているのかまでは分からなかったが、大の大人が集団リンチを行っていることは十分理解できる。


 理解すると同時、その衝撃に憲兵は思わず眩暈がして倒れそうになった。


「動くな!!! 何をしている!!!」


 湧き上がってきた煮え滾るような灼熱を声に変換して叫んだ。するとリンチがピタリと止まる。憲兵の存在に気付いた集団が一瞬だけ顔を明るくさせたが、駆け寄ってくる憲兵の気迫に圧されて道を譲った。


「なっ……」


 被害者の姿を視認したその瞬間、憲兵の全身に行き渡った激情の灼熱が急速に萎んだ。


 直視するのも憚られるような、性別すら判別できないほど凄惨な状態だったこともある。しかし最大の要因は被害者の背中で存在を主張している真っ白な翼であった。


 ────あり得ない


 たちまちのうちに漂白された憲兵の思考が辛うじて絞り出したのはその五文字。奇しくも、同僚がインカム越しに呟いた感想と狂いなく一致していた。


 故に悟る。同僚が目撃したものは今自分が目撃している光景と同じであるということを。


「き、聞いてくれよ憲兵さん!! 翼が出てきたんだよ翼が! この女の背中から!! 突然!!」

「感染者だってことを隠してやがったんだ!」


 興奮したように捲し立てる加害者たち。顔は少し赤い。僅かに喜色が含まれた声は自分が偉業を成し遂げたことを疑わない自信があった。


「バカな………そ、そんなことが……」


 もう何が何だか分からなくなっていた。叩きつけられる情報と湧き上がる感情の激しさについて行けず殆ど放心状態になった憲兵は、加害者が何を言っているのかよく聞いていなかった。


「もしかしたら他にも紛れてるかも……」


 誰かの呟きがトリガーとなった。


「全員今すぐ背中を見せろ!! この女と同じ目に遭いたくなかったら大人しく従いやがれ!!!」


 リンチに加担していた痩せ型の男が叫んだ。避難所はたちまちのうちに大パニックに陥る。身の潔白を証明するために皆必死になって服を捲り、背中に何もないことを周りの人間に示す。中には上裸になる者までいた。


「い、嫌だ! 怖いよ!」


 不意に幼い女の子の叫ぶ声が響く。


 騒然としていた避難所が水を打ったように静まり返った。


「口答えしないの!! 早く背中を見せなさい!!」


 少女の腕を掴んでいるんは母親らしき女。女は自分たちが注目を浴びていることに気が付いて焦ると、少女が抱えていたぬいぐるみを強引に取り上げた。


「やだ!! やだ!!」

 

 少女は目を潤ませて拒絶する。女が力づくで腕を伸ばすが、抵抗するようにダダをこねる。


 少女は、何か異常なことが起きていることは理解している。張り詰めた空気、大人たちが放つ緊張感を肌で感じている。


 ただ、それら全てを受け止めた上で行動するには若すぎた。


「わ、私のいうことを聞きなさい!!!」


 ついに女は、苦しそうな表情を浮かべながら少女の頬を叩いた。


「お願いだから…………あなたが悪い病気になっていないか確かめるだけだから…………!」


 今にも泣きそうな声で女が懇願する。少女が叩かれた頬に手を当てながら静かに泣き始めた。

 

「病気って、なに? 私、どこも悪くないよ?」

「ええ、えぇ。ママも分かってるの…………だけど、貴方が本当に病気じゃないことを皆に教えないといけないの」

 

 少女の頭を撫でながら、女は笑顔を作って優しく語りかける。


「病気だったら、ママはどうするの…………?」

「ッ、それは…………」


 女は言葉を詰まらせた。


「何で答えられないの……? 病気になったときは、ママが治してあげるって…………ママ言ってたよ……?」

「……」

「悪い病気って、なに? ママとみんなが確かめようとしてる病気ってなんなの? なんで皆はその病気を怖がってるの?」


 ぶつけられる無垢な疑問に女は唇を噛むことしか出来なかった。


「病気に、なりたくないから…………」


 葛藤の末に絞り出した答えに、少女は納得しなかった。


「病気病気ってそればっかり! もういいよ!」

「…………」

「私、ほんとは知ってるよ? 病気だったら、けんぺいさんに殴られたり蹴られたりするんでしょ? 物知りなミーナちゃんが言ってたもん!」


 怯えるような少女の声に憲兵は目を見張って歯噛みした。


「ううん……けんぺいさんだけじゃない。────みんなで酷いことやってるんだ! 病気になった人を、みんなでいじめてるんでしょ!」


 その言葉に反論出来る人間は誰もいなかった。


 俯くか、苛立ちを覚えるか、聞かない振りをするか。否定しようと考えた人間はただの一人もいない。


「悪い病気になってるのはみんなの方だよ! みんな悪い病気になってるからそんな酷いことが出来るんだ!!」


 少なくとも大人たちのそのような反応は、少女の怒りをさらに激しくさせたことは事実だ。


「黙りなさい!!! 今すぐ皆さんに謝って!!!」

「うるさいうるさいうるさい!!」


 少女の怒りはどんどんと強くなっていく。  


 ────その怒りに反応した霊力が異常な速度で増幅し始めた。


「ママもみんなもだいっきらい────!!」


 少女が叫んだ次の瞬間に起こったのは、考えられる限り最悪の事態だった。


「……え?」


 呆けた声を洩らしたのは女だ。


「あ…………!」


 泣きじゃくる少女の背中から突如出現した純白の翼を理解した瞬間、脳が考えることを拒絶した。


 ────天使病。

 

「か、感染者だ!!!!」


 誰かが少女を指差した。


 少女は泣くことに手いっぱいで何も気付かない。


「────殺せ!!!!」


 憎悪の表情を張り付けた大人たちが駆け出した。


 泣きじゃくる少女に、殺意に満ちた暴力が振るわれる。


「やめろォォォ!!!!」


 その寸前で憲兵が割り込んだ。少女を覆いかぶさるようにして抱きかかえ、身代わりとなった。


「なっ、憲兵?!」

「構うな!! 感染者を庇った時点で同類だ!!」 


 そこから先は、言葉にすることも憚られるような醜いリンチであった。


 人はここまで醜くなれるのかと、ここまで残酷な生き物であったのかと思ってしまうような、胸糞悪い光景。その真っ只中にいる憲兵はある種の悟りを開いていた。


(…………温かいな…………この子は)

 

 己の腕の中で泣いている少女。その体温によって気が付いた。


(感染者だって、普通の人間じゃないか。少なくともこの温度は…………体温は何も違わない)


 ボロボロになっていく肉体。


(感染者が人じゃないだなんて…………そんなわけがない。僕はいつから勘違いしていたんだ…………)


 より苛烈になる蹂躙に、憲兵の意識が遠ざかっていく。


(あぁ……このままじゃ守り切れない…………クソ…………)


 少女はまだ泣いている。


(神よ…………もし、いるならば、どうか────…………)


 ♢


 憲兵の意識が途絶えた刹那だった。


 アスガルにいる全ての人間が一秒も違わず、同じタイミングでその動きを停止させたのは。


「!!?」


 まるで時が停止したようであった。全ての人間が行動を中断し、呆気にとられたような表情を浮かべて空を見上げている。


「何、だ…………?」

「空が……」


 憲兵も、一般人も。


『ま、まさか……!!』

「へ?」


 天使も、隊長も。


「は…………?」

「この目で見るのは初めてじゃな……」


 ラークも、テレジアも。


 空から降り注ぐ神聖な気配に圧倒されて動けなくなったのだ。テレジアが放つそれとは比較にならないほど強く、色濃く、そして美しい。


 やがて雲が、いや、天が割れる。曇り空が道を開けるようにして割れたのだ。


 たちまちのうちに晴れ渡った空は青ではなく、天国の空をそのまま映し出したような美しい黄金色だった。


「神、様…………?」


 黄金色の天空に姿を現したその超常存在を見て、誰かが呟いた。


 頭の花冠とトーガに酷似する衣装が特徴的な若い男。見方によっては女にも見える中性的な顔立ち。右手に抱えるのは表紙に未知の言語が羅列された本。立ち上る雲よりもはるかに大きなその存在は、人でなければ霊魔でもない。


 真意は不明。憎しみによって終わらぬ戦禍に心を痛めたのか、救いを求める人々の祈りに応えるためか、それともただの気紛れか。


 少なくとも、かの者が実在することを誰も信じていなかった。或るいは、信じていても証明する手段を持っていなかった。


 それは医療教会の洗礼を受けた人間も同じ。故ジョセフ・モルフォールも、ミネルバも。無尽蔵の信仰と祈りを捧げる一方で本当はいないのではないかという疑念が無意識の部分であった。


 しかしこの瞬間、AC3999年2月12日15時32分。


 かの者────医神アークは顕現した。

 

 四千年も続いた医療教会の自問自答は、他でもないアークによって終焉を迎えた。


────あとがき────

  

 神話に語られる神は果たして実在するのか否か?

 皆様が抱いていたであろう大きな疑問に、ようやく答えることが出来ました。

 長らく待たせてしまい、申し訳ございません。しかし、これ以上に最適な解答が見つかりませんでした。

 

 質問や疑問等がありましたらコメントにてお願いいたします。可能な限り、全てお答えします。

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