第57話 眠れる巨人・Ⅰ

 先ほどまでピクリとも動かなかったスルトが突如幽鬼の如く立ち上がった。それは手足を使って立ち上がった訳ではなく、身体のあちこちから飛び出した炎の触手によって無理やり立たされていた。


 足を一歩踏み出す。その瞬間にガクリと、バランスを崩して倒れる。また触手に立たされて、足を踏み出して倒れる。二、三度繰り返された光景はまるで生まれたての子鹿のようで、歩き方を忘れた老人のようだった。


 四度目。今度は震えながらも倒れることはなかった。また足を踏み出しても同じく、辛うじて倒れることはない。覚束ない足取りで、姿勢は異様なほど前に傾いている。そして一歩踏み出すだけで非常に多くの時間を掛けていた。


 だが足が前に出るたびにギクシャクとした動きの歪が外れていき、足取りから震えが消えていく。一歩、また一歩と踏み出すたびに歩みが自然な動作に近づき、殆ど四足歩行に近かった前傾姿勢も修正されていく。


 腹の穴が炎と共に塞がった頃、スルトの形をした何者かは完全な歩き方を思い出した。傍から見ればその歩みに何の違和感もないが、スルトのことをよく知る者が見れば確実に異変に気付くであろう。


 僅かだが、そこには確かな変化がある。


『…………』

 

 スルト(?)は炎の混ざった息を吐き出すと、イーストウィングを目指して北に進み始めた。


 真っすぐ。道を曲がることも建物を避けることもなく、真っすぐ。瓦礫や住居の壁はスルト(?)の肉体に接触した瞬間にジュッという音を発し、跡形もなく溶けて消えた。


 道中、突然スルト(?)の足が止まる。スルト(?)はゆっくりと振り返って後ろを見た。


「よぉ。ハイキングでもしてんのかい」


 ファウストだ。煙草を咥えながら鋭い視線をスルト(?)に向けるファウストがいた。


  ────悪く思うなよ。


 瞼の裏で光景がフラッシュバックする。


 話しかけてきた男は間違いなくスルトの腹を貫いた男である。


『オオオオオォォォ!!!!!』


 獣のような咆哮、暴れる火山のような激情が轟く。


 ファウストは険しい表情を浮かべ、咥えていた煙草を吐き捨てた。


 ♢

 

 一面を焼き尽くす琥珀の炎が噴き出した刹那、スルト(?)はファウストへ襲い掛かった。


 が、飛び掛かった刹那。ファウストが繰り出した鉄山靠てつざんこうの反撃を喰らい、勢いよく宙を回転しながら吹っ飛ばされた。


「ゾッとする霊力を感じて来てみりゃこれかい…………つくづく運の悪い男だぜ俺は」


 ファウストは嘆息を吐く。気だるげな雰囲気は変わらないが、片方が灰色に色褪せたその瞳は鋭い眼光を放っている。


 視線が射抜く先は勿論スルト(?)だ。スルト(?)が飛んでいった先から噴火のような爆炎が空に昇る様を視認したファウストは拳を構える。


 その特徴的な構えはライカードが住まう獣人国ラオの辺境で扱われる拳法。カナエ・ヨタカがいた世界では八極拳と呼ばれる拳法の構えと酷似していた。


『ガアアアァァァァ!!!』


 やがて炎を撒き散らしながら戻って来たスルト(?)。不俱戴天の仇へ向けるような殺意が炎となって全身から噴き出している。


 スルト(?)は迸る激情の炎を拳に纏わせ、連打を繰り出した。


「血気盛んなこった。こっちはまだ本調子じゃねぇってのに」


 気だるげに呟くファウストだが、それとは裏腹に迫りくる連打を容易く捌いていく。


 パワー・速度・重さ。全てにおいて脅威的であり、全ての攻撃が殺すために放たれている。故に当たればそれが致命傷となることはほぼ確実。


 だが怒りに支配されているせいか、些か雑と言わざるを得ない。そのような攻撃が"魔拳"と呼ばれた男に通じるはずもなく、全てがいなされ、或いは当たる寸前ですり抜けるが如く躱される。


 数瞬の攻防で己の優勢を確信したファウスト。続けざまにスルト(?)から突き出された右の爪を手首を掴むことで容易に止める。そのままグッと引き込んでスルト(?)の体幹を前に崩し、隙だらけになった胸部へ裡門頂肘りもんちょうちゅう。肘で勢いよく打ち上げた。


 活殺と呼ばれる胸部中央下段に位置する人体急所に強烈な一撃を貰ったスルト(?)は後ろへたたらを踏む。


「アツッ」


 顔を顰めながらもファウストは手を緩めない。少し離れた間合いを震脚で詰め、寸勁をまたスルト(?)の活殺へ打ち込んだ。


 その神速は常人が視認出来る限界を容易く超え、突き抜ける破壊力と衝撃は瞬く間に全身を駆け巡る。あまりの威力にスルト(?)は多量の血を吐き出しながら数歩後ずさりし、思わずと言った様子で破壊された胸部に手をやった。


「なんつータフネス。今の二撃、護送用のエアカーゴもぶっ壊せるんだけどな」


 ファウストは驚きがにじみ出た声を洩らす。


『────オオオォォォ!!!!!!』


 返答は咆哮。また洪水のような勢いで炎が噴き出したその時、スルト(?)の肉体に異変が起こった。


「!」


 。それは情動過負荷とはまた違うもの。


 ドクンと、心臓が鼓動するかのような一定の周期を刻みながらその身体は一回りも二回りも大きくなっていく。指先から強靭な鋭い爪が生え、琥珀色に揺らぐ炎の体毛がその全身を覆っていく。破壊された胸部は炎によって既に完治している。


 首から上が炎の体毛に覆われたとき、そこにあったのは人の頭ではなく狼の頭であった。


「オイオイ……! 冗談だろそりゃ……!」


 優に五メートルは超えているその姿を見上げながらファウストは乾いた笑みを張り付けた。


 端的に表すなら、その姿はスルトの霊臓であるレルヴァ・テイン。その召喚物であるレルヴァがスルトの肉体を乗っ取ったような異形と化していた。変貌は肉体に留まらず霊力にすら影響を及ぼしており、人とも霊魔とも異なる謎の霊力を放っている。


「ヤンチャな成長期しやがってこの野郎。アラサーに対する嫌がらせのつもりならシバくぜ」


 ファウストは嘆息を吐きながらネクタイを解き、黒い背広を脱ぎ捨てた。


 ────ここで少し物語を止める。数行だけ、著者たる私の考察を挟ませてもらう。


 テラーによって消された古の歴史を鑑みれば、姿姿というのが私の意見だ。最も、かつて私が知り合ったギガント達と比較すればあまりにも小さいのだが。


 …………閑話休題。私の余計なお喋りは読者諸君も望んでいないだろうと思うので、ひとまずここで止めておこう。


────あとがき────


本編で触れる余裕が無さそうなので、この場をお借りしてテミス、アーク、テラーの三柱がどのようにして誕生したかについて補足します。


まずは正義の女神テミス。彼女はAC期以前、ジャスティティアで起こったとある戦争で流された血の河の中で誕生し、その神力で瞬く間に戦争を終わらせたとされています。


医療の神アークも同じくAC期以前の神。ある国に疫病で母を亡くした少年がいたのですが、その少年が母の墓前で疫病の根絶を誓ったところ、突如として雲の隙間からアークが現れたのだとか。ちなみにですが、その国が現在のアスガルです。


最後にテラー。この神だけは色々不明な点が多く、他の二柱と比べて明確な根拠がある資料が少ないです。ある日突然ジャスティティアに現れたことと、テラーがジャスティティアに現れたその日からAC期が始まったということだけが判明しています。

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