第56話 共鳴
「
テレジアの身体が花のような形状をした血の繭に包み込まれた。表面に僅かに浮かんでいる筋は一定のリズムを保ちながら脈動しており、まるで生きているかのような新鮮さと悍ましさを見るものに強制する。
ドクン、ドクンと。脈動が起こるたびに血の繭から放たれる威圧感が強くなる。正確にはその中にいる存在が放つ存在感と圧力、大気は悲鳴を上げるかの如く震えていた。
「こいつは────」
ラークは目を細めて繭を見つめる。先ほどまで体内を満たしていた怒りを忘れ、今はただ繭から放たれる威圧感に意識を集中させている。攻撃するに気にはなれなかった。考えはしたが、藪をつついて蛇を出すリスクを警戒して選択しなかった。
やがて、赤い花が咲く。姿を現したテレジアにラークは目を見張った。
「……ハッ! なんだよその姿。中で骨延長でも受けたのか?」
「……」
手の込んだイリュージョンでも見ているような心地がラークにはあった。視線の先にいるテレジア、その立ち姿は名工によって掘り出された神像の如く、纏う衣はまさに天衣無縫。ラークを優に超す長身に、儚くも高貴で堂々とした美貌はテレジアの面影が残っており、また見る者に忠誠心を抱かせるような風格を帯びている。
握られていたはずの杖は剣となっており、受けたはずの傷は全て消え去っていた。
(まるで忠誠を誓いたくなるような…………この跪きたくなるような感覚。殆ど搾りかすだが間違いねぇ)
聖血の王女と呼ぶにふさわしい姿と風格。それだけでは片づけられない神聖をラークは感じ取っていた。
「ハハ、どっかで拾い食いでもしたのかい?」
「口を開くな」
幼さが消えたテレジアの声。共に剣の切っ先がラークに向けられる。放たれる圧力が強まり、吹き抜ける風となって大気を震わせた。
────存在の格というものが上がっている。明らかに。
「強がんなよ。もう霊力に余裕がないんだろ?」
テレジアは返答代わりに剣戟をぶつけた。
「お? 図星か?」
ラークは嗤いながら後方へ退くことで高速の剣を躱し、テレジアを煽る。
「だんまりしてねぇで何とか言えよ、コラ」
突如、嘲笑を浮かべていたラークの胸部が大きく裂ける。刃物で切りつけられたような深い傷口から大量の血が噴き出した。
「なっ────」
驚く暇もなく剣が迫る。二撃、三撃と続くその剣戟をラークは大げさに回避するが、やはり謎の刀傷が起こる。
初めは躱し損ねただけかと思う余地があったが、明らかに当たっていないはずの剣ですら空を切った直後にラークの身体に傷をつけている。
思考する一瞬の間にも続いているテレジアの剣。斬撃から刺突に切り替わったその一撃に対し、ラークはここで反撃を選択する。
「
ラークの影から飛び出した黒い大百足が剣に絡みつき、高速の一閃を宙に縫い付ける。煌めく切っ先が赤く染まる瞬間と目が合ったラークは確信に近い予感を覚えた。
「王手」
赤い刀身が如意棒の如く伸びる。止められていたはずの刺突が逃げようとするラークの右肩を穿った。
「ウグッッ……!!」
ラークは唸り声を絞り出しながら顔を歪める────
「なんちゃって。読み通りだよバーカ」
「!」
ことはなかった。
刺突によって破れたラークの服。その僅かな隙間、ラークを守るようにして体表を蠢いている黒い百足の群れが刺突を食い止めている様をテレジアは垣間見た。
「剣を振る一瞬だけ刀身が伸びるんだろ? ちょっとビビったが、ただの初見殺しだ!!」
勝ち誇ったように声を張るラーク。突如、体内から皮膚を突き破って飛び出した無数の赤刃がラークの笑顔を苦痛に変化させた。
「この剣は我の血肉で出来ておる。切ると同時に変幻自在の我が血を相手の体内に注入することが出来るスグレモノじゃ」
テレジアの剣が再び赤く染まり、いつも持ち歩いている杖の形へ戻っていく。
「実をいうとこの姿になったのは二回目でな。一回の斬撃でどれくらいの量が入るかは我もまだ分かっておらんが……最早関係ないの」
背丈に合わなかった長い杖は、今やテレジアにこそ相応しい錫杖となっていた。
「貴様の負けじゃ」
♢
気に入らない。
「一丁前にペラペラと……もう勝ったつもりかよ……!!」
いつもみたいに笑えない。笑おうとした瞬間に激痛が全身に起きて、あちこちから血の刃が皮膚を突き破って飛び出してきやがる。俺は耐えきれずに膝を突いてしまった。
「諦めろ。貴様はもうどうしようもない」
なんか、ふわふわする。頭がボーっとして、よく分かんねぇ。
「貴様には何も出来ない。我を殺すことも、世界を壊すことも出来ない」
血ィ流し過ぎたのか? 視界が霞んでなにも見えねぇ。
耳もなんかバグってやがる。コイツが何言ってるのかなんも分かんねぇ。もっとはきはき喋れよ。
「人類はの、有史以前から何度も絶滅の危機に瀕してきた。霊魔に、災害に、疫病。今まで幾つもの国が滅び、数え切れぬほどの魂が無念に沈んでいった」
…………段々、眠くなってきた。身体に力が入らない。
俺という存在が世界から滲み出して、そのまま消えていくような感覚がする。
寒い。
「しかし人類は諦めなかった。困難に屈することなく未来を渇望した。故に人類は霊臓を獲得し、我々はここにいる。望まれたから我々は生きておる」
────不意に、声が鮮明に聞き取れた。
「己らがどれだけ愚かなことをしていたか、少しは思い知ったか?」
…………あぁ。よくわかったよ。
「キモい」
お前の頭がどれだけ終わってるかがよく分かった。
「キモすぎて吐き気がする。お陰で目が覚めたよ」
鼓動が早くなっていく。全身の血管が波打つたびに希薄になっていった感覚が戻ってくる。
「望まれたから生きるだと? ンなモン自分のことを特別な存在だと思い込んでる没個性共が言い出した屁理屈だ!! 目的もなくダラダラ惰性で生きてる連中が自分を正当化するために作った言い訳さ!!!」
……あれ。
「何が人間賛歌だ!! 何が未来だ!! そこにいるのは死にたくないから生きてるだけの奴らだろうが!!」
なんか、変。
「いいか、教えてやるよ!! 人間は人間のことが嫌いなんだよ!! 同調圧力に逆らえないから群れてるだけ!! 薄皮一枚めくってみれば、そこにいるのは自己中心的なナルシストだ!!! 自分を特別な存在だと勘違いしてるから常に他人を見下してるのさ!!!」
止まらない。
「だから戦争が起きる!! 差別が起きる!!! 他人を憎んで傷付け合うんだよ!!! お前、好きな相手に対してそんなことする奴なんか一人もいねぇだろ!!? だがこの世界にそんなヤツは一人もいねぇ!!! ────つまりこの世界はゴミなんだよ!!!」
感情が止められない。溢れ出して、溢れ出して、どんどん強くなっていく。
…………なんか、来る。
「このゴミみたいなこの世界に生きる哀れな馬鹿を救うことこそが俺達の目的だ!!!!」
────ラークの身体が強烈な燐光に包まれた直後、爆発が生じた。
「え!?」
突然の事態にラークもテレジアも驚愕と困惑を示した。
「な、なんだコレ! 身体が……!」
攻撃かと思ったが、痛みも無ければ苦しさもない。
だが己の肉体が根本から造り変えられていく感覚をラークはハッキリと認識していた。
「情動過負荷……! このタイミングで……」
唯一、テレジアはこの現象を知っていた。
知っていたが、成す術はなかった。
「……?」
やがて燐光が収まり、異変が終わる。ラークはまず己の身体に何が起こったのかくまなく確認した。満身創痍だったはずの身体はかすり傷の一つも残っておらず、大量出血の症状も微塵もない。一方で角が生えたり腕が増えたり、情動過負荷特有の外見的な変化も一切起こっていない。
ラークは、何一つ変わらなかった。ただ一つ、身体の調子が異常なほど良くなったことを除けば。
「なんか、よく分かんねえけど…………とりあえず俺にとっては嬉しいことが起きたみてぇだな」
剣幕を見せるテレジアを見てラークはなんとなく状況を理解し、嘲笑を取り戻した。
「仕切り直しといこうぜ?」
影が蠢き、瞬く間に黒い異形達がテレジアを取り囲んだ。
「ハァ…………悪運の強い奴め」
消耗が蓄積するテレジアに対し、ラークは全快以上。優劣は明白だ。霊力は半分も残っておらず、物量攻撃を仕掛けるのも五分が限界と言った塩梅だ。
故に、選択する。
「だが二度目があると思うなよ?」
短期決戦。あらゆるリスクを考慮しないフルスロットル、霊力切れを起こすその時まで一切の出し惜しみをしない覚悟を決めた。
「B.D.サンクチュアリ」
神聖を帯びた霊力が解き放たれる。それは風となってアスガル全域を駆け抜けたが、その神聖に気づくものは誰もいない。
ただ一人。
否、一体を除いて。
♢
アスガル南東部。そこには今も意識を取り戻さないスルトの姿がある。異常な硬度を持つその肉体は撃ち込まれた弾丸を全て弾き返していたが、ファウストの拳によって開けられた腹の風穴が致命的であった。
まだ辛うじて息はあるが、最早ここから助かる可能性はない。
ないはずだった。吹き抜けた風に混ざる神聖がスルトの肉体に触れるまでは。
『何……?』
声が起こる。
『…………やはり。希薄ではあるが、北の方向から神の気配を感じる』
それはスルトの内側。
果ての無い荒野に閉じ込められた、今は亡き一族の思念体が発した声だ。
『まさか、舞い戻ったと言うのか?』
周辺には人がおらず、あちこちから破壊音と悲鳴が微かに聞こえてくる。
『…………』
思念体は決断する。
『────陛下。その御身、使わせて頂きます』
世界から消された種族、ギガント。
眠れる巨人が目を覚ます。
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