第53話 聖血の王女

「よっ……ぐっ、ぬぬぬ……!!」


 イーストウィングで暴動を画策していた天使たちは、テレジアによって瞬く間に無力化された。そこかしこで色が薄くなった肌を晒しながら倒れている天使たちからはまるで貧血で倒れた急病人が思い起こされる。


「いや、重!! ミネルバ重! その身長でなんでこんな重いんじゃコイツ!! 教会引きこもってるから太ってるじゃろコレ!」


 今テレジアは天使たちの襲撃で負傷した医者やミネルバの救護に当たっている。しかし体格が少女であるため、テレジアは負傷者を持ち上げられない。

 

 なので負傷者になるべく負担が掛からないよう注意を払いながらイーストウィングの各地に点在する天幕────元は天使病の診察を主に行うために設置された簡易拠点────まで引きずって運ぶという方法を取っている。


 それでもミネルバは重かったようだ。もしミネルバが起きていたら顔を真っ赤にして怒っていただろう。うら若き乙女にとって、それは大事なことである。


 そんなこんなでミネルバを天幕まで運び終えたテレジアは汗をぬぐい、また天幕から出る。この天幕が設置されている場所はイーストウィングの中でもかなり開けた空間である大広場の端。広場のあちこちにはテレジアに助け出された負傷者が集まっている。


(しかし妙じゃな。あれだけの憎しみを持っていた割に重傷を負っている者は一人もおらん)


 赤い瞳が見つめる先では頭に包帯を巻かれた人間が他の負傷者の手当てを行っている。視線を左右にずらしてもおおむね似たような景色が広がっていた。


 テレジアは思考する。天使たちが攻撃したのは天使病に罹患していない人間。その理由は本人たちが説明していた。その口ぶりからして並々ならぬ敵意と殺意を抱いていることは明白だったが、なぜ一人も死者がいない?

 

(イーストウィングにいる非罹患者はミネルバを除いて全員医者。そのミネルバも天使病の治療のために尽力していたことをケリュケイオンは知っておる)


 テレジアの思考が加速する。博識な彼女の脳を以ってすればその答えを発見することに特段の苦はなかった。


「……霊魔となり果てても、己のために奔走してくれた人間を手に掛けることを躊躇う理性は残っていたということか」


 テレジアは思わずため息を吐いた。


「全く、しょうがない奴らじゃな」


 意識を失って倒れている天使たちを治療すべく、テレジアは天使たちと相対した現場へ向かう。


 その道中、黒目黒髪の青年がテレジアの行く手を阻むように現れた。


「……お主、何者じゃ」

「初めまして。さようなら」


 青年────ラークが突き出した右手から発生した黒い百足の濁流がテレジアを呑み込む。百足たちはテレジアを呑み込んだ後もレーザーの如く突き進んでいき、ある程度まで進むと途端に軌道を真上に変える。百足たちは宙で不規則に回転しながらラークの影の中に消えていった。


「あら、案外大したことなかっ────」

「無礼者」

「!」


 空から聞こえてきた幼い声にラークは一瞬硬直する。見上げた空には廃墟の屋上からラークを見下ろすテレジアの姿があった。


「やるね。あの一瞬で躱したんだ。それとも分身だったりする?」

「身の程知らずの獣に返す言葉などない」


 テレジアが天高く空へ向けて杖を掲げた瞬間、先端から溢れだした鮮血が空を埋め尽くす。周辺は赤い影に覆われていき、ほの暗い世界が広がっていく。


「クロスハンマー」


 杖がラークを差した次の瞬間、巨大な十字架型に圧縮された血の隕石が墜落した。血液を自在に生成・操作することが出来るテレジアの霊臓ソウルハートである。霊臓によって固体化し、その硬度を鋼鉄とほぼ同等まで引き上げられた血の隕石は周囲一帯の建造物ごとラークを押し潰した。

 

 轟音と衝撃の後、束の間の沈黙が走る。


「────飲月」


 沈黙を破ったのはラークの声だ。それと同時に大地を突き破って現れた漆黒の巨鯨が血の隕石を噛み砕いた。さながらブリーチングの如く出現した巨鯨の身体は天高く昇っていき、重力によって放物線を描きながら落ちてくる。


〈オオオオオォォォォォ!!!!〉


 52ヘルツの咆哮がアスガルに響き渡る。隕石すら丸呑みにした大口がテレジアに迫った。


「分をわきまえよ」


 テレジアが杖の足で地面を突いた瞬間、無数の赤い刃が巨鯨の全身を内側から貫いた。バラバラに引き裂かれた巨鯨の残骸が雨の如く降り注ぐが、いずれもテレジアの身体にぶつかることはなかった。


「参ったなぁ。滅茶苦茶強いじゃん」


 テレジアの背後に落下した巨鯨の残骸から姿を現したラークが冷や汗を垂らす。ラークが巨鯨の残骸に手を触れると全ての残骸が沈むように影に消えていった。


「流石は。噂以上だ」

「……」

「あぁそうだ。礼儀、だっけ?」


 ラークが嘲笑する。何か思い付いたように口を開くと、大きく息を吸った。


「これはこれはご機嫌麗しゅう死に損ないのプリンセス! お初にお目にかかります! 私の名はラーク。この国に天使病をもたらした救世主にございます!!」

「!!!」


 演技たっぷり、悪意満タンの身振り手振りでラークは名乗り上げた。

 

「おっとっと。今はフェンリル騎士団後方支援部隊隊長だったっけ?」

「貴様……!」

「ついでに言うとジョセフ・モルフォールとその恋人を殺したのも俺だ」


 怒りのあまり、テレジアは絶句する。眼を大きく開き、拳を強く握り込んでラークを睨む。その姿はまるで燃え盛る炎のようである。


 それを見てラークは嗤っていたが、不意にテレジアの顔から表情が消えたことで顎を引いた。


「────感情が強すぎると一周回って冷静になるとはよく言うが、まさかこの歳になってそれを経験するとは思わなんだ」

「……良かったじゃん。それで感想は?」


 嘆息を吐き出したテレジアにラークが問いかける。


「ジャスティティアから消え失せよ」


 テレジアの声音が氷点下まで下がった。


「やだね。お前が消えろ」


 「べー!」っと、ラークは一瞬だけリルカ・イエスマリアの姿を取った。


 ……一瞬の静寂がイーストウィングに訪れる。

 

「────B.D.ビー・ディーサンクチュアリ」

「────万喰者マンイーター


 片や計画の障害を排除するために、片や亡き同胞を冒涜した怨敵を排除するために。


 互いの霊臓ソウルハートがぶつかり合った。


 ────あとがき────


 ついにテレジアが戦います。一応フォローしますが、ミネルバの体重は一般的な同年代の女性よりちょっっとだけ上なだけです。

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