第52話 The day is mine
スルトはラークを睨みつけたまま背後に腕を伸ばし、ファウストの胸ぐらをつかんだ。
「!?」
「嘘だろコイツ……!」
ラークは驚愕し、ファウストは思わず愚痴を零す。拳を引き抜いて離脱しようとするが、スルトが腹筋に力を入れたことで固定化された拳はビクともしない。
「邪魔!!!!」
刹那、ファウストの身体が宙を舞う。スルトはその怪力に物を言わせ、粉微塵にする勢いでファウストを地面に投げつけた。
受け身が間に合わず、背中から地面に激突したファウストにスルトは追撃の拳を叩きこもうと構えるが、その拳が振り抜かれることはなかった。
「!」
そこにファウストはいなかった。あるのは人の形をした黒くてドロッとした液体だけだ。
「残念。ソレは俺が霊臓で創った分身さ」
ラークの解説と共にファウストだった黒い影の塊は霧散して消滅する。代わりに貫かれたスルトの腹部から零れた大量の血液がその場所に降り注いだ。
「チェックメイト」
スルトが顔を上げてラークに意識を戻したその瞬間、放たれた弾丸がスルトの眉間に命中した。
「危ない危ない…………つか、なんで腹ぶち抜かれた状態から一人持っていけるんだよ」
倒れ込んだスルトを見てラークはホッと息を吐く。流れる冷や汗は若干の焦りを意味している。
「ま、いっか。リーダーに隕石断られたときはマジ終わったと思ったけど、人間やろうと思えば案外できるもんだ」
ひとり反省会を開きながらラークは銃口をスルトの額に向け、残る弾丸を全て撃ち込んだ。
「────弾切れだ。これで死んだと信じるよ」
ラークは嗤いながら拳銃を手放し、それを踏み砕く。呆然と立ち尽くしていたシュプリはようやく思考が追い付いて、すぐに立ち向かおうとした。
「やらないよ、生憎だけど。アンタを殺したらリーダーがションボリするんだ」
ラークは取り合わなかった。絶命して翼が消滅したジョセフの死体から心臓をもぎ取り、極上の戦利品を獲た兵士のように笑っている。完全に油断していて隙だらけだったが、シュプリは足がすくんでその場から動けなかった。
「それでいい、それでいいのさ。怖くて怯えるのは当たり前のこと。怖いのに無理して戦う必要なんてないじゃないか」
「……」
呆然と立ち尽くすシュプリにラークは不敵な笑みを浮かべた。
「あ、そうだ。もう分かってると思うけど、俺こそがこの国に天使病をバラまいた黒幕だ」
ラークは思い出したような顔をして犯行を自白する。それでもシュプリは何も出来ない。怒りも悲しみも全てあるというのに、足を踏み出すことが出来なかった。構えようとした拳は震えて動かせない。
「…………!」
「うん。やっぱりそれでいいのさ。恐怖で怯えてもいい。怖いのに無理して戦う必要なんてないよ」
ラークが同じ言葉を繰り返した刹那に影が蠢く。黒い大蛇の突撃がシュプリを突き飛ばした。
「最後に残るのは結果だけだ。アンタは運よく襲撃から生き残った。それ以上でもそれ以下でもない」
彼方向こう側の壁に激突したシュプリが立ち上がることはなかった。あまりの衝撃と痛みで失神したシュプリだが、ラークの思惑によって幸い命に別状はない。少し時間が経てばすぐに意識を取り戻すだろう。
最も、その頃にはラークを追いかけることすら叶わないが。
「サヨナラ、シュプリ・クロイツフェルト。リーダーにはよろしく言っておくよ」
ラークはジョセフの死体を影の中に取り込んだ後、手をひらひらとやりながら去っていく。
ついぞ、額から流血を起こしているスルトの付近にひしゃげた弾丸の残骸が散らばっていることには気が付かなかった。
♢
「~♪」
そこかしこで悲鳴が轟く街の中、ラークは鼻唄交じりに進んでいく。そこかしこで殺された民間人や途中で力尽きて死亡した黒い天使の亡骸が転がっている。立ち並んでいた白い大理石の建築群は廃墟のような姿を晒しており、血の代わりに黒煙を吐き出している。
「
そのとき、ラークの影が一体の地面を覆い尽くした。それは底なし沼の如く死体や瓦礫を吞み込んでいき、あっという間に喰らい尽くす。ラークの影が元通りになると、破壊痕があちこちにある道だけが残っていた。
捕食を終えたラークは歩きながらスマホを取り出し、画面を操作してファウストに通話を掛けた。
『────なんだ坊主。やっぱ負けそうなのか?』
ファウストはスリーコールで通話に出た。
「だと思うじゃん? まさかまさかの大金星」
『……マジかよ』
「マジマジ。俺ってば意外と出来る子だったわ」
聞こえてきたファウストの声には純粋な驚きの感情が籠っていた。それを聞いてラークは悪戯に成功した子供のように笑う。
「……────そういうことで、こっちはもう終わったよ』
「そうかい。俺の方もついさっき終わったところだ」
────瓦礫の山の上に立っていたファウストは、右手で鷲掴みにしていたユーリの頭を手放した。落とされたユーリはゴロゴロと小さな瓦礫の山を転がり落ち、ある程度進んだところで止まった。
傍らには頭から血を流して倒れているカナエの姿もある。
「あとは血を操るちびっ子だけなんだが……俺はちと相性悪そうだ」
『おけおけ。あとは俺がやっとくからファウストは休んどいて。何ならラボに直帰してもいいよ?』
「いや、万が一が起きたら怠いから残っておく。何かあったらすぐ呼べ」
『マジで? 愛してる』
「返品するわ。着払いで」
ファウストは瓦礫の山から降りて、倒れたまま動かないユーリ達のそばに近寄った。
「それで、この国はどうする?」
『壊滅させるよ、跡形もなく。リーダーからそうしろって言われてるしね』
ファウストは嘆息を吐いた。
『
「……そうかい」
『また何かあったら連絡するよ。お疲れー』
通話が終わる。煙臭い微風がファウストの肌を撫でた。
「……相手が俺で良かったな。もしここに来たのがラークだったら死んでたぜ」
倒れ伏す二人にファウストは声を掛けた。返答はないが、そもそも期待していない。これはいわゆる独り言なのだから。
「あばよ若いの。また会える日があるならな」
煙草に火を付けながらファウストはイーストウィングから去っていった。
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