第50話 敵は何処

「人が、霊魔になった?」

  

 襲ってくる十一人の黒い天使を相手にしながらも、オレは先ほど起きた異常事態を考えずにはいられなかった。


 男が号令を出した瞬間、国中で青白い爆発が起こった。あれは異常増幅の果てに溢れ出した霊力が引き起こす爆発だ。つまり情動過負荷。あれが起こるのは情動過負荷以外あり得ない。


 だが、なぜいきなりそれが起こった? なぜ情動過負荷が同時多発的に起こった?


 そして、なぜ情動過負荷で変異した人間たちが天使のような姿になっている?


 答えは一つだ。


「天使病はテメェの仕業か!!」

『UGAAA!!!』


 返されたのは知性を感じない獣のような咆哮。そこに含まれる敵意や憎悪は霊魔と何ら変わりない。目につく物全て、目につく物全てを破壊する化物だ。対話は不可能。


 止めるには…………殺すしかない。


「クソッ!」


 忌々しい。そんな選択肢しか持たない自分がさらに嫌いになる。


『神罰!!』

 

 三人の天使がオレを囲うように陣形を組み、槍を持って突撃してくる。忌々しい言葉を吐くその目はやはり敵意に満ち満ちている。


「────レルヴァ・テイン」


 制限していた出力を解放する。蛇口が壊れた水道から噴き出す水のように、オレの全身から琥珀色があふれ出る。炎は突撃してきた三人を丸呑みにし、全身を焼きながらその質量で吹き飛ばした。やがて彼方遠方で墜落していった天使たちの身体は翼の黒と殆ど同じくらい黒かった。


 それから先は殆ど作業染みたものだった。剣や槍などの近接武器を持って突撃してくる天使をあしらいながら屠るだけ。拳や蹴りを交えつつも最後は結局黒炭に変えるだけ。時々飛んでくる霊力弾や霊力矢の対応はレルヴァに任せた。


 一人、また一人と天使の数が減るたびにチクチクとした痛みが胸の奥で走る。


 アトラのときもそうだった。カナエに余計な罪を被せた上に結局最後は殺すことでしか事態を解決できなかった。今だってそうだ。オレは殺す以外にこの事態を解決する術を持っていない。


 しかしオレが何もしなかったら多くの人間が死ぬ。だからやるしかないと、ごもっともな言い訳をしながらオレは人を殺している。


『裁きを受けろォ!!!!』


 最後に残った首魁の男はまた叫びながら突っ込んでくる。駆け引きも戦術も感じられない剣戟は癇癪を起した子供が手当たり次第に暴れている姿に等しい。雑な連撃の隙を突いて鳩尾に掌底を打てば男は簡単に吹っ飛んでいく。


 それでも男は向かってきた。そこには男の意志なんて殆どないのだろう。意地と執念に突き動されて、自分でも何が何だか分かっていなくて、自分を邪魔してくる目の前の存在を敵だと信じて、何が何でも排除しようと躍起になっている。

 

『ウガアァァァァ!!!!』


 ────オレは一体何をしているんだ? 今オレがやっていることは、果たして正義なのか?


 正義だなんだと言いながら国を出て、リルカを失ったエルドを置き去りにしてまでやりたかったことがこれなのか?

 

 次第に拳が重くなっていく。罪悪感で出来た鎖が全身に巻き付いてくるようだ。


『邪魔をするなァ!!!』


 それは男を地面に叩き落としたとき、一気に強くなった。まるで重力が何倍にもなったみたいに身体が重い。地面に降り立った後、這いつくばって尚諦める様子の無い男を見て鎖がさらに重くなった。


『なぜだ……! なぜ邪魔をする!!』

「…………」

『私はただ報いを求めているだけだ! 今まで行ってきた善行! 今まで受けてきた悪行に対する報いを欲しているだけじゃないか!』


 男が黒い涙を流しながら叫ぶ。翼はもう殆どボロボロで、放つ霊力も今は殆ど人間のそれと感覚が同じだ。


「私が一体何をしたというんだ!! アークの救いがありますようにと、毎日祈りながら他者のために人生を捧げてきた!! 偽善だなんだと言われ続けても私は奉仕を止めなかった!! それなのになぜ!! なぜ私だけがこんな目に合っている!!」


 立ち上がることすらままならず、膝立ちの状態で男は主張する。変色していた目が段々元に戻っていく。


「善行には救済が、悪行には裁きがあってしかるべきだ!!! それを遂行するのは他でもない神の使命!! しかし現実はどうだ!? 救われるべき人間が悪意に凌辱され、裁かれるべき存在がのうのうと幸福を享受している!! ────私はそれが我慢ならないのだ!!!!!」


 コイツはオレだ。戻りかけた目の色彩が再び黒に染まったのを見てオレは思った。 


「それはアークじゃなくてテミスに訴えるべきだ。アークは医療を司る神。正義を司る神じゃない」


 コイツも、この残酷な世界の犠牲者なんだ。神というまやかしに踊らされた被害者だ。きっと、元は善良で褒められるべき人間だったんだろう。


「それがなんだと言うのだ! どの道この救いのない現実が放置されている時点で神などこの世に存在しない!! 誰かが正さねばならない!!!! ────故に私こそが正義だ……勝つのは真に正しい正義だ!!!」

「違う。勝つのはより力が強い方だ」


 オレが否定すると、男は目を見張った。


「いつの時代も正義と悪を定義するのは強大な力を持つ存在だ。自分にとって都合のいい方に定義してくれる絶対的な上位者を、或いは都合のいい幻想を見せてくれる導き手を崇拝した。だから人は神を求める」

「……そんな、嘘だあり得ない」

「嘘じゃない。オレだって……オレだって信じたくないさ。だが世界は嘘をつかない。このクソったれな世界は、いつだってありのままに、残酷な現実をオレ達に与えるだけなんだよ」


 そうさ、この世界はクソだ。


 その単純な事実にいち早く気が付いた人間だけがこの世界を生き残る。


「────人はただ善くあるべきだ。このクソったれた世界がこれ以上クソにならないように。僅かにでも世界に安らぎが生まれるならオレ達は善くあるべきなんだ」

『黙れ黙れ黙れ黙れ!!!! 部外者が偉そうなことを言うなァ!!!』


 ……こうなることは分かっていた。覚悟の上で言った。傍から見れば追い打ちをかけたと思われても仕方がないが、後悔はない。


『友も、家族も、命より大事な恋人も!! 私から全てを奪い去ったのは天使病ではなく人間じゃないか!!! それを言うに事欠いて、人は善くあるべきだと!? 貴様は何様のつもりなんだ!!!! ……待てよ、貴様。もしやこの国を乗っ取ったというメシアの人間か?』

「────な?! 待て!! 何でお前がそれを知ってる!?」


 男の口から出てくるはずのない単語が飛び出したのでオレは思わず目を見張った。


「何でそこでメシアが出てくる!!」

『そうか……そういうことだったのか。ようやく理解出来た。────貴様こそが全ての元凶だな!!!!』

「質問に答えろ!!!」


 追及しても男は聞く耳を持たなかった。


 だがなんとなく理解出来た。根拠はないが、確信がある。


「おい聞け!! 全ての元凶はメシアだ!! この国で起きた全ての悲劇は全部メシアが裏で糸を引いていたんだ! 今オレ達が争うことも、お前らが民間人を攻撃するように仕向けたのも全部メシアだ!」

『そのメシアが貴様だろうが!!』

「クソッ!!」

『勝つのは正義だ……!』


 今のオレじゃこの男を納得させるのは無理だ。止められない。

 

 やるしかねぇのか……!!


「────ジョセェェェフ!!!」

「!?」

 

 迫ってくる男を迎撃しようとしたそのとき、なんとなく聞き覚えのある声が鼓膜に飛び込んできた。その直後、オレ達の間に割って入った意外な人物が拳を振りかぶって男の頬を貫いた。


『ガッ!?』


 その横槍を予想だにしていなかった男は拳を諸に喰らってたたらを踏む。その拳は情動過負荷で強化された肉体には大してダメージはなかったが、今重要なのは拳を振るった人間の方だ。


「アンタは……!!」


 オレ達の間に割って入ったのは、医療の神様とも謳われる偉大な男。そして、オレ達が探していたシュプリ・クロイツフェルトその人だった。


『シュプリ……殿……』

 

 殴られた男は目を丸くして驚いていた。一方でシュプリさんは肩で息をしながら、怒りや悲しみと言った色んな感情がごちゃ混ぜになったような表情で男を睨んでいた。


────あとがき────


ジャスティティアにおける神について補足です。(実在するか否かは含まない)


今まででアーク、テミス、テラーの三柱の神が登場しましたが、これは同じ神話に属する別々の神です。しかし宗派によって信仰する神は異なり、自らが信仰する神以外の存在はあまり認めていません。(八百万の神々がいると考える人間も勿論います)


そのためアークやテミスと言った固有名詞が用いられている場合を除き、神という単語が出てきたときは、基本的にその単語を口にした人物が信仰する神を指します。

例えば、四年前のスルトが神という単語を出したときはテミスを示します。霊魔化する前のジョセフが神と言ったときはアークになります。人物によって示す対象が変わるんですね。

重ねて言いますが、アークやテミスと言った固有名詞を用いている場合はそのままの意味です。

また。無神論者はごく少数です。


ちなみにですが、現実世界で神業とか神曲とかそういった言葉があると思います。これらの言葉はジャスティティアでも同じ意味・用途でよく使われています。

神の御業に等しい偉業。またはそれに匹敵する何か。と説明すればどの宗派に属する人間でも同じ理解をしますからね。

分かりにくい点などありましたらまた修正して貼り直します。

質問なども受け付けておりますので気軽にコメントしてください。

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