第49話 魔拳

 霊魔と成り果てた天使病患者たちはそのほとんどがイーストウィングから出現した。大部分はイーストウィングを出てアスガル全域に飛び出し、残った者たちは治療のために滞在していた医者たちに襲い掛かった。


『殺せ────!!!』

『裁きを下せ!!』


 膨れ上がる感情の矛先は己を治癒しようと尽力していた医者であっても鈍らない。むしろ鋭くなっている。


「待て!! 待つんだ!! そんなことをすれば君たちは忌み嫌っていた憲兵と同類になるぞ!!」

『殺せ!』

『同胞以外全員敵だ!!』


 聞く耳を捨てる。それが患者たちの解答だった。同じ苦しみを味わった友以外は全て敵。同胞以外の声は己をたぶらかそうとする悪魔の声だと断定して耳を傾けない。


 これらの現象はイーストウィングだけでなく、アスガル全体で起きていた。


『イツマデェ!!! イツマデェ!!!』


 イーストウィングの外に出た患者たちは真っ先に一般人への攻撃を開始した。


「うわぁぁぁ!!!」

「逃げろ!! 感染者たちがテロを起こしてるぞ!!」

『反撃せよ!!!』


 逃げ惑う民衆を患者たちは次々に襲った。今まで受けてきた苦難の仕返しをするように、溢れ出す黒い感情をぶつけるように。それは一方的且つ身勝手な発散行為と言えるだろう。八つ当たりともいえるかもしれない。


 最早、ただのテロリストである。


「動くな!! アスガル憲兵隊である!!」


 襲われる一般人を守るべく、現着した憲兵隊がテロリスト化した患者たちへ攻撃を開始する。それを皮切りにして、悲鳴や爆発音の騒動に銃声と怒号が混ざり出した。


 憲兵隊の攻撃によって患者たちから脱落者が増え始める。拳銃で撃たれて動かなくなる者もいれば警棒の殴打を受けて気絶する者、身体が情動過負荷の負荷に耐え切れずに絶命する者など要因は様々だ。


 しかし一向に数は減らない。そして患者たちは攻撃してくる憲兵を無視して一般人だけを攻撃していた。


「なっ!? こ、こいつら民間人ばかりを!」

 

 一人の憲兵が驚愕と困惑に満ちた叫びをあげる。てっきり迫害を扇動していた自分たちを狙う者だと思っていたのだ。その憲兵は、自分たちが今まで患者たちを迫害していたという自覚があった。罪悪感も後悔もあったが、上に言われるがままに従っていた。


 そのつけを払うときがきたと思っていたのだ。しかし、今患者たちはどういうわけか民間人を攻撃している。


「────緊急連絡!! 聖王府周辺にて突如現れた感染者たちが民間人を攻撃している!! 理由は不明! 我々を無視して民間人ばかりを狙っている!! 至急応援を要請する!!」


 憲兵は事態を理解することを一旦放棄し、襲われる民間人の救護に専念した。今この場にいる憲兵だけでは困難だと判断し、インカムで応援を要請する。


『緊急連絡!! 東部歓楽街も同じ状況だ!! 我々だけでは手に負えない!! 一人でもいいから誰か来てくれ!!』

『西も無理だ!! 感染者たちの数が多すぎる!!』

『隊長はどこだ!? さっきから全く連絡が付かない!!』

『討伐作戦に向かってたやつらは何してるんだよ!!』


 返ってきた返答に憲兵はただ絶望するしかなかった。


「ち、近寄るな!!感染うつったらどうすんだよ!!」


 視界の端で追い詰められている一般人が目に入る。


『黙れ。お前たちこそが真の悪だ』

「あ、悪ってなんだよ!!? 俺がお前に何をしたんだよ!! 人殺しまくってるテメェの方が悪に決まってんだろうが!」


 その一言で憲兵は全てを察した。


『愚かな。聖王府に便乗して我々を迫害していたお前たちが今更何を言う』

「はぁ!? お前らなんか知らねぇよ! 迫害してたのは憲兵だろうが!!」

 

 ────ダメだ。ダメだ止めないと。


『我々は忘れない。お前たちが嬉々として我々を嘲り、石を投げたことを』

「知るかよンなこと!! それは俺じゃなくて他のヤツだ!! ────あ、あぁそうだ! 俺は止めたんだぜ!? そんなことしたらダメだって他の奴らを必死でよ!」


 ────止まらなくなる。憎しみの連鎖が止まらなくなる!


『問答無用!』

 

 ────止めないと!


 振り下ろされる憎しみの刃。気付けば身体が動いていた。


「────えっ?」


 憲兵は一般人を突き飛ばして凶刃から逃がした。その代わりに、自分の心臓を貫かれた。


『なっ!?』


 テロリストは酷く動揺する。その顔には驚愕と焦り、そして後悔が見え隠れしていた。



『同士ジョセフに続け!! 我らの敵を打ち砕くのだ!!』


 一方、イーストウィング。かつて己に親身になってくれた医者たちを半分以上手に掛けた患者たちは、残る医者たちの排除に血眼になっていた。その傍らには頭から血を流して倒れるミネルバの姿がある。倒れてピクリとも動かない医者がいる。


 白衣を血に染め、無念の顔で倒れた医者を見ても何も感じない。何も思い出さない。思い出せない。


 まだ残っている医者たち、自分と同じ形をしていない存在を排除すべく行進を続ける。


 その行進を遮る者がいた。


「アクアストライク!!」

「風魔陣」


 水の斬撃と風を纏う矢の流星群。二つの攻撃が総数五十を超える患者たちに襲い掛かる。


「────いくら何でもそれはダメだろ…! なぁ……アンタらがそれをやったら一番ダメだろうが!?」


 倒れた患者たちに向け、ユーリが叫ぶ。その隣でカナエは悲し気な表情で沈黙している。


『────黙れ部外者。お前たちも敵だ』


 数名の患者が立ち上がると、その黒い翼が一回り大きくなった。あちこちに潜んでいた患者たちが次々に集まってきて、倒れて動かない同胞を踏んでユーリ達の前に立つ。


『薄っぺらな倫理や道徳ではもう解決できんのだ!! この黒い感情を奴らにぶつけなければ気が済まない!! 我々を侮辱してきた者たちに同じ痛みを与えなければ!!』

「……」

『そうでもしなければ気が狂いそうになる!! 人道的に悪であるはずの人間がのうのうと生活を享受している事実が受け入れ難い!! 耐え続けた我々だけが苦痛を味わう意味が分からない!! 何もせず黙って現実を受け入れて死ぬのは御免だ!! せめて、せめて奴らの大切なモノを奪わなければ気が済まない!!!!』


 悲鳴に近い絶叫にカナエは悲痛な顔を浮かべる。弓を構える手が少し下に下がるが、すぐに力が入って元の位置に戻った。


「……貴方達の抱く感情に理解も納得も出来る。当事者にしか理解できない感情や理由は私達には分からないけど…………他でもない貴方達がそうするしかないと思ったなら、きっとそうなんだと思う。だけど、私達はそれを受け入れない」


 薄紫色の瞳に覚悟が宿る。引き絞る弦に乗る感情は計り知れない。


「私達は部外者だもの。誰かが傷付くのは看過出来ない。……だから、私達は貴方達を止める敵よ」


 患者たちの絶叫に押されていたユーリは、カナエの覚悟に勇気づけられた。一歩下がった足を前に戻して、剣を構える。


『小娘が偉そうに────』


 瞬間、血液の糸が患者たちの全身を拘束した。突然の異変にカナエは弓を降ろす。血の糸は倒れたミネルバや医者たちから流れ出た血から伸びていた。


『これは……!?』

「よくぞ言った小童ども!!」


 幼い声が聞こえた瞬間、その場にいる全員が犯人を特定した。


「目には目を。そんなものは他者を傷付けて良い理由にはならない! 我はお主らに味方するぞ!!」

「テレジアさん!」


 建物の屋上。鉄柵の上に立つテレジアにカナエはちょっと嬉しそうな顔を浮かべた。


「この、カッコイイじゃねぇかチビ!!」

「おいコラチビって言うな! 折角の登場が台無しじゃろうが!!」


 ユーリの言葉にテレジアは怒る。鉄柵という極めて細い足場の上で地団駄を踏めるバランス感覚は奇跡というほかない。


『次から次へと……! 部外者が偉そうな口を聞くな!!』

「部外者ではない。我は医者じゃ。錯乱する患者を止めるのも医者の仕事だろう?」

『屁理屈を!!』


 患者たちの敵意を意に介さず、テレジアはユーリ達の方を向く。


「聞け!! 天使病の正体は寄生型の霊魔じゃ!! 宿主の偏桃体に寄生した霊魔が負の感情を刺激して情動過負荷を起こしておる!!」

「え!?」

「あくまで我の予想じゃが、この霊魔は何者かによってアスガルに持ち込まれたものじゃ!! 犯人はまだこの国の何処かに潜んでいる!! お主らはそいつを探せ!! ここは我が引き受ける!!」

「────分かった! 死なないでね!」


 自分の役目を理解したカナエは、動揺するユーリの手を掴んで戦場から離脱した。


「お、おい!」

「大丈夫ユーリ。テレジアさんは強いから」


 カナエは振り返ることなく駆ける。テレジアを強く信じているのだ。


「…………」


 カナエの後ろを走りながらユーリは空を見る。そこには十二人の黒い天使と交戦するヴェルトの姿がある。多勢に無勢だが、不思議とユーリはヴェルトが敗けると思わなかった。

 

 カナエがテレジアを信じている理由もそれに近いのだろう。そう結論づけたユーリは納得して意識を切り替えた。


「そうだな。俺たちは霊魔をバラまいてるクソ野郎をとっちめよう」

「とりあえずヴェルトに連絡────」


 二人がイーストウィングを抜けようとしたその瞬間、目の前で爆発が起きた。寸前で身を引いた二人は襲ってくる暴風と衝撃の強さに思わず腕で顔を覆う。


 やがて風が止み、土煙が立ち上る。


 その向こう側から感じる異様な気配に二人は言い知れぬ危機感を覚えた。


「────めんどくせぇ」


 聞こえてきたのは気だるげなハスキーボイス。その声を聴いた瞬間、二人は身動きが取れなくなった。


 例えば、断崖絶壁の際で足を踏み外したときのような。


 暴走した車が一直線にこっちへ向かってきたときのような。


 確実に逃れられない死を悟った瞬間に起こる硬直が二人の肉体を支配した。


「仕事とはいえ、俺だってこんなことしたくないんだ。なんというか、良心が痛むんだよ」


 土煙の中から出てきた男を見た二人はまた悟る。


 さっきの爆発は、この男が着地した際に起こったものだと。


「でも仕事は仕事だ。世知辛いね全く」


 男はかつて、拳一つでとある大国に勝利した生ける伝説。そして、一年前に突如として行方不明になった男である。


 鬼神、拳聖、国崩し、龍の爪……。彼の武勇を聞いた者は口々に讃えた。

 

 しかし、彼の拳が振るわれる様を目撃した者の感想は少し違う。

 

 皆口を揃えて、彼の拳をこう例えるのだ。


 ────「まるで魔法を見ているようだった」と。


「よぉ若いの。オジサンとちょっと遊ぼうぜ」

 

 "魔拳"ファウスト。


 生ける伝説が立ちはだかる。


────あとがき────


 実はファウストは本名じゃないです。

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