第35話 罪を呑み干す聖者
「アスガルが乗っ取られているだと?」
「はい……。どんな手を使ったのかは分からないけど、三年前にメシアは聖王様とつながりを持ったようです。それから今に至るまでの短期間でメシアは聖王府を傀儡化し、果てには聖王様すら言いなりにしてしまった。ちょっと前に行われた通報キャンペーンもメシアから命令を受けた聖王府が開始したものです」
ミリアの声は不安げであった。そわそわとどこか落ち着きのない様子は何か恐ろしいものを見た記憶を思い出して怯えるこどものようだ。
「三年前か……言われてみれば確かに、聖王府が狂い始めた時期と一致するな」
「我はこの国の人間ではないから分からんが……お主はどうやってそれを調べあげたんじゃ? 王の動向というものは最上級の国家機密。それを一介の兵士が突き止められるとは思えないぞ」
過去の記憶を振り返りながら思考するシュプリの一方でテレジアは素朴な疑問を抱いた。
ミリアは一度言葉を区切ってから、少しの躊躇いの沈黙の後にまた口を開いた。
「えっと……実は、私がこの情報を調べて得たわけじゃなくて、ある人から聞いただけなんです」
「何じゃと? 一体誰から聞いたのじゃ?」
「確か、ネオって言う人でした。ボロボロの本とペンを持ってて、頭がシカの人です」
「なんじゃソイツ。コスプレした不審者か?」
思わずと言った様子でテレジアが突っ込みを入れる。ミリアは首を横に振った。
「その人は突然私の部屋に現れて、放心している私に聖王様や隊長しか知らないはずの機密情報や私がするべきことを一方的に伝えるとお化けみたいに消えたんです」
「……
テレジアの言う通り、ミリアの話は到底信じ難いものだった。恋人であるジョセフですらミリアに疑いの目を向けるほどだ。
「本当なんです! 私だって最初は信じてなかったけど……あの人、私のへそくりの隠し場所とかジョー君がお尻好きで密かにそういう本をコレクションしてることとか全部言い当てたんです!!」
「はぁっ!?」
瞬間、テレジアの絶対零度の眼差しが取り乱したジョセフに向けられた。
「……」
「ち、ちがっ……くっ! ど、どうやらそのネオとやらは嘘をついているわけではないようですね!」
「僕も信じよう。ジョセフがたまにミリア君の臀部に熱い眼差しを向けているのを何度か見たことがある」
「────えぇい喧しい、喧しい!!! お尻が好きでなにが悪いんだァ!!」
図星を突かれたジョセフは最早ヤケクソだった。
「ゴミが」
涙ぐむミリアの背中をさすりながら、テレジアは汚物を見る目でジョセフを軽蔑した。
それからしばらくして、四人はひとまずネオについて話すことにした。
「────結局、ネオとやらの言っていることは信用していいんじゃな?」
「僕は未だに信じ切れないが……情報そのものについては信用してもいいと思う。そこの二人の反応からして嘘はないはずだ」
「「……」」
シュプリの言葉にミリアとジョセフは気まずそうな顔で頷く。テレジアはため息をついた。
「全く……ときにミリアよ。ネオはメシアについてなんと?」
「はい。全て教えてくれたって訳じゃないんですけど、ネオさん曰く、聖王様は何かを引き換えにしてアスガルを引き渡す契約をメシアと結んだそうです」
「引き渡す、か……不穏な言葉じゃな」
反応することが出来たのは国外の人間であるテレジアだけであった。アスガルに長く住まうシュプリは顔を顰め、アスガルで生まれ育ったジョセフは驚きとそれ以上の憤怒を露にしていた。
「何かとは一体何だ?」
「それについては何も……。ただ代わりにネオさんは「まだアスガルの引き渡しはされていない」と言っていました」
シュプリの疑問にミリアは首を振って返答する。
「となると……恐らく天使病のせいだな。聖王府が強硬手段で天使病を根絶しようとするのは、アスガルをメシアに引き渡せる状態にするためと考えれば納得がいく」
シュプリは顎に指を添えながら持論を述べた。それに対してミリアとテレジアは同意するように小さく頷いた。
「ふざけるなよ……そんな、そんな下らない理由で私達は……!!」
激高したのはジョセフだ。身体を震わせ、整った顔にこれでもかというほど皺を作りながら歯を食いしばる。
直後、ジョセフは突然咳き込み始めた。口を押え、その場にしゃがみ込む。
「ジョセフ!」
「ジョー君!?」
シュプリとミリアはすぐさまジョセフへ駆け寄る。ジョセフは咳き込みながらも片手を前に出して大丈夫だとハンドサインで伝えた。しかしジョセフの翼が淡く発光し、メキメキという音を発しながら一回り大きくなるのを見た二人はそのハンドサインを受け取らなかった。一番遠いところからその様子を見ていたテレジアもそれを見てすぐに駆け寄る。
「なんだ!? なぜ翼が大きくなる!? ジョセフの体は枯渇寸前だぞ!! 吸収できる養分などどこにも────」
「違う!! 養分ではない!! 翼が吸っておるのは霊力じゃ!!」
見たことのない症状に動揺するシュプリをテレジアは押し退ける。ジョセフへ両手をかざすと淡い蒼白の発光がテレジアの全身から起きた。その状態が数秒続いた後、翼から光が消えてジョセフの咳は止まった。
「テレジアさん……今のは……?」
「我の霊力をこやつに渡した。一か八かの博打じゃったが、上手くいったか……」
テレジアは己の霊力をジョセフの体内に流し込むことで、本来翼に吸われるはずだったジョセフ自身の霊力を維持させることに成功していた。
「……相変わらず、人間業とは思えないな」
シュプリの言葉は実に的を射ている。
霊力は生物の感情から発生し、強い感情に反応して増幅する。その性質上、霊力は濃縮された感情そのものと言っても過言ではない。特に複数かつ複数の感情を持つ人間の霊力については言うまでもないだろう。己から発生した霊力ならともかく、他者の霊力は濃縮された猛毒である。
したがって血液型が違う人間の血を輸血すると拒絶反応が起こるように、他者の霊力が体内に侵入すると即座に拒絶反応が起こり、最悪の場合は死に至る。
そもそも霊力の譲渡という行為自体が超々高度な霊力操作能力を必要とする技術であり、理論上は可能というおとぎ話だった。
しかし。テレジアはその技術があった。そのうえ、一瞬の間にジョセフの霊力を解析することで己の霊力をジョセフに適合させる神業を成功させたのだ。
世界広しと言えど、これが出来るのはテレジアだけである。
「ジョー君……」
「もう大丈夫だ、ミリア……少し、疲れが溜まっていただけさ」
潤んだ目で見つめてくるミリアにジョセフは弱々しく笑って見せた。
「……そんな目で見ないでおくれ。病の苦痛なんて大したものじゃないけれど……君が泣くと私は苦しいんだ」
「もう……ワガママなんだから」
涙を堪えていたミリアは顔を振り、ジョセフに精一杯微笑みかけた。それを見たジョセフは安心したように笑い、そして意識を失った。
「こやつが起きるまで会議は一旦中止じゃな」
「あぁ。ひとまず、ジョセフをベッドまで運ぼう」
「私も手伝います」
結局、夕暮れになってもジョセフは起きなかった。ミリアはジョセフが目を覚ますまでつきっきりで看病することを申し出たが、長居すると憲兵隊がミリアを怪しむ可能性をテレジアに説得されてしぶしぶ引き下がった。
「あ……」
扉を開けたとき、ミリアはあることを思い出した。
「どうかしたか?」
ミリアを見送るために玄関まで来ていたシュプリは首をかしげる。ミリアはシュプリの方へ振り返った。
「えっと、ジョー君が倒れちゃって皆さんに言いそびれたことがあって……帰る前に言ってもいいでしょうか……?」
「構わない。テレジアには僕から話しておこう」
「ありがとうございます」
シュプリの礼を言う。ミリアは話し損ねた情報を語り始めた。
「メシアとは関係ないですけど、今アスガル国内にテミスの"炎魔"が潜伏しているらしくて、隊長から「炎魔には干渉するな」って命令が下されたんです」
「……なんだと?」
「隊長は炎魔を強く警戒しているみたいでした。だから、炎魔を味方に引き入れることが出来たらかなり大きいと思うんです」
シュプリは目を見開いていた。そのまま数秒の間、放心したように沈黙するシュプリにミリアは不思議な顔をする。
「シュプリさん? どうかされましたか?」
「…………何でもない。貴重な情報をありがとう」
シュプリは意味深に間を置いてから答える。
帰っていくミリアの背中が見えなくなるまでシュプリは立ち尽くしていた。瞼の裏に、ある人間の顔を浮かべながら。
「……」
シュプリは神妙な面持ちで夕闇に染まった曇り空を見つめる。
「────そうか……フラムトの息子が……この国に来ているのか」
目を閉じながら一度深呼吸をした後、シュプリはログハウスの中に戻って扉を閉め、ジョセフの看病へ向かった。
「んー……そろそろかな」
公園の片隅で、影のように黒い蛇が嗤った。
────あとがき────
次回は箸休めのギャグ回です。
これは余談ですが、ジョセフとミリアが付き合うようになったきっかけはジョセフに一目惚れしたミリアが果敢にアプローチしたからです。あとシュプリは脚フェチ。
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