第34話 聖王府/救済の蛇

[AC3999年2月10日 アスガル聖王国北部・聖王府憲兵隊本部]


 聖王府憲兵隊本部。本部外側の壁に大理石の石像が乱立しているのは聖王の盾となる憲兵隊の守りを象徴しているためである。朝の光に照らされて白が輝く様は聖王の威光である。


「おはよう諸君。良い朝だな」


 憲兵隊本部に落ち着きのある低い声が響く。憲兵隊を率いる隊長の声だ。先日、スルトに恐れをなして逃げた男でもある。彼の目の前には総数五百を超える憲兵がおり、全員が彼の部下である。


「だからこそ、これから悲しい事実を伝えなければならないのが残念だ。先日ついに国外から来た人間が天使病を発病したという報告があった。これについて今朝方、聖王様は兼ねてより予定していた国境封鎖を前倒しで行うことを決断された」


 憲兵たちの間にピリピリとした空気が広がり、わずかに背筋が伸びる。


「封鎖は今より五日後に始める。デリング劇場のミュージカルが終了し、国外から来た観光客が粗方出国したタイミングで直ちに封鎖せよとのことだ。分かっているとは思うが、これは機密事項だ。くれぐれも国民たちに知られることのないように」

『ハッ!!』


 憲兵隊から一糸乱れぬ了解の返事と敬礼が起きる。それを見て隊長は頷いた。


「あぁそうだ。解散の前に一つだけ私個人から憲兵隊へ向けての注意がある。昨日、私はテミスにいるはずの"炎魔"────スルト・ギーグの姿を国内で目撃した」


 付け加えられた一言に今まで冷静を保っていた憲兵隊が騒然となった。取り立てて騒ぐ者はいないが、その顔にはいずれも驚愕と不安が露出している。


「調べたところ今はフェンリル騎士団を脱退し、大陸対魔組合所属の一級ハンターとして活動しているようだ。名前も偽っていることから雲隠れしたものと思われる。何を企んでいるかはともかく、憲兵隊は奴に一切の干渉してはならない」

 

 またもや憲兵隊に衝撃が走った。ざわざわとした空気が憲兵隊の統制を切り崩していく。


「粛に」

 

 隊長が語気を強めて言った。その声を知覚した瞬間に憲兵隊の冷静が蘇った。


「当たらない蜂には刺されない。世界最強を誇る帝国軍は炎魔に手を出したことで十万の兵を失った。無論我々が帝国軍に劣るとは一切思っていないが……仮に炎魔と戦争することになれば、国民も憲兵も大勢死ぬのは確実だ」


 隊長は一度言葉を区切り、一瞬だけある方向へ鋭い目を送った。


「とにかく、憲兵隊はケリュケイオンの殲滅に集中する。消毒作業も国境封鎖までは継続せよ。────では、解散」



 昼下がりのアスガル国内は昼食を楽しむ者やショッピングに熱中する者でいっぱいだ。あちこちから賑やかな喧騒が聞こえてくる。


(なぁ。あの話聞いたか?)

(聞いた聞いた! 昨日のあれだろ?)


 その喧騒の中には最近アスガル国民たちの間で噂になっている一つの話題があった。その話をするとき、人々は決まって誰かに聞こえないように小さな声で話す。


(でも俺信じらんねぇよ。郊外西のちっちゃい宿屋が憲兵の消毒を返り討ちにしたって、いくらなんでもヤバすぎるだろ)

(それがマジなんだよ。しかもその消毒には憲兵隊の隊長までいたらしいぜ)

(はぁ? 意味わかんねー。高い税金払ってんだからしっかり働けよなー)


 大通りに面する飲食店で昼食を食べる二人組の若者は軽い口調でひそひそと話す。定期的にキョロキョロと周りを見ているのは近くに憲兵がいないか確認するためだろう。


 今、若者たちの周りに憲兵の格好をしている人間は一人もいない。しかしそれでも少し怖くなったようで、周りを見ていた片方は冷や汗を流しながら対面に座る友へ向き直った。


「あ、でも、こないだの感染者通報キャンペーンはマジで神政策だったよな!」

「それな! あれ賞金めっちゃ美味しかった!」

「ちなみにオレ、そのキャンペーンで三万稼ぎました」

「ざぁんねーん! 僕は六万で~す!」

「は? うざ」


 若者たちは今度は打って変わって聖王府を讃える内容を話し始める。さっきと違ってやや大きめの声で、周りにわざと聞えるように誇張しながら話している。店の近くにいる人間は全員その会話が聞こえているが、誰も気にする様子はない。


 それを確認した若者たちはホッとして胸をなでおろした。


 アスガル国民たちにとって憲兵隊は今や恐怖と粛清の象徴だ。例え自分が天使病を発病していなかったとしても、憲兵隊に発病者と見なされれば問答無用で粛清を受ける。


 一応は天使病の根絶という大義が憲兵隊にはあり、国民たちもそれを支持している。それはあくまで国民たちが発病者じゃない自分には何ら被害が及ばないだろうという考えを持っていたから成立した方程式だ。


「いつまでこんな、憲兵のご機嫌取りするような生活が続くんだろうな……」

「正直、ちょっと疲れたわ。少し前だって、隣の家を消毒しに来た憲兵が間違えオレん家の扉をノックしてきたときはガチで死んだと思ったもん」

「うわヤバすぎ! 考えたくもねぇよ……」


 二人の顔には疲れと恐怖が混ざった陰が差し込んでいた。


「……それもこれも全部、天使病のせいだ」

「間違いないな」

「あーあ! 早く感染者全員死んでくれねぇかなぁ!」


 若者が空に向かって吐いた本音。物陰から黄緑色の小さな蛇が二人のことを見つめていた。


「……」


 蛇はチロチロと舌を出し入れした後、東へと向かい始めた。物や人の隙間を糸で縫うように這いずり、大通りを抜けて住宅街に突入する。大通りの賑わいに比べれば静かで穏やかな住宅街にはのんびりとした空気が漂っていた。


 それでも蛇は変わらず東へ向かって這い続ける。人通りが少ない道が続くと、蛇は決まって物陰に隠れながら移動する。人も物陰もない道を通るときは走るように速度を上げて通り抜ける。


 人が多い場所を通るときは、どこにも隠れず人の森を巧みに這いずり進む。行きつく間もなく上から振ってくる足をするすると躱し、一度も速度を落とさずに通り抜けた。群衆は最後まで足元を這う蛇に気が付かなかった。


 そうしてたどり着いたのはアスガルの郊外東。ここはいわゆるスラム街で、立ち並ぶ大理石の家々こそ他の場所と変わらないが、道のあちこちにゴミが散乱している。そこかしこに見える人も浮浪者や半グレ集団ばかりだ。


 蛇は気にせずスラム街を這い進む。ゴミや汚い水たまりなどを極力避け、同じように物陰に隠れながら進んでいく。景色は次第に荒れていき、割れた窓ガラスや崩れてそのままの塀が増え始める。街並みが荒れていくほどに人の数は増えて、活発でアングラな喧騒が姿を見せるようになる。途中で蛇が横切った場所の中には大通りに匹敵する賑わいを見せる闇市さえあった。


 やがて蛇が闇市を越えた先、スラム街の奥地にあったのはゴーストタウンだった。闇市の喧騒が僅かに聞こえる以外に人の気配は全くせず、ここだけ時が止まったかのようである。蛇のすぐそばには看板の残骸が散らばっており、一番大きな欠片には[イーストウィング]と掠れた文字で記されている。


 蛇はゴーストタウンを進む。そのまま少しの間真っすぐ這い続けると、右に曲がって細く薄暗い路地に入った。


 少し頑張れば人も通れる程度の幅しかないその路地の先にはちらほら人がいた。性別も服装も年齢もバラバラだが、その背中に真っ白な翼があることだけは共通している。それは彼彼女らが天使病の患者であるからだ。


 やがて路地から出てきたのは蛇ではなく、若い女だった。襟首辺りで切り揃えてあるウェーブのかかった髪と眠たげな眼は蛇と同じ黄緑色で、背中に翼は生えていない。突然現れた女に翼のある人間たちは僅かな敵意を含んだ冷たい視線を送った。


 女は気にせず進み続ける。道を歩いていくうちに人の数も増えていき、賑わいが静かに息を吹き返した。


 スラムの奥に隠されたこの町に一般人はいない。殆ど全員が背中に翼を持つ天使病患者であり、わずかにいる翼を持たない人間はちらほら設置された天幕のそばにしかおらず、そして全員が白衣を着用している。患者達は皆白衣を着用していない女に小さな敵意を向けた。


「……」


 女はマフラーを指で持ち上げて口元を隠した。そのまま少しだけ歩く速度を上げ、町の奥へと進んでいく。やがて小高い丘の公園にたどり着くと、女は公園の中にポツンと立っているログハウスへ向かった。


 このログハウスこそ女が目指していた場所だ。目的地に到着した女はログハウスの扉を三回ノックした。


「その右手にあるものは?」


 扉の向こうから問いかけられる。


「銀貨三十と蛇の杖」


 女が答える。扉が少し勢いよく開くと、そこにはジョセフがいた。


「ジョー君。やっほ~」

「────ミリア!」


 ジョセフは女を抱きしめた。女────ミリアは微笑みながら抱擁を受け入れ、ジョセフの背中に腕を回す。ジョセフはミリアを包み込むように翼を動かした。


「体調はどう?」

「絶好調さ。君に会えたからね」


 二人は数秒間抱き合った。一瞬の幸福を噛みしめ、想い人の温もりを忘れないように抱き合った。


「えへへ……シュプリさんたちも元気にしてる?」

「皆元気にしてるさ。中でシュプリ殿が待ってるよ」


 自然と抱擁が解ける。ジョセフはミリアをログハウスへ招き入れる。ログハウスの玄関から一番近い場所にあるリビングにはシュプリとテレジアがいた。


「待っていたぞミリア君」

「ご無沙汰してます」


 歓迎の言葉にミリアは綺麗なお辞儀で応える。シュプリのそばにあるテーブルには治療器具や薬が大量に置いてある。それを横目にしつつ、ミリアはソファーから自分を見つめているテレジアに視線を移した。


「ふむ? お主は何者じゃ?」

「初めまして。えっと、私、ミリアって言います。ジョー君とは神官学校からの仲で……その、お付き合いさせてもらってます」

「なんじゃその言い方は。我はこやつのかかぁではないぞ」

「えへへ……」


 ミリアは照れ臭そうに笑う。そんなミリアを見てジョセフもまた微笑む。


「先に説明しておくと彼女は憲兵ですが、ケリュケイオンの味方です」

「つまりスパイというわけじゃな? ここに来たということは────」

「はい。ジョー君に会いたかったのもあるけど、今すぐ伝えなければならない情報がいくつかあります」


 ミリアは一歩前に出た。


「先に一番大事なことを伝えるんですけど、メシアという組織をご存じですか?」

 

 尋ねられた三人は少し考えてから首を傾げた。


「えっと、ざっくり言うと人類救済を謳って世界を壊そうとしてる秘密結社です」

「はた迷惑なテロリストだな。しかし、それがどうしたというんだ?」


 シュプリは焦らすような言い方をするミリアに追及した。深刻な顔をしているミリアは躊躇いながら口を開いた。


「聖王府は……いや、アスガル聖王国はメシアに乗っ取られているんです」

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