第31話 天使病
国立公園で憲兵に連行されそうになっていた罹患者を保護した後、私はとある場所に身を隠していた。
「一週間前と比較して三センチほど伸びているな」
スラム街の片隅にある診療所とは名ばかりの天幕の中、私の背中に生えた翼を測定しながらシュプリ殿は深刻な顔をする。医学の神様とさえ呼ばれる彼がそんな顔をするということはそういうことなのだろう。
「最近は特に翼の肥大化が早いですね。何かメカニズムでもあるのでしょうか?」
「まだ断言はできないが、翼は君の身体から養分と霊力を吸い取って肥大化していると思われる」
シュプリ殿の言葉を受けて私は自分の腕を見た。確かに、発症前と比べると異様に細くなっている。まるで枯れ木の細枝だ。
「なるほど。私がダイエットに成功したのはこの翼のおかげですか」
「笑えない冗談だ。そんなものダイエットとは言わせない」
小粋に笑って見せるとシュプリ殿は険しい顔をした。でも実際、神官時代のぽっちゃり体型と比べるとそう言いたくなるものだ。あれだけ減らすのに苦労した脂肪がこんなにあっさり消えるとは思わなかったのだから。
「私が連れてきた男性の具合はどうですか? 憲兵に強制連行されそうになっていたところを少々手荒な方法で連れてきたため、怪我をしているのではないかと心配でして」
「問題ない。拘束されたときに付いた擦過傷はあるが、あれくらいなら放っておいても治るだろう。病状も安定している。錯乱していたので鎮静剤を打たせてもらったがね」
私は胸をなでおろした。状況が状況だったのでほとんど誘拐のような手段を使ったが、それでよかったようだ。
「一安心……と言いたいところですが、そうとも言ってられませんね。ついにアスガル国民以外の人間が天使病を発症してしまった」
一握りの安心と一緒に両手に持ちきれないほどの不安や焦燥が滲みだしてくるのを感じる。
「だな。天使病の根絶のために自国民すら手にかけている政府がどう対応するかなど火を見るよりも明らかだ。発病者の死体を根こそぎ回収されているせいで病理解剖も難しい。……この病気は感染するものではないと、何度も言っているはずなんだがな」
シュプリ殿はイライラしたような声で付け足すと、珍しく舌打ちをした。
「今にしてみればアスガル政府は最初から狂っていた。天使病が初めて確認された二年前、隔離政策と称して発病者の抹殺を始めた時点で気づくべきでした……」
表向きには政府管轄の隔離所に連行するだけだと言い張っているが、連行された人間が帰ってきたためしは一度もない。
「全くだ……隔離政策が始まってからは毎晩肉の焼ける匂いが聖王府から漂ってくる。おかげで最近肉が食えなくなったよ」
「忌々しい限りです」
拳にギュッと力が入る。聖王府から立ち上る煙を見るたびに、政府に殺された罹患者の無念の声が聞こえてくる。
「クソ……まるでナチスと同じじゃないか」
憎悪の籠った呟きがシュプリ殿の口から漏れ出していた。
「一人でも多くの人間を救うためには……やはり現行政府を倒さねばならないのでしょうか」
いや、そうするしかないことは分かっている。病に侵されているアスガルを追い詰めているのは政府だ。しかし、政府に属する人間の全てがそうだという訳ではない。
「早まるなよジョセフ。政府はともかく、憲兵たちは知らないだけだ」
「そんなこと私が一番よく分かっていますよ」
釘を刺すような声色で私の名前を呼ぶシュプリ殿にそう返した。
「……あぁ。確か君のガールフレンドは憲兵だったな」
「ええそうです。私にとっての女神ですよ彼女は。今から小一時間語りますが時間は大丈夫ですか?」
「僕が悪かった。だから今の下りは全部なかったことにしよう」
残念だ。彼女の素晴らしさを分かち合いたかったのに。
「……ん?」
不意に外から足音が聞えた。それはまっすぐこの診療所に近づいてくる。
「シュプリ殿、誰か来ます。身を隠して」
私は壁に掛けてあった槍を手に取りながらシュプリ殿に促した。
この場所は入り組んだスラム街のさらに奥にある。それは政府の監視から逃れるためだ。ここ以外にも罹患者を匿う場所はいくつかあるが、この診療所を知っているのは私達に協力する数名の医者だけだ。しかし、医者たちがここに来るときはまず私に連絡するように言ってある。
「人数は?」
「一人です。しかし囮の可能性もあります」
足音が大きくなっていく。もうすぐ天幕にたどり着くだろう。私はいつ攻め込まれてもいいように槍の矛先を足音の方へ向けた。
「────ジョセフ。どうやら来客は僕たちの敵じゃなさそうだ」
しかし私の警戒とは裏腹に、シュプリ殿は声を少し明るくした。
「それはどういう────」
「こういうことじゃ!!」
私が聞くよりも速く、天幕がガバッと勢いよく開いた。
「なっ……」
姿を現した来訪者を見て私は絶句するほかなかった。
天幕を開いて現れたのは小さな女の子だった。背丈は私の腰程度しかなく、どう見ても齢一桁くらいの子どもだ。
青と白を基調としたコートは下部分が地面を這っていて明らかにサイズがあっていない。容姿は宝石のように赤い目と白髪も相まっておとぎ話の吸血鬼の姫のようだが、背丈以上に長い杖を誇らしげに持ちながら仁王立ちしているせいで余計に幼く見える。
コートの下には同じような色合いの制服を着ており、その胸元には見た目に似合わない煌びやかな勲章がいくつもある。その輝きの美しさは本物で、おもちゃではあり得ない存在感を放っていた。
アールヴ、ではない。耳の形はヒュームと同じだ。
「……折角のさぷらいず登場だというのになんじゃその反応は。というかお主誰じゃ?」
「それは私のセリフです。ここは子供が来る場所ではありません」
「なんじゃと貴様!? 我を侮辱するつもりかっ!」
少女はキッと目を吊り上げて怒り出した。身体を存分に使って怒る姿はやはり子供にしか見えない。
「そう邪険にしないでくれジョセフ。彼女は私達の協力者だ」
「協力者?」
シュプリ殿の言葉に私は耳を疑った。
「そうだ。しかし、予定だとアスガルに到着するのは二週間後と聞いていたが……」
「馬車でチンタラ来るのでは時間がかかるのでな。テミスからひとっ走りしてきたわ」
「テミスから? ……まさか」
テミス。その一言で全ての点が繋がった感覚があった。
「如何にも! 我はフェンリル騎士団後方支援部隊隊長────テレジア・パトリオットである! 旧友シュプリ・クロイツフェルトの頼みを受け、テミスより参上した!!」
少女────テレジア・パトリオットが杖を地面に打ち付けながら宣言した。やけに様になっているのが不思議だ。
「戦後の忙しいときに済まないな。テミスは大丈夫か?」
「たわけ。病に喘ぐ者がおるというのに忙しいもクソもないわっ。ましてやテミスには我の愛弟子もおる。齢百にも満たん小僧から労わられるほど弱い国ではない!」
「それは頼もしい限りだ」
シュプリ殿は破顔した。
「さて、今から早速対策について話し合いたいところじゃが────」
「? 私に何か言いたいことでも?」
言葉を区切って私を見つめてくるテレジア氏に尋ねると、ため息をつかれた。私は少しムッとした。
「……なるほど。その翼、とんでもない勢いでお主から霊力と養分を吸い上げておるな」
「見ただけで分かるのですか?」
「体内の霊力が翼に流れ込んでおるからの。霊力探知に長ける者が見ればイチコロじゃ」
何でもないように言い切るテレジア氏だが、私は驚愕するしかなかった。確かに、私もシュプリ殿も霊力探知が出来ない。しかしそれでも、あの医学の神様と称されるほどの男が二年かけて到達したステージに、この人は数秒で追いついてしまった。
その事実は頼もしいと思うより先に畏怖の念を私に叩きつけた。
「御見それしました……」
「ふんっ。こんな児戯にも等しいことで驚かれても困るわ。隣に突っ立っておるその男が最近為した偉業の方が数百倍凄いというに」
「滅相もない。僕はただ既存のデータをかき集めながら理論を組み上げただけですよ」
「それが出来たら苦労せんわ! このたわけが!!」
言い合う二人の様子を見て、私の中に一筋の希望が芽生えた。
「まぁ良い。今はとにかく情報収集じゃ。お主にも色々と手伝ってもらうぞ」
「今すぐにでも動けます」
「そうか。ならばまずは休息をとれ」
「……はい?」
想像と違う要求に私は困惑した。彼女は何故かうんざりしたような顔をしていた。
「そのやつれようは奇病だけでは説明がつかん。お主、ほとんど眠れていないんじゃろう?」
「それは……しかし、休んでいる暇など────」
「がたがた言うな!」
テレジア氏が杖の底を地面に打つ。直後、私の全身が赤い血のようなものに縛られた。
「んなっ!?」
「少なくとも二日は絶対安静じゃ! 飯食って寝ろ!!」
「シュ、シュプリ殿!」
助けを求めてシュプリ殿に目線を送るが、肩を竦められる。どうやら私に選択肢はないらしい。
「抵抗するな!! 我の眼が赤いうちは逃げられると思うなよ!!」
そのまま赤い液体にぐるぐる巻きにされた私はテレジア氏によって無理やり休まされた。
────あとがき────
序章・第五話で名前だけ出ていたテレジアがここで登場しました。特に意味もなくのじゃロリにしてみましたが、なんか結構しっくり来てるのが不思議です。
次回はヴェルト視点に一度戻ります。
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