第25話 陽はまた昇る

 広場に戻ると、ユーリ達がハルトマンの死体のそばにいた。


「あっ、兄貴」


 オレに気付いたユーリの声で皆の視線が一斉にこちらへ向く。しかし、その中にカナエの姿が見当たらない。


「巨人たちはどうなった?」

「全員消滅したよ。ハルトマンが死んで霊臓ソウルハートの呪縛が解けたんだ。存在を保てなくなったんだろう」


 オレの問いに答えたのは霊薬をオレに渡してくれた耳の丸いアールヴだった。布で隠されたハルトマンの亡骸に目線をやってから安心したように息を吐くと、また顔を上げて若干口角の上がった顔をオレに見せた。


「ありがとうございました」


 男はオレに頭を下げた。


「やるべきことをやっただけだ。……それに、町は守れなかった」


 申し訳なさと後悔に後ろ髪を引かれてオレは男の礼を受け取れなかった。災厄の元凶を倒しても、その災厄から人や町を守れなかったオレに礼を受け取る資格などない。


「オレが屍王を倒すまでに何人も殺された。あと一歩早ければ助かったのに間に合わなくて、そのまま殺された人間も数人いる」

「……それでも、君のお陰で助かった人間は大勢いる。ここにいるハンターたちもそうだ。君がいなければ今頃ハルトマンの傀儡として永遠を過ごしていたかもしれない」

「…………ありがとう」


 オレは男の目を見ることが出来なかった。行き場のない視線を空に向けてみると、東の空から夜の闇が溶け始めていた。


 ────ハルトマンが死んだことでアトラは平穏を取り戻した。あちらこちらに、二度と癒えない傷を残しながら…………。



 戦いが終わったあと、オレ達は町中に散乱する死体の処理をしようとしたが、「最後まで甘えるわけには行かない」と町の人間たちから引き留められた。好意に甘えたオレ達は生き残っていた時計台に戻ると、疲れからか泥のように眠りについた。


 オレも同じように横になって休息を取った。が、すぐに目が覚めてしまう。疲れや眠気もため込み過ぎると一周回って眠れなくなるものか、と最初は気にせず目を閉じていたが、次第にやり残したことがあるときの喉につっかえる感覚を自覚した。


 最初に眠り始めてから大体二時間くらいが過ぎた頃に起き上がったオレは眠っている他のハンターに目を向けた。


「俺は世界一ムンチャゲブラなんだぞぉ。ファカヌポォ……」


 意味の分からない寝言はユーリのものだ。皆ぐっすりと眠っているようでしばらくは目覚めそうにない。心地よさそうに眠っている姿がいくつもあるからこそ、姿の見当たらないカナエのことが気になった。


「……」


 風が泣いている。時計台の上、いなくなった母を探す赤子のように。オレは立ち上がって風の出どころを辿った。


「────こんな所にいたのか」


 最上階、ハルトマンを落とした際に開いた壁の大穴。そのそばに三角座りで町を見下ろしているカナエの背中に声を掛けた。返事はなく、代わりに弱々しい風がオレの髪を少し揺らす。


「……」


 こちらに見向きもしないカナエに溜息を吐いてから、その隣にオレも座った。高所から見下ろすことで見えた町はその傷跡が際立って見えるが、それ以上に生き残っている場所が綺麗に見えた。


「私」


 不意に震えた声が隣から聞こえてきた。チラッと目線だけを送ると、腕に顔の下半分を埋めたカナエが身体を少し震わせていた。


「人を殺しちゃった」

「…………」


 何を今更────


 今にも泣きだしそうなか細いカナエの声を聞いて浮かんだ数文字に、オレは目を見開いた。そして自分がもう戻れないことを自覚した。


「あのとき、お前はなんで矢を放ったんだ」

「……ヴェルトが人殺しになると思ったから」


 その言葉にまた目を見張ったのは言うまでもない。小さくない苦しみが心の中に生じた。


「今、お前は何を感じている?」

「…………「やらなきゃよかった」って…………屍王が時計台から落ちていくのを見た途端に……」


 カナエの後悔を感じるたびに苦しみが強く大きく膨らんでいく。


「……」


 神父様も、同じ苦しみを抱いたんだろうな。


「昔、ある王国に正義の女神を信じる若い騎士がいた」

「………え?」

「ソイツは生まれた時から正義感が強かった。次第に己の才能を自覚して、自分こそが正義の剣だと思うようになった」


 なんとなく、首に掛けていたペンダントを開いた。エミーリアさんからもらった命より大切な宝物。中に閉じ込めた過去の結晶はそれよりも大事なものだ。


「騎士団に入ったソイツは親友にも先輩にも恵まれていた。親友たちと切磋琢磨し、酒が絡まなければ頼りになる先輩たちから稽古をつけ貰う幸せな日々を過ごし、メキメキと実力を伸ばしながら功績をあげまくった」


 もう戻らない日を馳せる。


「ある日、戦争が起こった」

「……戦争」

「それは誰しもが望まない戦争だった。勿論、ソイツにとっても到底受け入れ難いものだ。宣戦布告をした国王に直談判しに行ったくらいだ。だが手遅れだった。もう後に引けない状況で、やるかやられるかの二択になってしまっていた」


 懐かしくて、暖かくて、優しく淡い記憶が走馬灯のように流れて、消える。


「結局ソイツは、自分の愛する家族や友のために自分が悪魔になることを選択した。その結果、ソイツは一晩で十万人を虐殺した。この事実はあまりにも衝撃的すぎて、翌日には新聞やネットを通じて全世界に広がった。その一報はやがてソイツの大切な人の耳にも届き、その結果ソイツの恩師がひとり自殺した」


 泣き出しそうになる前にオレはペンダントを閉じた。


「どうしてその人は自殺したの?」


 聞いてくるカナエの薄紫の目は少し潤んでいる。


「罪悪感に圧し潰されたんだろう。大量虐殺をしでかした理由が自分を守るためだと気付いた瞬間に、耐え切れなくなったのかもしれない」


 神父様は人の何倍も優しい人だった。それこそ、会ったこともない誰かの死を心から悲しむほどに。

 

 皆を守りたくてあの戦争に赴いた。皆を守りたかったから炎魔になることを選択した。


 神父様にとっては裏切られたような気分だっただろう。


 しかもその裏切りが自分を守るためだと知ったなら、神父様は抱えきれない罪悪感に襲われたことだろう。だから自殺を選んだのだ。


「カナエ。この世の何処を探しても、自分のために人を殺した人間へ償う方法は存在しない」

「!」

「お前がオレにしたのはそういうことだ。…………だが、お前は間違っていない」


 そっと、オレはカナエの頭に手を置いた。壊さないよう、花を扱うように数回撫でてみる。いきなりのことに理解が追い付いていないのかカナエは少し呆けていた。


「見ろ。お前が手を汚したことで今笑うことが出来ている人間がたくさんいる」


 撫でるのを止めて眼下の町へ指を差す。瓦礫の撤去を進めている人々の顔は少々の疲労が見えるが、皆笑っている。それは希望を見出せた人間しか浮かべられないような晴れ渡る笑顔だった。恐らくはオレより目が良いカナエには鮮明に映っているはずだ。


「皆、お前が自分のために人を殺したことを知らない。そしてこの先も知ることはないだろう。ただ数名のハンターによって凶悪な霊魔が討伐されたという、一つの事実だけが残り続ける。…………それでいいじゃねぇか」

「……」

「だが、もう二度とこういうことはするな。お前が苦しくなるだけだ」

「…………分かった」


 返事を返したカナエはもう震えていなかった。


「明日からはしばらく復興作業で忙しくなるから、さっさと寝て休め。約束してたアップルパイもあるんだからよ」

「……お店、残ってるのかな」

「壊れてたら真っ先に直すぞ」

「いや、復興に私欲を混ぜちゃダメでしょ」


 カナエは微笑みながらそう言った。


 ────その後、皆と同じ場所で朝日に包まれながら眠るカナエの寝顔を見たオレはようやく笑えるようになった。つっかえるような感覚も消え、不意に訪れた睡魔に身を預けると意識が穏やかに沈んでいった。

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