第16話 ヴェルト現着/既に死に行くアトランティス

 デザイアからアトラまで、約三週間の道のりは至って順調であった。霊魔や盗賊の類の襲撃もなく、天候にも恵まれた快適な馬車の旅だったと言える。夜の見張りや食事といった作業も二人の気遣いに甘える形で任せた。十分な休息がとれたことで今のオレはベストコンディション、身体が軽いと思ったのは久しぶりだ。


 加えて三週間という時間を共に過ごしたことで、カナエとユーリもある程度打ち解けたようだった。言い争いは勿論のこと、ときたま絵本の受け渡しをしているところを見かける。何となくだが、二人とはこれから先も長い付き合いになる予感がするので打ち解けているのはいい傾向だと内心でホッとした。


 その一方で気になることもある。出発して数日が経ったころに見た夢だ。夢というものは本来起床後は覚えていなかったり朧げにしか記憶に残らないものだが、巨人たちとの会話の一部始終や荒野の温度まで鮮明に覚えている。


 オレが陛下だと? しかもおとぎ話にしか存在しないギガントの? ばかばかしい。オレの身長は186㎝で平均よりちょっと高い程度だぞ。


 結局あれこれと考えてみても答えにはたどりつけず、馬車がアトラに到着する方が早かった。御者に代金を支払い、二人と共に街へ入ったころには記憶の片隅に息をひそめることになった。


「────霊魔は個体ごとに、対魔組合が制定した危険度レベルが割り振られるんすよ。その霊魔が有する力だけじゃなくて駆除の難しさも評価基準に組み込まれてます」


 まだ夜を錯覚して布団に引きこもる者が多い朝の寒空の下で、石畳の道を進みながらユーリの講義に耳を傾ける。


 手ごろな宿を探す道中でハンターに必要な知識を教えて欲しいとオレが頼んだことで始まった。受講者はオレとカナエだが、カナエはチラシ配りから受け取ったスイーツ店のチラシに目を奪われて殆ど聞いていない。


「それぞれエンジェル級・デュナミス級・セラフィム級の三つがあって、エンジェル級は一番下の雑魚ッスね。霊力を扱えるなら子供でも対抗できます。


 その一個上にデュナミス級があります。情報が少なくて詳細が分からないとか知能を有しているとか、判断が難しい奴は便宜的にこの階級にされることが多いッスね。


 そして一番上のレベルがセラフィム級なんすけど、マジでやべぇです。俺はまだ対応したことないけど、対魔組合の定義じゃ「発生した周辺地域にある町や小国に壊滅的被害を与える」がセラフィム級の霊魔です」


 簡潔な説明を頭の中で処理し、その構図を図式化したものをメモに取る。


・霊魔には三つの危険度レベルがある。

・危険度レベルは先頭から低い順に、エンジェル<デュナミス<セラフィム

・評価基準は強さだけではなく、駆除の難易度や知性も考慮される。


「ハンターの階級は五つなのに霊魔は三つしかないんだな」

「対魔組合が設立された当初はハンターの階級も三つだったらしいッス。同じ階級のハンターなのにピンキリが激しかったり、昇格条件が厳しすぎて戦力になる人材が下の方で燻ったりした時期があったそうで、色々あって今の形に落ち着いたんだとか」

「なるほど……」


 最善を尽くした結果、ということらしい。ただのブラック企業かと思っていたが、案外そうでもないのかもしれない。


「しかしお前、やけに詳しいな?」

「フッフッフ……こう見えても俺は真面目なんでね、駆け出しのころにちゃんと勉強したんですよ」


 鼻高々に胸を張るユーリの意外な一面にオレは思わず関心する。ファーストコンタクトの情けなさも相まって内心で拍手をした。


「どうです兄貴? 俺のこと見直しましたか?」

「マイナス100だったのがマイナス90になったよ」

「どひゃ~~!! 辛口ッ!!」


 流石にマイナスは嘘だが、それでも100が上限だとしたら今のユーリは30くらいだ。ユーリが純粋で裏表のない良い奴なのは既に知っているが、第一印象が最低すぎた。他人からの評価というやつは、下がるときは一度のミスで限りなく落ちていくものだが、一度や二度の行いでやすやすと上げることはできないのだ。


「……あ、この店のアップルパイ美味しそう」


 一方でカナエは相変わらずだ。どんなときもマイペース。常に無表情なのに仕草がうるさい。あと距離感が少しおかしい。第一印象の通りの変人だ。


「忘れるなよ。ここに来た目的は霊魔の討伐だ」

「死体を操る霊魔、でしょ? 言われなくても分かってる」

「ならアップルパイは後にしろ。任務が終わったらオレも付いて行ってやる」

「意外。こういうの食べるんだ」

「リンゴが好きなだけだ」


 またカナエは意外そうな顔をする。最近分かったことだが、カナエは意外と目が感情豊かだ。目は口程に物を言うという言葉があるが、カナエの目を見ればある程度考えていることが読み取れる。


「────なんだアンタら、外から来たのか?」


 そのとき、雑談に割って入る声があった。どこかくたびれたような中年くらいの男の声は、丁度オレ達が前を通り過ぎようとしていた八百屋の店主のものだった。


「あぁ。ついさっき来たばかりなんだ。ここには仕事のために来たが、色々と片付いたらこの町の目玉らしい古代遺跡に行くつもりだ」

「日が沈む前にさっさと出ていけ」


 虚ろな顔で煙草に火をつける八百屋の店主の言葉は、諦めのような感情が込められているように聞こえた。


「……どういうことだ?」

「アトラは、今夜で死ぬ。死体の町になっちまうんだ」

「一体何を────」

「うわぁぁぁぁ────!」


 刹那、穏やかな朝を引き裂くような悲鳴が一帯に轟いた。


 殆ど反射で振り向いた先、店の立ち並ぶ大通りのど真ん中にそれはいた。


『ウボォォォォオオ!!!』


 ────死臭!


「冗談だろ……?」


 命ある者が放つはずのない匂いを纏うソレは、一言で表すなら深海の巨人。


 青い肌、痩せこけた足。至るところにフジツボのようなものがびっしりと固着したその身体は老人の如く腰が曲がっていても尚、人の何倍も大きい。股関節から上は貧弱な足とは真逆で、鱗が乱雑に並ぶ腕は振るうだけで建造物を破壊できることが想像に難くない。左手には海藻が巻き付いた銛のような武器を装備している。


 顔にあるのは口だけであり、中から覗く歯は人間のものと酷似していた。


「なん、だよ……あの霊魔……」

「この町は呪われたのさ。遺跡を掘り起こしたせいで、神の怒りを買ったんだ」


 突然現れた深海の巨人に圧倒されるユーリに対し、八百屋の店主はため息交じりに呟く。その顔は生還を諦めた人間がするものだった。


 

 最も行動が早かったのは、やはりスルトだった。ユーリとカナエが呆けている間、スルトは霊力を五体に回し、地を蹴って朝を破壊した深海の巨人へと既に駆けていた。


 疾走の勢いを利用した跳躍と同時に霊臓ソウルハートが発動。溢れ出す琥珀色の炎が振りかぶった右拳へと纏われる。


「パニッシャー」


 燃える鉄拳が深海の巨人の顔面に直撃。接触の瞬間に爆発を伴うその一撃は、深海の巨人をいともたやすく殴り倒した。火だるまになった巨人はその場でのたうち回り、声にならない声で喘ぐしかなかった。


「ユーリ! カナエ! 八百屋を安全な場所まで連れて行け!! 何かあったら連絡しろ!!」


 スルトは巨人から目を離さず、声だけで二人に指示を送る。その声は、街行く人々の混乱による騒音の中でもハッキリと二人の耳に届いていた。


「え、兄貴!?」

『ウボォォオオオオ!!!』


 動揺が抜けきらないユーリの困惑の直後、息を吹き返した巨人が勢いよく立ち上がり、スルト目掛けて銛を振り下ろした。


「早くしろ!!」

「う、ウッス!」


 スルトは躱しながら一瞬だけユーリ達の方へ顔を向けて叫ぶ。ようやく事態に思考が追い付いたユーリ達が避難を開始した。


 スルトは改めて巨人へと向き直る。


 プスプスと身体のあちこちから黒い煙を昇らせているが、火傷はない。殴打による無惨な跡を残す顔面は、粘度の高い液体をかき混ぜたような音と共に再生している最中で、数秒と経たぬうちに元に戻ってしまった。


 ────八百屋の言葉を丸々信じるわけじゃねぇが……タイムリミットはマジで日没までと思った方がよさそうだな。


 幾ばくかの焦りを自覚しながらも努めて冷静に思考を回す。目の前にいる巨人を倒し、この町かランティスの森のどこかにいるであろう死体操作の霊臓を持つ霊魔の捜索及び討伐。それらすべてを一般人を守りながらこなす必要がある。


「クソったれ……初任務でこれかよ」


 スルトは愚痴る。巨人が咆哮をあげる。


『ウボォォオオオオ!!』

「おいノッポ。悪いが速攻で片づけさせてもらうぞ」


 不幸中の幸いは、大通りに人がいないこと。多少暴れても人死には起きない。


「レルヴァ・テイン」


 スルトの背後、炎が揺れる。主の命を受けた下肢のない炎の人狼が姿を現した。


 ────日没まで、あと8時間。


────あとがき────


 次話以降は戦闘が続きます。一章の中で最も盛り上がる所であり、そして数年前から書きたい!と思っていたシーンが一杯あるので気合入れます。もしかしたら毎日投稿が途切れるかもしれませんが、楽しみ待っていただければと思います。

 

また、カドカワBOOKSファンタジー長編コンテストに応募することにしました。

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