第13話 奇縁

「誠にありがとうございました!!」


 カナエに代金を立て替えてもらったことで解放されたユーリは、本部食堂の隅にある一席で額を丸テーブルに擦りつけるように頭を下げた。周囲に人は多いが、皆食事や酒に夢中でユーリに意識を向けているのはオレ達だけだ。


「このご恩は一生忘れません!!」

「そういうのいいから。ただ気紛れだし」

「だとしても助かった。オレ一人じゃどうにもできなかった。ありがとう」


 ユーリに続いてオレも頭を下げる。カナエはただの気紛れだからと言ってお礼を断るが、だからと言ってそれは感謝を伝えなくていいという理由にはならない。助けられたなら礼を言う。それが常識なのだ。


「ヴェルト。見直した? 私のコト」

「……まぁ、少しは」


 だからと言って印象がすぐに変わる訳でもないが。しかし助けられたという事実はオレの中にあるカナエという人間像に少しプラスの変化を与えているのは事実。ちょっとだけ言葉を濁しながらオレは肯定した。


「フフン」

「あれ? なんか俺のときと反応が露骨に違う……」


 どうやっているのか知らないが、カナエは無表情を保ったまま嬉しそうに笑った。なんというか、表情筋は全く動いていないのに声やちょっとした仕草が全てを語っている。物凄くリアルな腹話術を見ている気分だ。腹話術なんか見たことないけど。


「もし私のお願いを聞いてくれたら、宿代も払うよ?」

「……本気か?」

「マジだよ」

 

 またカナエは覗き込むようにオレの目をジッと見つめた。その行動の意図がオレは理解できなかった。


「私が異世界から来たってことはまだ覚えてるよね?」

「あぁ」

「は? 異世界? 一体どういうことっすか?」

 

 まずはユーリに事の顛末を伝えた方がよさそうだ。



「お前……大変だったんだな……!!」


 カナエの境遇を理解したユーリは滝のような量の涙を流して号泣した。


「大袈裟」

「じゃねぇだろ!! お前、何でそんなに冷静なんだよ! いきなり家族とか友達と引き離されて悲しくないのかよ!!」

「そりゃ悲しいよ。でも、それは地球にいる皆の同じだから……私がすべきなのは泣くことじゃない。────一秒でも早く元の世界に帰って、元の日常に戻るだけよ」


 それは強い覚悟の意志が表出した声だった。オレもユーリも思わず面食らい、少しの間何も言うことが出来なかった。


「これこそが私のお願い。私が元の世界に帰るために……手を貸してほしい。お金ならいくらでも払う」

「事情は分かった。金は要らんが、喜んで手を貸そう」


 こっちにも色々とやるべきことはあるが、もとより、オレは困っている人間を見捨てるつもりはない。


 ────皆を見捨てたテミスとは違う。


「ここで知らんぷりは漢じゃねぇ! 俺も手伝うッス兄貴!」

「足引っ張るなよ前科一犯」

「ウグッ……」


 少しからかってやるとユーリは面白いくらいに反応する。しかし少々言葉を間違えたようで、ユーリは肩を落としてしょぼんと落ち込んでしまった。


「冗談さ。人間誰だって失敗はするもんだ。今日の失敗を糧にこれから気を付けていけるならそれでいい」

「兄貴……!」

  

 フォローを入れるとユーリはパァと花が咲いたように明るい表情を浮かべた。コイツ面白いな。


「DV彼氏みたいなことしてる……」

「やかましい」


 失敬な。


「ともかく、俺はユーリってんだ! これからよろしくな!」

「……カナエ・ヨタカ。別にアンタのことはどうでもいいけど、よろしく」

「お前!! 俺と兄貴で露骨に態度変えすぎだろ!」

「ファーストコンタクト忘れた?」

「いいえ。申し訳ありませんでした」


 なんであれ、二人とも仲がよろしいようで大変結構。なんてことを考えていると、ポケットに入れていた携帯が僅かに振動した。一体誰だと思いつつ画面を見ると、どういうわけかアドレスを教えていないはずのガスコインからメールが届いていた。


『いきなりすみませんねぇ。ちょっと頼みたいことがあるので明日の昼頃に本部にご足労お願いします。前金は既に口座へ振り込んでいますので、お好きなように使ってください────ガスコイン@同情するなら休ませろ』


 メールにあったのは、切実な思いのこもったユーザー名と意味深なメッセージだった。可哀そうだなぁと思いつつ、すっからかんで一ニルもないはずの口座を確かめると、三百万ニルという騎士時代の最高月給と同程度の大金が振り込まれていた。


「マジか……」


 これには思わず声が漏れてしまう。羽振りが良すぎるのはこの国のせいなのか、それとも金額に似合うだけのめんどくさい頼み事でもするつもりなのかオレには読み取れなかった。


 しかし、ナイスタイミングと言わざるを得ない。


「────とりあえず今日は帰るぞ。お前ら、もう宿は取ってるのか?」

「まだ」

「昨日まで野宿でした」

「なら今夜の分はオレが出してやる。泣いて喜べ」

「ナイス」

「アザッス!!」


 いくらデザイアでも三百万ニルもあれば三人分の宿代くらい払えるはずだ。心の中でガスコインに礼を言いながら、オレ達は本部を後にした。


「そういえばお金はあるの? さっきまで二万ニルも払えなかったでしょ?」

「ついさっき臨時収入が入った」

「……そう」


 道中カナエから飛んできた問いかけにはそれとなく誤魔化すことにした。



 ────デザイア連合国の上空500mに浮かぶ島、終わりなき栄華の孤島ネバーサンダウン。その島に建物は一切なく、ただ海のない砂浜のように殺風景な景色が広がっている。いつ何時だろうと常に快晴の昼空を見せるその島に、今日は二人の男たちがいるようだ。


「さきほどガスコインから連絡がありました。スルト・ギーグは今の所のようです」


 島のど真ん中にぽつりと刺さるパラソルの下で、烏の羽をびっしり縫い付けたような厚手のローブに身を包む片眼鏡の男がアルカイックスマイルを浮かべて言う。


 その男の名はミダス。大陸対魔組合の全権を握る五人の王たちのうちの一人、『調王評議会』の"富王"である。


「じゃろうな。いくら"炎魔"といえども、流石に儂らに敵対しに来たわけではあるまい」


 ミダスの隣、腕を組みながらビーチチェアに深く腰掛けている白髪白髭の翁がしわがれた声で返答する。


 その四肢はまるで丸太のようであり、アロハシャツが今にも破けそうなほどピチピチにしている筋骨隆々の肉体は見かけの歳に釣り合っていない。アロハシャツにサングラスというミーハーな格好をしても尚にじみ出る絶対強者の風格は、一般人が目の当たりにすると空間が歪んでいるように錯覚するだろう。


 例にもれず、のように大きなその男もミダスと同じ『調王評議会』の一人。"武王"の名を冠する男。

 

 名を、アイアンパンツァー。その身一つで数多の伝説を叩きあげた英雄である。


「想像していたよりもずっと落ち着いた若者でした。やはり百聞は一見に如かずという言葉は本当なんですね」

「だからと言って油断するでないぞ。やつが〈千年帝国〉と名高いガンドラ帝国の軍を一網打尽に出来る力を持っているのは事実だ」

「認知していますとも。だからガスコインを監視に付けたんです」

「……お前、流石に休ませてやらんか」

「えー? でも彼使いやすいしなぁ」


 アイアンパンツァーは半目でミダスの笑い顔を見つめた。


「しかし、スルト・ギーグか…………」


 そばに置かれていた新聞の一面を飾る見出しにアイアンパンツァーは目線を送る。


[帝国軍先遣隊全滅か。一夜にして十万の兵を滅殺したテミスの"炎魔"]


 その見出しのすぐ脇には、迷宮にて何者かが隠し撮ったと思われるスルトの顔写真があった。


「どうされましたか? 彼がそんなに気になりますか?」

「少し、な。言葉にし難い奇妙な縁のようなものを感じる。まるでどこか遠い昔に会ったことがあるような……」


 しわがれた声には不安定な揺らぎがあった。漠然としたスルトに対して覚える奇妙な感覚にアイアンパンツァーは困惑していた。


「デジャヴというやつですかね? ソレは興味深い。外野の私からすると、目の色が同じだということ以外何も分かりませんが……」


 ミダスは笑みを深くしたが、その目は先ほどより鋭い。


「どうしますか? ガスコインの評価では一級の方が管理しやすいとのことですが、もういっそ零級にしちゃいます?」

「……所詮は儂の妄想じゃ。監視ならガスコインだけでも事足りる。怪しい動きがあれば逐一報告せよと伝えておけ」

「承知しました」


 バサバサと無数の鳥が羽ばたいたような音が起きると、ミダスは数枚のカラス羽を残していなくなっていた。殺風景の中に一人残るアイアンパンツァーは、しばらくの間考え込むようにその場から動かなかった。


「まさかな……」


 栄華の孤島は、ただ静かにアイアンパンツァーの独り言を無視した。


 ────あとがき────


 伝説のジジイはロマンの塊って、古事記にも書いてある。


 なお、強すぎて本格的に出せるのはめっちゃ後の方になる模様。

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