第6話 炎魔光臨/そして夜が緋ける

[AC3998年13月25日・テミス王国北部プラタナス区──ケテル王城・雪花庭園]


「騎士団を戦争に投入するとはどういうことですか!」


 白い庭園の静けさを破ったのは、若い騎士の怒りに満ちた叫びだった。この庭園の管理者でありこの国の統治者でもあるオットー・フォン・メルゴーは、琥珀色の瞳を怒りに歪ませた若い騎士を無感情に見つめる。


 本来であれば一介の騎士が国王と一対一で対話することなどありえない。しかも今回はスルトが国王の決定に対して直談判する形での対話であり、当然だがアポも無い。


 これは無礼どころの騒ぎではない。テミス王国が独裁国家であったなら王の決定に逆らう大逆人と見なされても可笑しくない所業なのだ。


 そのため王城の警備に勤めていた近衛兵たちは、いきなり王城にやってきては「国王を出せ」と主張するスルトを不審人物として取り押さえようとした。

 

 しかしそれに待ったを掛けたのは他でもないオットーである。まるでスルトが直談判しにやってくることを予知していたようなタイミングで現れたオットーが、何を考えてか、特例としてスルトとの対話を承認し、ケテル王城の中でもオットーから許可を得た人間しか入れないこの庭園にスルトを招いたことで現在に至る。


「どうもしない。帝国軍を打破するためにフェンリル騎士団を投入する。それ以上でもそれ以下でもない」


 尤も、直談判を認めたからと言ってその決定を覆すわけではないのだが。


「騎士団は民を守護するために在るのです!! 霊魔はともかく国を打破せよなど……我々は攻城兵器などでは断じてありません!」


 取り付く島もない王の態度は、スルトの怒りの炎をさらに激しくした。戦争を起こしたことに対する怒りもあるが、今はそれ以上に聞く耳を持たぬ王への憤慨が強かった。


「そんなこと言われずとも分かっておる。テミスを守るためにフェンリル騎士団を投入するのだよ」

「それはただの詭弁です! あちらから攻め込んできたならまだしも、宣戦布告をしたのは他ならぬ国王陛下でしょう!!」


 オットーはため息を吐いた後、初めてスルトに目を合わせた。


「我を侵略者の親玉のように言うのはやめてもらおうか、スルト・ギーグよ。この戦争は侵略ではなく防衛だ。我が求めるのは国土でもなければ殺しでもなく、純粋にこの国の未来の平和なのだ」

「猶更理解できません!! 平和を望むならば戦争を起こす必要などなかったでしょう!!」

「否、この国の平和を望むからこそ我は戦争を起こさなければならなかった」


 強い意志を孕んだ否定の言葉にスルトは押し黙る。自らに向けられた真っすぐな青い双眸に抱いていた怒りが揺らぎ、身勝手な独裁者という認知に小さな亀裂が生じた。


「それとも何かね? 君は、自分の手を汚したくないから汚れ役を王国軍に押し付けたいのかね?」

「ッ……」

「貴様の噂は我の耳にもよく聞こえている。騎士としても稀なほどにテミスを深く信仰する敬虔な信徒にして優秀な騎士だとグリムがよく自慢していた。貴様の友人も含めてな。────そして、その噂の中には貴様の霊臓についても含まれている」


 その一言で王が頭の中で思い描く絵を看破したスルトは。苦し気に目を見開いた。


「無尽蔵な霊力。質量を持つ炎の放出。出力も大きさも望むがままに操作できると聞く。その力があれば、一人で帝国軍を一網打尽にすることも可能だろう?」

「私に……大量虐殺をしろと…………?」


 スルトは静かに激怒した。頭を沸騰させる情動の爆発が皮膚から漏れ出し、琥珀色の炎となって噴き出す。


「先んじて言っておくが、貴様がやらないのであれば他の者にやらせるだけだ。貴様以上に適任はいないが、騎士団を総動員すれば問題はなかろう」

「ッ!!」

 

 スルトの激情が不安に塗り替わっていく。

 

 自分が逃げれば、心優しき同胞たちが巻き込まれる。その可能性はスルトにとってあまりにも重くのしかかった。


「スルト・ギーグよ。貴様の気持ちは我にも分かる。我とて戦争を回避できるなら喜んでそうする」


 憂いを帯びた王の声はスルトの怒りを鎮火させる。


「しかし、誰かがやらねばならん。平和は、誰かの犠牲無くしてあり得ないものだ。我々が今まで享受してきた平和もそうだ。全ては先人たちの数多の犠牲の礎に支えられている。それはこれからも変わることのない不変の真理なのだ」

「…………それでも、私は理解できません。帝国は数十万の兵を所有する軍事大国であり、世界一を誇る技術大国です。我々が攻め込んだところで勝ち目があるとは思えない」

「王国軍だけならばな。だが、フェンリル騎士団がいるなら話は別だ。…………何だ、貴様が気にしているのは体裁か? もし戦争を始めたのが帝国であった場合は頷くか?」

「ッそれは────」

「言っておくが帝国に先手を取られた場合、テミス王国は騎士団がいたとしても敗北する。これは絶対だ」


 告げられる言葉のどこにも間違いは無かった。スルトはとうとう返す言葉が無くなった。


「これはで聞いたのだが、帝国は水面下でテミスへ侵略する計画を立てていたようだ。奴らから戦争を仕掛けられ、後手に回っているうちに敗北するよりかは、我々が不意を突く形で逆襲すれば最悪の結末は避けられるとは思わんか?」

「…………」

「なぁスルトよ。やるなら今しかない。君が行動してくれるなら、王国軍も騎士団も戦わずに済むのだ。これから始まる地獄を味わうべきではない数多の人々が、何も知らずに、神に縋りついて泣くことなく平和を享受できるのだ。私と、君の、たった二人の犠牲で全てを終わらせることができるんだ」

 

 王国か、帝国か。果たしてどちらが大切なのか?

 

 その答えは考えるまでもなく一つだった。


「了解、しました」

「…………本当に、それでいいのか?」


 オットーは改めて、目の前にいる十八歳の若者に問いかけた。


「オレは……オレは、テミスの剣です。テミスの剣として…………敵は打ち砕かねばならない」

「…………そうか」


 跪いたスルトの覚悟を悟り、オットーは少し考えてから返事をした。


「────スルト・ギーグよ。テミス王国第48代国王オットー・フォン・メルゴーの名のもとに王権をもって命ずる」


 王の左手に刻まれた天秤の紋章。テミスの権能に系譜する神秘の力が発動する。


「平和に仇名す、テミスの敵を殲滅せよ」


 賽は投げられた。


 

[ジャスティティア大陸北部・ムスペル高原]


 テミス王国から前触れなく宣戦布告を受けたガンドラ帝国は軍を再配備を急ぎ、帝国式戦闘機兵を含めた十万の兵を直ちに展開させた。


 対してテミス王国が用意したのはオレ一人。十万対一という状況については、王国の徹底した情報統制によって帝国には知られていない。


 闇夜に紛れてたどり着いた帝国軍先遣隊の野営地。ざっと観察してみると、攻城戦でしか使われないはずの大型戦闘機兵が多く見かけられた。疑っていたわけではないが、陛下が仰られた言葉は本当だったようだ。


 そのまま野営地に忍び寄って敵戦力の把握を行っていたとき、帝国兵の話す声が聞こえてきた。

 

「先遣隊とはいえ、いきなり十万も派遣するなんて…………まるで僕たちが戦争をけしかけるみたいだ」

「実際、皇帝陛下はテミス王国を攻め滅ぼすつもりなんだろうな。じゃなきゃ一機用意するのに数億ニル掛かる大型機兵を数十体も投入するわけがねぇ」


 暢気なものだ。しかし、ここはガンドラ帝国の目と鼻の先にある高原。開戦から二日や三日で敵軍がそこまで迫ってきているとは考えていないのだろう。


 それよりもオレの注意を引いたのは、人に混じってちらほらいる動く機械だ。


(戦闘機兵か)


 小さく呟く。戦闘機兵とは技術大国であるガンドラ帝国が誇る兵器だ。超高度霊力文明発達期の先駆けであり、国土・人口・軍事力において世界一を誇る。この野営地には人型・猟犬型・戦車型といったオーソドックスなタイプから見たことのない型の機兵や飛行するドローン型など様々いる。


 また帝国兵の会話が聞こえてきた。


「なんで戦争なんかするんだ……もう十分帝国は豊かだろうに」

「そんなもん誰だって同じだ。この状況を喜んでるのは機兵の作成に関わってるくるくるぱーの科学者野郎共か陰謀論者くらいのもんだろうよ。少なくとも正常な頭を持ってる奴ならお前と同じ感想さ」


 オレはすぐに聞こえないふりをした。心臓に霊力を回せば、血流と共に霊力のかぁっと熱い感覚が全身へ広がっていく。


 心臓に浮かぶハート型の痣────霊臓が発動した合図だ。


「母さん元気かなぁ」

「そういやこの前ぎっくり腰で運ばれたとか言ってたな」

「アハハ……自分のことまだ若いと勘違いしてたんでしょうね」


 余計なことは考えるな。オレはテミスの剣。テミスの敵を打ち砕く正義の剣。


「昔からそういう所があるんですよ…………無理するなって何回も言ってるのに聞いてくれなくて」

「ハハハ。お前も苦労してるな」

「おいそこ。私語はほどほどにしておけ」


 テミスの剣として、オレは眼前に立つ敵を打ち砕かねばならない。


「あれ……なんかやけに暑くないですか?」

「そうか? まぁ今日は冬にしては暖かいが、たまにはそんな日もあるだろ」

「でも予報だと今日は十年に一度の大寒波が押し寄せるって言ってませんでした?」

「…………まさか」


 言い訳も、葛藤も、全て敵だ。


 決意が固まり、オレは隠れるのを止めた。


「────待て! 貴様何者だ!」


 帝国軍がようやくオレの存在に気が付いた。


 が、もう遅い。


「てきしゅ──」

「レルヴァ・テイン」


 オレの霊臓が発動した時点で手遅れだ。



 緑豊かだったムスペル高原は黒い焦土と化した。ついさっきまでここで野営していたガンドラ帝国の先遣隊はどこにもおらず、恐らくは黒い焦土の一部になっている。


 罪の意識から目を背けようとして、努めて何も考えないようにしていたから記憶が少し曖昧だ。だけど、全員オレが殺したことははっきりと覚えている。炎で焼き殺した。ぶつけられる命乞いも怨嗟交じりの怒号も無視して、全部焼き尽くした。


 焼け焦げた大地は所々赤熱してひび割れている。鼻腔びくうを擽るのは焦げた鉄と血潮のむせ返るような匂い。生き残りがいないか探すために足を一歩前に運べば、そのたびに炭化した物体が潰れる感覚が足裏から伝わってくる。


 まだ熱が残っていて赤くなっている部分を踏むと、そこから火が噴き出してまた消える。噴き出した炎に足を半分ほど飲み込まれたが、怪我するどころか熱いとすら感じない。


 それにしたって、どこかかしこも緋緋と燃えている。空は火の鳥の群れが、帝国兵が構えていた野営地跡には炎で出来た異形の獣が跋扈ばっこしている。これだけ広範囲に炎が燃え広がっているというのに、命の灯というものはどこを探しても見つからない。


 下を見ることだけは出来なかった。そこにはオレが殺した十万の黒い屍がいる。それを見てしまえば、オレはきっと自分の犯した罪の重さに耐えきれなくなってしまう。


「!」


 ふと気配がした。振り返ると人の形をした真っ黒な何かがいた。


 人型のなにかは震える両手で、刀身がドロドロに溶けて様々なものが混ざり合った鉄塊の切っ先をこちらに向けている。それが運悪く死に切れなかった帝国兵だと気づくのに時間はいらなかった。


「えん…………ま……!」


 声にならない掠れた喘ぎを吐き出すと、帝国兵は駆け出してオレに斬りかかってくる。その刃を、オレは腕を広げて受け入れた。


 これが償いになるならば…………。


「う…………」


 帝国兵が最期の力を振り絞って繰り出した一撃が右側頭部に直撃した刹那、その衝撃に耐えきれなかった帝国兵の腕がボロッと崩れ落ちた。千切れた黒い腕は地面に落ちた衝撃でまた細かく砕け散る。事切れた帝国兵がオレにもたれかかるようにして倒れ込んだ。


「…………」


 倒れ込んできた帝国兵をそっと受け止め、これ以上身体が崩れないよう慎重に地面へ降ろす。


 が、途中で手が滑ってしまった。落下した帝国兵の肉体はどさっと地面にぶつかった瞬間に衝撃であちこち千切れてバラバラになった。


 オレは項垂れた。


「テミスよ…………なぜ……」


 返事はない。代わりに首に掛けていたロザリオの紐が千切れて、十字架が黒い地面に突き刺さった。

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