第5話 夜明け前

 一面を覆う琥珀色の炎が知らない国を飲み込んだ。


 絶叫が響き渡る。熱い、助けてくれと、蒸発する涙を流しながら人々が叫んでいる。それは黒焦げになった死体の全てが炎熱によって気化しても尚響き続け、カビのようにこびり付いて離れない。痛い、殺してくれと、泣き叫ぶ姿なき亡者の魂が無数に浮かんでいく。魂が夜空に浮かんでいく。


 ────夜空に灯る星は全て、苦痛に喘ぐ死者の顔の形をしていた。



「~~?!」


 入団式の翌日、悍ましい悪夢に頭を撫でられたオレは飛び起きた。異様に身体が濡れているのは脂汗のせいだろう。拒絶反応が胃の中で膨張して酸味がせり上がってくる。直後に飲みかけだった水を勢いに任せて飲み干したおかげで露出することはなかったが、気持ち悪さだけは水で押し流すことが出来なかった。


 今のは、ゆめか?……それになんだ、この光は?頭の中でチラついてやがる。


「スルトおはよう! ────ってどうしたの!?」


 状況を理解しきらない内に扉が開き、まだ整理が追い付いていない部屋に入ってきたリルカとエルドが心配した様子で駆け寄ってくる。ここは本部直結の騎士寮の二階角部屋。一人で生活するには十分すぎるスペースがあるとはいえ、まだ開いていない箱が山のように置かれた部屋に三人も入ると流石に狭い。


「具合悪いの? 大丈夫? もしかして怪我が悪化したのかな、テレジアさん呼んでこようか?」

「大丈夫だリルカ…………悪い夢を見ただけだ」

「本当に大丈夫なのかい……? 青ざめてるじゃないか」

「ホントに大丈夫なんだ。ただ少し、頭が痛い」


 二人に不安を煽るようなことをしてしまったことに申し訳ないと思いつつも、オレの意識は謎の光に寄せられていた。昨夜もあった。昔からよく変なことに巻き込まれるトラブル体質であることは自認していたが、こうもスピリチュアルなトラブルには遭遇したことが無い。それに、昨日の光と違って脳を寄生虫に蝕まれたような感じがする。


「ちゃんとテレジアさんに見てもらうんだよ」

「そのさっきから言ってるテレジアさんって誰だ?」

「そっか、スルトは気絶してたから会ってないんだね。衛生科のリーダーをしている人だよ。医務室の管理人」

「…………もう一眠りしたら後で行くよ。心配かけてすまなかった」


 二人に促し、少し時間を置いてからオレは医務室ではないある場所へ向かうことにした。明後日までは安静期間、訓練も任務も与えられず実質的な休暇だ。


 向かう先は王国南西のレグルス区の一画に構える大きな教会。千年以上の歴史を持っているくらいには由緒正しき教会だ。騎士街を真っ直ぐ南下していけば辿り着く。なので団長から許可を貰って出発してから到着するまでそう長くは掛からなかった。


 …………教会の前で二人の子供が喧嘩をしている。それも殴り合い、しかも荒々しい。小っこい身体で中々壮絶な争いを繰り広げている幼い双子のことをオレは知っていた。


「────ホープス、ドレアム。ま~た喧嘩してるのかお前ら」

 

 声を掛けると二人はピタッと動きを止めてオレを見た。すると、互いに対する並々ならぬ怒りでヒートアップしていた二人の顔が嘘のように消えて、目を輝かせながらオレの元まで駆け寄ってくる。小さな足を一生懸命動かしている様子はとても可愛らしい。


 ホープスとドレアムは教会が保有している孤児院の子どもだ。テミス王国で両親を霊魔に奪われた子どもや親に捨てられた子どもはほとんどがこの教会の孤児院に流れ着く。


「兄ちゃん! 久しぶり!」

「全然帰ってこないから死んだと思ってた!」

「勝手に殺さないでくれドレアム」

「だって兄貴、すぐ迷子になるじゃん。野垂れ死んだのかなって!」

「お前の中のオレは一体何なんだ……?」


 あんまりな評価に膝から崩れ落ちそうになるのを何とか持ちこたえながら乱れた二人の服を整える。結構激しめに喧嘩をしていたようで、砂のように細かな石や軽いひっかき傷があちこちについていた。


「喧嘩をするのは別にいいが、暴力は相手が傷付くからしちゃダメだぞ? いついかなる場合でも暴力を振るっていいのは霊魔どもだけ。分かったな?」

「「はーい」」

「分かればいい」


 ホープスもドレアムも双子ゆえに衝突しがちなところはあるが、ちゃんと言ってやればすぐに仲直りするし自分から謝ることも出来るとっても良い子たちだ。だから喧嘩が起きたとしても、誰かがこうやって軽く教えてやるだけであっという間に問題は解決する。

 

 しかし、また明日になれば二人は喧嘩をしているだろう。喧嘩するなと言われればその場ではすぐに止めて仲直りするが、時間が経てば今度はまた違う理由、それも他人からすればどうでもいいような理由で喧嘩を始めるのだ。

 

 いや、二人からすれば大事なことなんだろう。幼年期特有の強すぎる自我を、喧嘩によって削ることでコントロールしようとしているのかもしれない。


「神父様はいるか?」

「神父様ならお花に水やりしてるよ」

「ありがとう。仲良く遊ぶんだぞ」


 二人に礼を言った後、微かに香ってくる花の匂いにすこしだけ安心感を抱きながら教会横の神父様の庭園へ足を運んだ。教会ではなく、神父様が所有している庭園だ。


 どういうからくりが働いているのかオレは知らないが、神父様が何処かから入手している世界各地の花が季節に関係なく満開の花を咲かせており、いつ訪れてもこの世のものとは思えないほどの絶景が絶えず変化しながらそこにある。外界と隔絶されたような箱庭を少し歩けば神父様はすぐに見つかった。


「おや、スルト君ですか」

「お久しぶりです。神父様」


 じょうろを傾ける神父様の顔にはいくつか皺が増えていたが、背筋はまっすぐ伸びていて心なしか目の下を根城にしていた隈も薄くなっている。数年前に会った時よりも若々しくなった印象を覚えた。


「大きくなりましたね。ロザリオも大事にしてくれているようで嬉しいです」

「もちろんです。テミスの信徒であることを示すロザリオを汚す行為はすなわちテミスの神聖を汚すこと。ましてやオレはテミスの剣です。一体どうしてテミスの神聖を汚せましょうか」

「愚問でしたか」


 水やりを手伝いながら穏やかな空気をしばらく堪能した後、神父様の計らいでしばしのティータイムを満喫することになった。


「あの生意気な子供がここまで綺麗な敬語を使いこなせるようになるとはね。ちょっと感激していますよ」

「これでも結構無理してますけどね。堅苦しいのはやっぱり嫌いです」


 神父様は破顔した。


 白一色でこれといった特徴のないガーデンチェアやテーブル。同様に飾り気のないティーポットやマグカップ。差し出された茶を口に含むと、よく言えば優しい味わいが広がる。悪く言えば味のしない色付きの熱湯だが、神父様の飾らない性格が前面に押し出されている。

 

「相変わらず茶を入れるのが下手ですね。手つき以外数年前から全く成長してません」

「む。そんなことを言う悪い子にはお茶菓子無しです」

「褒め言葉ですよ褒め言葉。親父の趣味の一環で十万ニルの高級茶葉だのマイスター厳選の特注品だの高価な茶はたくさん飲んできましたが、そのどれよりも、この味の薄い茶が一番好きです」


 最初は一口飲むことすら憚られるほどに嫌いだったが、飲んでいるうちに病みつきになってしまった。いつの間にか自分で茶を入れるときも専ら味の薄いものばかりで、それに気付いた時は思わず苦笑したものだ。


「フフフ、褒めるのが上手ですね。私のお茶が世界一美味しいだなんて」

「好きなだけで美味しいなんて一言も言ってませんが。耳の中に茶葉でも詰まってるんですか?」

「……なにもそこまで言わなくても」

「なら思い上がらないでください」

「可愛がっていた子が毒に染まって神父様ショックです………」


 調子に乗りやすいのが玉に瑕だ。ソレさえなければ礼拝に来る人間も増えるかもしれないくらいには。指摘したとしても改善しないことは分かっているのであきらめている。

 

 そも、今日は茶番をするために来たのではない。


「神父様。いきなりですみませんが────」

「言わなくてもよろしい。恐ろしい夢を見たから、顔見ついでに相談しに来たんでしょう?」


 瞼の裏を突かれたような衝撃があった。したり顔で笑っている神父様とは長い付き合いだ。だからオレが相談しに来たことくらいは察していても不思議ではない。


 しかし、それだけでオレが夢を見て相談に来たことをピタリと言い当てることが出来るだろうか? 


 それは最早未来視ではないのか?


「これは生まれつきでしてね。ふとした瞬間に強い光が頭の中に溢れるんです。そうすると決まって少し先の未来で起こる出来事が流れ込んでくる。二日前に初めて教会に来た日の夢を見た君が訪れることを知ったんですよ」


 言いながら湯気が無くなった茶を一口飲む神父様の姿が、一瞬だけ得体の知れない何かに見える。理から外れた何か大きな存在の一端を垣間見た気がしてオレは絶句するほかなかった。


 そして、オレもその領域に片足を突っ込んでいるかもしれないという事実に深く戦慄した。


「霊臓ですか?」

「違いますね。私の心臓にハート型の痣はありませんので。見えた未来は全て大きな出来事に発展するのでテミスの神託ではないかと思っています」

「神託……」


 もしや昨夜の宣言の時に溢れ出した光は錯覚じゃなかったのか? しかし神父様の言うような未来は全く見えなかった。


 いや、待て。


 …………今朝の夢は、まさか。


「神託で見れる未来は短期間でしょうか?」

「分かりません。コントロールしている訳ではないので。数時間後の場合もあれば私が忘れた頃にようやくという場合もあります。一番長いものだと五歳の頃に見えた光景ですね。数十年経過した今もまだ訪れていないのですから」


 空になったカップを見つめる神父様の顔には深い憂いの色がある。萎れた花のような顔をする神父様を見て、オレは初めて時間の流れと老いを意識することになった。


「神父様。差し支えなければ、五歳の頃に何が見えたのかオレに教えてくれませんか?」


 オレが再び尋ねると、神父様は表情を曇らせ、一瞬の間をおいて俯いた。


「……その質問が来ることも知っていました」

 

 俯いた神父様の口からはそんな言葉が飛び出した。オレももう驚くことはなかった。


「一つ先に言いますが、私が五歳の頃に見た光景は恐らくあなたが夢で見たものと同じでしょう」

「!」

「一面を焦がす灼熱の炎、黒化した大地、空を埋め尽くす死者の怨念が助けを求めて叫んでいる」


 オレが見た夢の詳細を神父様はピタリと言い当てる。これにはオレも瞠目せざるを得なかったが、次に神父様から告げられた一言で更なる驚愕と共に絶句した。


「そして……その地獄のような光景を作り出すのは………………スルト、他でもない貴方なのです」


 一言一句を正確に聞き取ったはずなのに、何を言われたのか全く理解できなかった。


「……オレが?」


 長い間を使って絞り出せたのは三文字だけだった。神父様は苦し気に頷く。


「えっと、その、話が全然見えてこないんですけど……冗談ですよね?」

「……残念ながら」


 神父様の言葉の空白には全ての現実が詰まっていた。


 それはオレにとって到底受け入れられるものではなかった。


「何でオレだって分かるんですか?」

「その光景の中心に貴方がいたからです」

「じゃあ見間違いですよ。だって、オレがそんなことするわけがない!!」


 思わず立ち上がって声を張る。


「そんなこと私だって分かりますよ」

「なら────」

「しかし見てしまった以上はどうしようもないんです……!」


 神父様の切羽詰まったような声を聞き、威勢を叩き折られたオレは着席するしかなかった。


「~~!」


 絶望の檻に閉じ込められたような気分だった。考えても考えても為す術がないと、現実を叩きつけられて歯噛みするしかなかった。


「……」

 

 でも、それ以上に心配なのは神父様の方だ。


 今すぐにでも舌を噛み切って死んでしまうのではないかと思うほど追い詰められた表情をしていた。


 そのときオレは気が付いた。今一番絶望しているのはオレじゃなくて神父様だということを。


 五歳なんていう幼い頃に突然地獄を見せられて、それがいつ起こるのか心をすり減らしながら何十年もの歳月を過ごしている。

 

 もしかしたら気のせいではないか? きっと神父様も抱いたであろうこの淡い希望は、他でもないオレによって打ち砕かれたんだ。

  

 だって神父様の言葉を信じるなら、その地獄を作り出すのはオレなのだから。


 そのとき、オレの中にある一つの疑問が生じた。


「────どうしてオレを保護したんですか?」


 七年前、神父様は行き倒れていたオレを保護してくれた。


「神父様は……その時からオレが地獄を創り出す存在だと知っていたんですよね?」

「………………はい」


 神父様は力なく肯定する。


「じゃあ何でオレのことを生かしたんですか? 将来オレが大量殺戮を犯すかもしれない人間だと知っておきながら助けた理由はは何ですか?」

 

 意識したつもりはないのに責めるような言いかたになる。それに気が付いたのは口に出してからのことだった。


「オレを見捨てておけば……その地獄は起こり得ないものに出来たはずでしょう!」


 それでも言葉は止まらなかった。止めることは出来なかった。


「確かに貴方のいう通りです」


 神父様が苦笑しながら顔を上げる。少し不安定だった焦点が真っすぐオレを見定めた。


「だからと言ってそれが人を助けない理由になるのですか?」

「ッ!!」


 曇りない真っすぐな瞳に見つめられる。


 オレは途端に自分の発言の愚かさを理解して恥ずかしくなった。


「当然ですが人を助けることに理由も要りません。しかし敢えて言うならば……私は貴方が運命を変えてくれる可能性に賭けた」


 この人は、どこまで行っても、オレのコトを信じてくれているんだ。


「オレはテミスの使徒です」


 オレはまた立ち上がって宣言した。


「如何なる理由があっても、この力を人を殺すために使うことは絶対にあり得ません!」


 断言すると、神父様は目を瞬かせた。


「だから安心してください。神父様が罪を背負うことなんか何一つないんです」

「………………約束ですよ?」

 

 神父様は確かめるような声色でそう言った。


「はい!!」


 オレが答えると、神父様は安心した様に微笑んだ。


 

 帰り道では神父様と交わした約束を何度も心の中で復唱して脳に刻み込んだ。いつどこで地獄のきっかけが起こるか分からないから、何があっても忘れないように心がけるためだ。


 それでも少し不安はある。もしかしたら自分は失敗するかもしれない。そんな後ろ向きな考えがどうしても消しきれなかった。


 今はAC3994年。それが起こるのは明日のことか? それとも明後日か? それとも一年後、十年後、或いはもっと先の遠い未来なのか? 


「あ────!!」


 募る未来への不安は、思いがけずリルカの声にかき消された。


「安静にしてなきゃダメでしょスルト! ただでさえ今朝は死にかけだったこと、もしかして忘れちゃったの?」

「…………薬を貰いに行ってたんだ。許してくれ」

「あれ、そうだったんだ? 早とちりしちゃってごめんね」


 コロッと嘘を信じたリルカに、オレは思わず笑みを零した。


「まだ少し不安だけど…………今朝より顔色良くなったね! 薬のお陰かな?」

「かもな。ところでエルドはどこだ? 顔が見たい」

「食堂だよ~。私たち今日の訓練で頑張ったから先輩が奢ってくれるんだ!」

「よし、オレも混ぜろ」

「アハハ! 聞くだけ聞いてみよっか!」


 急いで本部の食堂に駆け付けたとき、オレ達は大勢の先輩たちに歓迎された。お陰で食堂で過ごした夕食のひと時は殆ど宴会状態で、どんちゃん騒ぎで楽しい時間だった。


 願わくば、この時間がどこまでも長く続きますように。



 悪夢は、現実となる。


 第48代目テミス王国国王オットー・フォン・メルゴーがガンドラ帝国に対し宣戦布告を宣言。後に北部四十世紀末大戦と呼ばれる未曽有の戦乱が始まった。


 暦にしてAC3998年13月23日。四年と数カ月先の出来事であった。

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