第4話 可惜夜
懐かしい夢を見た。
『神に選ばれたから騎士になるだと? ふざけたことを言うな!!』
七年前の親父が怒号を発した。
『ふざけてなんかねぇよ!! オレはテミスに使命を与えられたんだ!!』
『神などこの世界の何処にも存在しない!! 人が創った偶像だ!! いくら言えば分かる!!』
『いいや! 神はいる!! だってオレはテミスに話しかけられたんだ!!』
相対する七年前のオレが半泣きになりながら反論する。
あの運命の日の翌日の出来事だ。オレはあの日に起きた出来事を全て説明したうえで、騎士になりたいという旨を親父に伝えた。
しかしオレの言葉をガキの妄言だと断定した親父はこれに猛反対。いくら説明しても無神論者である親父は聞く耳を持たず、医者になれの一点張り。
『ならテミスが実在する証拠を出せ! お前がテミスの使徒だと証明してみろ!!』
挙句の果てに突きつけられた言葉は酷い物だった。無理難題を押し付けて強引に諦めさせる魂胆が丸見えだった。結局オレは返す言葉が無くて歯を食いしばるしか出来ず、それを確認した親父はほら見ろと吐き捨てた。
『バカなこと言ってないで勉強しろ! お前は俺の後を継ぐ医者になるんだ!』
『知るかよンなこと! もう親父のことなんか大嫌いだ!!』
『待て!! スルト!!!』
そうしてオレは家を飛び出した。
泣きながら行く当てもなく駆けていった。最初は聞く耳を持たない親父に対する怒りが強かったけど、次第に否定されたことに対する悲しみがこみあげて、真剣に悩んだ末の選択を理解されなかったという悔しさが膨らんでいった。
だけど防寒着もなしに家を飛び出したのは不味かった。すぐに天気が荒れ、猛吹雪が起こった。結局、吹雪に呑み込まれたオレはそのまま行き倒れた。
そして次に目を覚ました時、オレは、かくれんぼ出来そうなくらい広くて大きな教会の中にいた。
♢
「目を覚ましたのですね」
目を覚ましたオレに気が付いた妙齢の男が慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。恰好からして、神父であることは読み取れる。
「誰……?」
「私は、しがない神父です。ここホド教会の管理人でもあります」
神父様は安楽椅子から立ちあがるとベッドに腰掛けてオレのそばに寄った。
「何処か具合が悪いところはありますか?」
「……ない」
「ならよかった」
神父様はまた微笑んだ。
「それで、君はなぜ一人で外にいたんですか?」
「…………親父と喧嘩した」
柔らかな雰囲気にあてられてか、オレの口はいつもより軽くなっていた。そのまま家を飛び出すに至るまでの経緯をペラペラと話した。
「つまり君は、自分の選択を認めて欲しかったのですね?」
「……うん」
神父様の要約に肯定する。神父様はふむと息を吐いて、少しの間沈黙した。が、あまり長く経たないうちに立ちあがると、一階へと続く階段に足を向けた。
「ついてきてください」
それだけ言い残して神父様は階段を下りて行った。オレは数秒だけ考えて、そのあとをついていった。
階段を下りて短い廊下を進み、鍵の掛かった扉を神父様が明ける。重そうな木製扉は古い匂いを振り撒きながら、ギギという重低音を廊下に響かせた。扉をくぐった先には教会という建物について思い浮かべるイメージと全く同じような空間が広がっていた。
神父様は教会の入口を背にして正面奥にある祭壇にまず向かった。祭壇のさらに奥には天井まで届きそうなくらい大きなテミスの神像がある。
「言い忘れていましたが、そろそろ礼拝の時間なんですよ」
何やら作業をし始めた神父様が思い出したように言った。しかし教会にはオレと神父様以外誰もいない。息遣いすらよく響くほど静かで、これから誰かが来る気配もない。
「誰もいないじゃん」
素直な感想を呟くと神父様は苦笑する。神父様は作業する手を止めて一段だけ高くなっている祭壇から降りると、設置された何人も座れそうな長い木の椅子に腰かけた。手招きされたので、オレも神父様の隣に腰掛けた。
「昔は信心深い教徒で一杯になっていたんですけどね」
左手に天秤を持ち、右手に剣を掲げるテミスを見上げながら神父様は残念そうな顔をしている。
「誰も来なくて悲しい?」
「本音を言うならば。しかし信仰が薄れるということは、逆にいえば信仰する必要がなくなったということ。戦争の無い平和の時代になり、神に縋らずとも生きていけるようになったと考えれば、それは大変喜ばしいことです」
「ふぅん」
微笑みながら言う神父様の姿がオレにはなんだか無理をしているように見えた。受け入れたくないことに明るい事実や論理的な言い訳をくっつけて無理矢理受け入れているような、そんな風に見える。
「オレはそう思わないけど」
オレは、その理論が何故か気に食わなかった。理由は分からない。
「おや、なぜそう思うのですか?」
神父様はきょとんとした顔でオレを見た。
「戦争が無くても、平和を脅かす存在はうじゃうじゃいる」
「……霊魔、ですか」
「霊魔だけじゃない。悪党もだ」
戦争も霊魔も悪党も平和を脅かすものだ。規模が違うだけで何も変わらない。どれもこれも人が傷付くのだ。
「では、君はどうしたいのですか?」
神父様の声には好奇の響きがあった。
「……剣になる」
オレは、改めて自分の想いを口にした。
「正義の剣になりたい」
信念と誇りをもって返事をした。でも神父様は悲しそうな顔をした。
「君が思う何倍も長く苦しい孤独な戦いですよ?」
「分かってる」
「きっと賞賛も名誉も得られません」
「そんなの要らない」
「必要とあらば、君は友達や家族にすら刃を向けなければなりません。そして傷付いた君を慰めてくれる者はいない。そんな役割を背負って欲しくないから、君のお父さんは反対したのではないでしょうか?」
度重なる執拗な確認からは神父様の心の心配が滲んでいた。子供に対して向ける心配ではなく、一人の人間が決断したことに対する本気の心配だ。
それがちょっぴり嬉しかった。
「誰かがやらないといけない。誰かがやらないと、悪は決して滅びない」
「…………」
「だからオレがやるよ。だって、オレはテミスの使徒だから」
しばらく沈黙が訪れる。遠方から正午を告げる鐘が響くのが薄っすらと聞こえてきた。
「君は強い人ですね」
神父様は観念したような声色で言うと、おもむろに首に掛けていたロザリオをオレに差し出した。
「これは私から君への贈り物です。きっと私よりも、君の方が相応しいでしょう」
「いいの?」
「勿論。大事にしてくださいね」
「…………ありがとう」
オレは受け取ったロザリオをそのまま首に掛けた。サイズが少し大きいが、いずれ丁度いい長さになるだろう。
「帰りなさい。お父さんが待っているよ」
そのとき、鐘の音がもう一度聞こえてきた。さっさと帰れと催促しているみたいだった。でもオレは、まだちょっと心の整理がついていなかったから帰る気になれなかった。
「……正午の礼拝が終わったら帰る」
帰らない理由を作るためにお願いすると、神父様は苦笑した。
「しょうがない子だ。礼拝が終わったらちゃんと帰るんですよ?」
「分かってる」
「よろしい。それでは始めましょう」
懐かしい夢はそこでゆっくりと溶けるようにして幕を閉じた。
♢
鼻を軽く刺激する薬品の香りに目を覚ますと、知らない部屋のベッドの上にいた。額の辺りで存在を主張するズキズキとした痛みに少し顔を顰めて手で軽く触れてみると、少々ザラザラとした布のような感触があり、頭全体を軽く締め付けるような感覚から包帯であることに気が付いた。そのまま上体だけ起こして部屋を見渡し、ここが医務室であることを理解した。
「……」
なんだか懐かしい夢を見た気がする。首に掛けてあるロザリオを握ってみると、すこしひんやりとした鉄の感触が伝わってくる。金や銀ではなく鉄で出来たこの十字架がオレは結構好きだ。昨今のやたら気取ったアクセサリー風なものと違って飾らない無骨なデザインも気に入っている。信仰は見た目で決まるようなちっぽけなものではないのだ。
ベッドの上から窓を覗いてみると外は既に夜の帳が下りている。
「大分長い間気絶してたのか……」
「後輩ィ…………生きてたかァ…………」
隣から聞こえてきた掠れ声に目をやると、全身包帯でぐるぐる巻きにされたミイラ男がベッドの上に横たわっていた。
「誰!? ていうか、何で!?」
「俺は先輩ィ…………先輩のアルベドだァ…………これからヨロシクなァ…………ちなみにこれはエミーリアのお仕置きだァ……」
「何したんですかアンタ……」
新手の拷問だと言われた方がまだ納得がいった。鼻の穴以外全てぐるぐる巻きで手足は包帯で拘束されている。
「医務室にしては消毒の匂いキツイなって思ったらそういうことだったんですね……」
「それ俺じゃないぞォ」
「え?」
「オァァァ…………」
反対側から聞こえてきた声に恐る恐る振り返ると、茶髪を腰まで伸ばした若い男が顔を紫色にして死んでいた。ともすれば魂が抜けていそうな息を吐いている。
「って酒臭ッ!? 二日酔いかよアンタ!」
「俺はギドだ…………後輩……酒は飲んでも飲まれるなよ…………」
「その状態で言われると説得力が違うな……」
ダメな先輩二人に挟まれたらしい。オセロならオレもダメな人間に成っていたと考えた途端にものすごく不愉快な気分になったので、そそくさと部屋から出ることにした。
「っとと……」
しかしまだ本調子ではないらしく、医務室を出てすぐに足がもつれそうになった。本当ならまだベッドの上で眠っているべきなのだろうが、今はなんだか夜風に当たりたい気分だ。タフな身体なんだから少しぐらいなら問題はないはずだ。
いつもよりペースを落として歩くのは少し手間だったが、おかげでもう転びそうになったり壁に寄りかかったりすることはなかった。消灯時間を過ぎたことで廊下は暗かったが、霊臓で小さい火の玉を一個浮かべることでそれは解決した。力は使い方を間違えると危ういが、このように工夫すれば生活をより快適にしてくれる便利な道具でもあるのだ。
「────あれ」
扉を開き本部の外へ出て噴水広場に行くと、ベンチに二人先客があった。
「エルド? それにリルカも。こんなところで何してるんだ?」
「あ、スルト!」
声を掛けると二人ともこちらに速足で駆け寄ってくる。友達に心配されていたという事実はそれだけでちょっぴり嬉しかった。
「良かった……生きてたんだ」
「命の心配!? 生死の境をさまよってたのかオレ!?」
「そうだよ!! あでも、スルトは悪くないからね?」
二人から詳しい説明を聞かされたオレは改めて自分の身体の頑丈さに感謝した。まこと、持つべきは筋肉である。
「というか、もう歩いても大丈夫なのかい?」
「多分ダメだけど、ダメそうな先輩に挟まれたらオレもダメになる気がした」
「アハハ……」
否定しないあたりエルドもあの二人のことをダメな先輩であると認識しているようだ。
「二人は何してたんだ? 眠れなかったのか?」
「星を見てたの」
そう言ってリルカは空を指差した。
そこには数多の星が瞬く絶景が広がっていた。
美しい空だ。宝石がいくつも散りばめられたような、王冠やティアラに使われる上等なものより断然綺麗なもの。星光の輝くあまり、夜色にエメラルド色が混ざっている。
「綺麗だ」
その美しさに思わず感嘆の声が洩れた。
「小さいころにお父さんに教えてもらったんだ。この広場から見上げる星空は王国の中で一番綺麗だって」
花が咲いたような笑みを浮かべてリルカが言う。二人用のベンチに三人詰めて座っている分近い距離から声が聞こえてくるが、そんなの気にならないほどに空は綺麗だった。
「リルカの父さんも騎士だったのか?」
「うん! 随分昔に引退してそのまま遠くに行っちゃった。だけど私が立派な騎士になれば、もしかしたら帰ってくるかもしれない」
リルカの横顔はとても寂しそうだった。
「寂しくはないのか?」
「最初は勿論寂しかったよ。でももう大丈夫!」
率直に尋ねてみると、リルカは嬉しそうな声色でこういった。
「今の私には二人がいるから!!」
無垢な笑顔を向けられて少し照れ臭かった。眩しすぎて顔を見ることが出来なかった。
「……大袈裟なヤツだな。エルドはともかく、オレとはまだ一週間しか経ってねぇだろ」
照れていることを隠すために目をそらす。これがオレに出来る精一杯の抵抗だった。
「時間なんて関係ないもん! 私達はもう友達でしょ?」
……ほんとに、コイツは。
あまりにも人間が出来すぎやしないか? 善いやつ過ぎて逆に心配になる。
直視し難いほどに眩しい笑顔を再びぶつけられたオレは面食らって、そのまま白旗を掲げた。
「そうだな。オレも、二人のことは大切な友達だと思ってるよ」
「えへへ」
「そう言ってくれるとすごく嬉しいよ。僕も、スルトと出会えて嬉しい」
素直な言葉を口にすると、リルカははにかんで、エルドはオレと同じように言葉を返した。
「そしたら皆で宣言しない? なりたい自分になる宣言!」
リルカが思いついたように手を叩く。オレとエルドは互いを見合った後に頷いた。
「それじゃ、私から行くよ! 私は皆を守れる騎士になる!」
「僕は皆を助けられる騎士に!」
リルカが一番手を切り、続けてエルドが宣言する。
『必要とあらば、君は友達や家族にすら刃を向けなければなりません』
オレも宣言しようとした刹那、脳みそが強い光に包み込まれたような感覚がした。
「オレは────」
滲みだす不安を気のせいだと断定して、オレは構わず宣言した。
「悪を打ち砕くテミスの剣に!」
口にしたとき、脳みそを包んでいた光がより一層強くなった。しかし次の瞬間には、光は瞼の裏に残像だけを置いて消えていた。
「私達なら絶対なれるよ! 私たち三人が力を合わせればどんなことだって成し遂げられる!」
「だから二人とも!」と言葉を区切ると、リルカはベンチからひょいと降りて、数歩だけ進んだ後にまた振り返った。
「これからもずっと一緒にいようね!」
────あとがき────
可惜夜=あたらよ
タイトルにルビを振れなかったのでここに載せておきます。
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