第4話 可惜夜

 かくれんぼが出来そうなくらい広くて大きな教会の中にいた。


 奥の祭壇に天井まで届きそうなくらい大きな女神像がある。教会の中には殆ど誰もいなくて、オレと神父様だけがテミスに見守られている。


「もう少しで礼拝の時間ですけど、誰もいないですね」


 素直な感想を呟くと神父様は苦笑した。


「昔は君のような信心深い教徒で一杯になっていたんですけどね」


 左手に天秤を持ち、右手に剣を掲げるテミスを見上げながら神父様は残念そうに言った。


「誰も来なくて、神父様は悲しいですか?」

「本音を言うならば、はい。……しかし信仰が薄れるということは逆にいえば信仰する必要がなくなったということ。平和になり、神に縋らずとも生きていけるようになったと考えれば、それは大変喜ばしいことです」


 微笑みながら言う神父様の姿がオレにはなんだか無理をしているように見えた。受け入れたくないことに明るい事実や論理的な言い訳をくっつけて無理矢理受け入れているような、そんな風に見える。


「神父様」


 この人なら、オレのことをちゃんと見てくれる。


「オレはテミスの剣になりたい」


 確信をもったオレは、テミスが掲げる剣を指差しながら神父様に言った。


「剣、ですか?」

「はい」


 神父様はきょとんとした顔でオレを見ていたが、その視線の中に侮りや色眼鏡は見られない。オレのことを八歳の子どもではなく、一人の人間として見てくれている。子供のオレにとってはそれがたまらなく嬉しかった。

 

「皆が怯えずに暮らせる世の中にしたいです。そのためには皆を脅かす存在を排除しなければならない。皆が脅威に気付く前に、恐怖に怯えるよりも早く、誰にも知られることなく敵を打ち砕く剣が必要です」

「その役割を、君は担いたいと?」

「はい!」


 信念と誇りをもって返事をした。でも神父様は悲しそうな顔をした。


「それは、君が思う何倍も長く苦しい孤独な戦いですよ?」

「覚悟の上です」

「きっと賞賛も名誉も得られません」

「テミスが見てくれます」

「必要とあらば、君は友達や家族にすら刃を向けなければなりません。そして傷付いた君を慰めてくれる者はいない」


 あぁ、この人は、心の底からオレのことを心配しているんだ。オレのことをちゃんと見てくれる。


「誰かがやらなければならないんです。誰かの犠牲がないと平和は存在できない」

「…………」

「ですから、オレが犠牲になります。神父様のような心優しい人が幸せに暮らせるようにしたい」


 しばらく沈黙が訪れる。遠方から正午を告げる鐘が響くのが薄っすらと聞こえてきた。


「……君は強い人ですね」

「まだまだですよ。所詮、まだ八歳の子どもです」

「そうです。君はまだまだ子どもです。しかし同時に高潔なる心の持ち主です」


 そう言って神父様は首に掛けていたロザリオをオレに差し出した。


「私から君への贈り物です。大事にしてくださいね」

「ありがとうございます」


 オレは受け取ったロザリオをそのまま首に掛けた。サイズが少し大きいが、いずれ丁度いい長さになるだろう。


「さて、正午です。君と私だけですが、礼拝を始めましょう」



 医務室で目覚めたときには既に夜のとばりが落ちていた。なんだか懐かしい夢を見た気がする。


「────オレ達の負け、か」


 あちこちから生じる痛みと身体に巻かれた包帯、そしてオレより早くに意識を取り戻していたエルド達の口から敗北を知らされたオレは歯噛みした。


「副団長とアレクさんが気絶した僕らを運んでくれたんだ。手当はリルとアレクさんがやってくれた」


 エルドはそのまま、オレ達が気絶している間に起きたことを簡単に説明してくれた。


 気絶したオレ達はそのまま場外まで吹き飛ばされたらしい。残ったリルカも副団長に押し切られる形で場外。怪我については、リルカは殆ど無傷でエルドも軽い打撲程度で済んだが、オレは副団長から食らった最後の一撃の当たり所がちょっと悪かったらしく、三日の安静期間が設けられた。


「絶対上手く行ったと思ったのになぁ」


 リルカのシールドを盾にしてオレとエルドで相手を削り、崩れたところにすかさず大技を叩き込む。それがオレが立てた作戦だ。オレ達の持つ力を最大限発揮させるにはこれしかないと思った。


「実力不足、だったね」


 エルドの言葉に頷いて同意を示す。実際、作戦は成功していた。手加減があったことは否めないが、それでもあと一歩のところまで迫っていた。


 その結果がこれだ。ミスがあったとか運が悪かったとかではなく、地力の差で負けた。たった一歩が果てしなく遠かっただけ。


 悔しい。足らない己の無力が悔しい。ああすればよかったとかこうすればよかったとか、今更思いつくのが悔しくてたまらない。


 だが、裏を返してみれば、それはオレ達のポテンシャルの高さも証明している。今この胸には悔しさと未来の自分へ対する期待が渦巻いていた。二人も似たような心情を抱いているようで、チラリと横目でみると憑き物が取れたような顔をしていた。


「想像以上に強かったね。副団長さん」

「マジで隙が一切なかった」


 リルカの発言を皮切りにして話題は模擬戦から副団長に変化した。


「最後まで手の平の上で転がされてた。僕らが何やっても、「凄いな!」とか「惜しい!」とか言いながら完璧に対処してくるから思わず叫びたくなったよ」

「そういう霊臓ソウルハートだって言われても普通に納得できるよなアレ。首チョンパされても「今のは危なかった!ハハ!」とか言いながら首くっつけて復活してきそう」

「ボロクソに言うね……」


 だってそうとしか思えないし。


「ソレで言えば、リルカは大活躍だったな。お前のシールドが無かったら勝負にすらなってなかった」

「だね。副団長も驚いてた」

「そ、そんなことないよ!二人の方が活躍してたもん!」

「いやいやいや、お前がMVPだって」

「二対一だ、リル。素直に受け入れなよ」

「うぅ……」


 存外自己評価が低いのか、それともあまり褒められることに慣れていないのか。リルカは顔を手で覆って赤くなってしまった。


「────ありがとな。お前が守ってくれたおかげで軽傷で済んだ」


 改めて感謝の気持ちを伝えると、リルカは呆気に取られたような顔になった。


「私のおかげで…………?」

「他に誰がいるんだよ?」

「……そっか…………えへへ」


 かみしめるように呟いた後、蕾がゆっくり開くようにリルカの顔が綻んでいった。


「二人とも、怪我はもう痛くない?」

「おかげさまで。どこも痛くないよ」


 エルドの言葉にオレも頷いて同意する。


「今から行きたい場所があるんだけど、付いてきてくれる?五分も掛からないとこ!」

 

 何か閃いたように手を叩く彼女の頼みを断る理由はどこにもない。オレもエルドも笑って承諾した。



 瞬いている。星々が。


 美しい空だ。宝石がいくつも散りばめられたような、王冠やティアラなんかに使われる上等なものより断然綺麗なもの。星光の輝くあまり、夜色にエメラルド色が混ざっている。


 リルカに連れられてきたのは本部前の噴水広場だった。三人で座るには少し小さいベンチに肩を寄せ合って座り、そこから見上げる星空は今まで見た度の空よりも美しい。


「綺麗だ……!」


 心奪われたエルドが感嘆の声を洩らした。


「小さいころにお父さんに教えてもらったんだ!この広場から見上げる星空は王国の中で一番綺麗なんだよって!」


 花が咲いたような笑みを浮かべるリルカが自慢気に言う。


「リルカのお父さんも騎士だったのか?」

「うん!随分昔に引退してそのまま遠くに行っちゃったけど、お母さんがいつか帰ってくるって言ってたから寂しくはないよ」


 オレの質問に答えた時のリルカの顔は笑顔が少し薄くなったような気がした。


「私ね、元々はラムレスじゃなくてお父さんに憧れて騎士になったんだ」

「そうなのか?」

「うん。お父さんがいなくなってからラムレスの存在をエルドから教えてもらったの。それで本を読んでみたらビックリ!性格がお父さんと殆ど同じなの!」

「スゲェな。そんな偶然が……」


 ラムレスとそっくりな性格とは凄まじい。こういうエピソードを聞くたびにリルカは騎士になるべくして生まれたような存在だとオレは痛感する。


「ラムレスも私が憧れる騎士だけど…………私が本当に憧れたのはお父さん。だからラムレスみたいに強い騎士よりも、お父さんみたいにたくさんの人を守れるような騎士になりたい」

 

 空を見上げるリルカの瞳は星光に負けないくらい綺麗に輝いていた。


「ねぇ。皆で宣言しない?なりたい自分になる宣言!」

「いいね。乗った」

「オレもだ!」


 突発的な提案は一秒足らずで採用された。


「私は、皆を守れる騎士に!」

「僕は皆を助けられる騎士に!」


 三人に続けてオレも宣言しようとしたそのとき、突然記憶の海底から何か大きなものが浮かび上がってきた。


『必要とあらば、君は友達や家族にすら刃を向けなければなりません』


 脳みそが強い光に包み込まれたような感覚がした。


「オレは────」


 滲みだす不安を気のせいだと断定して、オレは構わず宣言した。


「敵を打ち砕くテミスの剣に!」


 口にしたとき、脳みそを包んでいた光がより一層強くなった。しかし次の瞬間には、光は瞼の裏に残像だけを置いて消えていた。


「私達なら絶対なれるよ!私たち三人が力を合わせればどんなことだって成し遂げられる!」


 「だから二人とも!」と言葉を区切ると、リルカはベンチからひょいと降りて、数歩だけ進んだ後にまた振り返った。


「これからもずっと一緒にいようね!」

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