アフター・C=ジャスティティア

金剛ハヤト

序章 巨人と少女

第1話 灰色の空

  AC3987年の冬。八歳。朝、オレは本を開きながら病室の窓から絶えず降る雪の空を眺めていた。超大陸ジャスティティアの北部に位置するこのテミス王国は北部でも屈指の豪雪地帯。常に雪雲に覆われていて青空が滅多に見ることが出来ない。夏になればときたま雲の隙間から差し込む陽光が見られるが、この八年間病室から観測し続けた空に見たことはない。


「スルト君。検査の時間だ。テミス王立病院を牛耳る最強の医者がやってきたぞ」


 個人病室の扉が開き、白衣を着た若い男が阿呆みたいな自己紹介をしながら入ってくる。


「フラムト。また曇りだ。今日も雪が降ってる」


 このやたら自尊心が強い阿呆はフラムト。オレの担当医だ。この若い男はいわゆる期待の若手という奴で、千年の歴史があるこのテミス王立病院の院長だ。

 

「また空を見ていたのか?この分厚い灰色が晴れることなんてほとんどあり得ないよ」

「0%じゃないんだろ?だから見ているんだ。こんな身体じゃどうせ大人になる前に死ぬ。だからせめて死ぬ前に青空を見たい」


 見慣れた検査器具を受け入れながら言うと、フラムトは検査を行いながらため息を吐いた。このやり取りは数えることすら億劫になるくらい何度も繰り返した。


「大人になる前に死ぬ可能性も0%じゃないだろ?」

「いや、それは0%だ」


 オレは自信を持って断言した。


「ジェーン・ドゥ症候群。時間の流れと共に現実界構成情報エイドスが崩壊を起こし、やがて現実界からその存在が消失する奇病だ。目が覚めるたびに自分の存在が薄くなっていく感覚が強くなっているんだ。オレは大人になんかなれないよ」

「抜かせ小僧め。誰の治療を受けていると思っている?僕の脳みそには人類が四千年以上積み上げてきた医療知識が詰まっているんだぞ?」


 フラムトは眉一つ動かさずにそういった。その顔には誇りとも言うべき自信に満ち満ちている。過去の実績と経験に裏打ちされたプライドという奴だろう。


「嘘だな。お前の脳みそを構成してるのは性欲と自尊心だ」

「違う。100%の性欲と100%の自尊心と一億万%の医療知識だ」

「だからお前はモテないんだよ」

「はっはっは。殺すぞクソガキ」


 金も顔も名誉もあるフラムトだが、最近の悩みは彼女が出来ないことだと知っている。性格のせいだとオレは常々思っているが、それを言ってもフラムトは改善しようとしないので多分そういう星の元に生まれたんだろうとオレは勝手に解釈している。


「というか、お前が手を下さなくてもほっとけばそのうち死ぬぞ」

「黙れ。絶対に生かしてやる」

「お前なんなんだよホントによ。殺したいのか生かしたいのかハッキリしやがれ」

「…………」

「そこで悩むなよ医者だろお前」

 

 まるで運命の選択を迫られた人間のような顔で悩むフラムトにツッコむ。


「よし、生かした後に殺す。これでいいな」

「何も良くないけど面倒臭いからそれでいいよもう」


 検査を終えたらしいフラムトが立ち上がり、オレが寝ているベッドの布団を引っぺがした。寒い。


「さてさて、思い立ったが吉日だ。君に会わせたい子たちがいるんだ」

「いらない。どうせ話が通じる奴なんかいない」

「そうやって自分の世界に閉じこもるのは良く無いぞ」

「閉じこもってるつもりはない。オレの世界を理解できない阿呆が寄ってこないだけだ」


 オレはフラムトの提案を拒絶した。IQがあまりにも離れていると会話が成立しないという俗説があるらしいが、オレの同い年の奴らはまさにそうだろう。大人ですらそうだ。オレが話していてストレスを感じないのは母親とフラムトだけだった。


「それは結局同じことじゃないか。話しかけてくれる子を拒絶してどうする?」

「拒絶していない。話を返したら相手が去っていっただけだ」

「なにを言ったんだ?」

現実界構成情報エイドスについて」


 オレが言うと、フラムトはため息を吐いた。


「あのね君、何事にもTPOってものがある。現実界構成情報エイドスなんて単語は霊力学者の論文か研究の中でしか存在しない単語だ。それをただの子どもが知っていると思うか?」

「オレは知っているぞ」

「君は自分が非凡であることを自覚するべきだ」

「イテッ」


 フラムトがオレの額を指で弾いてきた。


「他者からみた自分を認識できない人間には友達なんかできないぞ?」

「友達なんかいらない」


 阿呆の友達なんかいらない。それは紛れもないオレの本心だ。痛む額を片手で押さえながら言う。


「嘘だな。君は本質的には寂しがり屋だ。他者との交流に飢えている。コミュニケーション能力に欠けているから僕のように根気強く話しかけてくれる相手を待ちぼうけしているだけだ。そうだろ?」

「…………違う」

 

 フラムトは目頭を指で押さえながらまたため息を吐いた。


「まぁいいさ、幸い君はまだ子供だ。今のうちに訓練していけば他者とのコミュニケーションも円滑に取れるようになる。それにね、今日君が出会う子たちはとても良い子だよ」


 フラムトが言った瞬間、オレの身体がふわりと浮き上がった。身体の重心を見えない糸で持ち上げられているみたいに浮き上がり、よく見るとオレの身体は淡く発光している。


 この現象は本で読んだことがある知っている。霊力が消費された際に生じる光だ。検査が終わり、霊力を動力源にして動く霊子機器が停止しているこの状況においてこれが起きるなど、ある一つを除いてあり得ない。


「おいフラムト。霊臓ソウルハートを使うな。人間的運搬方法を要求する」

「いいや、これが最も安全で効率的で配慮に満ちた運び方だ。というか、あれだけ否定してたくせに連れて行かれることには抵抗しないんだね?」

「…………うるせぇ」


 オレの抗議は無視された。されるがままに風船のように通路を連れられ、オレの無様な姿が阿呆共の好奇の目線に晒される。上手いこと身体を動かしてフラムトの後頭部を蹴ってやろうと思ったが、足が届かず空中で一回転するだけに終わった。その瞬間に客観的に見た自分の姿が滑稽に映ったので、オレは考えるのをやめた。


「……名前は?」

「なんだ?」

「今から会うやつらの名前だよ。何も知らん状態で会うのは流石に嫌だ」

「エルド君とリルカちゃん。二人とも君と同い年だ。八歳にしては非常に聡明な子たちだから安心しなさい」


 フラムトが立ち止まり、オレの無重力も消失してゆっくりと地面に降りていく。目の前に立つガラス扉の向こう側には緑と石畳が映える広い中庭があった。人工的な光と雪を止める天井。厳しい冬を超えた後の春にも似た暖かさがあって、まるで温室の中にいるみたいだ。


 中庭の中央あたりに設置されたベンチに二人の子供が座っている。優男といった感じの金髪の男が絵本を広げていて、雪のように白い髪を腰辺りまで伸ばした女が覗き込んでいる。


 フラムトが扉を開けると二人とも顔を上げた。


「二人ともおはよう。今日も”騎士王ラムレスの英雄譚”を読んでいたのかい?」

「先生おはよう。そうだよ、今日はラムレスが倒した巨人王についてリルカと話し合ってたんだ」

「どうすればラムレスと巨人王は友達になれたかって話してたの!」


 駆け寄ってきた二人が笑顔を浮かべて思い思いに語る。ふと金髪の、恐らくはエルドとか言った男がオレの存在に気が付いた。


「先生、この子は?」

「君たちの新しい友達さ。ほら、自分の口で言ってごらん?」

「……スルト・ギーグ」

「スルト。僕はエルド・L・ラバー。よろしくね」

「リルカ・イエスマリア!気軽にリルカって呼んでね!」


 疑うことを知らない無垢な二人にオレは少し面食らった。自分たちの世界にいきなり他人が入り込んでくることに何も感じないのか?


「宝石みたいで綺麗な眼だね!」

「……え?」

「うん。リルカの言う通りだ。黄色と言うより琥珀色かな?いずれにしろこんな綺麗な眼は初めて見たよ」


 困惑するオレをよそに二人はオレの目をまっすぐ見つめながら、眉一つ動かさずに褒め言葉をぶつけてきた。


「髪の毛もまっかっかだ!」

「あ、ありがとう……?」


 生まれて初めての体験だった。確かに珍しいと言われることは今までもあったが、ここまで正直な褒め言葉をぶつけられたことは一度もなかった。


「フ、フラムト。どうすればいいんだ……?」


 こういうとき、どうすればいいのか分からなかったオレは困り果ててフラムトに助けを求めた。


「それじゃ僕はスタイリッシュに立ち去るとしよう。ここから先は君たちの世界だ」

「なッ!?ま、待てフラムト!オレを置いていくな!」


 フラムトはにやにやしながら去っていった。あの野郎オレの困り顔見て愉悦に浸りやがって。いつかぶん殴ってやる。


「スルト!一緒に絵本を読もう!騎士王ラムレスって知ってる?」


 リルカが思いついたように手を叩いて問いかけてきた。最早逃げ道はどこにもない。


「……知ってる」

「本当!?じゃああっちで座りながら読もう!」


 手を掴まれたオレは、川に流される木の枝のように二人の世界へ引きずり込まれた。



「二人は騎士に憧れているのか?」


 絵本を一緒に読んでいた時、テミス王立騎士団に入団した騎士の半分は騎士王ラムレスに憧れた人間だとフラムトから教わったことを思い出したのでオレは二人に尋ねてみた。


「そうだよー!毎日剣術の稽古を頑張ってるの!」

「ちょっと張り切りすぎて仲良く揃って怪我しちゃったけどね……」


 満面の笑みで語るリルカと苦笑いをしながら語るエルド。二人とも善性に振り切れたお人好しであることは既に理解していたが、細かいところを見てみると結構差異があって面白かった。


「なんとなく想像出来るな。二人とも命令無視して人助けとかして、感謝と説教を同時に喰らってそうだ」

「それで人が助けられるならお安い御用だもんねー」

「後のコトは後の自分に任せればいいだけしね」


 二人は口を揃えて言い切った。根はやはり同じようで、騎士になるべくして生まれたような人間性を持っていることは否が応でも理解出来た。


 オレとは真逆、他者を助けることは常識だと考えているタイプ。しかしどういう訳か、この二人と話す時間が苦痛ではなくむしろ楽しいとさえ感じている。


「スルトも騎士に憧れているのかい?」


 考えていると今度はエルドから質問が飛んできた。


「オレは騎士になるつもりはない。霊力学の研究に専念するつもりだ」

「研究!スルトは頭が良いんだね!」


 リルカは光を内部で反射させて増幅させる宝石のように目を輝かせて屈託のない言葉をぶつけてくる。これだけで彼女がどれだけ色んな人から愛されているのかが一発で理解できた。


「フラムト先生に教えてもらってるの?」

「……まぁそんな感じだ」


 エルドからの質問には真実を伏せて答えることにした。今までの経験則から初対面の相手に病気のことを告げるのは良くないことだというのは理解出来ている。


 まさかここに来て阿呆どもとの交流が役に立つとは思わなんだ。これもフラムトが他者との交流を薦めてきた理由なのだろうか?だとしたら末恐ろしいものだ。


「私、勉強苦手だから尊敬するなぁ」

「君はやる気がないだけだろ……」

「やる気が起きないから苦手なの。身体を動かすのは好きなんだけど……」

「オレで良かったら教えてやろうか?」


 オレが言うと、リルカは目を丸くしてこちらを見た。


「いいの?」

「入院暮らしで外に出れないから病室に来てもらうことになるけど、それでもいいなら」

「……僕もいいかな?」

「うん。一人も二人も変わらない」

 

 ――最初はそれだけの関係になるはずだった。


「おはようスルト!早速来たよ!」


 翌日、二人は昼前にやってきた。


「おはよう二人とも。今日は何を教えて欲しいんだ?」

「この本に書かれてることを要約してほしいんだ」


 そう言ってエルドが見せてきたのは少し表紙が掠れている少し分厚い本だった。表紙には『氷都流剣術其ノ一』と書かれており、それ以外には特にイラストや文字は見粗らなかった。


「これは……王立騎士団の剣術指南書か?」

「うん。僕のお父さんが本屋を営んでてね。少し前に在庫整理を手伝っていたときに倉庫で見つけたんだ。痛んでるから売れないってことでもらったんだけど、難解で読めなかったんだ」

「なるほど……要約してほしいってことか」


 パラパラと本を開いて簡単に読み流していくと、なるほど、これは確かに子供には難しい内容だ。しかし内容は素晴らしい。この本には剣技に限らず筋肉の使い方や歩法、果てには剣を失った際に有効な戦闘方法までイラスト付きで詳細に記されており、この指南書の著者が非常に優れた剣士であることが伺える。


「凄いなコレ。これ一冊だけで基礎が完成させられるほどレベルが高い」

「だよねだよね!言葉はよくわからなかったけどイラストの感じからして凄い本だってことは私でも分かるもん!」

「スルト。お願いできるかな……?」

「任せろ。サルでも分かる本にしてやる」


 最初は指南書の要約だったり稽古についての相談だったりが多かった。しかし次第に二人は用もないのに病室までやってくるようになり、語るまでもない雑談に花を咲かせる日が増え始めた。そしてついには病院の外で遊ぶようにもなったのだ。

 

 ――――後から振り返れば、この時の経験が無ければオレは一生根暗で短い生涯を送っていたことだろう。オレの世界に色彩があるのは、三人で過ごした日々のお陰に他ならないのだ。



「おはようスルト~」


 AC3989年の冬。リルカは今日も病室まで遊びに来た。


「体調はどう?」

「何とも言えないな。すこぶる健康なのに身体の感覚が希薄だ」


 リルカの問いに曖昧な答えを返す。ジェーン・ドゥ症候群はオレ達の予想より早く進行しているようで、二人と長く遊べるように鍛えたこの身体のあちこちに青白い亀裂が走っている。現実界構成情報の崩壊の影響が肉体にも露出し始めたのだ。目覚めるたびに薄くなる肌感覚も、時々自分の魂の輪郭が曖昧に感じるのも、症状が進行していることを世界の裏側から知覚しているのだ。


「そっか……」


 リルカが物憂げな表情でそういった。透き通る水色の瞳には影が含まれていて、いつものエネルギッシュな姿とは程遠い。


 そんな顔をされると、こっちが悲しくなるからやめてほしい。リルカにはいつも笑っていて欲しい。


「安心しろよ。明日の手術が成功すれば、オレはジェーン・ドゥ症候群から解放される」


 しかし、リルカの顔は曇ったままだった。


「そ、そういえばエルドはどうしたんだ?いつもここに来るときは二人で来てたろ?」


 話題を逸らしてみると、リルカは作ったような笑みを浮かべて顔を上げた。


「今日は私だけだよ。エルドは今忙しくしてるから来れないんだ」

「そうなのか……」


 ちょっぴり残念だ。手術前に会って話がしたかったのに。しかし、エルドにも事情がある。ただでさえオレと一緒に遊んでくれているのだから、ワガママばかり言ってられない。


「じゃあエルドに伝言しといれくれないか?ドタバタが落ち着いたらまた一緒に雪合戦しようぜって」

「────ごめんねスルト。それは出来ないの」

 

 予想だにしなかった返答にオレは思わず面食らった。

 

「え?」

「私はもうここにはいられないから」


 一体リルカは何を言っているんだ?ここにはいられないって……?


「私ね、スルトと友達になってから楽しかった毎日がもっと楽しくなったの。今まで二人じゃ出来なかったことがいーっぱい出来るようになったから!雪合戦もかくれんぼもスルトが居たからすごく楽しかったんだ!」


 ────違和感。


「リルカ……?」


 何かがおかしい。何かが決定的に食い違っているような気がする。


「覚えてる?氷都誕祭の夜のこと。数年ぶりの快晴で満天の星空が綺麗だったあの日の夜だよ」


 胸騒ぎがする。頭が痛い。こめかみを抑えながらリルカを見ると、心なしか身体が透けているように見えた。


「あのとき、三人で星を見ながら約束したでしょ?私たち三人は生まれ変わってもずっと一緒だよって!」


 それは見間違えではなく、確かな事実だった。リルカは今にも消えそうなくらいに姿が薄くなっている。


「あ……」


 その姿が希薄になるにつれ、受け入れ難い真実の足音が近づいてくるのが聞こえた。


「そんな、嘘だ……いやだ待ってくれ……!」

「だからスルト!この先何が起きても、絶対に負けちゃダメだからね!」

「待って────」


 リルカの姿が消えたその刹那、淡い夢が明けてしまった。


 ♢


 目を覚ますと、そこは病室ではなく古風な宿の一室だった。


 ここは大陸の最南端に位置する街アトラ。この部屋のどこを見渡しても、白い少女はいない。窓の外には高く昇った太陽と青空があり、麗らかな風が吹いている。


「……」

 

 なあリルカ。お前が死んでから二年が過ぎたよ。あれからオレの生活はずっと淀んだままだ。エルドとも喧嘩別れしちまった。

 

 何時になったら、お前は生まれ変わってくれるんだ?


「クソが」


 青空も太陽も、今のオレには灰色にしか見えなかった。

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