第1話 テミスの使徒
運命の日からおよそ七年の歳月が過ぎ去った。オレは預言の通り、テミスの剣となるべく、王国を守護するフェンリル騎士団に入団することを目標にして日々鍛錬を続けていた。
そうして迎えた今日はオレの十四歳の誕生日だ。これでオレは入団試験に設けられた年齢ボーダーをクリアした。入団試験は三年に一回行われるが、今年は丁度試験のある年なので幸先が良いと言える。
試験は毎回四月にある。オレの誕生日は三月二日なので、四月の試験まではあと一ヶ月ほど時間がある。その一ヶ月がじれったく、試験がとても待ち遠しく感じた。
差し迫るその刻への期待と興奮を胸いっぱいに抱いてベッドに入り、湧き上がる眠気に意識を預けることでバースデーナイトを終わらせた。
『お待ちしておりました』
そしてオレは奇妙な夢を見た。
『我ら一族は、陛下に絶対の忠誠を誓います』
知らない荒野のど真ん中で、山のように大きな巨人の群れが片膝をついてオレを敬っている。巨人たちは総じて黒い影のようなモヤに覆われており、輪郭以外の特徴が分からない。
────陛下じゃない。オレはスルトだ。
オレは混乱する頭をなんとか制御し、巨人たちに言った。
巨人のリーダーらしき存在が頷く。
『四千年前より存じております。尊き陛下の御名、忘れるはずがございません』
意味が分からなかった。ただ、考えようとすると、誰かに邪魔されたように思考がぼやける。
『お急ぎください。■■■■■の
意識が途切れる寸前、思考にノイズが走る。
────目を覚ました時、オレは、何の夢を見たのかすっかり忘れ去っていた。
♢
フェンリル王立騎士団。それは、超大陸ジャスティティアの北部に位置するテミス王国を守護する騎士団だ。公平の天秤をシンボルに掲げ、王国の敵をうち滅ぼすその姿は、正義の女神を信仰するテミス王国においては誰もが憧れる花形だ。
AC3994年の4月某日。今日は三年に一度行われる入団試験当日だ。特設会場のあるテミス王国郊外には多くの入団希望者が集まっていた。
「次! 65番!」
教官を務める騎士の声が会場全体に響く。番号を呼ばれて人の群れから姿を現したのは背の高い赤髪の少年だった。
「随分と若いが、幾つだ?」
「1ヶ月前に14歳になりました」
「ほぉ……その年でよくここまで鍛えたものだ。名は何という?」
「スルト・ギーグです」
少年──スルトの長い鍛錬が垣間見える筋骨隆々な身体を観察した教官は感心したように声を洩らす。
「では、スルト・ギーグ。お前はなぜ騎士を目指す?」
教官はスルトの琥珀色の瞳に問いかけた。
「オレがテミスの使徒であり、テミスの剣として王国の敵を打ち砕く使命を持って生まれたからです」
大人びた少年の内側に潜む強い信念を感じ取った教官は微かに目を見開き、口角を上げた。
「それが何を意味しているのか理解しているんだろうな?」
「それを証明するためにここへ来たんです」
「……いいだろう」
教官がニヤッと笑いながら指を鳴らすと、腹の底が揺れるような地響きと共に巨大な岩が地面を突き破って現れた。
「この岩を一撃で砕け。それがお前に課す試験だ」
少年は一度だけ深く息を吐くと、チラリと背後を見た。遠方、王国の中心に立つ女神の神像は包帯に覆われた双眸をスルトに向けている。眼差しを受けたスルトは息を吐き、巨岩に向き直ると目を閉じた。
「レルヴァ・テイン」
スルトが呟いたとき、琥珀色の炎が全身から噴き出した。まるで火山の噴火にも似たその現象によって会場周辺に積もっていた雪が融けて地面が濡れる。その間にも溢れ続ける炎はスルトの右手に集まっていた。
「神罰ッッ!!」
大きく振りかぶった炎の拳は爆発にも似た威力を放ち、巨岩を容易く砕いた。ドロドロに溶けた破片があちこちに散乱する。
「────えーっと、オレ、実は剣の才能からっきしなんですよね」
炎が止まった後、スルトは困ったように笑いながら頭を掻いた。
「…………いいや、合格だ」
冷や汗と共に零れた笑みは教官の心情を暗に示していた。
「入団式は一週間後だ。本部で制服を受け取ったら今日はもう帰ってもいいぞ」
「ありがとうございます」
「あぁ。お前の信念、しかと見届けたぞ」
スルトは深く頭を下げた後、特設会場から立ち去った。濡れていたはずの地面は既に乾き切っていた。
♢
自分は特別な人間で将来何かを成し遂げるんだって、誰もが一度は考えたことがあるはずだ。
オレの場合は現在進行形だ。自分はテミスの使徒で、正義の剣として悪を滅する存在であると信じている。
そんな自分は善人であるのかと聞かれれば、オレはノーと答える。
悪は滅びるべきだと思っているが、別に聖人君主のような人間になりたいわけじゃない。むしろ自分はそれとは真逆の性格だと思う。
人を助けたときはそれに見合った感謝が欲しい。何かを成し遂げたなら褒められたい。細々としたルールを守るのは苦手で、気に入らない奴がいたら不幸になればいいと思ったりもする。
なんてことはない。オレは普通の人間なのだ。医者の親父のように人を助ける技術はないし、教会の神父様みたいに他者に無償の愛を向けられるタイプでもない。オレと同じような人間は探さずとも大勢いるはずだ。
そんな普通なオレには、人を簡単に殺せる恐ろしい力が宿っている。霊臓という名の異能力。オレのはレルヴァ・テインといい、質量を持つ炎を広範囲に振り撒く能力だ。
霊臓とは魂の力。その霊臓の能力が破壊に特化しているせいで、オレは、まるで自分が世界を破壊するためだけに生まれた存在ではないかと思ってしまいそうになる。
何一つ望んだことなんかない。世界を壊したいとか、武力が欲しいとか、オレは何一つ望んでない。なのにこんな力を持っている。
その理由を教えてくれたのはテミスだった。
テミスは言った。オレはテミスの使徒であると。オレの炎は悪を滅する正義の剣であると。
オレは悟った。世界に蔓延る悪を滅するためにオレは生まれてきたのだと。
他でもない正義の女神から使徒に選ばれ、そして力を与えられた。
ならばオレは殉じよう。己の役割を全うしようじゃないか。世にあまねく悪魔を火にくべてやろう。
以上の経緯を親父に話すと、猛烈な反対を喰らった。真剣に悩んで出した答えを否定されて、一度は家出したこともあったが、結局親父の方が先に折れた。
そして現在。
オレは、正義の使命を果たす旅路をフェンリル騎士団に見出した。
「────うん。これは完全に迷った!」
じゃあどの道を進んだらそのフェンリル騎士団の本部にたどり着けるんだ?
「この場所通ったの何回目だ? どこもかしこも入り組んでて訳がわかんねェ……」
テミス王国は大きい上にあちこち迷路みたいに入り組んでいて、高低差も激しい。一応はテミス王国もジャスティティアの中で五本の指に入る先進国だが、年中不定期に襲ってくる吹雪のせいでインフラ整備は他の先進国よりも後れを取っている。
閑話休題、もうじき日が暮れる。もしこのまま夜になったら凍死する可能性だってあり得るのだ。一刻も早くこの状況を脱する必要があるが、如何せん方向音痴なせいでどこを進めばいいのか分からない。
「う~ん……」
「────あれ? おーい!」
頭を抱えていたとき、鈴を転がしたような可愛らしい声が聞こえてきた。声の咆哮へ顔を向けると、雪のように白い髪を腰まで伸ばした少女と長い金髪を後ろで束ねたポニーテールの少年がこちらに近づいて来るのが見えた。
「えっと、誰?」
「ほらやっぱりそうだ! ねぇ君! さっきの入団試験で大岩砕いてた人だよね!」
「そうだけど……」
「リル、落ち着け。まずは名乗らないと」
髪を揺らしながら興奮したように捲し立てる少女に金髪の少年が釘を刺した。
「あ、忘れてた。いきなり呼び止めてごめんね。私はリルカ! こっちは幼馴染のエルドだよ! よろしくね!」
「よく分からねェけど、オレはスルト・ギーグだ。よろしくな」
「よろしく!」
「よろしく頼むよ」
リルカと名乗った少女が顔を綻ばせながら挨拶を返した。エルドという少年もリルカに続いて挨拶を返した。
「ところで、二人はオレに何か用が?」
「用があったわけじゃないんだけど、制服を受け取りに騎士団の本部まで行く途中で見覚えのある背中が見えたから声を掛けたの!」
ニコニコと笑いながらリルカが言う。
「制服を受け取りに……ってことは二人とも合格したのか! おめでとう!」
「えへへ。ありがとね」
「ありがとう」
二人は嬉しそうに笑った。
「今から二人とも制服を受け取りに行くのか?」
「そうだよ。スルトはもう受け取ったのかい?」
「実は道に迷っちまってまだ本部に行けてないんだ……。二人さえ良かったらオレも付いて行っていいか?」
「もちろん! 一緒にお話しながら行こ!」
「ここら辺は迷いやすいよね」
不安が滲みかけていたオレの心に二人の気遣いがスンと染みる。オレは、心底この出会いに感謝した。
♢
王国北西部のコルド通りを抜けた先にあるフェンリル騎士街。そこにフェンリル騎士団の本部はあった。フェンリル騎士街は騎士団が所有する街で、規模はそこまで大きくないが、売店やウェポンショップに幾つかの訓練場と様々な施設が揃っている。
勿論だが一般人は祭りの時以外立ち入り禁止。しかし騎士街の正門で見張りをしていた眼帯の騎士は、教官から連絡を受けていたのかオレ達三人の顔を見ると名前と受験者番号の確認だけしてすぐに通行を許可し、それどころか本部までの案内までしてくれた。
「凄い筋肉だねスルト。いつもどんな稽古をしているんだい?」
案内された更衣室にて受け取った制服のサイズを確認するために着替えている途中、オレの身体を見たエルドが感心したように尋ねてきた。
「親父に雪山で置き去りにされたり、谷底に突き落とされたり、クマと戦わされたりしているうちにこうなった」
「へ?」
エルドの顔が石化したように硬直した。
「本人は英才教育の一点張りだよ。マジで一回ぶん殴りたい」
親父は、オレが騎士になりたいと言い出した翌日から急に虐待まがいの稽古を施すようになった。まるで諦めろとでも言わんばかりにキッツイトレーニングを強要してくることもあった。でも根性で乗り越え続けていくうちに身体がやたらと頑丈になり、身体能力もおかしな成長を遂げていった。
そうなると稽古にも段々苦痛を感じなくなって、親父も何かを諦めたのか稽古を強要することもなくなった。それが大体二年前で、その頃から親父とはあまりしゃべらなくなった。
「よ、よく死ななかったね君……」
「鍛えてますから」
エルドも平均よりは一回り大きいが、オレはさらに一回り大きい。今の時点で身長だけなら大人と遜色ない。
「羨ましいな。僕はいくら鍛えても筋肉が付きにくいから憧れるよ」
「今度オレの家来るか? 親父に頼めば一瞬で」
「それは遠慮しとくよ」
食い気味な断わりをもらった。
着替えを済ませて更衣室を出たオレ達は、外で待っていた眼帯の騎士に声を掛けた。
「お、中々似合ってるじゃねェか坊主ども。あっちで嬢ちゃんが待ってるぜ」
「ありがとうございます。これからよろしくお願いしますね」
「おう! 扱き使ってやるからな!」
エルドが丁寧に挨拶をしているのに便乗してオレも頭を下げると、眼帯の騎士は勇ましい声で笑った。
眼帯の騎士が示した方へ歩いていくと、既に着替え終わっていたリルカが写真機を持つ女騎士と話している姿が見えた。青と白を基調としたデザインとフェンリル騎士団を象徴する天秤の紋章が目を引くマントが特徴的な騎士服は、身に着ける者の美しさを性別にかかわらず引き上げる効果があるようだ。
「あ! やっと来た! 二人とも遅いよぉ~」
「ごめんごめん。色々話してたら遅れちまった」
「次から気を付けるよ」
リルカに謝ると、微笑みながらオレ達を見ていた女騎士がオレ達に声を掛けた。
「これで三人揃いましたね。私はフェンリル騎士団後方支援科のエミーリアです。新しい騎士の仲間を歓迎するために記念写真を撮りに来ました! 三人とも、並んでください!」
一番背が低いリルカを真ん中にして、その右にオレが、左側をエルドが挟む形で並んだ。
「行きますよー! 3・2・1……」
────写真機から出てきた写真を見せてもらうと、リルカが満面の笑みを浮かべながらオレ達の頭の後ろに手を伸ばして角を立てていた。角を生やされたオレ達は揃いも揃ってがちがちに緊張していて、顔が強張っている。
「アハハ!! 二人とも緊張しすぎ! リラックスだよリラックス!」
「悪戯出来るくらいリラックスしてるお前がオカシイと思う」
「スルトに同じ……リルは相変わらず心臓が強いな」
「女は度胸だもんね~」
リルカが誇らしげに胸を張りながらそう言った。
「これはこれでいい写真が撮れました! 後で複製して三人分渡しますね」
「わぁ! ありがとうございます!」
「本当なら寮の案内もしたかったんですけど、今日はもう遅いので入団式の後にしましょうか。気を付けて帰ってきてくださいね」
「「「ありがとうございました!」」」
エミーリアさんにお礼を言ってから、オレ達は騎士街を出た。
「二人とも家はどこなんだ? オレは北のプラタナス区だ」
「僕らは南東のオリオン区だから、逆方向だね」
「それじゃ、ここで解散だな」
「また一週間後! 今度は迷っちゃダメだからね!」
「分かってるって……。それじゃ、またな二人とも!」
この先の未来に期待を膨らませながら、オレは一人帰路についた。
「ここは一体どこなんだよォォ────!!」
結局また道に迷ったので、家に着いた頃には既に朝だった。
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