第3話 惚れっぽい効果

 この国は、独立国で、しかも、単一民族ではない、完全な他民族国家だった。

 それだけに、本来なら問題が起こってもよさそうだが、基本的には、ナチスや、日本軍によって、ほとんど強制的にやらされた、本来であれば、

「平和のために、何かを開発する」

 という形の方法を取っていたのだ。

 だから、

「これからやっと、平和のために開発ができる」

 と思っていると、何やら、某国から、

「731部隊の情報をくれ」

 ということになった。

「本来なら、戦犯で処刑されるところだったのを、わが国が社会主義国に対抗するための科学力を持つために、必要な人材だ」

 ということである。

 ナチスの場合は、ベルリンに攻めこんだのは、ソ連だったので、ソ連がナチスの科学者の多くをさらっていったというのもあるということで、

「ナチスの科学者はあまりあてにならない」

 ということになった。

 さらに、某国としては。

「ナチスに、核爆弾を開発する力はなかった」

 という情報が分かっていただけに、まだ、実際に核を使ったのが某国だけということで、某国は、ナチスの科学者を必要としていなかっただろう。

 むしろ、ナチスは、

「ホロコーストのために、毒ガス研究などをしていた」

 ということで、民族撲滅の観点が強かったので、

「実際の殺傷能力さえあれば、それでいい」

 というものではなかったということであろう。

 もっと言えば、

「日本国の731部隊に関しては、完全に化学兵器の開発をしていて、明らかな大量殺戮兵器で、しかも、貧しかったということで、

「安価な化学兵器」

 に関しては。その研究に特化しているということで、その情報がほしかったに違いない。

 基本的に、満州における、ハルビン郊外にあったと言われる、

「731部隊」

 であるが、そこでは捕虜や、犯罪者を中心に、

「人体実験を繰り返していた」

 という。

「完全に、どれだけの少ない量で、たくさんの人を殺傷できるか?」

 という数学的な発想なのである。

 そういう意味では、某国のほしがっている情報と一致するのだ。

 国家予算というのも問題があり、さらには、もし、ソ連が核爆弾を開発すると、

「核の抑止力」

 という形にならなければ、全面核戦争になるということで、

「もし、何か予期せぬことが起こってしまい、核の発射ボタンを押してしまったら?」

 と思うと、もうその時点で、自国だけではなく、地球上が、廃墟になってしまうということである。

 それこそ悪夢であり、

「いかに悪夢から逃れるか?」

 と考えると、

「核兵器以外の、有効な兵器はないか?」

 と考えると、今でも、

「貧乏人の核兵器と言われるような、生物兵器が君臨することになる」

 と思うと、その最先端の技術、さらには人体実験で得たデータがほしいと思うのは当たり前である。

 考えてみれば、ハルビンの731部隊の駐屯地で、

「まったく証拠が残っていない」

 というのもおかしな話で、

 世界には

「残っていない」

 と言わせておいて、実際には、

「某国の諜報部隊」

 が、密かに、日本と結び、

「皆の命を救ってやるから、我が国に、研究結果のすべてをよこせ」

 という密約が結ばれていたのかも知れない。

 そうでもなければ、

「ソ連が侵攻してくる」

 という状態で、

「資料をすべて灰にして、証拠をすべて残さなかった」

 ということにはならないだろう。

 某国に資料だけでも持ち込まれたものがいっぱいあり、研究員も、密かに満州から、某国領に移されたのかも知れないということも考えられなくもないということなのだろう。

「我が国としては、君たちの命を救ってあげるかわりに、某国が望む世界平和。つまりは、社会主義国家撲滅を目指し、頑張っていこうと思っているので、君たちにも協力を願いたい」

 ということであった。

 ただ、その時、

「断ることは許されない」

 という、完全に命令口調だったのだ。

 それを思うと、

「一歩間違って、某国が日本の立場だったら、同じことをするだろうか?」

 と思うのだが、日本人には、

「それは考えられない」

 と思うのだった。

 というのは、

 某国にとって、日本という国は、最初から見下して見ている。いくら立場が逆でも、

「そのプライドは守り続けるのではないか?」

 と思うのだった。

 それが、某国のプライドと自由な発想なのだろうが、背に腹を変えられないところもあるのだった。

 某国に関しては、今までにもいろいろな謂れがあった。

「世界の警察」

 という自認しているわりには、他国に勝手に介入し、諸事情から、撤収し、結局、残された国が、敗北するというのを繰り返している。

 特に、

「大戦後から、冷戦時代」

 ということで、まずは、中国という国に介入し、当時終戦後勃発した、

「中国共産党と国民党」

 との闘いで、国民党を支援していたのだが、

「蒋介石が某国のいうことを聴かなかったということをきっかけにして、支援を打ち切ったことで、共産党が勝利し、結果、社会主義国である中華人民共和国が成立することになり、蒋介石は台湾に逃げた」

 ということで、今に至る、いわゆる、

「台湾問題」

 というものが残り、今の日本を巻き込む、台湾有事というものになったのだ。

 また、某国は、

「東南アジアの共産化」

 を防ぐという理由で、

「インドシナ問題」

 に介入し、それがそのまま、ベトナム戦争になった。

 しかし、ベトナム戦争では、最初、ピンポイント爆撃をしていたが、それでは、

「被害のわりに、効果が得られない」

 ということで、国内からも、作戦の悪さが指摘されたので、今度は無差別爆撃を行うと、戦争の悲惨さがカメラマンによって、某国国内で宣伝され、今度は、

「反戦運動」

 に繋がった。

 某国では、撤兵を決めて、それが、今度は、取り残された南ベトナムでは、

「首都サイゴン陥落」

 という悲劇を生み、そして、ベトナムの社会主義化が決定したのであった。

 そんなベトナム戦争で、某国と、その某国に付き従った国が結構いろいろなひどいことを行った。そのことも、この新しく建国した国で開発された化学兵器が活躍したというウワサもあったが、ウソではないにしろ、どこまで本当なのか分かったものではなかったのだ。

 すでに、

「731部隊」

 の残党による、

「化学兵器開発隊」

 というものが、その威力を発揮していたといっても、過言ではないだろう。

 彼らの開発していた薬の中で、少し気になるものに、

「惚れっぽい薬」

 というのがあった。

 元々は、別の薬品を作るつもりが、その副作用で生まれたものだったのだが、最初は、

「ただの副産物」

 という程度にしか思っていかなかったのだが、

「この薬を密かにほしい」

 という国が現れた。

 元々、この国でいろいろなものを開発しているというウワサは、各国で言われていたのだった。

 それが、公然の秘密のようになり、それぞれの、国の関係省庁に、

「営業」

 という形で、紹介されていた。

 日本という国でも、ここの営業を受けていて、

「公然の秘密」

 ということを理由に、厚生労働省が、それらの薬の購入を予算に組み込んだりしていた。

 もちろん、平和主義が憲法に明記されている国であるので、殺傷能力のある、危険な薬物の輸入など、ありえるはずもなかった、

 さらに、輸入の際、二つの方法が取られた。

 一つは、

「薬品をそのまま購入する」

 という形であるが、これは、一番オーソドックスであるが、それは、即行の効力を必要とする場合である。

「伝染病の蔓延によるワクチン」

 であったり、

「特効薬のようなもの」

 であったり、

 というものであった。

 それらのものは、基本的に、

「全国民に必要な数の確保」

 を必要とし、国家による製品の輸入だけではなく、

「それらの薬品のライセンス取得」

 というものができれば、日本国内でも、それを生産することができるような仕掛けをとることであろう。

 今のところ、

「そこまでするということはない」

 ということであったのだが、

「いずれ、必要になる」

 ということから、政府の方では、厚生労働省とは、一線を画した部署が、別省庁として作られることになったのだ。

 そこは、予算獲得などの問題であったり、

「政府の都合」

 というものがあるのだろう。

 さらに、もう一つは、ワクチンなどの輸入がどうしても早急に必要な場合もあるだろうが、それだけではなく、

「いずれは、国内でライセンス生産」

 ということになり、民間だけでは賄えないものなど、国家間の契約によってのライセンス生産を取り仕切る省庁ということでの新しい省庁であった。

 だから、この省庁では、医薬品はもちろん、兵器であったり、その他、諸外国の省庁が基本となって作っているもので、

「ライセンス契約」

 としては、

「民間企業単位ではなく、国家単位に行わなければいけないもの全般を取り仕切り、実際の開発は民間に任せるのかも知れないが、表面上は、国家単位でのプロジェクトというものができあがる」

 というのが、この新しい省庁の目的だったのだ。

 日本が、ライセンス契約を結んでいる国は、基本的には、某国だけだったので、部署を分けるというところまでは行っていなかった。

 ただ、防衛庁であったり、厚生労働省であったりと、それぞれに部署は一つではなかったのだが、まだ、

「省庁を分ける」

 というところまでは行っていなかったということなのであろう。

 だが、各省庁とも、本当は嫌だったようだ。

 というのも、

「予算を組んでも、相手が外国からのライセンスなので、ある程度、政府内でオープンな形で、某国などとの交渉となるので、予算のサバを読むということができない」

 というものであった。

 だから、言い方を変えると、

「着服できるというメリットが薄い」

 ということなので、それならば、何も、このような仰々しい形で部署を増やすのは、ありがたくないというわけであった。

 それならばということで、新しい省庁を儲けるしかなかった。

 それに、ライセンス関係に特化した省庁の設立は、某国などのライセンス輸出国家からも、歓迎された。

 その理由ははっきりと分かってはいないが、それが必要なのだということなのだった。

 特に問題は、医薬品というよりも、

「兵器関係」

 の問題だった。

 日本という国に、憲法9条というものがあり、それが引っかかっているというのは、ここずっとのことである。

 最近は、

「台湾有事問題」

 であったり、

「北朝鮮ミサイル実験問題」

 さらには、

「中国と韓国による、我が国の領海侵犯問題」

 などが頻繁にあるからであった。

 確かにそれらの国は、日本にたいして、挑発的な行為を繰り返している。

 韓国だって、不気味な国だ。

「ベトナム戦争を思い出せ」

 という話もあるくらいで、

「犠牲のもとに成り立っている、経済成長だった」

 と言っても過言ではないかも知れない。

 そんな時代において、兵器の輸入もさることながら、

「ライセンス契約」

 というのも、結構行われているようだ。

 そういう意味で、以前から、日本という国に対して某国から、

「新しい省庁が必要なのでは?」

 と言われてきたが、しばらくは様子を見ていた。

 というのも、

「これ以上指示されるのは、独立国家としての威厳に関わる」

 と言って、拒否をしてきたが、さすがに今のような社会情勢では、そんなに簡単に済ませることのできるものではないということであった。

「さて、そんな独立国家において、ライセンス契約というのも、本当は、あまりいいものではない」

 といえるだろう。

 本来なら、

「我が国独自の開発」

 というものがいいのだろうが、

「兵器に関しては、ライセンス契約と、国産兵器開発など、それぞれが行われている」

 というのが事実であろう。

 特に戦闘機などは、その感覚が多いのだが、実際にはそれだけではなく、兵器以外のものも、徐々に、ライセンスと、国産にての開発ということでバランスよく保たれているものもある。

 それが、最近問題になっている、医薬品などがそうであろう。

 日本が、そんな、

「省庁を分ける」

 という感覚になったのは、某国が、他の国からの学者や研究員を、

「戦利品」

 として保護し、自国に取り込みはしたが、某国国内では、到底受け入れられない人が多かっただろう。

 それは元々、敵国の研究員であり、国民にとっては、

「仇敵」

 と言ってもいいだろう。

 それらの国家の事情を考えると、やはり、

「別省庁化」

 したり、

「新国家建設」

 をしてまで、国家の体制を整える必要があるのだろう。

 それはあくまでも、

「新秩序の確立」

 という事情もあったに違いない。

 それを思うと、

「国家によって、それぞれに面倒臭いこともあるに違いない」

 ということであった。

 だが、新省庁を作るといっても、そんなに簡単なわけではなかった。

 国会や政府の話し合いであったり、有識者を集めたり、何といっても、スローガンなどのような、大義名分をいかにつくるかというのが問題だ。

 国民の中には、

「某国の傀儡国家との密約を結んでいる」

 ということで、日本国では、政府、国民ともに、簡単に受け入れられるものではなかった。

「政府の勝手な都合」

 ともいわれていて、

「国民がいかに言おうとも、この計画は実現しないといけない」

 とソーリも思っていた。

 ただ、日本国は、例の、

「世界的なパンデミック」

 というものが起こった時からのことであるが、

「有事のため、スピードが大切だ」

 ということから、政府は、

「決めなければいけないことは、決めようともせず、じっくりと話し合いをしなければいけないことを、あたかの総理大臣権限ということで、一人で突っ走っているということおありえるのだった」

 と言えるだろう。

 そんなことを考えてみると、

「今の政府は、有事など憲法では存在しないのに、やたら国民を煽り、自分たちの政策を正当化させ、あとは、どさくさに紛れて、強引に成立させる」

 というような、強引な方法を用いることで、そのやり方に、正当性を持たせるということになるのだろう。

 そんな、

「悪しき伝統」

 というものが、今まさに作られていると思うと、

「歴史の証明」

 を見ているようで、恐ろしく感じられたりするのであった。

  日本において、そんな、強引なやり方がまかり通っている間、逆に言えば、

「新省庁を作成するには、絶秒のタイミングということになるのではないだろうか?」

 と考える。

 今のところ、

「国民の声はまったく無視」

 という政策が取られ、最悪な状態なのだろうが、

「ここ数年の、世界的なパンデミックのおかげで、秘密裡になのかを行うことが悪いことではない」

 ということになるのだ。

 そんな中で、某国における新国で、新しい薬は開発されようとした。

「死の商人」

 が眼をつけているのは、間違いないことだろうが、

「新国でも開発者」

 としては、

「なるべく、日本などのような、平和利用しかしていない国で、使ってもらえるのが一番いい」

 ということだった。

 国家としての面目と、購入した国がいかにそれを使うかということを、いくら購入者と言っても、言及することはできないのだった。

 そういうことを考えていると、

「やはり、日本も別部署を設立し、国民には、開かれた部署というイメージを植え付けるということをしないといけない」

 と考えられていたのである。

 そういう意味で、日本は、

「政府とは一線を画した部署」

 ということでの活躍をもくろんでいるのは、実は政府要人ではなかったのだ。

 政府要人としては、

「どちらかというと、国民に対しての、ごまかしに近い感じの部署を考えていた」

 しかし、設立メンバーとしては、

「公表を前提とした省庁」

 を目指していて、

 最初こそ、

「政府の付属省庁」

 という、他の省庁と同じ位置づけであったが、成立してくるにしたがって、

「ここから先が、我が政府の知らぬところとして、独立の構えをしていこう」

 と思うようになっていた。

 そのためには、

「国民の信任をうる必要がある」

 というわけで、大臣自ら、設立のプレス会議では、

「国民に開かれた部署を目指します」

 ということをいうと、さすがに政府高官や、他の省庁の人たちにとって、敵視されることになる。

 しかし、彼らはそれでよかった。

 いくら、

「国家というものが、国民に対して開かれない状況に達していた」

 ということを、暴露することになる。

 それはさすがに、国家としては容認できない。

「飼い犬に手を噛まれる」

 というのは、こういうことだ。

 と思っていたのだった。

 それでも、国家が、新省庁の成立を認めて、自ら率先して行動に出たのが政府だったことから、最初に支援して、

「国がバックについてくれている」

 ということを感じると、

「新省庁として、強いものはない」

 と言っているのだが、それも、国民を取り込むために、一種のお芝居だったと、

「思い込みたくはないが、思い込まないわけにはいかなかった」

 ということである。

 ただ、一つは、

「政府の敵となってしまった」

 ということは、後は国民を味方に付く形にしなければならない。

 実際に、新部署設立の際には、大手企業の社長や会長に支援をもらったり、そういう

「根回し」

 をしていたことで、設立当初、お決まりの方法でいくしかないのだった。

 ただ、政府が何と言おうとも、

「国家に認めさせれば、それに越したことはない」

 ということである。

 そういう意味で、今、新国が開発している薬で、その副作用の中に、

「惚れっぽい薬」

 というものが入っているということを知っているのであれば、

「これをいかに利用するということはできないだろうか?」

 と考えるのであった。

 この、

「惚れっぽい」

 というのが、果たしてどういう効果なのか?

「異性を単純に好きになる」

 というだけでは、わざわざ開発することはなく。これが、人間の中の一番表にある感情なのだが、意外と見つけにくいということになると、余計に気になってくるものだ。

 新国の方は、元々、

「惚れっぽい性格というものが、自分が覚醒していないのに、感じられるというのがどういうことなのか?」

 と感じるのだった。

「惚れっぽい」

 という効果とすれば、異性はもちろんのこと、同性にも言えることであり、そうなると、国民の中にある、

「性的気分の発想が、初めて自分たちだけで考えられるから」

 というのが、その理由だった、

 ただ、日本であれば、同性愛というものは、タブーされたりしている。

 特に戦後の混乱から、

「同であれば、どう言えばいいのか?」

 ということであるが、元々日本は戦国時代などでは、

「同性愛者ばかりだったという。

  なぜなら、

「いくさに明け暮れていると、どうしても、男しかいないからだ」

 と言えるのだろう、

 もっとも、それは、武士の中でも領主に近いかたちであり、

「女性を好きだ」

 という方が珍しいのか、だが、

「子孫を残して、家を存続させる」

 という運命があるので、

「側室もたくさん設けて、子供をたくさん授からせてもらう」

 というのも、大事な役目だった。

 しかも、

「後継者問題」

 というと、権力者に世継ぎが産まれなかったりすると、家が改易ということになったりして、

「権力を持った母親」

 というのが歴史の表部会に出ることで、

「乱」

 というものが起こるだろう。

 特に、

「持統天皇」

「日野富子」

「淀君」

 などというのは、世継ぎ問題からの、謀殺事件であったり、戦乱の火だねであったり、するのであった。

「そんな世の中がいかに、繰り返されてきたのか?」

 ということが分かると、

「世の中は、一筋縄ではいかない」

 と言えるのではないだろうか?

 それを思うと、今抱える、

「少子高齢化」

 というのは、家を支えるという理屈の、

「反面教師的」

 なところがあるのではないだろうか。


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