第9話 焼印
部屋一面に星が輝いている。部屋用の小さいプラネタリウムから投影された偽物の星だけど、凄く綺麗だ。
私の隣には天使が眠っている。私の右腕を枕にして、少し微笑んだ表情で私に身を寄せている。この子に比べれば、本物の星だって霞む。
私と天使が出会ったのは、二ヵ月前の桜が咲いていた頃。桜の木から舞い落ちる花びらを浴びながら、天使は回っていた。満面の笑みを浮かべながらも、子供らしく大声で笑わずに、時折フフフと漏らす笑い声。可愛らしさ、美しさはもちろん、その不思議さに私は心を惹かれた。
それ以来、私が行く先々で天使は視界に入った。駅のホーム、階段の上、水溜まりの傍、人が行き交う交差点の真ん中で。まるで別の世界に生きているかのように、誰も天使の事など見ずに通り過ぎていく。私だけに、天使が見えていた。
この子が何者で、どうしていつも一人なのか。どちらも分からないけど、分からないままでいい。分かってしまえば、この子が永遠に消えてしまいそうで。
「消えないよ」
いつの間にか、天使は目を開けていた。可愛らしい容姿とは裏腹に、蛇のような形をした赤い瞳が怖い。大きい目だから余計に恐怖心が煽られ、その瞳に飲み込まれてしまう想像をしてしまう。
「怖い?」
すると、天使は私に顔を近付けた。鼻と鼻がくっつき、私の吐息が彼女の唇に当たっているのが分かるくらいに。視界は彼女の赤い瞳で一杯で、胸の奥が発火しているような熱さを感じる。
この子に心惹かれたのは間違いじゃない。幼い子供の容姿をした彼女に、恋心のような好意さえ抱いている。
でも、それ以上の恐怖心が勝ってしまう。彼女と私では、生きている世界が違う。内面を知らずとも、彼女の赤い瞳がそれを物語る。
「恐怖心ってね、人間のどんな感情よりも色濃くて、忘れられないものなんだよ。例え恐怖を抱いた対象が消えても、抱いた恐怖は永遠に残り続ける。だから、お姉ちゃんと私は永遠に一緒」
彼女の右手が私の左手に絡みつく。人の体温にしては温か過ぎる彼女の体温に、左手が熱さで震える。不思議と痛みは無い。むしろ、心地良いと思える気持ち良さがある。
「いつか、お姉ちゃんに星を見せてあげる。この世界を抜けた先にある本物の星を」
視界を一杯にしていた赤い瞳が徐々に離れていき、絡みついていた彼女の右手が解けていく。何かに引っ張られていくように、天使が私から離れていく。
私が手を伸ばした時には、既に天使は消えていた。行き場を失った手を引っ込め、ベッドから起き上がって洗面台へと向かった。
鏡に映る自分の姿を見て、違和感を覚えた。私の容姿は、こんなにも綺麗だっただろうか。記憶の中にある自分の容姿と、鏡に映る自分の容姿が結びつかない。髪の毛は触った感触が無い程にサラサラで、肌は彫刻のように整っている。水を出して顔を洗おうとしたが、肌が水を跳ね返してしまう。
自室に戻り、再び目にしたプラネタリウムが投影する星が、酷く滑稽に見えた。これらは夜空に浮かぶ星のように見えるが、ただ壁や天井を照らしているだけの光だ。それに気付くと、自分の記憶にある好きだったものが色褪せていった。家族や友人との思い出も、好きだったプラネタリウムも、初めて付き合った彼女との淡い日々も。
消えていく。みんな、泡のように弾けていく。私の中が空っぽになっていく。
『消えないよ』
一つだけ、消えないものがある。天使との出会いからこれまでの記憶。焼印を入れられたように、それだけは離れない。
これはきっと、トラウマだ。
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