第7話 みえこの心肺停止
3月も半ばになり病院の庭の気の早い桜が咲き始めたころみえこは自宅療養する事になった。
裏を返せば病院での治療は何も出来ない事なのだがモルヒネで痛みは緩和されたみえこは喜んだ。
あつこは長期でカフェのパートを休む許可を貰って実家でみえこの世話をしてくれていることがあきよしには大変ありがたかった。
あまり家にいない兄のこういちと家事全般は母任せだった父のやすおだけでは実家でみえこを看る事など到底出来るはずもなかった。
年度末と言う事もありあきよしの文具卸の仕事も忙しかった。
受注先も決算、あきよしの会社も決算で提出する事務仕事に追われ連日の残業で帰宅は早くても23時になる日が続いた。
遅い夕食をあつこが用意してくれて母の状態を聞き、寝て次の朝仕事に行く日が続いた。
日曜日の午前にあきよしは実家を訪れた。
あつこは日々のみえこの介抱で家の事も出来ないし、一人の時間も必要だろうとあきよしは一人で来た。
「母さん、具合はどう?」
あきよしは介護ベッドで横たわるみえこに話しかけた。
この日、みえこは体調もよさそうで父の話では痛みもないのでモルヒネは2日間飲んでいないとあきよしに説明した。
「あきよし、いつも気にしてくれてありがとね。私が居なくなった時の事はあっちゃんとお父さんに伝えてるからね」
「何を言ってるんだい母さん。あつこも言ってたけど最近食欲も出てきて、あつこと料理を作ってるって聞いたよ」
「あっちゃんはいい子だね。料理の飲み込みも早いよ。あきよしの好きな料理は完璧に覚えたよ。娘が居るって良いもんだね」
「孫はどっちどっちだろうね?」
「元気で生まれて来てくれたら男の子でも女の子でもどっちでも良いよ。生まれてくるころには私はどうなってるんだろうね?」
「また弱気な事言って。妊娠が判ったら母さん直ぐにベビー用品を買いに行かないとって父さんに買い物に連れて行ってって言ってたよな」
やすおはニコニコしあきよしとみえこの会話を聞いていた。
玄関の開く音がして
「弁当買ってきたよ~」
こういちが3人分の弁当を持って入ってきた。
こういちはバツが悪そうにカーショップに用事を思い出した。弁当を食べといてくれたら良いよと言い残して直ぐに出て行った。
「あきよし、まだこういちと喧嘩してるの?あんなに仲が良かった兄弟なのに」
目を潤ませみえこはあきよしを見た。
あきよしはこういちが母にお金を借りてることが原因だと言いたかったが母に面と向かって言えないので俯いた。
やすおは
「そのうち仲も良くなるよ。弁当温かいうちに食べよう」
と言って手渡した。
夕方まであきよしは実家で過ごし家に帰った。
この間にこういちが来ることはなかった。
「アニキに一言言いたかったけど母さんの前じゃやっぱり言えないよな」
あつこの作る母仕込みのカレーを食べながらあつこに報告した。
「義兄さんもカーショップ頑張ってるわよ。近いうちに大きい仕事あるって喜んでたよ」
「アニキの話はしないでくれ」
嫌悪感を滲ませあきよしは話題を変えた。
身重なのにいつもあつこには感謝している事を伝え、4月の予定日の話で母の体調が今ぐらいだったら子供も抱けるのにとか、性別はやっぱり医者に聞いたほうが服など揃えやすかったけど生まれてくる楽しみをも減るかななどと新しい生命への期待を話した。
あきよしは年度末の忙しさの荒波に飲み込まれながら3月の後半は休みなく仕事を頑張った。
3月の忙しさを超えれば一息つけると身体の疲れもピークに達している3月29日の夕方にあつこから連絡が入った。
自宅で過ごしていた母が突然の痛みを訴えた直後に意識を失ったのだ。
上司も理解してくれているので直ぐに病院へ行ってあげなさいと仕事に追われている従業員に申し訳ないとあやまりつつ病院へ駆け付けた。
病院には父も妻も兄のこういちも居た。
父から聞かされた医者の話では今日、明日が峠だとの見解だった。
病室の前のベンチに4人が座り中で眠る母を思った。
医者が来て
「お話されますか?意識はないのでご本人さんに聞こえるかわからないですけど」
あきよしは嫌だ、ここで母さんに話しかけたらそのまま亡くなる話はドラマでも本でも良くあるじゃないかという思いが先に立ったが3人に引きずられるように病室に入った。
脈拍60前後、血圧40-80とみえこから伸びるケーブルの先の機器が表示していた。
「おかあさーん」泣きじゃくりながらあつこは詰め寄り、やすおは母の手を握り、こういちは優しく母を見つめていた。
あきよしはそんな3人と距離を置き、後ろから見ていた。
(母さんはまだ大丈夫だ。ここで死ぬはずない。もうすぐ生まれてくる孫も楽しみにしてるんだ。だから、だから・・・)
心拍停止を告げるピーーーーーーと鳴る音が室内に響いた。
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