第12話 バッドトリップ

 今日は久しぶりに近所の焼き肉屋に来た。真奈美の回復と陶芸教室の再開祝いだ。


 本当はもっとおしゃれなお店に連れて行くはずだったのに、家から歩いて行ける場所がいい、という真奈美のリクエストでこのお店になった。


「今日のお教室に来てたユウタくん。だいぶ上達したよねー。私嬉しくなっちゃったよ」


「あー、あの子ね。ホントに子どもの成長は早いよなー」


 先程から他愛のない会話が続いていた。肉を焼いたり、野菜焼いたり。真奈美は一杯だけ、とグラスビールを飲んでいた。オレは酒が弱いから、ウーロン茶を注文した。


 テーブル越しの真奈美は少しだけ顔を赤く上気じょうきさせて、楽しそうに笑っていた。そんな様子見ながら、五年後も十年後もこの先ずっとこのままでいられることを切実に願う自分がいる。


 真奈美が病気を宣告されてから、この先のことは考えないようにしていた。ずっと今のままでいい。ずっと今のままがいいんだ。


 オレはこうして真奈美と今日あった出来事の話をしたり、一緒に美味しいご飯を食べたりしたいだけなんだ。


 なんだか消えてしまいそうな真奈美に触れたくなって、U字型のソファーのコーナーに移動して真奈美の隣に座った。


「真奈美……オレ、ずっと今のままがいい」


 真奈美の薄くて細くて温かい手を両手で覆った。


「えっ? 楓、急にどうしたの?」


「うん。なんか。よくわかんな……」


 無理矢理笑顔を作ろうとしたけど、上手くいかなくて、涙が出てきて。真奈美の手も指も細すぎて壊れそうで消えちゃいそうでこわいよ。よく、わかんないけど涙が溢れてきて止まらない。


「楓。お酒飲んでないよね?」


「ウーロン茶のハズ……」


 真奈美はオレのグラスを取って一口味見した。


「やだ、これウーロンハイじゃん」


 ウーロンハイのせいなのか何なのかなんか変な感覚でずっと閉じ込めていたような感情がわぁっと溢れてくる感じ。

 あの日からずっと縁起でもない想像が頭から離れなくて苦しいんだ。ずっと考えないようにしていたけど、考えないなんてやっぱり無理で。真奈美の方が辛いに決まってるのにオレは自分のことばっかりで。自分が辛いとか悲しいとか真奈美が居なくなったら寂しいとか結局自分のことばっかりで。真奈美のこともっと大事にしたいのにオレは年上なのに全然大人になれなくて、ずっと子どもみたいで、気付いたら真奈美の優しさに甘えてて全然ダメなんだ。本当はもっとしっかりして、真奈美を守ってあげたいし、もっと頼ってもらいたいし、もっと器のデカい人間になりたいって思ってるのに。


「楓どうしたの? 大丈夫?」


「ごめっ……わかんな……い」


 オレは手で顔を覆った。涙が止まらない。頭の中の声が止まらない。こんなのおかしい。


 でもオレはもういい歳した大人なのに自分の感情すらコントロール出来なくて焼肉屋で奥さんの前で泣いてしまうような未熟者だ。

 あの日からずっと縁起でもない想像が頭から離れなくて苦しい。それなのに何もなかったように過ごすなんてできない。どうしたらいいのかわかんないんだ。真奈美が居なくなったらどうしよう。


「楓。ちょっと、大丈夫? もう帰ろうか?」


「帰る……ごめん」


 なんか頭痛い。今すぐ家で寝たい。早く帰りたい。

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