第5話 決意。

下校する時間がいつもより遅くなった。

昇降口を出たときに飛び込んでくる色が青ではないことが新鮮だ。


熟した柿を連想させる空があまりにもきれいで、上を見ながら歩く。


どうやらグラデーションがかっているようで、注意して観察すると橙の中にピンク色が混じっている。


もうすぐ家に着くという時。


「ちょっと、ちゃんと前見ないとあぶないでしょ!」


 聞きなじみのある声が耳朶を打った。音源に視線を向けると。


「紗季ちゃん……?」


 紅香の家の前に紗季がいた。


「え? なんか約束してたっけ?」


 紅香はあわてるが、紗季は肩をすくめてから。


「ほーんと、紅香はポンコツなんだから。はい、これ」


 手のひらに収まるほど小さな紙袋と、コスモスの花束を渡された。紅香は二度目の「え?」を発した。紗季は。


「まだ気が付かないの? 今日は紅香の誕生日よ」

「あっ!」


 すっかり忘れていたことに自分でも呆然とした。

 誕生日。

 十一歳から十二歳へ時が進んだ印。


「大人に一歩近づいちゃったんだね」


 紅香がつぶやいてうつむくと。


「紅香は大人になりたくないの? あたしは早く大人になりたいな。だって子供だと深夜のアニメを見るのを禁止されるし、宿題やったかとかいちいち管理されるし……」


 紗季の「大人になりたい理由」は延々と三十秒ほど続いた。

 それを聞いて紅香はぽかんとする。


「そろそろ門限だから帰らなきゃ。じゃあね!」


 台風一過のように去っていった紗季を見送ってから「プレゼントのお礼言い忘れちゃった」とあとでメッセージを送ることに決めて、小さな紙袋を開ける。

 すると。


「赤の絵の具?」


 残りが少ないとつぶやいたのは昨日だ。

 そして紗季は帰り際いつもと違う道へ行った。


 気まずくて早く別れたかったのだろうと思い込んでいたが、あれはこの絵の具を買いに文房具屋に向かうためだったのだ。


 紗季は紅香の気持ちを理解していなかった。

 けれど、会話の内容を覚えていてくれる程度には「大切な相手」と認識されているのだ。


 紅香の中から「悲しさ」が薄れていった。


 紗季はちゃらんぽらんだが「大人になりたい」という気持ちがあり、紅香の先を行っている。その時点で相互理解に難ができるのはしかたのないことなのだ。


 不意にこの間の紗季の『先生はイケメンなのに何で芸能人じゃなくて先生になったの?』という質問がよみがえる。


「子供のままでいるか、大人になるか、二択だと思ってたけど……」


 紅香は、コスモスの花束に勝るとも劣らない美しさの夕焼けが藍色に浸食されていくのを目に映しながら。


「先生になろう」


 と決意した。

 大人になっても、子供の気持ちを汲める先生に。

 自分みたいな子供がきちんと難関を乗り越えられるように手助けしたいのだ。

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