第4話 恐怖。

 翌日、紅香は小学校に着いてから気づいた。

 完成した紅葉の絵を持ってくるのを忘れた。

 締め切り日なのに。


 紅香がこういったミスをするのは珍しかった。

 たいては前日に授業の用意をし、家を出るときも確認するからだ。


 そのせいか、紗季はもちろん先生である村瀬も訝し気であった。


 先生と言う立場ならしかるべき対応をするべきだろうが、村瀬は紅香をみんなの前で叱責したりはせず、わざわざ放課後に他の生徒の目がない場所で「なにかありましたか?」と問いかけてきた。


 紅香は村瀬の問う「なにか」を想起し、昨日の冷たい衝撃をよみがえらせてぶるっと震えた。


 先生は「だいじょうぶですよ」と落ち着かせるように背中を撫でてくれて、ようやく紅香も口を開けた。


「大人になるのが怖いんです。今の自分がどっかにいっちゃいそうで。そんなの私じゃない……」


 真剣な話だ。

 なのに先生は少し微笑んで「やっぱり兄妹ですね」とこぼした。


 紅香は意味が分からなくて小首をかしげる。

 先生が担任を受け持つのは紅香のクラスがはじめてだと紗季から聞いたことがある。


 兄を教えていたはずはない。

 どこか別の場所で会ったのだろうか?

 疑問で頭をいっぱいにしていたが、村瀬の次の言葉に硬直する。


「橘さんは子供のままでいたいのかな?」


 蚕のまゆを慎重にほどくような声だった。紅香は。


「わかりません」


 身体も声もコンクリートのように硬い。

 紅香は意図してではなく本能的に村瀬の問題提起を「拒絶」していた。


 自身でも戸惑うほど「考えたくない」話題だったらしい。

 

村瀬は「急がないでいいんですよ。ゆっくり考えてください。どうせ寝て起きたらすぐ大人になってるとかじゃないんですから」とごもっともな台詞を最後に「気をつけて帰ってください」とぽんと紅香の背中をたたいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る