第2話 焦燥。

 紅香が写生場所に選んだのは、山の紅葉がくっきり見える家の近くの丘だった。

 見晴らしの良さに紗季が「ほぇ~」と感心した息を吐く。


 木々の葉はまるで燃えるように赤いが、ところどころに黄色も混じっている。


 空の高さや青さに際立つ山のいろどりに、ダウンジャケットを着こんでくるほどの寒さがふっとんでいく。


「紗季ちゃん、見惚れてないで手を動かさないと間に合わないよ」


 紅香の言葉にハッとして、紗季は画用紙と画板、それと絵の具を鞄から取り出した。


「あ、鉛筆わすれた」


 下書きするという過程がすっかり頭から抜け落ちていたらしい。

 紅香は「しかたないなぁ」と鉛筆を貸した。


 そうして二人並んで紅葉を写生し始めた。

 紗季は珍しくおしゃべりせず集中していた。


 紅香はもともと話しかけられなければずっと黙っているような人間なので、淡々と筆に絵の具を含ませて下書きの上に色をのせていった。


 紅香は赤が好きだ。

 学校に提出する絵だけでなく、家の庭に咲いている千両という赤い実をつける植物も昨日描いていた。


 だからだろう。


「赤の絵の具、もう残り少ないな。どうして好きなものってすぐなくなっちゃんだろう」


 それは誰に聞かせるわけでもない、たんなる独り言だった。

 だが、紗季の耳には入ってしまい……。


「使う回数が多けりゃそりゃ減るでしょ。なに当たり前のこと言ってんの」


 別に突き放すわけでもなく、事実を述べただけといった軽い響きの声だった。

 だが、紅香の胸はツキンと痛んだ。


 そういうことじゃないのだと説明したかった。

 絵の具だけじゃない。


 季節が過ぎると枯れて変色してしまう紅葉や、

 大好きだった赤い毛糸のひざ掛けがトレードマークの曾祖母が亡くなったときのこととか、


 時の流れに押し流されて行くたくさんの「大好きなもの」が脳裏によぎっていて……


この「なくなる」ことの喪失感やどうしようもない時の流れについてどう説明すれば紗季に伝わるのか、まだ誕生日前で十一歳の紅香にはわからなかった。


 そうこうしているうちに紗季は自分の放った言葉などすっかり忘れたようで「よっし、下書き終わり!」と意気揚々と色塗りに入っている。


 紅香だけが焦燥を抱えたまま取り残されていた。

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