35.一悶着



「あんたの娘が妙な青写真を描かなければ、俺はこんな目に遭っちゃいねえんだよ!      俺が何のためにこんな状況に甘んじているのか、あんたは全く理解していないとでも言うつもりか!? ふざけるのも大概にしろ!」


「抑えろ!」


 ラルフが、俺を羽交い絞めにする。

 今にも、目の前の年寄りを殴りつけんとするばかりの俺を制止する。


 余りの我儘具合に、俺の堪忍袋もブチ切れる寸前にあった。





 今日は引っ越し先となる西園寺本家が用意した屋敷の内見。

 場所は世田谷区。ほぼ祖師谷ではあるが端の方。


「予想よりも規模の大きい建物だが……こちらの要求を満たすとなれば、こんなものだろう」

「整えられた庭園も遮蔽物と見做せる。悪くない」


 門扉からも垣間見れるコンクリート製の塀で覆われた屋敷を品評するのは、当然だが私とラルフだ。ドロシーと詩織は敷地と建物の大きさに、あんぐりと大口を開けて呆けている。


「ようこそ、いらっしゃいました」

「橘さん。今日はお世話になります」


 橘氏は先代当主から仕え、当代当主である道長さんにも仕えるという歴戦の秘書。当代の教育役でもあり、使用人という括りで言えば執事でもある。年齢的も八十は超えていそうで、田所さんといい勝負が出来そう。

 昨日の、西園寺家本家の当代当主道長さんとの話に依れば、本日の案内役はこの橘氏が務めるはずであった。だが、蓋を開けてみれば……先代当主であった巌長さんもまた出迎える恰好となっていた。


「あんた、暇なのか?」

「儂はもう暇で暇で、会長職も辞したのでな!」


「で、何しに来たんだよ? 今日は橘さんだけで十分なんだが……」

「小坂様、申し訳ございません。言っても聞かぬもので、当主が同席を許可した次第です」


 作業中の庭師と思しき年配者二名も、先代当主へ視線を注いでいる。

 先代当主ともなれば、誰も住むこともなかったこの屋敷への影響力も多分に含まれることだろう。長く仕える庭師であるのならば、権力の中枢には意識を割かねばなるまい。主に、自身の進退に関してなどは。


「ご隠居には大人しくさせます。……どうぞ、こちらへ」


 アンディは例の如く、車両で待機してもらっている。彼の気が向けば、降りてくることもあるだろう。

 詩織とドロシーは午前中に様々な形での柔軟体操を教えた。詩織の柔軟性に関して、これはもう今後に期待するしかない。

 ラルフもドロシーも柔軟性に関しては問題は無い。軍隊格闘技を修める都合上、ラルフにしてもドロシーにしてもストレッチは基本である。

 俺も幼き頃から空手と、由来不明な古武術を学んだ手前、関節柔らかさには定評がある。怪我をしないためにも、柔軟性は不可欠なものであった。


 三者共に、立位体前屈であれば掌が床にべったりと着き。長座体前屈でも足の裏を抱える程度は可能なのだが……詩織に至っては、そこまでいかない。不足に過ぎる。

 そもそもが養成所の訓練内容が実態に即していない。筋力トレーニングや体幹トレーニングが主であり、柔軟性に関してはあまり重要視されていなかった。基本なんだけどなぁ。

 である以上、詩織の柔軟性に関しても期待するだけ無駄である。

 そこはまあ俺の才能とされるモノの多くが、後天的な要素ばかりであるが故の、悲しき現実。母親の智恵も特出した運動性や才能を有してはおらず、過度に期待を抱くことで詩織を歪めてしまいたくはない。

 


 呆ける詩織とドロシーを連れて門を越えれば、立派に造園された庭がまず目に入る。と言っても、塀に沿うように植えられた樹木や、正門から屋敷の入り口まで延びる比較的背の低い樹木で構成された回廊だろうか。

 樹木の回廊の左右には拓けた空間があり、芝生が整えられていた。しかも高麗芝ではなく、西洋芝を短く刈り取ったであろう如何にも柔らかそうな芝生。


「転んでも痛くない」

「芝生を痛めそうだが、それも必要経費か」


 ラルフと一緒に芝生と、その下地となる地面に触れる。硬い地面に至るまで目砂であろうか、若干の柔らかさを感じる土があった。

 歴史ある建物に劣らず、庭も相応に手が入っていることが窺えた。


「お父さん。ここ、ホテル?」

「いや……」


「そのように、この館を運用するという案もあるにはあったのです」


 だが結果から見るに、そうはなっていない。

 そのように運用できないだけの理由があったと思われる。

 

「本邸が近いことで離れとして客人を迎える。迎賓館として利用されたことも数回ありました」


「隠し通路。いや、避難経路とか表に出せない構造物があるのでしょうね?」

「はい、流石は小坂様です。有事の際に脱出可能な通路及び避難用地下シェルターがございます」


 上の建物は飾りか。地下シェルターこそが、この建物の根幹を成すと。


「要は……この土地が本邸に暮らす人間の、避難所だったと?」

「左様でございます。しかし時代の流れもございまして、本邸にも最新式のシェルターを増設いたしますれば――」

「――もはや時代遅れの遺物でしかないか……」


 手放しても惜しくはないと。

 実娘に引き継がれる筈だったことを思えば、シェルターの更新も吝かではなかったのだろう。ただ、その娘は出奔したことと同義でありながらも、独自の資金で以て分家を興している。


「例え旧式であろうと、シェルターが存在するのは非常に助かる。私たちはちょっと面倒な立場なのでね」

「そう仰っていただけれると、案内させていただいた甲斐もあります」


 テールコートを着こなす橘氏は正に執事然としている。

 うちのスチュワートもそんなコードネームだけあって、取引相手がやんごとなき身の上である場合は身に纏うことはあるのだが、やはり本職と比べるとなんちゃって感が否めない。スチュワートは英国人ではあれども、紳士と言うよりはもっと物騒な存在だし。


「そこで、だ! ここに、この土地と建物の権利書がある」

「巌長様、それは小坂様に失礼極まりない悪手だと申し上げましたでしょう!?」


 今の今まで大人しくしていた。先代当主がここぞとばかりに主張した。

 雲行きが怪しいのは橘氏の慌て具合からも、先代当主の言葉尻からも伺えた。


「ドロシー。……詩織と庭の先をゆっくり見てきなさい」

「ヤー」

「お父さん?」

「今後はこの庭で詩織を鍛えることになる。だから、ぐるっと一回りして様子を見ておいで」

「うん、そうするね!」


 自分の娘が疑うことを知らない。素直な娘であることに一抹の不安を抱きつつ、ドロシーにしばらく戻るなとハンドサインを送る。了承を示すようにドロシーは目礼を返した。

 ドロシーと詩織が、広い敷地の隅から隅までを観察するように歩む後ろ姿を見送る。それと同時に俺とラルフは顎を引き、先代当主と橘氏の動向に注視した。


「小僧! 散々迷惑を掛けた詫びに、この土地と建物は貴様にくれてやるわ!」


「この敷地の広さも建物もシェルターも俺たちには非常に魅力的だが、それは賃貸であればこそ。不動産の権利など不要だ」


「何故だ!?」

「何故? 何故と訊くのか?」


 カチンときた。


「あんたの娘が妙な青写真を描かなければ、俺はこんな目に遭っちゃいねえんだよ!      俺が何のためにこんな状況に甘んじているのか、あんたは全く理解していないとでも言うつもりか!? ふざけるのも大概にしろ!」


「抑えろ!」


 背後から羽交い絞めにするラルフの筋力は、俺を上回る。元々俺はそこまで筋肉質ではない。常人と比べれば多い方だが、筋肉ダルマなラルフと比べてはどうしたって劣る。剛にだって劣るだろう。


「戦後の復興期からずっと人手に渡らなかった土地と建物だぞ? それをどこの馬の骨ともわからない人間に譲渡されたとなれば、調べられるだろうが!

 俺は、俺の素性を隠すため、それだけのために裏社会に落とされた人間だぞ? 調べられては困る人間がたくさんいるんだよ! それも西園寺所有だった土地ともなれば、それはもう徹底して調査される。不動産登記なんざ誰でも見れるからな!」


「落ち着け、落ち着け。どうどうどうどう」


「その、あんたの自己満足のために、また死人が出るぞ? あの件に関わって死んだ人間がどれだけいる思ってる? あんたくらい影響力があれば粛清こそされないだろうが、ペナルティは確実に発生する。その責を負うのは、きっと息子の道長さんだ」


 一方的に怒鳴り散らし、俺の怒りに中てられた先代の小さくなった姿を見て、最後の方はその怒りも萎んでしまった。

 終始、俺を羽交い絞めにしていたラルフも年の所為か、疲れ切っている。


「聞こえていなければいいが」

「ああ、そうだな」


 怒りに任せて声量を抑えられなかったのは、完全に俺の失態。

 建物の端に観える詩織へ、俺の声が届いていないことを祈るほかなかった。

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