35.引っ越し先



「まあ、なんだ。引っ越し先が決まった」


「「は?」」


 俺の言葉に呆けたのは詩織とドロシーで、ラルフは沈黙。

 俺が何かを突発的に決めることはよくある。慣れているラルフが何も言わないのは自然な流れでもあった。


「あれの紹介か?」

「いや、アポイントを取った際、おばさんは不動産ではマンションにしか投資していないらしく、本家を頼れと言われてな。結果的に、道長さんを頼った」


「珍しいこともある」

「あのおばさんが本家を頼るように言うとは、俺にとっても意外だったさ」


 西園寺家は旧財閥系。現在の日本経済を牽引する家のひとつ。

 俺が対外的に〝おばさん〟と呼ぶのは分家のサイコ女のことであり、本家とは直接的な縁は無いと言っても過言ではないのだが……。本家の、特に次代に引き継いで隠居した先代と現当主は、俺に対して特に良くしてくれている。

 愛娘や実妹が俺の人生を台無しにしたという負い目があるのだろうか。金持ちの動向で人生を棒に振るのは、何も俺に限った話ではないだろうに。


「明日、道長さんの筆頭秘書が現地で案内しくれることになっている」


「付いて行きたそうだが?」


「一緒に来るか?」

「行く!」

「……いく」


 概要は聞いている。

 戦後、傘下の人員に仕事を振り、金銭をばら撒く為に建設された洋館のひとつ。

 主な用途は本邸とは別に用意された別館である。本来であれば、あのサイコ女に宛がわれる筈であった建物だった、とのこと。

 しかしサイコ女はその建物を譲渡を拒み、金銭を要求したらしい。そして、何故か俺の出身地である片田舎に大規模な屋敷を建てるに至る。


 あの女が、あんな場所に大豪邸を構えている意図は今でも理解できていない。


 外壁と内装の老朽化が酷く、去年改装工事が済んだばかり。本邸に近い立地であることもあり、ほぼ利用されることのない別邸であるということ。

 明日の内見で問題があろうとなかろうと、俺は借りるつもりでいる。

 庭付きの戸建てに数十人を収容できる屋敷となれば、選択肢はそう多くはない。元より無理難題であることは理解しており、世間一般の住宅事情を鑑みれば選択肢が多く存在する方が却っておかしいのだ。


 明日、アンディの空き時間である昼間に向かうことになっている。当人にも通達済みである。


「明日もだが暫くスチュワートはいない」

「……平和」


「あの、お父さん? 彼女、わたしがドロシーと呼ぶと嫌がるんですけど……」

「……兄さんだけ」


 俺がドロシーと呼んで以来、この子はそれ以外の呼び方をするのをやけに嫌がる。スチュワートが付けたコードネームの〝ライア〟で呼ぼうものならば、あからさまに嫌そうな表情を隠しもしない。

 詩織の言では、どうやら正当な兄弟子である俺だけに許された特権であるらしく、詩織がそう呼ぶことを許さない模様だった。そういった意味でも剛はスチュワートの正当な弟子ではないため、拒絶されることは間違いないだろうと断言できる。


 そして、スチュワートに割り振った仕事は件のテキ屋に限らない。幾つか思い当たる事柄を依頼している。その関係で、あいつは数日中は姿を見せることもないだろう。

 ただ、ヴェノムを呼び寄せる都合もある。あいつが他に手配するであろう人員も含め、調査がある程度捗ることは、ここで語るべくもない。


「明日、朝の鍛錬が終わり次第行こうか」

「お休みにはならないの?」


「えーと、継続は力なり」


 ボソっと告げたドロシーに賛同するように頷く。

 続けなければ、続かなければ意味がない。

 まして、詩織が股割りが可能になるまでには結構な月日を必要とする筈だ。


 現行のではなく、過去に製造され手元にある股割り器を使うともなれば、詩織は過酷な運命に見舞われるだろう。

 あの扇状に開くジャッキやベンダーのような器具は、成人男性であれば金〇が捥げるような痛みを味わうらしい。俺は幼少期に師範の鍛錬に由り、股割りも可能となっていて実感はないにしても嫌な予感は拭えない。

 また、女性であれば破瓜と同等の痛みを味わうと耳にしたことはあった。場合にも因るが、処女膜が無事では済まないとも聞く。

 正確なところは判らないままだが、円形のハンドルをくるくると廻す仕草をすれば、ドロシーやラルフは目を逸らす。


 詩織には是非とも自力で股割りに至ってほしい、と願うほかない。

 ただ、筋力も不足すれば、柔軟性も著しく欠如した詩織では、かなりの期待薄ではあるかもしれないが……そこはラルフの指導に期待するとしよう。


「ああ、それと……DNA鑑定の結果が出た。詩織がお父さんの子であると証明された」

「本当?」

「本当に」


 嬉しそうに表情を綻ばせる詩織とは対極にドロシーの表情が曇る。

 俺は、ドロシーの出生については何も知らない。スチュワートであれば、何かしらの報告を受けている可能性は否めないにしても。

 だとしても、言っておくべき言葉はあった。


「スチュワートもラルフも、そしてドロシーも俺の家族だ。血縁では姉以外に恵まれなかったが、後天的にできた家族には恵まれたと思っている」


 以前は突っ込んできてでも抱っこをせがんだドロシーであったが、最近は羞恥心が勝るのか、そういったこともない。

 だが今日は別だ。羞恥心など全く抱こうともしない詩織は俺に擦り寄る傍から右腕で抱き込み、そのままドロシーを左腕で捕まえる。

 人種の違いなど些細なもので、俺たちは間違いなく家族なのだ。

 スチュワートなど歳の差も顧みず、俺の兄を自称する始末である。あいつのIDの中には、小坂姓を明記したものすら存在している。

 そういったものを考慮すれば――


「――ドロシーもまた俺の娘みたいなものだ」


「わたしの妹だね!」

「兄さんは兄さん。シオリはシオリ」


 各々に言い分がある以上、あえて修正の必要はない。

 一人っ子の詩織が兄妹に幻想を抱くのも、弟弟子であることに拘るドロシーにしても……ここで俺が強硬に主張するまででもない。


 天涯孤独なスチュワートや孤児っぽいドロシーとは異なり、ラルフには歴とした家族がいる。それでも俺は、ラルフを家族の中から除外するつもりはない。

 当人もその辺りは承知しているようで、そっぽを向きながらも口角が上がっているのは認識できた。


 PMC内の極一部は除外するにしても、遍く配下の人員は俺の家族だと宣言している。

 まあ、スチュワートを兄だと思ったことは皆無だが……師範に次ぐ、父親代わりだとは常々思っている。本人に告げたことは一度もないが。


「鍛練も程々にして、二人とも課題を熟すこと。詩織は学校の課題だあるだろう? ドロシーも大使館の職員から出題されたノルマが残っていると聞いているぞ」


「学校の課題は毎日少しずつやってるもん」

「むぅ」


 通信制に移行した詩織は学校から課題が出されている。別にやらなくとも、テストで良い点を叩き出せば問題はないようではあった。

 翻ってドロシーなのだが、彼女は日本の学校には一切通っていない。スチュワートが週に四日ほど大使館へと送迎し、大使館職員が教員の代わりを担い教育を施している。

 これはかなりの特例と言ってもよく、スパイ見習いである彼女向けのカリキュラムが組まれていると聞いている。


「わからない所は教え合えばいいよね!」

「いや、詩織には無理だ。何せ、ドロシーの課題は全部英文だからな」


 英語は元より、外国語が苦手な詩織には無理難題極まる。

 引っ越しが無事終われば、詩織とドロシーの家庭教師に御子柴を付けることも考えている。御子柴は見た目には頼りなさげな男性ではあるものの、化学の博士号とかなり有用な特許を持つ、一握りの天才だ。

 何の因果か、スチュワートとラルフに捕らえられ、俺の影武者とされた哀れな男だが……何の後ろ盾もなく、綺麗な身の上であることは調査の末に判明している。

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