33.ラルフの苦悩
詩織関連のテキ屋の調査には拙速はない。
徹底的に調査した上で有無を言わさず、従えることとした。その調査の為、スチュワートは現在も不在である。
「どうだ?」
「どうも何も……」
答えたのはラルフだ。
ホテル内のジムに於ける機械トレーニングですら、詩織の脆弱性は露わとなったらしい。
「弱すぎる。とても、あなたの娘とは思えない」
「そりゃそうだ。だから言ったろう? あの子はただの一般人だと。それも日本人の、と」
俺の幼少期がおかしかったこと理解しているし、その点に関しては金銀爺の二人にも話してはある。家庭環境が異常だったことと、頼った先の師範がまだ異常だったことも全部。
「俺とスチュワートはその点を十分に理解していたからこそ、お前に預けたんだ。今更、根を上げても聞く耳はないぞ。それに、スチュワートには仕事を多く振ったから余裕もないだろうがな」
俺自身が詩織を指導しないことに、敢えて触れるつもりはない。
そして、スチュワートに振った仕事の内容は件のテキ屋に関する情報の調査。幹部から構成員に至るまでの人物情報と、上位及び下位組織の存在、経理情報に至るまで、彼の組織が有するありとあらゆる情報の収集を任せた。
徹底的に貶め、その上で懐柔する。
荒事が必要とあれば、スチュワートは大使館にでも働きかけて人手を用意することだろう。ハンドガン一丁で大騒ぎする程度の国民性では、彼らに対処するには大いに不足すると言いたい。
まあ、それも手段の話でしかないか。
過去に、スチュワートに諭されたことがある。
俺は持っている力が大きすぎる、と。個人の有する武力としては異常だと。
子供の頃は自分が出来ることは、多寡は在れど誰でも出来ることだと思っていた。それがそうではないと知ったのは、彼らと遭ってからのこと。
自分自身が他者と違い、異常だと知った。
特に視覚とその延長線にある感覚と、格闘技術に於いては著しいと。
ただ、その頃には師範の姿は影も形もなく、行方知れずだったことが悔やまれる。
「筋力的にどうにもならないならば、柔軟性から仕上げろ。格闘の基本が柔軟にあることは理解しているだろう? 俺もお前もスチュワートも日本の格闘技を根幹としているのだから」
日本の格闘技は優秀だ。軍隊格闘技として採用している国は多い。
大いに勘違いされていることではあるが、格闘技の基本は柔軟性にあり、筋力の多寡ではない。重量を如何とするかにあたっては筋力も必要ではあるが。
その点で言えば、剛は勘違いも甚だしい。
ヒョロガリだった剛に体力を付けさせるため、筋トレを勧めたのは俺ではあるが、どこかで要らぬ知識を交えたようで困ったものだ。
「小娘を例にしても、彼女はその十分の一も熟せない」
「ドロシーは特別だろう。何せ、スチュワートに託された子だ。あの子も俺と同様、異常な何かだと思え。同時に俺の子供だとはいえ、詩織を特別だと思うな。俺とは育った環境が違い過ぎる」
「あなたの師は偉大だ」
「それは間違いねえよ」
俺が自分を世間一般に於ける異常者だと弁えた時、一番に思ったのは師範のことだ。あの人も多分に異常だった、と。
そして俺を欲しがった各国は俺が靡かないとして、次に求めたのは師範の存在だった。ただ、その頃には師範は雲隠れしてしており、どの国も二の足を踏むしかなかったみたいだが。
「兎に角、引き受けた以上は役目を果たせよ。一端の軍人並みに動けるようにしろとは言わない、自己防衛が出来る程度で十分だ。銃の携帯許可は俺の方で何とでもするから、お前はお前でやれることやれ」
「う、うむ」
外交特権で護られる金銀爺は普段から銃を携帯している。
その延長線上で、俺にも特別に銃の携帯許可証が発布されている。
俺は一般人に擬態している関係上、銃を携帯しているなど日本人の感覚では異常そのものでしかない。なので、普段は銃など持ち歩かない。
ただ、執拗に持ち物の中に銃を仕込もうとするラルフとの心理戦はあるが。
世間一般での父親としては失格かもしれないが、自己防衛の観念から詩織には銃を携帯させたい。
まず、詩織が非力な民間人の出自であることが挙げられる。次に師と定めたラルフが元軍人の銃火器のエキスパートであることも挙げられるだろう。その上、俺の裏社会に於ける勇名が、詩織の存在価値を高めてしまう。
要は狙われ易いということ。
詩織の存在を周知しなければ詩織が危うく、周知すればしたで詩織が狙われる。
馬鹿みたいな話だが事実であり、避けようがない。である以上、自分の身は自分で守るしかない。
今は周囲を固める戦力は逼迫してはいないが、詩織が大人になる頃にはスチュワートもラルフも耄碌して役には立たないだろう。俺だって、いつまでも隣に立ってはいられない。その為に、詩織には最低でも自己防衛が出来るようになってもらいたい。
メイズ&ダンジョン因子の萌芽は、結果的にだが詩織の将来の天望に大いなる役割を担ったと思いたい。
「お父さん!」
「兄さん」
ベンチプレスは無理だったのだろう。ランニングマシーンでひと汗かいた詩織と、その隣で涼しい表情で同じメニューを熟していたドロシーがやってきた。
「次はブールだ」
「プール!」
「……」
温い訓練に業を煮やすドロシーを黙殺しつつ、詩織の動向を見守る。
父親鑑定の結果、詩織は俺の子と判明したが、それほどの感動はない。スチュワートのように確認した訳ではないが、そう告げられた段階で確信したような気もした。血縁とは妙なものだ。
両親との関係を思い出せば、良くないことも多いが……改めて、接し始めたばかりの娘ともなれば、話は変わってきても何ら不思議ではないのかもしれない。願わくば、詩織との関係が良いものでありますよう。
現在では裏社会の闇の奥底にいるような俺にも、実娘の存在は眩しく光り輝ており、目を背けたくなってしまう。
「ラルフの指導に従うようにな」
「はい!」
「……はい」
スチュワートが不在だと、基本的にドロシーのテンションはかなり低い。師匠であり、父親代わりでもある独身男のスチュワートの存在は意外にも大きい。
スチュワートの年齢から考えれば、父親よりも爺だろうが。あいつはあいつで夜遊びが酷く、最近はラルフを連れて行く機会も多い。
ラルフの奥さんが俺に苦言を呈することもある。主人が女遊びを覚えたとか……云々で。娘さんは結構寛容なのだが、奥さんはとても厳しいのが問題だ。
それというのもスパイは結婚するのも大変らしい、とスチュワートが過去に呟いた愚痴。相手の素性から恋愛遍歴まで、ありとあらゆる事柄が調べ上げられるという。
その結果、ただのハニートラップならば笑い事で済む。それ以外の些事も局内で陰口として叩かれるともなれば、結婚など望むべくもないらしい。
仕方がないことだとはいえ、世の中は理不尽が罷り通ている。
俺が裏社会の闇に落とされたこともそう、スチュワート結婚できないこともそう、ラフルが自由に遊び歩けないこともまあそうなのかもしれない。
そのいずれにも理由があって、その理由を問えば、その答えがまた馬鹿みたいな答えだったりする。
正直、やってられない。でも、そんな仕組みの上でしか生きられないのも、また人間なのだと思う。
詩織には申し訳ないと思う。
俺があの時、あいつの諫言を真面目に聞いていれば、こんなことにはなっていなかっただろうに……。
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