32.敵情視察



「では、私が運転しましょう」

「ふざけんな! お前の運転は怖えぇんだよ!」


「これは異なこと。恐怖を感じない身の上では?」

「恐怖くらい感じるわ! 確かに、ガキの頃は恐怖と怯懦を同一のモノと考えていたけどな。成長と共にそれが完全に別モノだということは十分に理解した」


 詩織をラルフに預け、今はスチュワートと共にレンタカー屋にいる。

 当然の如く、詩織の護衛に就くドロシーも居らず、リムジンの運転手たるアンディもいない。


 宿泊しているホテルには宿泊客向けのジムもあればプールもある。筋力トレーニングであればジムを利用すればよく、プール内を走らせることで負荷を掛けたトレーニングも可能だろう。

 そこでラルフが悲鳴を上げようが知ったことではない。

 というのも、詩織は養成所でも簡素なトレーニングしか積んでいない。俺や軍人が熟す訓練が並大抵でないことを、まず知るべきだと思う。軍での晩年、教導隊に属していた超絶エリートのラルフは、日本の一般人がその程度のレベルなのだと理解してもらう必要がある。

 師範の鍛練を乗り越えた俺が著しくおかしかったことを、今更ながらに理解してもらいたいと願う。


 話が逸れた。

 俺たちはいじめっ子の親元を確認しに行く途中である。初手で躓いているにしても。


「こんな足回りがユルユルな車を、スポーツカーみたいに扱われては困る。だから、俺が運転する!」

「主人である貴方に運転させる訳にはいきません」


 スチュワートはハンドルを握ると性格が変わる人間の典型だ。

 こんなことならば、真面目一辺倒のラルフを残しておくべきだったか。ラルフは元軍人だが、ハンドルを握ってもおかしな風に変じることはない。安全運転を煩わしく思うことはあっても、邪魔になることはまずない。

 

 レンタカー会社の社員が仲介する形で、結果的にスチュワートがハンドルを握ることに決まる。借りたのはクリーム色のライトバン。

 当然、日本人である俺の言い分が通るかと思いきや、何とレンタカー会社の社員は英国紳士然としたスチュワートの雰囲気に押し通されたようだ。

 俺も気付かないタイミングで袖の下を握らせた可能性は否めないが、気付かなかったこと自体が敗因だろう。


 嬉々としてハンドルを握るスチュワートの横、助手席には座らない。後部座席に座る。


「どうなされました?」

「シャツの首回りと、ジャケットの肩がきつい」


「貸衣装とはいえ、いつも借りているサイズですよ?」

「養成所で本格的な鍛練は出来なくてな……」


 養成所での訓練は、運動不足な者とも足並みを揃えた緩いトレーニングしか出来なかった。その為、普段なら朝晩に行う鍛練も昼に集中するハメとなり、自主的な食事制限さえ養成所の指示に従うほかなく、必要の無い肉が付いてしまったようだ。


「肥ったのでは?」

「だろうな」


「絞るにしても日数がないのではありませんか?」

「……このままでいくしかない」


 脂肪が付き過ぎた際には筋肉も贅肉も問わず、ほぼ全てを一度削ぎ落す。動くに不足しないまで削ぎ落してから、食事と共に筋肉を鍛え始める。

 その期間が不足する。今週と来週だけでは筋肉を鍛え直す期間として足らない。再来週には、探索者としての実地訓練が始まってしまう。


 そんな中――


――RIRIRIRIRIRIRI


「はい、私です。……はい、……はい。お手数をお掛けしました。……はい。……はい。そちらで保管しておいてください。……はい。……はい、お願いします」


「どちらからで?」

「中山女史だ。更迭されたはずが原職に復帰したらしい。俺の因子萌芽には余程の影響があったとみえる」


「それで内容は?」

「父親鑑定の件だった。詩織の父親は俺で確定だそうだ。鑑定書をどうするか訊かれてな、公安に留置いてもらった」


「お嬢様は眼鏡をお外しになられた際の、周囲を窺う眼がそっくりでした。ですので私は、間違いなく血縁であると確信しておりました」


 それは俺と詩織の目付きが悪いと断言しているだろうか?

 スチュワートは邂逅時を除いた、それ以降遠慮というものがない。

 あの時 〝俺を完成させたい〟と訴えたスチュワートの本懐は叶ったのか、今でも微妙な心境だが。


「ところで、先の内容証明郵便でしたか? 控えの送付先は……」


「住所の明記など俺はしていない。従って送付先は佐藤家になるだろう。俺の判断にあの人らが文句を付けることはないだろうが、学校の対応如何に声を荒げることはないとも言い切れないな」


「態と、ですね」

「現状、親権はあちらにある。本来、文句を言うべきは彼女らだろう?」


 佐藤家には女性の、詩織の祖母にあたる当主が存在する。

 佐藤インダストリーHDで会談した、賢二氏も当主の配偶者でしかない。


「親が暴力を背景とした権力を有しているというのならば、裏社会に属す俺たちが本当の暴力がどういうモノかを教えてやろう」


「兵隊を呼び寄せますか?」

「あれらを日本に入国させるのは骨が折れる。かといって密入国させるのもナシだ。というより、俺が嫌だ」


 俺は海外にPMC――民間軍事会社――を持っている。それも致し方なく。

 それなりに大手の建設会社の会社員だった俺も副業を禁じられてはいたが、企業側もまさか海外に会社を持っているなどとは考えもしまい。調べるにしても国内に限られると思っていたし、仮に調べられても敢えて触れてくる者もいない環境にあった。


 それも、スチュワートやラルフが俺に従うに至った経緯に由る産物である。

 あの当時、そうするしか手段の無かった中でも俺は最善を尽くした。

 結果、中には改宗して頭を丸めた奴らまでいる始末。俺を拝むようになってしまったイカれた連中を引き取ったのがことの由来だ。

 以降、引き取った連中の知人などがいつの間にか集い、PMCは拡充していった。





「住所は、あそこですね」

「あぁ、う~ん?」


「どうしました?」

「ここは、テキ屋だな」


 江東区にあった詩織の学校からカーナビの指示に従い移動すること約一時間。高速道路を用いずとも下道を走り続けた方が早かったのではないか、とも思う無駄な道のりの挙句。辿り着いたのは千葉県柏市と茨城県龍ヶ崎市の中間辺り。利根川を挟んで南なので、恐らく千葉県内だろう。


 校長に手渡された紙に記された住所には、事務所らしき建物と隣接する大きな倉庫があった。

 昨今の反社取締りの煽りで仕事が激減したのか、出入りする人間がやや多いように思える。一般人から見れば、ヤクザもテキ屋もそう変わりはしないだろうが、組織としては別物だ。

 ただ、テキ屋の中には上位となるヤクザ組織に上納金を納めているなんて組織も少なくはない。が、逆にヤクザとは縁も所縁もない組織もないとは言い切れない。


「上位組織があるようならば、手を引かせろ」

「分断、孤立させるのですね」

「ああ。それにしてもテキ屋とはまた都合がいい。剛の下に付けるには持ってこいの手駒となるだろう」


「以前仰っていた〝草〟ですか」

「ああ。それでも剛が使い物になるまでは、ヴェノムに教育と統括を任せよう」

「先程、入国させるのは嫌だと……」

「それはそれ、これはこれだ。間違っても軍人崩れは入れるな。だが、諜報員は話が別。数名引っ張って来ればいいだろう」

「ではそのように手配します」


 スチュワートを始めとしたMI6、ラルフの伝手で得たBND、その他DGSE、SISMI、CNIといった諜報組織とは何かと縁がある。それ以外にもNSA所属のアマンダもおり、CIAもサイコ女の関係者に数名いたように思う。

 また、ヴェノムとは俺のPMC内部の組織名である。運営する上で依頼主や現場を調査・潜入するためにスチュワートが編成した部隊を指す。

 


 当初こそ、詩織に対する〝いじめ〟のけじめを付けるための予備調査名目であったにも拘わらず、どうにも俺たちに吹く風は追い風であったらしい。

 引っ越し先の守備を考えれば、人材が圧倒的に足らない。そこへ来て、この在り様。

 こちらの人材として活用するには教育も躾も必要だろうが、申し分ないだけの人数が揃っているのは双眼鏡の先を観れば一目瞭然。少々、取り零したところでお釣りがくる。


 『面白くなりそうですね』と口角を上げるスチュワートに、俺自身も悪い笑顔を返してしまう。

 

 そうだな。

 臼杵さんとその背後に潜む連中に、やられてばかりではいられない。

 少し気を引き締めて取り掛かるとしよう。

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