30.詩織とドロシー



「お嬢様も、我らが主人の娘だけあって物怖じしない性格なのでしょう」

「いや、どうだろうか」


 情報の擦り合わせを終え、俺たち三人はドロシーにハグされたままの詩織を見入る。

 詳細を知らない詩織には聞かせられない話があるだろうと、ドロシーは気を利かせた。詩織を部屋の中央へと誘う形であったのだが……先程からその体勢に変化はなく、背の低いドロシーが詩織の胸元にしがみ付いたままの姿勢を保っている。


「兄、アニ! Master!」


 微笑ましく見守っていた俺とスチュワートとは別に、ラルフがいち早く行動を起こした。ドロシーが支えていた詩織の身体を優しく受け止める。


「外国人を観る分には良くても、スキンシップに耐性がなかったか……」

「そのようですな」


「Master!」

「落ち着け」


 ドロシーの師はスチュワートなのだが、現行で対応しているのはラルフだ。詩織の状態に慌てふためくドロシーの口調は乱れている。


「父親ほど肝は太くない、と」

「どこまでも民間人の子供だ。あの頃の俺のように手遅れなほど壊れてはいないさ」


 ほんの少々ズレてはいるかもしれないが、詩織はあくまでも民間人である。その範疇を逸脱することはない。

 ラルフのフォローの甲斐あって平常心を取り戻したドロシーが、ミニバーの冷蔵庫から取り出したおしぼりを詩織の額に宛がう。

 何もドロシーのハグが強力すぎて泡を吹いているわけではない様子。大方、ハグという行為に免疫がなく、困惑の末に目を回したのだろう。



 詩織が卒倒してしまったことで遅い昼食は更に遅くなり、レストランの営業時間を越えてしまった。

 ラウンジに留まっていたアンディを部屋へと呼び寄せ、部屋で食事を摂ることにした。昨日に引き続き、ホテル側へ無理を強いる形ではあるが……このような状況である以上は致し方なし。従業員の愚痴はこちらではなく、経営者の方へお願いしたい。


「平気か?」

「……うん」


 ドロシーの介抱の下、食事を摂れるまで回復した詩織だが元気溌溂とは言い難い。とはいえ、お腹は減っていたようで食欲に陰りはなかった。


 食事中の主な話題は、詩織の学校に関すること。

 ドロシーからのスキンシップに混乱した話は伏せた。悪意があったわけではないドロシーと、ドロシーが責任を負わないよう言い募る詩織に配慮したとも言う。


 詩織曰く、全探連が主体となり運営する学校法人とは――

・探索者予備校の側面を持つ。

・ダンジョン&メイズ因子の有無に限らず、入学は可能である。

・小中高一貫。大学が附属していない理由は、義務教育課程が修了し次第探索者となれるから。ただし、中学を卒業しても因子の萌芽がない生徒のために、高校までの教育課程は整えられている。

・本校に於いて、因子を有する生徒は養成所へ向かう日程を選択できる。(強制収容されない)

・本校在学中に養成所入りした生徒には、二つの選択肢が用意される。

 高校中退、若しくは自主学習――という名の大量の課題――が出されるかを選べる。

・自主学習を選択した場合、定期試験を登校して受ける義務が発生する。試験をパスすれば単位を得られ、高校の教育課程を修了することが可能となる。



「なるほどな。全日制高校から通信制に切り替わると……。でもなあ、今の学校がどこにあるか知らないが引っ越し先にも因るだろう?」

「そりゃ、遠いのは大変だけど、試験の日だけだもん」


「こんな言い方は卑怯なんだが……、詩織がお父さんの娘である以上は生存しているだけで危険を伴う。出来る限り学校は近いことが望ましいな」

「そんな……」


「くく、〝お父さん〟ですか。些か心配しておりましたが父親をやろうという気概が見えますな。……で、お嬢様のことは周知いたしますか?」


「信頼できる筋に限定しろ」

「了解です」


 生きているだけで危険とは詭弁も良いところだが、今回の――臼杵さん関連の――件もある。油断はできない。

 それに、アンディの自主的な送迎に掛かるであろう手間も、距離が縮まればそれだけ少なくなるというもの。


 スチュワートは俺の新しい一人称を哂う。それ自体は端から指摘されるだろうとは思っていた。諦感と共に。

 それで、詩織の存在を隠蔽することは実際に可能ではある。でも、そうすると逆に詩織が危険に晒されかねない。

 兄姉たちはどこで見ているか判ったものではないし、どのように判断するかも相手次第である。あの狙撃手と観測手がいい例だろう。

 だから最初に〝俺の子供だ〟と宣言して周知しておく必要があった。


「いずれにしろ、一度詩織の学校には行く。引っ越し先を模索するのにも、系列の学校がどこにあるのか知っておきたいのと、教師陣の詩織への評価も知りたい」

「……迷惑を掛けたくなかったのにぃ」

「迷惑掛けているのはお父さんの方だ。すまないな。で、学校はそれでいいとして…………詩織の要望で訓練をつけたい。教官にはラルフを指定する」


「自分が?」

「ラルフのやり方は俺には合わなかった。しかし知識としては大いに助かっている。それで、この子は普通の子供だからこそ、ラルフが適任だと俺は思う」

「ほむ」


 銃火器を用いた現代戦を想定するのならば、教官に適しているのはラルフとなる。

 俺は白兵戦が主体なため、狙いを付けて撃つという手順が性格に合わなかった。煩わしかったとも言える。

 とはいえ、ひと通りの訓練は受けている。銃火器全般を扱えないということではない。あるとすれば、分かり易い脅しの小道具として用いる場合がほとんどだ。


「まず、受け身と有効な逃走方法を教えてほしい。それ以降は好きにして構わない」

「承った」


「詩織。ラルフ……ルドルフに教えを請うといい」

「よろしくお願いします、ルドルフさん」

「うむ」


 俺には合わなかったと聞き、落ち込み掛けたラルフだが詩織をほぼ全面的に任せると聞けば目の色を変えた。やる気を見せてくれるのは正直有難い。

 その一方でスチュワートが〝一般人相手ならやはり私でしょう〟と目で訴えてくるも、一睨みして黙らせる。スチュワートの訓練は上級者向けだ。やらせるにしても、ラルフが基礎を叩きこんでからでないと無理でしかない。

 ドロシーにも基礎などなかったが、基礎どころか一般常識の欠片も何も持ち合わせていなかったからこそ、都合よく解釈され適応しただけだと思われる。

 元はストリートチルドレンだろうとは思うが、一体どこから連れて来られたのやら……。


「ライアを付けます。そろそろ要人警護の訓練も必要と考えていました」

「?」


 スチュワートの言に目を剥くのはドロシーのみ。詩織本人は何も理解できていない模様。ただ、何か言いた気にしているラルフはいる。


「彼の教導が優れているのは主人を観れば一目瞭然でしょう」

「お前、こういう時だけ主従関係を持ち出すのは狡いぞ」


 この年寄り二人は確かに俺の管轄下にある。そのように協定に盛り込まれている。

 だが、普段のスチュワートはそんなもの全く気にもしない。自由奔放に第二の人生を満喫する年寄り道を歩んでいる。

 反対に、ラルフは真面目なのでそういったこともないが。彼の場合はその真面目さが、彼の人生に於いてデメリットになったとも言うべきか。


「自分は構わない」

「ラルフが承諾した以上、俺は何も言わない。お前ら師弟の問題だからな」


 そこにドロシーの意志はない。

 が、彼女は何も言わない。師弟関係とはそういうものだ。

 俺と師範との間柄も、俺とスチュワートやラルフとの間柄も似たようなものだった。いや、師範との間柄とは大いな違いがあるか。この二人との関係は戦友に近い。


「全探連の実地訓練期間は俺が、それ以外の時間はドロシーに。ということだな?」

「そのように」


 コクっと頷きだけで返すドロシーがとても頼もしい。

 詩織は女の子なため、護衛するにも女性が相応しい。うちは何だかんだ言っても男所帯なもので、年少のスパイ見習いと言えどもドロシーの存在は貴重だ。


「ドロシーという見本が居た方が、詩織も分かり易いだろう」

「うむ」


 最初は悲鳴を上げることだろう。

 教わる詩織は勿論だが、教える側のラルフも同様に。

 大した訓練も積んでいない詩織の実態を見て、ラルフは何を思うだろうか。


 昼食に同席しながらも一言も発さず、食後のコーヒーを楽しむアンディは朗らかな笑顔を浮かべていた。

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