25.迎え



「まだカクカクする」


 剛の顎は嵌めた。

 詩織の手で剛の耳を挟みガイドにし、剛本人が間違っても舌を噛み切らないようタオルを噛ませた上で嵌め込んだ。その後、詩織が生理痛の対処に所持していた消炎鎮痛剤(〇キソニン)の提供を求め、剛に与えておいた。


「そういう薬は胃を荒らすからな。何か食ってから飲むように」

「おま――あがぁ!」


 脱臼したまま、放置するのはよろしくない。関節には靭帯がつきもので、断絶しなくとも延びてしまうのはよくない。その為、剛には関節が嵌まるギリギリで押さえてもらっていた。

 その介助に詩織を宛がっていたのだから文句を言われる筋合いもない。


「呼んですらないが、どうせアンディが迎えに来る。奴の車には菓子も多い」

「…………ぁぁ」


 顎関節の痛みからか、発音が曖昧になっている剛は声に限らず、表情も暗い。

 私もまた、迎えにくる人材と、彼の自家用車に頭を抱えたくなる。

 私も剛も理解しているのだ。誰が迎えにやって来るかを……。


「ほんと、小坂君は碌に後先考えてもないのに、辻褄が合うよねぇ」


「堀内さん。それって、全く褒めてないでしょう?」

「うん。褒めてないね」





「それじゃ、堀内さん。あとはお任せします」

「捜査に関して何も要求しないの有難い限りだよ」


 特に今回は臼杵さんの手に因って警察官が犠牲になっている。死者こそ出ていないものの、重傷者は複数名に及ぶ。

 警察関係者は身内が被害に遭うと、途端にやる気が漲る。とはいえ、普段手を抜いているというわけではなく、身内が犯罪の餌食になると十二分に力量を発揮するというだけ。

 そのような状況では外部の意志などは、ほぼ反映されない。なれば、任せるほかない。


 パトカーに乗り込む堀内さんを見送りつつ、私と剛は迎えの車両を目視した。

 私と剛は視線を交わすも、その後の動きは二分される。剛はあからさまに苦い表情を浮かべただけだが、私は運転手へ向けハンドサインを送った。


「全探連本部から少し離れたい」

「都内じゃ、どうしたって他人の目は避けられないぞ」


「だが少ないに越したことはない」

「……なんで、アレで来るんだよ!?」

「以前、私も社用のミニバンで来いと言ったことがある。社用車では何かと記録が残るらしく、都合が悪いんだとか。そもそもアレはアンディの自家用車だから、文句も言い辛い。とにかく、全探連本部の正面は避けた」


 言うだけ言って顎を押さえる剛には弁明こそすれ、理解を求めるモノではない。ほぼ、ほぼ、言い訳でしかない。

 私と剛の間で交わされる会話に付いて行けず、きょとんとしている詩織にはやや申し訳ないとも思う。ただ、この場合は第三者が絡むため、何とも説明しにくい。


「詩織、少し歩こうか」

「はい」


 パトカーの運転手だった誰君だったか、少々チャラく映る若年男性曰く。

 臼杵さんの身柄は、探索者対応班によって捕縛されたらしい。逮捕するにあたり、探索者対応班の二名が負傷したとの情報を付け加えられていた。


 逮捕された臼杵さんが素直に供述すれば、芋蔓式に関係者を捕縛できるだろうが……そう上手くいくとも思えない。彼女が何を思い、私と詩織を追い回したのか、

訊いてみたいとも思う。

 ただ、それは楽観が過ぎるというもの。

 彼女の背後に存在する何者かの意向次第では彼女の身も危うい。私の兄姉たちの行動もまた危ぶまれる。

 私個人としてはあまり使いたい手段ではないが、意図的に利用できる強権を執行する必要があるかもしれない。彼女には詩織の存在を詳らかにしてもらった大きな借りがある。


「とりあえず、剛はこれ食っとけ」

「お前が常備してるチョコバーかよ。…………って、溶けてるんだが」


「真夏に等しい気温だからな。こればかりはどうしようもない」


 師範に教えられた技の多くは、未だ扱えない。ただ、歩法や呼吸法は別。術理を正しく理解していれば不可能ではない。

 特に、脳内及び体内の特殊なスイッチを入れる呼吸法は、今でもまともに使える数少ない手段ではある。それらも大きなリスクを伴う手段ではあるのだが……。

 そのリスク低減にカロリーの高い食品が役立つため、私は並行輸入のス〇ッカーズと黒飴を常備している。


「クソ! キャラメルまで溶けて……」


 四十過ぎのおっさんに〇ニッカーズは厳しい。主にお肌に関係で、ニキビ……じゃない。吹き出物まっしぐら。

 でも、他人を疑うことを知らない素直さは剛の美点であり、美徳だろう。

 剛の兄もまた他人を疑うことを知らず、自ら罠に嵌まりに行くような奇特な人物だった。現在は数の激減したタコ部屋暮らしではあるが、一応は存命だ。


 ピーナッツが歯に詰まったのか、シーシー言っている剛は無視して歩む。

 詩織が物欲しそうにしていたものの、これもまたスルーした。


 目標とする車両は少し先に停車し、降車した運転手は後部座席の扉をいつでも開けられるよう待機していた。


「何も言わずとも迎えに来てくれたことは有難いが……、少しは衆目を気にしてはどうか?」

「すっげぇー、ブーメラン!」

「また顎、外されてぇか?」


「若様もお連れ様方も、どうぞご乗車ください」


「若様!?」

「安藤さんたちは英一をそう呼ぶんだよ。嬢ちゃんも時期に慣れる。いや、慣れるしかない」


 アンディは元米国人ではあったが、今では日本名持ちの帰化人。

 ファミリーネームは全く覚えてない。ファーストネームの〝アンドリュー〟を模して〝安藤竜一〟という日本名で登記されている。


「詩織は奥に座りなさい。剛は好きにしろ」

「は、はい」


 車両は所謂リムジンで殊更に目立つ。

 しかもアンディ所有の自家用車であるため、やんわりと言い含める程度でしか批判もできない。目立つこと避けたい私としては痛し痒し。


「冷蔵庫は詩織の横にある。好きなものを選びなさい。……剛はクッキーで腹を満たして、薬を飲め」

「……扱いが全然違う」


 当たり前だろうが! 娘と同等の扱いになるわけがない。


「若様。お二人からこちらをお預かりしています」

「ああ、助かる。ありがとう」


 運転席に乗り込んだアンディから手渡されたのは小型金庫。ダイヤル鍵の。

 これは私の家の、物置内の隠された地下に置いてあったものだ。

 家宅捜索を依頼したスチュワートとラルフの両名が、気を利かせアンディに預けてくれたようだ。


「――ふふふ。予備バッテリーもフル充電ではないものの、本体が充電されている」


 金庫には秘匿回線用スマホと、予備バッテリーと充電用コード以外には何も入っていない。

 それでも、半年弱の期間を置いたスマホは放電しきっていても不思議じゃない。リチウムイオン電池は完全に放電してしまうとダメになってしまうので、電池交換は不可避ではあるが。

 直近での使用に困らないよう、予備バッテリーを繋いで充電してくれているのは大助かりだった。



「ところで、どこに向かってる?」

「美咲様から系列のホテルを利用せよ、と」


「そこらのビジネスホテルで十分だったんだが……おばさんの指示じゃ仕方がない」

「何卒――」

「いい、お前に責はない。引っ越し先の手配にもおばさんの口添えが必要な以上、真っ向から対立するつもりもない。今回は好意に甘えるとしよう」

「ありがとうございます」


 アンディの上司は美咲おばさんではない。

 指揮権を委譲されている私こそが上司に相当するのだが……半年弱という期間に於いて指揮権を放棄していた手前、偉そうなことは何も言えない。強制収容の余波が何気に大きいことは、ここに至って思い知ることとなった。


 もう少し、根回しなり何なり、しておくべきだったかもしれない。後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。

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