23.剛と筋肉
「お父さんは何なの?」
全探連本部を目指すパトカーの車内にて、詩織が問う。
発信機を探知できる剛といい、公安の堀内さんといい、普通に暮らしている人間には縁のない交友関係を有する私という存在。
詩織の質問は抽象的な表現でありながらも理解できないものではない。余程察しが悪くなければ、気付いて然るべき事柄だった。
「……実子であろうと、そうでなかろうと引き受けると決めた以上、詩織には総てを話すつもりではいる。でも、それは今ではない。お父さんが家族と認める爺さん二人を交えた上で打ち明けたいと考えている」
話すとすれば、その中身は酷く長いものとなる。
私の幼少期から始まり、高校二年生の出来事を語った上で、今に至るまでの流れを説明するつもりはある。当然、佐藤家に仕掛けられた調略も含むことになるが、この子には包み隠さず明かす決めていた。
現在に至るまでの、全ての揉め事を把握している堀内さんは口を挟まない。
剛はうちの爺共と懇意であるため、ある程度の内容は開示されているとは思う。ただ、彼がどこまで知っているかを私自身よくわかっていないが。
「お前の人を見る目はあまり信用ならないんだが……今回に限って俺も認める」
剛は、妻=智恵に裏切られたことを言っているだと思う。そういう意味では、ぐうの音も出ない正論でしかない。
そんな剛はなぜか私たちと一蓮托生の運命にあることを受け入れつつある。
彼自身は堀内さんの子飼いの情報屋という立場であり、私たちとは無関係を装うことも可能である。だというのに律儀なものだと関心してしまう。
だからこそ、少なくはない便宜を図りたくなるというもの。
「もう少し辛抱してほしい。全探連での話し合いの後になるだろうか」
「うん、わかった」
「全探連の今の会長は小坂君を知っています。協定締結に立ち会った法務省の事務次官ですよ」
「天下り、にしては全く楽な職場でもないのでは?」
「仕事の出来る人間を配置する必要があったようです」
事務次官と言えば、省庁に於ける官僚のトップ。法務省だとやや異なるようではあれど、それでも上から数えた方が早い。
ただまあ、あの協定が締結したのも二十年以上も前の話だ。直接絡むことのなかった人物の顔など、全く覚えてはいない。
そもそもが、あの協定自体が日本政府を主体とした協定ではない。
協定という形を成し国家同士の約束事とするために、事後報告という形で日本政府は後から担ぎ出されただけ。日本政府の立場からすれば、いい迷惑だっただろう。
▽
▽
「ここが全探連本部」
「詩織は初めてなのか?」
「うん」
私は数か月前に、因子の精密検査で訪れている。
詩織は生まれながらに因子を有していたそうで、全探連本部での精密検査を経ることもなく件の養成所へと向かったようだ。
そこへ至るまでの流れも、臼杵さんによって誘導されていたようだが……。
彼女の目的も然ることながら、動機も今一つ理解できていない。
「筋肉だ!」
「筋肉の連れ、なのか?」
「あのノッポも、筋肉っぽくね?」
全探連本部内にいた探索者たちは剛に注目していた。
一部は私にも視線を注がれているが、嫌な感じはしなかった。
「人気だな、剛」
「俺の鍛え方はお前譲りだからな! 今もフルスクワットは欠かさない」
「教えた記憶は一切ないんだが……、ハーフは膝が死ぬから止めとけと言った記憶があるような、ないような」
大学時代の記憶などかなり怪しい。
ヒョロガリだった剛は体力もなく、少し鍛えてはどうか? と唆した。その際に筋肉は女子にモテるぞ? と適当なことを言いつつ、上手く丸め込んだ覚えはなくもない。
私の言葉を曲解した剛は体力を付ける程度の鍛練に留まらず、こんなマッシブなガチムチ体型になってしまった。
私以外でも学生時代の知己と遭遇しようものならば、同姓同名の別人だと勘違いされてもおかしくないくらい。完全な別人となり果てていた。
「お父さんが?」
「そう、こいつが!」
「わたしにも出来る?」
「できるぞ。〝大〟と付く筋肉を纏めて鍛えられるのがフルスクワットの利点だ」
詩織はどうしてか、剛の言葉に反応していた。剛も剛で詩織にレクチャーし始める。
「僕は受付を済ませて来るよ」
剛と詩織の様子を見ていた堀内さんは早々に離脱していく。筋肉談義から逃走を図ったようだ。
全探連本部のエントランスホールは、銀行や役所のように複数の窓口が並ぶ。
窓口の前には相談内容を記した看板があり、その内容に従って探索者たちも並んでいる。だが主に並んでいるのは各探索者チームの代表者だけであるようだった。
「ゆっくりで構わまないぞ。初めの内は三回を三セット。風呂に入る前にでもやればいいだろう」
「……は、はい」
デジャブだろうか? 剛の台詞が、記憶を呼び覚ます。
確かに、かなり昔に、似たようなことを剛たち工学部の学生に言った記憶があるような。
「何も、ここでやる必要はないだろうに」
「何を言うか! 荷重を掛けなくともスクワットはできる。どこででもできる! そう教えたのはお前だろうが!」
「他の誰かと間違えてないか?」
全探連は、地方自治体が運営する探索者協会の上位組織。様々な事務手続きを主とする営業形態である、と養成所の座学では教わった。
従って、訓練所のようなモノは併設されていない。にも関わらず、周囲を見渡せば……詩織と同様、剛の教えに倣いスクワットに励む者がちらほらと……。
「しっかりとした型を覚えることだ。その上で慣れてきたら回数を増やしていく。だが、ただ数を増やせばいいという問題でもないぞ。最大でも十回まで、セット数も五セット程度で十分だろう。必要なのは毎日欠かさず続けることだ」
「継続は力なり、か」
「そうだ! 俺は今でもお前の教えを鮮明に覚えているぞ!」
剛の声がデカい。
そして、私に注がれる視線に伴う感情に変化がみられた。
「筋肉を育てたのって、あの人なの?」
「筋肉の伝道師?」
「あの人、何者なんだろう!?」
止めていただきたい。
大体、剛は誰かの言葉を、私の言葉と混同している節がある。言った覚えのない言葉までも、私の言とされてしまっては堪らない。年寄りでもないのに、脚色された思い出補正が強すぎる!
「サイドチェストで片乳ピクピクさせてたお前が、今更何を恥ずかしがる?」
「剛、てめぇ……覚悟はいいな?」
他人様の黒歴史を暴くとはいい度胸だ。こともあろうに、それも娘の前で。
これから全探連の会長との面談が控えているが、剛には役割はない。臼杵さんとの間で揉め事に発展しないよう退避させたに過ぎず、仮に剛が喋れなくなっても私たちが困ることはない。
「――止せ、お前に殴られたら洒落じゃすまない!」
「遅い」
左手で喉を掴み、少しだけ持ち上げる。
剛は百七十後半という身長だが、私の方がやや身長が高い分余裕はあった。
喉輪を仕掛けた左手の親指を徐々に食い込ませていけば、剛はそれを外そうと両手で私の左腕を掴んでくる。
ただな、それは囮なんだよ。
本命は右手の、一角打ち。
中指の第二関節を突き出す形で握った拳で、剛の左耳の耳たぶの真裏を突く。そこは顎関節であり、こうして突き入れることで強引に関節を外してやる。
「あが、が……」
今度は右手で顔面を掴む。右手の親指と薬指で両のこめかみを掴み、喉輪を解く。
剛も今度は私の右手を外そうとするのだが、魅せるための筋肉とは鍛え方が、握力が違う。リンゴジュースだって片手で作れる握力を舐めるなよ。
左の一角は人差し指の第二関節。先程と同様に耳たぶの裏へ突き込めば、剛の顎関節はガクンと見事に外れてくれた。
痛め技としてだけなら顎関節を押さえつけるという手もあったのだが、今回の場合は剛の口を封じるのが目的。これ以上余計なことを、詩織や他の探索者へ吹聴されないための仕置きだ。
「ああああああああ、あああああ!」
「うるさい、黙って反省してろ」
「ああああ!」
「お父さん……、北川さんは大丈夫なの?」
「別に関節は砕いたわけじゃない。外しただけだから元には戻るさ。多少の痛みは伴うだろうがな」
「あああああ!!」
口を開けっ放しとなっている剛は涎が分泌されても、口が閉じないのだから溢れ出て来る。剛自身も何とか顎を嵌めようと試みているが、まともに入りはしない。
脱臼、亜脱臼は慣れていないと自分で嵌めるのは困難を極める。痛みを伴うのは勿論のこと、関節を嵌める際の感触が何とも気持ち悪い。そのような違和感を覚えては踏ん切りも付かないだろうよ。
「受付は済ませたけど……、北川君はどうしたの? なんで口を押さえてるの?」
「ああああああああ、あああああ!」
「静かにしろ。どうせ何言ってるか判らないんだ」
「あああああああ!!!」
片手で私を指差し、言葉にならない声を挙げる剛。
因果応報とはこのことよ。
「向こうの準備が整ったら案内してくれるそうだから、それまで少し待つことになるよ」
「お父さんやりすぎだよ。北川さんが可哀そう」
「馬鹿にもよく効く、いい薬だ」
「やっぱり、小坂君がやったんだね。周囲の目もあるのだから目立たないようにしないと。特に君の場合はさあ」
私へ集中する視線に含まれる感情は恐怖かな? それとも畏怖か。
そういった感情を向けられることにはもう慣れた。高校時代の、あの時から。
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