20.情報屋



 公園を抜けるまで一悶着もなかったが、非常に興味深いことはあった。


「あっつ!」


「むむむむ……」


 昨今の九月など、ほぼ八月の気候と変わらない。下手をすれば七月相当だろう。

 しかも都内ともなれば、アスファルト舗装は免れない。ある程度の蒸し暑さは許容範囲内ではあっても、それは歩いての移動を前提においてのこと。

 あまりの暑さに、我が娘がおかしくなったのかと錯覚してしまうが、今も唸ったまま。

 

「えい!」


「――生温いけど、走る勢いで冷たく感じなくもない」


 私の顔に当たった水は、光の粒子となって消えてしまう。上半身も濡らしてくれれば、熱を奪っていってくれるに違いないというのに。


「魔法なの! お父さんと田所さんが過保護にしたせいで、私がモンスターを討伐した数は数えられる程度よ! だから魔力量も全然育ってないの!」


 それはもう済まないとしか言いようがない。

 まさか佐藤さんが自分の娘だとは思いも寄らなかった。

 私たちのチームに於いて、モンスターの討伐は私と田所さんが担っていた。撃ち漏らしがあれば、佐藤さん=詩織が引き継ぐ形で討伐していたものだが、その討伐数は高が知れている。

 だが、実娘だと知っていれば知っていたで、もっと過保護にしていた可能性も否めない。


「ここで少し休憩しよう」


 意識的に、詩織の愚痴を避けるために休息を取る。自業自得とはいえ、延々と愚痴を聞かされては堪らない。公園の、樹木の陰で整息を図る。私に運ばれていただけの詩織も、真夏同然の暑さには辟易している様子だった。


「ここから先は詩織にも働いてもらう。『PUB レモン』という名の店を探してくれ。黄色とオレンジがベースになっている看板だったと思う」


「パブ、レモン?」


「今現在の店主だって正確には理解してるかは怪しい。店を構えていた先々代が付けた名前で、由来を問われても私は何も知らない」


 実際には勝手に引き継いだ三代目が登記し直しているのだが、私は知らないということに違いはない。この件に関わっているのはスチュワートであって、私自身ではないと付け加えたい。





「あった!」


「よくやった」


 〝PUB レモン〟を最初に見つけたのは詩織だった。私は大体の場所しか知らなかったので、文字通り右往左往させられた。

 私の記憶上では四丁目の南西側だと思われていた場所には存在せず、北側に存在していたことはなかったことにしたい。こういう些細なことでも父親として、ある程度は威厳を示さなければ……と考えたものの、全く上手くいかない。


「正面はダメだ。周囲の店から見られている。裏口に回るぞ」

「うん」


 現在、臼杵さんが何をやっているかを私と詩織は何も知らない。

 およそ今頃は警官隊と押し問答をしているかもしれないが、そんなものは私たちがこの場に辿り着いた後であれば、どうでもいい。警官にあまり怪我人を出さないように、と祈るしかない。


 ここで、私と詩織は起死回生を図る。


「剛、ジャミング全開! 追われてるから匿え!」


「……英一! てめぇ、よくものこのこと!」

「緊急事態だ。堀内さんに連絡を取れ。奥の部屋、借りるぞ」

「ちょっ……」


 店主が何か言いたそうにしたが無視した。どうせ大したことではない。


「短波を妨害すると近所から苦情が出るんだが……」

「中波から長波は重点的に撹乱しろ。あとで幾らでもフォローしてやる」

「長波っておまえ……ビーコンでも仕掛けられたか?」

「恐らく、な」


 GPSでも多少のズレは生じる。だが、スマホの電源を落としても臼杵さんは追って来ていた。しかもかなり正確に、だ。

 途中途中で警官隊が妨害してくれてはいたが、現状では時間稼ぎにもなっていない。


「その鞄の意匠。全探連が敵側か!」


 遅ればせながら、店主も事態の深刻さに気付いたようだ。


「全部が、とは思いたくはないが、少なくとも一部は確実だろう」


「俺は兄貴の件もあって完全にお前側なんだぞ! どうすんだよ!?」

「どうするも何もない。いつも通り、今回も私は面倒に巻き込まれた側。ならば、原点に立ち帰るのは当然だろ?」

「全探連を相手に立ち回るつもりか! いくらお前でも……いや、お前なら……」


「兎に角、時間がない。私とこの娘は居ない者として振るまえ。すっとぼけろ。いいな?」

「元より、俺とお前とは一蓮托生なんだよ!」

「じゃあ、任せた」



「お邪魔しまーす!」


「……いらっしゃい」


 英一のクソ野郎! 毎度毎度、面倒事ばかり押し付けやがって!

 学部は異なるが大学の同期として、当時から付き合いのある野郎ではあった。それがまさか裏社会に通じる小物どころか、世界的な裏社会の大物だったと知った時は飛び上がって驚き、奴の眼前に跪いたものだ。

 当時、やくざ相手に馬鹿をやらかして行方不明になった兄貴の行方を捜していた最中でもあった。藁にも縋るつもりで英一に頼ったのが運の尽き……。

 結果的に兄貴の居所を特定してくれたり、兄貴が親父から引き継いだ裏家業の再建を補助してもらったりと借りが幾つも積み重なりつつある。


 だとしても面倒事を持ち込み過ぎだ。


 最近は本当に言い様に使われている。直接、英一にではないにしても部下の爺さんたちや、あいつと関わりのある公安職員に使われていることに変わりはない。

 それこそがこの家業の神髄ではあるのだろうが……。俺はこの先もこいつに付いて行って大丈夫なんだろうか? 元より選択肢など、在りはしないのだが将来が心配だ。


「あ、あの、親子連れを見ませんでしたか? 若作りな中年の父親と女子高生風な娘の二人組なんですけど」


「いや、うちの店は元々親子連れが来るような店じゃない。立ち飲み屋に親子連れが来るとしても、壮年の親と相応の年齢の子供になるわ。……にしても、あんたはどっかで見たことがあるような。一体、どこでだったか?」


「し、失礼しました!」


 嘘ではない。間違いなく見覚えはある。

 どこの誰と問われても答えられそうにないが、それでもどこかで見た記憶は確かにあった。



「発狂でもしているかと思えば随分と冷静だったな。冷静に警官を駆逐しつつ、私たちを追って来たとなると手強いな」


「英一。お前、何した? 俺はさっきの女、どこかで見た覚えがある」


「何もしてないさ。剛、臼杵さんに見覚えがあるのか?」

「うすき? 臼杵? 二年……いや、三年前に優良探索者の表彰を受けた臼杵美玖か!」


 何じゃそりゃ? って話だ。

 そもそも、佐藤一族でもないこいつが何で臼杵さんの存在を知っているのか?


「剛、探索者だったの?」

「つい四年前の話だが収容されたんだよ! 爺さんたちには話したぞ」

「いや、全く聞いてないが……。あいつらも探索者関連に興味すらなかったんだろ」

「少しは興味持てよ。探索者も十年選手ともなれば超人だぞ! お前や爺さんたちは元から人外だから興味がないのも仕方……ない、のか?」

「余計なことをいうな。今は連れがいる」

「おっと、すまん。っていうか、そのガキは何だ? お前が子供に好かれるのいつものことだが……」


「公式なDNA鑑定待ちだが、かなりの確率で私の子だと思われる。佐藤家が隠していやがった」

「鬼神と正面切って喧嘩するなんて、俺なら正気を疑うね!?」

「なんちゃってでも情報屋ならばそう考えるだろうが、佐藤家にそういった伝手はない。私はどこにでもいる一般人でしかないからな」


 剛とは大学の同期。工業大学の花形と謳われる工学部が剛で、私が建築学部だった。地頭どうこうでいうのならば、剛の方が遥かに良い。

 ただ、どういう因果か。互いに大学で得た教養など全く役に立たない道を進み、奇妙な縁で再び邂逅した。


 大学時代はヒョロガリだった剛が見るからにマッシブな体躯となっており、同姓同名の別人だと思ったくらいだ。わけを問えば、学生時代に私の言った戯言を本気にして鍛えたらしい。

 そのおかげで、結婚できて二人目が生まれると聞いた時にはぶん殴ってやりたくなったが、一家の大黒柱を入院させるわけにもいかず、必死に我慢したのを覚えている。当時の私は智恵との離婚調停の最中にあり、少々病んでいた頃だった。仕方なかろう。


「んなことはどうでもいい! 剛は表を警戒しつつ、堀内さんに連絡を付けろ。あとは家電を少々借りるが、工具を貸せ」


「堀内さんには緊急事態だと既に連絡してある。店の電話はそこだが、工具類は奥の部屋にあるから好きに使え」


 堀内さんは公安の〝対外情報室〟という大仰な名前の付いた部署の室長だが、実のところは政府と私とを繋ぐ役割を担っている。協定の条文に盛り込まれたため、生涯異動はできないという不憫な人材ではあるが、内部ではそれなりに昇進している。

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