19.追跡



「そもそもが、どうして逃げ出す必要があったのか」


「お爺様がそう言ったからでは?」


「賢二氏が弄した二重の足止め策。臼杵さんが話が出来る精神状態ではないと判断した結果ではあるが……これで、ただの連絡事項だった場合は目も当てられない」


 追跡を撒く形で大きく迂回。しかも大きな通りから一転、細い路地に入り込む形で臼杵さんの側面に回り込んでいる。

 彼女が私たちの幻影を追い掛けるのならば、直進すると思われた。だが、そこに現われたのは警察車両だった。


 鬼気迫る表情で私たちを追う姿を、迂回してきた私たちは現在進行形で隠れ見ている。


 警備網を突破された賢二氏が通報した可能性は低い。佐藤家は身内の恥みたいなものを殊の外隠す性質が強い。ただ、白昼堂々鬼気迫る表情でブツブツと独り言を漏らす姿を、通行人の誰かが見逃すとも考えにくい。

 後者である可能性が非常に高いが、前者であっても私たちには一害もない。後者が存在することを思い、幹線道路を西進してきたのだから願ったり叶ったりではある。


「詩織は息を整えるように、深呼吸だね」


「スゥーー、ハァーー。スゥーー、ハァーー」


 私の指示に素直に従う様は素晴らしいのだが、この娘は他者を疑う心があるのか疑念を抱く。ヒトというものは決して善意のみで成り立ってはいない。どこかで欲が出ることを、私は四十年余って生きて学んだ。

 素直であることを悪いとは言わない。それは無垢であることを無知と断ずるに値する愚行だろう。

 しかし、今の私には彼女の父親としての責務が発生する。彼女の教育に関して、私一人では荷が重い。協力者が必要だ。

 配下の二人。あいつらを呼び戻すのは既定路線でも、もうひとり……娘を育て切った母親の助けが必要になる。その宛てはあるのだが、果たして誰に依頼するべきか悩む。


「ハァーー。凄く遠いけど、お父さんは見えてるの?」


 詩織の母親=智恵も私も眼鏡には縁がなかったが、この子は例外的に眼鏡っ子だ。メイズを往く時はスポーツ用のバンド式眼鏡を利用していた。

 あくまで近視なので遠くは見えるようではあれど、それにも限界がある様子。私は相手を観察することを幼少期の経験から学び、配下二人の勧めで特殊な訓練を積んでいる結果として、常人以上の視力がある。


「このくらいなら余裕で見える。詩織も私の下へ来た以上は、同様の訓練を受けさせるがな」


「私もお父さんみたいに強くなりたい!」

「シッ! 大きな声を出すな」


 臼杵さんがどれほどの手練れであるのか私は知らない。

 だが、それなりに長い期間を探索者として活動する歴戦であると認める以上は、その内包する経験や能力が田所さんと同等レベルであっても不思議はない。

 特定の声音を察知・識別し、探知する能力があってもおかしくはない。あの爺様ならば、それくらいやる。


「こんな言い方は本来ならしたくはないが……詩織は私の様にはなれないよ」


 何かに取り組む以前に無理だ、無駄だ。などの言い方は親としては正しくないだろう。

 しかし、私もあの二人も大概壊れている。本来、人間として持っていなければならない感情を取り零した欠陥品。欠陥品だからこそ至れる高みであると、あいつらは謂っていた。

 

「それに、私は娘をアマゾネスにしたくない。でもまあ、教師役は紹介しよう」

「本当?」

「本当だとも。ただし、彼らは一切甘くないぞ。私が学生の頃の長期休暇は全て、訓練に充てられたくらいだ」


 私は語学が苦手だったにも拘らず、自国の将校教育にゲストとして無理矢理参加させられたくらいには過酷だ。いつの間にかパスポートが用意され、本人が何も求めずともビザが発給されるという地獄を経験することになるだろうが……。

 私の場合は機密保持に関する要綱が主であり、そのための訓練に充てられたという経緯がある。大荷物を背負っての登山とか、対尋問訓練とか。

 同じ釜の飯を……というか、クソマズいレーションを食い。たまに缶詰を分けあい、生き延びた同窓生は今やそれぞれの国の軍幹部となっている。あいつらにしても顔繫ぎとして参加させたという思惑もあったのだろう。

 そういうことが理解できるようになったのは、私でも十年くらい前のことになる。詩織が彼らの薫陶を受けたとして、その辺りを理解するには歳が若すぎる。恐らくは理解できずに恨むことになるだろうな。


「それで、美玖ちゃんは?」


「今は警察の職質を……って、やりやがった!」


 観光も何もない灰色の海外旅行を経験している私でも知っている。どこの国でも警察に危害を加えてはいけない! そんなことは子供だって知っている万国共通の理、のはずだ。

 警備員がそうされていたように、臼杵さんは警官を投げた。パトカーに向かって。

 パトカーは警官が投げ付けられた衝撃で窓ガラスが割れ、ドアには大きな凹みができていた。


「……これで他愛ない連絡事項という線は消え失せた」


 元から極めて儚い希望ではあったが、これで完全に潰えた。


「何か、ザックから取り出したよ?」

「見えるのか」

「誰だか判別できないけど、あのザックだもの」


 ザックは探索者協会で支給されたモノだ。臼杵さんがいつ頃から探索者として活動しているかは知らないが、ザックも含めた所持品が刷新されていても不思議ではない。詩織は、私たちが持つザックと同等の色合いを見て判断した様子だった。


「スマホを仕舞って、アレはタブレットか?」


「私たちがスマホの電源を落としたからかも?」


 ギロリ!

 そういう擬音が私の脳を駆け巡る。


「ヤバい、見つかった」

「逃げよ!」


 幸いにも猶予はあった。詩織の息は整っている。疲れ切ったまま、再びの逃走劇というわけではない。ただ、ここはまだ一丁目から抜け出せていない。都庁にすら辿り着けていない。


「公園まで抱っこしていくぞ」

「うん!」


 あの頃の冬山登山の経験からすれば、詩織の体重やザックに槍の箱など軽い軽い。

 当時と比べて歳を取ったとはいえ、鍛え方はあの当時と寸分も違わない。


 それでも――


「私は基本方向音痴だからナビを頼む」

「都庁が目印?」

「とりあえずは、そうだ」


 運転免許証を取得後に姉を乗せて買い物に行った際、「そこを右折」という姉の声に対して私は左にウィンカーを出して左折した経験がある。左折した先は迂回できる道もなく、迷いに迷った。途中で姉がブチ切れ、ハンドルを奪い取られたのはいい思い出だ。

 以来、筋金入りではないが私が方向音痴であるのは誰もが認めるところである。


 スマホの電源を入れれば、道案内は完璧だろう。だが、それをすれば直ちに臼杵さんが追い掛けてくる。今も何を目印にしているのかは謎だが、追われている。

 ただ、彼女も追われる側ではある。警官に手を出したのだ、非常線が張られてもおかしくはない。警察が検問を敷いてくれるのであれば頼もしい。

 彼女から逃げている側からすれば、負傷したであろう警官には申し訳ないという思いもあるがね。今は他人にかかずらっていられる立場ではない。


「たぶん、あれが都庁!」


「都庁を通り過ぎたか。公園を抜けるぞ」

「公園はあれね」


 人間は、まっすぐ走っているつもりでも左側に逸れるらしい。そんな統計があると誰かが言っていた。スチュワートだったか、ラルフだったか。あるいはアンドリューだったか、エリカやアマンダであったかもしれない。

 兎に角、公園をぶち抜けば、あとは手探りでどうにかなる! なるといいな。


「何かあるよ?」

「ふれあいモールだな。あそこは避けよう、子供がいるかもしれない」


 今までは人通りも多い道を通って……通らざる得ず、直進してきている。だが、警官にまで暴力を振った臼杵さんだ。例え民間人であろうと、正義を履き違えた勘違い野郎でもいた場合には面倒なことになる。まず間違いなく、ぶん投げられるだろう。

 九月の、時間的に昼過ぎだから学校に通う子供はいないだろうが、幼稚園や保育園に通えない子供が居てもおかしくはない。待機児童という不遇な子供もいるくらいだ。

 私の幼少期に比べれば幾分かわいいものだが、それでも不遇であることに変わりはない。そんな子供たちを私は巻き込みたくはなかった。

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