18.遁走




 二人してザックを背負い、得物入りのハードケースも肩に担ぐ。大荷物を抱える私たちを見て賢二氏が扉を開いてくれた。

 廊下から聞こえるのは女性が喚き散らす声と、それを制止しようとする男たちの声に、何かが破壊されている音。社長室の扉は気密が良いこともあってか、外部の音が綺麗に遮音されていたことを今更になって思い出す。


「まだやってたの?」


「ずっとあの調子よ。儂が窘めようにも全く聞く耳を持たぬ。終いには警備員がやってきたが、なまじ力があるゆえに厄介なものよな」


 警備員四名が寄って集って臼杵さんを押し留めかねていた。ツーマンセルで行動する警備員が二組だが、臼杵さんは探索者だけあり、地力が違う。

 警備員は腕を掴まれ、無造作に投げられては壁に叩き付けられる。社長室前の廊下を彩る調度品の幾つもが瓦礫と化している。それでも要人警護を担当する警備員だけあり、即座に起き上がると再び臼杵さんを拘束しようと行動する。


 暴れる臼杵さんの、その口から洩れる呟きはもはや日本語には聞こえない。

 そして、扉から一歩外に出たばかりの私たちへ向けられた瞳。そこから読み取れる感情から罵詈雑言であることは分かる。


 私はあの眼を嫌と言う程見た覚えがある。実母が私へ向けていた眼だ。

 恨み、憎しみ。

 ただ、私にはそんな眼で睨まれる覚えはない。実母にも、臼杵さんにも。


「ヘリで帰ることを拒否したくらいで、あれ程の憎しみを抱くものか?」


「恨まれるのであれば、部屋から強引に連れ出した儂か? あるいは追い出した張本人か?」


 一言、礼を言いたかったんだが、あの様子では……言葉が通じるかも怪しい。

 屋上からこの部屋へ至るまで少々不機嫌ではあったが飄々とした態度であっただけに、豹変してしまったその様に驚くほかない。

 誰の、どういった行いが、彼女の琴線に触れてしまったのか? 数か月間の浅い付き合いしかない私には判断しかねる。


「あの娘のことは私に任せてください。折角訪問していただいたというのに慌ただしくて申し訳ない。田所さん、英一君、詩織をよろしくお願いします。英一君、エレベーターの利用方法は理解しているね?」


「……足止めですね。それは解りますが、くれぐれも無理はなさらないよう」


「無理はしないさ。その代わり、大した足止めにもならないだろう。さあ、早くお行きなさい」


 互いに頷き、行動を開始する。

 賢二氏は臼杵さんの下へ、私たちは階下へと降りるためにエレベーターホールを目指し駆け出した。

 



 エレベーターホールには警備員が二名待機していた。


「私共が一階エントランスまでご案内します」

「どうぞ、エレベーター内へ」


「賢二さんは高層階用の認証カードを抜けと、それと降りる際には全階層指定を」

「警備主任から同様の指示が出ています」


 ここのエレベーターは一階エントランスに三台が並ぶのだが、それぞれが辿り着ける最高階数が異なる。最も左にあるエレベーターは最上階まで、中央と右側のエレベーターはその他重役室のある階層までと。尚、コントロールパネルに高層階専用の認証カードを差し込まない限り、それぞれの高層階には辿り着けない仕組みになっている。

 認証カードは来客向けに受付でも管理されているので、脅せば部外者でも利用できなくはない。やらないが。


「なあ、佐藤さん?」

「詩織」


「詩織さん」

「詩織」


「……詩織」

「何ですか? お父さん」


 ずっと佐藤さんと呼んできたことで、咄嗟の場合には佐藤さんと呼んでしまう。慣れというのはそういうものだ。実子である可能性が限りなく高いとはいえ、女の子をいきなり名前呼びするのにも抵抗がある。

 しかし今は、ふと浮かんだ疑問を解消する方を優先したい。ことと次第に由っては、かなりヤバい状況になる。私たちがではなく、主に臼杵さん本人が。


「臼杵さんとの取引の対価に何を差し出した?」

「えっと……」


「ふむ、人目を憚る内容であるのじゃろ。儂や警備員の目と耳があっては話せんということか」


「なら質問を変え……いや違うな。時系列を追って、最初から何があったかを話してくれないか?」


「……最初は美玖ちゃんから連絡が来たんです。学校に。授業中でした。進路指導の中沢先生に校内放送で呼び出されたんです」


 そういや、学校のこともあった。通えないようなら転校手続きだって必要になる。その辺りも賢二氏に詳しく聞いておくべきだった。


「お父さんが全探連の養成所に入所するという内容で、私の入所時期を合わせることが出来るって」


「それはいつのこと?」


「……確か二月の終り頃。スマホに……ありました! 二月二十六日」


 財布に入れている献血手帳を見る。私が献血に行ったのは二十四日の土曜日。その翌々日じゃないか。


「臼杵さんは全探連の正規職員じゃないよね? 何度かそんなことを言っていたはずだ」

「違うと思います」

「儂らの監督の結果、採用枠を確保できたとか言っておったな」


 ならば、その情報はどこから得た?

 私の情報を探るというのは、かなり危ない橋だ。表側は何一つ隠してすらないが、裏側はあの二人の奔走の結果、各国の思惑が合致した形で非公式ながらも四カ国の協定に則って秘匿されている。

 佐藤家の調略結婚を除外しても、協定破りの未遂事件を何度か起こしている日本には憂慮すべき案件となる。更に、何らかの形で外部へ漏れれば、兄弟たちが動き出して手に負えなくなる可能性すらある。


「お父さん?」

「ちょっと待ってくれ、考えてる」


 臼杵さんに協力者が存在することは疑いようもない。

 では、どこに? 全探連内部が最も怪しい。ただ、残念ながら私はそっち関係には全くといっていい程に伝手がない。この場合、圧力を掛けられる伝手という意味で。もっと上からの圧力となると、どこかで内容が捻じ曲がる可能性があるし、何より情報そのものが拡散してしまう。それは避けたい。


 だが、早く協力者を見つけて臼杵さんの罪を擦り付けでもしないと、彼女の身が危ぶない。今は、存在するであろう協力者が善良でないことを祈るばかりだ。

 それを以て、娘に会わせてくれた彼女への礼としたい。


 独特の浮遊感が収まり、速度が落ちていき。

 一階への着床を報せる音が鳴れば扉が開く。


ジ、ジー


「――はい、こちら0815。了解、伝えます」


「お三方。対象が警備網を突破、階段を利用して降りているとのことです」


「なぜ儂らを追う必要がある?」

「わかりません」

「私にもわからない」


「攪乱するか?」

「いえ……恐らくですが、狙いは私かこの子のどちらかでしょう。田所さんはこれ以上面倒な騒動に発展する前に離脱してください。帰りを待ち望んでいる奥さんがいるのでしょう?」

「しかし……」

「幸い、近くに知り合いがいます。匿ってもらいますよ」


 現在地は西新宿一丁目、番地までは知らない。

 まずは都庁を目指し、次に中央公園を通り抜けて、四丁目まで。

 あいつの店に行く時は殆んどが運転手付きの車だったため、土地勘がないのがネックになる。でも、近くまで行けばわかるとは思うんだよな。


「じゃあまた、二週間後に!」

「お父さんのこと、ありがとうございました」

「二人とも息災、でな」


 ええ、息災であればいいですね!


「お父さん、走るの?」

「走るけど、全力じゃなくていい」


 ザックには衣服と雑貨しか入っておらず、実に軽い。

 問題は得物だ。重い。肩に担ぐとハンマーヘッドの影響でバランスを崩してしまう。詩織の槍は、中間をねじ込み式で継ぐタイプの柄に取り外し可能な穂先があるが、それほど重くはない。

 双方共にハードケースだが形状は異なる。私のは長細い長方形、詩織のはやや正方形に近い長方形。どちらも肩紐に腕を通して担ぐには適しておらず、前方で抱え持つしかない。

 しかし、この態勢は走ることに適さない。腕を振れないからな。

 詩織の体力が心配だ。


「フゥ、フゥ……お父、さん」

「なんだ?」


「さっきの、はなし」

「待て! もう追い付いた……のか?」


 振り向かずともわかる。絶賛、嫌な感情の籠る視線が私へ向けられている。


 それにしても早すぎる! 一体、どうやって追って来た?

 佐藤インダストリーHDの自社ビルからは四方に道が通っている。だというのに、あまりにも早く追い付き過ぎだ。


 何か目標を特定する術を持っている? とすれば……スマホ・携帯のGPSか!


「詩織、ケースを持ってあげるからスマホの電源を落としなさい。今直ぐに」


 私のスマホは電池切れで疾うに死亡している。このスマホはあくまで表の仕事用。秘匿回線を用いるヤバいスマホは自宅に隠してある。肌身離さず持ち歩けないことを懸念して置いてきた。


「切った!」

「全探連でもらったモノもか?」

「あれは電池が少なかったから、一度起動して直ぐに切ったよ」

「よし。じゃあ、追跡を撒くように動いてみよう。体力は持ちそうか?」

「うん。まだ大丈夫だよ」


 最悪、抱っこしてもいい。

 十中八九、親子なのだ。あの当主も賢二氏もまさか他人を娘と偽ってねじ込んで来たりはしまい。そこはかとなく信用は出来ないのが困りものだが……。

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