17.親子②



「君は相変わらず肝が太いね。娘がいたという話にも一切動じることがない」


 それは買い被りですらなく、明らかに誤認である。目が曇っているとしか言いようがない。

 佐藤家に取り込まれても真摯な態度を崩さない人物と考えていた賢二氏も、十数年会わない間に佐藤家の体質に染められてしまったようだ。


 私がこの度の事象に碌な対応を示さなかったのは、そういった感情が元から欠如しているからに他ならない。

 私は自分が壊れていることを幼少時から理解している。だから当時は同級生を観て、周りの大人を観て、不自然にならない範囲の反応を示してきた。

 ここでは祖父と孫娘にその父しか居らず、私と同等の立場で反応を示す他者は存在しない。なので見倣うべき人物が居らず、私は困惑するしかなかった。だた、それだけのことだ。


「お父さん!」


 何がどう彼女の琴線に触れたか謎だが、佐藤さんが感情を露わにしてきた。

 されど、私の側としては何もしてあげられない。


「よくもまあ、こんな普通な少女として育てることが出来ましたね?」


 私の疑問はここに収束する。

 娘=智恵とは大幅に何もかもが違う。箱入りで根気よく教えなければ何も出来なかった人間とは違いすぎる。


「私たちは子育てにほぼ関与していない。幼年教育に続き、小中高一貫の学校に委ねたのだよ。ある意味で君に学んだとも言えるかな」


 自分たちがイカれていると知って、外部に委託したか。

 私に学んだというには決定的な間違いがある。私の場合は強烈な反面教師が二人も存在した所為で、ああ成っては拙いという強迫観念に駆られたものだ。

 その分、本来親が与えるべき愛情が不足しているはず。そうやって育った佐藤さん=詩織さんがどうかと言えば、私に測り知れるものではない。


「なぜ私に関する情報を与えたんです? 嘗てのあなたたちのやり方では考えられない」


「私たちは本当に君には申し訳ないと思っているのだよ。この子が罷り間違って君に辿り付いた時、君を罵ることがないよう。非を責められるべきは私たち一族だと教えた」


 実の娘を使い潰したお前らがそれを言うか……。


 臼杵さんがこの場を整えることがなければ、孫娘であっても道具として使い潰す気満々であったであろうに。その証拠にこれだけ成長しても、父親であると目されていた私に一切の連絡すらなかった。


 この人は私が知らない間に随分と変わってしまったようだ。馴致されたというべきか、馴染んだと言うべきか。

 なればこそ、別のアプローチが必要かな。



 部屋の隅。扉のある辺の右角へジェスチャーを送る。

 親指と小指以外は握って電話の受話器を示すジェスチャーを。その後に、この部屋に唯一あるビジネスフォンを指し示す。


 部屋の主からすれば、意味もわからない行動であろうが知ったことか。

 以前からカメラを仕掛けられていたこと自体を思えば、彼が信用されていない証左でもあろうが今の私には関係ない。

 ネットワークカメラはピンホールカメラと違い、レンズの反射が大きく私の知覚からすれば容易く見つけられる。


ルルルルルルルルルル


 ビジネスフォンが鳴ると、真っ先に受話器を取った賢二氏だ。

 電話本体をここまで持って来ようとしたが、配線の関係で限界であったようだが。


「君へ取り継げと……」


 賢二氏として言いたいことが多数ある様子だが構ってなどいられない。彼は所詮、当主の飼い犬でしかないからな。

 ここは、その当主と直接話すべきだろう。その為に、のぞき穴の存在を明かしたのだ。


「あなたがこうも素直であると気持ちが悪いですね」


「なるほど。では、ご自身が何に手を出したか理解した訳ですか。……今後、あなた方がどうなろうと私の知ったことではない。ですが、せめてこの会話が意味を為してくれることを祈るばかりです」


「あと、この子の親権は貰います。……はい、私の方でも代理人を立てますよ。お互いに忙しいでしょうから、代理人に擦り合わせてもらいましょう」


 どこの勢力か省庁かはわからないが、佐藤家に対し私という存在に関する警告が入っていたようだ。


 ある出来事を切欠にして裏社会デビューさせられた私(当時高校二年生)を、全力で隠蔽したのは今でこそ私の配下となっている二人だ。そのおかげで、私の一般人としての生活は今も護られている。国家間に於けるややこしい制約が幾つか付随しているのだが、今は措く。

 配下の二人。彼らには教え子が、その片方だけでも千人を超えて存在する。各国の政府高官や軍高官であればまだ良い方で、果てはマフィアの幹部やカルテルの幹部まで……。私の血の繋がらない、会ったこともない兄弟たちと言ったところだな。

 彼らから見て末弟に数えられる私では彼らを制止できない。実際、制御不能な数千人を抱えていてもメリットなど極小であり、逆にデメリットの方が遥かに大きい。


 それが初めて露呈したのが、佐藤家に因る調略結婚だった。


 佐藤家は目を付けた人材を婚姻で一族へ取り込む。それも言いがかりに近い強引な手段を用いてことが為される。取り込まれる人材の家柄に拘りはないらしく、政略結婚というよりは調略結婚と呼ぶ方が相応しいだろう。

 私は欠陥だらけで優秀な人材とはかけ離れていると思うが、彼らの目は腐っているからな。

 また、佐藤家は私の裏側の情報を全く知らなかった。そこへ至るだけの諜報能力を有していない。グローバルな企業であれば社会の裏側にもある程度は精通しているものだが、佐藤インダストリーHDは国内向け製品しか製造・販売しておらず、そういった面に疎かった。


 だからこそ問題が極大化したのだろう。

 兄弟たちの手によって、私の権利を脅かす存在=佐藤家の上層部が丸ごと暗殺対象に指定された。政府側にも抗議が殺到したとも聞いている。当時の外務省職員は本当に大変であったらしい。

 私はそれらを阻止すべく、婚姻関係を結び身内として取り込むことで防ごうと企てた。それも悩んで悩んで悩んだ挙句に実行した措置だ。


 その後。

 私はあんな家に生まれたこともあり、他に手段がなかったとはいえ結婚したことを踏まえ、幸福な家庭を築こうとしたものだが……結局は妻に裏切られる形で私の献身は全てが無駄に終わった。


 だが、私はここで娘の存在を知った。

 この事実は私に新しい選択肢を用意するには余りある。


「ご当主と話はつきました。詩織さんは私が引き取ります」

「あれが許した以上、私が何を言おうが意味はなかろう」


「色々おかしな状況にはありますが、あなたもあの人も肉親であることに変わりはない。この子が望むなら筋は通しますよ」


「感謝する」


 教育にまとも関わっていなくとも血縁であることに変わりはない。この子が会いたいと望むのならば、拒絶するだけの根拠はない。

 ここまで育つまで私に秘匿していたことについても、ある程度は推測できる。あくまで悪い意味でしかないが……使い潰した挙句に出奔してしまった娘の代わりを求めたのだろう。今日ここに私が来なければ、この先もずっとそうしていたに違いない。

 これに関しては従業員を守るためでもあるのだろう。今や部外者でしかない私が何か言える立場にはない。血の繋がる子供を蔑ろにしてまで守らねばならない従業員とは何もであろうか? とも思う。

 所詮、庶民出の私では理解できない思想だ。


「お父さん!」


「正直、今の私に父親であるという実感はないよ」


「……」 


「だが……少しずつ家族になっていけたらいいな」


 佐藤さん=詩織さんは私のことを知っていたようだが、逆に私は何も知らない。知らされていない。

 いきなり、娘だ! 父だ! と言われたとこで、すぐに対応できるだけの器用さはなく、戸惑いしかない。


 それに、

「民間の鑑定結果がどうであろうと、公的な記録が必要になるんだ。もう一度、公的な検査機関でDNA鑑定を受ける必要があるのだけど、構わないだろうか?」


「うん!」


 佐藤さんの元気な返答とは異なり、賢二氏が何か言いたそうだったが思い留まった様子。内線はまだ繋がったまま、当主から制止が掛かっているのだろう。


「仮に、仮にだけどね。佐藤さんが私の子でなくとも親権は私が引き受けるよ」


 それだけ、この家系は信用できない。信用できないということ自体を信頼できるとはいえ、全く信用できないことに変わりはない。

 当主へ私に関する警告が入ったようではあるが、どこからどこまでの内容が開示されたかもわからない。彼女らは一癖も二癖もある企業家だ。警告がどこまで有効か、私の側としてはわかったものではない。

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