16.親子①



 やらかすことが前提であったとはいえ、実際に高層ビルの屋上へ降りられてしまうと感嘆するしかなかった。普段であれば、こんな場所に来られることはない。

 おかしな境遇で管理下に置いている二人の影響力を以てしても、不可能ではないだろうが簡単なことではないだろう。


「ここでの猶予は二時間よ」


「ここ新宿だよな? 私はここから電車で帰ることにする」

「儂も、家の周囲にヘリコプターが降りられる場所がないもんでな」


「許可はあるから、道路でも公園にでも降りられるわよ」


「そんなことしてみろ。近所迷惑も甚だしくて、鼻つまみ者扱い一直線だぞ」

「うむ、違いあるまい」


 確かにそれは可能なのだろう。だが、近隣住民に対して一切の配慮がなされていない。他者への影響を全く考慮しない行動というのは、往々にして反発を招くものだ。

 臼杵さんはどうやら社会人経験も皆無なまま探索者になった手合いか、あるいは親と同居しているかのどちらかだろう。社会人であれば他人の目を必要以上に気にし、独り暮らしの経験でもあれば、それ以上に他者の目を配慮するようになる。だが、彼女にはそれが欠けている。

 ご近所さんに白眼視されては堪らない私や田所さんは、衣類や雑貨を収納するザックと武器を収めたケースをヘリの外へと持ち出す。佐藤さんは? と見れば、彼女も同様に全てを持ち出すようだ。といっても、ここは佐藤さんに所縁のあるビルであり、ここで離脱する以上は荷物を持ち出さねばならない。


 かく言う私もこの辺りには過去に縁のあった企業が所有するビルが存在するのだが……下から見上げるのと上から眺めるとでは大違いで、場所の感覚がいまいち掴めないでいる。ただ、都庁のツインタワーを見間違えることはないので新宿であることは間違いないと思われる。


「そう言うなら無理強いはしないわ」


 臼杵さんは気にしていないような素振りではあったが、明らかに機嫌を損ねたのが分かる。好意をふいにしたのだ。当然ではあるが、こちらにも言い分はある。

 この辺りは分かり合えないのであれば、延々と説得を試みるよりも無視した方が無難な選択だろう。


 それにしても、ハンマーが重い。なぜに私はこんな重い得物を選んでしまったのか。

 重い荷物を辟易しながら運ぶ私を置いて、先導するというよりは置いていくように進むのは機嫌の悪い臼杵さんだ。屋上の鍵付き扉をいとも容易く開くと、姿が消える。


「美玖ちゃんはわたしの親族なんです。遠縁なんですけど……」


 屋上から入ってすぐの所は物置になっていた。消防法的にはどうかと思うが、これが実態なのだろう。続く階段をするすると降りていく臼杵さんを眺め、後を追う内に私は気付いた。気付いてしまった。


 ここは私が過去に縁のあった企業ビルであることに。

 元妻の実家が経営する企業が所有するビルであり、当時私が勤めていたホテルの大株主である企業のビルでもあると。


「あたしは十数年前まで小坂さんの親戚だったのよ」


 途中で立ち止まっていた臼杵さんに追い付けば、彼女は言う。

 〝十数年前までは〟ということは今は違う。となれば当然、元妻の親族である。屋上で佐藤さんが告げたことを思えば、彼女もまたそれに該当する。

 

「嵌めやがったな?」


「大丈夫よ。小坂さんにとっても決して悪い話ではないから」


 佐藤という姓は日本で最も多い姓である。だから油断した。

 このビルの所有企業、佐藤インダストリーHDに関わった私は、それまで自力で築き上げた職場の立場も何も全てを失った。当時はまだ若かったこともあり、再就職先に困ることはなかったが、それでも思うところは多々あった。

 出来ることなら二度と関わり合いになりたくなかった。実母と同レベルで。



「報告してくるから、ここで大人しく待っていて」


 屋上から数えて階段と踊り場を二つ通り過ぎた階の、その中程で臼杵さんは社長室と銘打たれた部屋へ押し入った。ノックもせずに。


 この部屋へは何度か来た覚えがある。

 当時は新たに加わった親族の一員ではあったが、今では他人だ。


「平気か?」


「平気なわけないでしょう」


「儂もさわりしか聞いておらぬが、そう悪い話でもないぞ」


 このクソ爺。この企みに一枚噛んでやがる!

 あの時か? スキル判定後に態度が少しおかしかった。


 今頃になってなぜ私がこの場に立たされているのか、疑問しかない。

 一連の鍵を握るであろう佐藤さんは、深く俯いた様子で表情は見えない。


 深く深く思考を巡らせていると、腰を叩かれた。叩いたのは田所さんだ。

 私の身長が高く、肩を叩けなかったのが原因だろう。


「入るぞ」


 どう考えても無関係であろう田所さんが部屋に入るのに、関係のありそうな私が入らないわけにもいかない。佐藤さんは私が熟考している間に、既に部屋に入っていた。残すは私だけだった。


 覚悟を決めて部屋へ入れば、部屋の主と目が合ってしまう。意外にも部屋の主は、私の姿を見て驚いた様子が窺がえた。


「……そうか、そういうことか」


 彼が何に納得したのか、私にはわからない。

 臼杵さんが田所さんの紹介を終え、私のことは既知であるとして省略された。


「君がここに来た以上はもう隠し立ては出来ない。総てを話そう」


「ちょっと待ってください。何がどうなって? 何の話ですか?」


「何も打ち明けていないのか!?」


 社長室の主:佐藤賢二氏は、佐藤さんを見て驚きつつ問うた。

 答えたのは問われた佐藤さんだ。


「……何も」


「いや、いい。ここではっきりさせておくべきだ。田所さんには申し訳ないが席を外していただきたい。美玖、田所さんを休憩室にご案内しなさい」


「何でよ! 何であたしも外されるのよ! あたしも一族でしょ! ここまで段取りを付けたのもあたしなのに!」


「ここからは家族の話だ。美玖は一族ではあっても遠縁、この場では部外者だ」


「儂が連れて出よう」


「お手数をお掛けして、申し訳ありません」


 

 消沈する佐藤さんとは対照的に、佐藤賢二氏は何か覚悟を決めた表情を見せた。突然激高し始めた臼杵さんの印象が強烈すぎ、そちらに意識が向いたのは偶然だ。

 喚き散らす臼杵さんは田所さんが首根っこを掴むと、半ば引き摺るようにして連れ出された。

 

 扉が閉まる。気密の良い扉で、臼杵さんの喚き声はぴしゃりと止んだ。


「久しぶりだね」


「こちらこそ、ご無沙汰しています」


「詩織はこちらに座りなさい」


 臼杵さんが私たちを部屋へ招き入れた際、私たちはチームが一丸となって賢二氏の前へと立った。しかし賢二氏は佐藤さんを自分の脇へ座るように言う。


「さて、英一君。早速だが、この詩織は君の子だ」


「は?」


「我が家にも君の痕跡はあった。そして君のお父上にも協力いただいて、君のDNAと詩織のDNAが一致しているとの鑑定結果が、民間の鑑定会社五社から同様に出ている」


 父に協力させた……か。父は家を手放して以降も、私や姉の私物を保管しているのは知っている。そんなもの捨てろと言っても聞く耳を持たない。

 毎度、顔を合わす度に土下座せんばかりの勢いで、私は父に会わない方が父の為だとも思えてしまう。父ももういい歳だ。ストレスを掛け過ぎて体を壊さないか心配なのだ。

 鑑定結果がある以上、ぐうの音も出ない正論に対抗する術は私にはない。実感は全く湧かないが、私の子供ではあるのだろう。

 そう考えてみると、妙に腑に落ちる部分はある。彼女が私に向ける視線や感情は、親愛の情であったのだ。私が知る限りで、私は親になったことのない男だった。そのような感情を向けられても理解出来なくて当然だ。


 ただ、私の微妙な家族関係を知悉していながら父が関わっているという話しには、どこまでも胡散臭さが付き纏う。


「ひとまずは私の話を聞いてほしい。

 この子が生まれて間もなく、あの男がDNAの鑑定書を持参してきた。曰く、自分の子ではないとね。酷く怯えた表情でもう手を引くと言い募り、我が企業グループ内の一派が自分を送り込んだのだと暴露した上で、手を引く代わりに逃亡費用を要求してきた。もちろん、すぐに警察に突き出したがね」


「それで、お嬢さんはどこへ?」


「智恵は君との離婚調停中もその後も家に帰ることはなく、あの詐欺師と共に在ったようだが詐欺師が留置場に入れられても戻ることはなかった。だが、ある日、娘は生まれて間もないこの子を駅のベンチに置き去りにした。

 この子は少し特別でね。出生直後にメイズ&ダンジョン因子が検出されたことで、全探連の監視が付けられていた。これが幸いして、すぐに無事保護されたよ。この件があって私たち夫婦は娘を勘当し、この子の親権を取り上げることにした。それでも娘は裁判所に姿を見せることもなく、親権は私の下へ移された。

 智恵は、娘は……今も居もしない詐欺師の影を追っているようだ。詐欺師が留置された警察署近隣に住み、働きながら日々を過ごしている。との報告を受けている」


「居もしない、とは?」


「ああ、詐欺師は留置場内で殺害されている。刑事の話では裏切りに対する報復だろうと、手引き役と目される一派の重要人物の自供も得られているそうだ」


 腑に落ちないというか、釈然としないというか、納得しきれない部分がある。

 まず、人通りの多い駅に置き去りにした理由。こう言っては何だが、子供を不要と判断したのなら人の少ない場所に放置するだろうに。まるで保護されることを念頭に置いていたような違和感を拭えない。

 そして、組織的な犯罪であると露見しても、娘に全ての罪を被せたような勘当という措置。血縁というものは法でも断てない。私があの実母との縁を切りたくとも切れないように、どこまでも追い縋ってくるのが血縁というものだ。

 それに、働いているという事実。あの子は完全な箱入りで労働などしたことがない。家事なども一切できなかったが、教えればスポンジのように吸収して一通りできるようにはなった。

 私には彼女よりも遥かにとんでもない箱入り娘の知人がいるため、当時それほど驚くことはなかったが……それでも現在進行形で働いて暮らしているという事実には驚きを隠せない。


 あとは……

「詐欺師から離れて既に支配も解けているでしょうに、お嬢さんは詐欺師の死を知らないのでは?」


 捜査中の事件に関わる事柄が表に出ることはない。当時は報道すらされていない可能性が高い。現在、解決済みとされているかも疑問ではあるが、そこは措く。

 支配が解けているかもという憶測も希望的観測だが、そうであってほしい。


「……そういえば刑事には口外しないよう、口止めされたような気もする」


「ならば今からでも遅くはありません。保護するべきです」


「それでは英一君、君に対して申し訳が立たない。ありもしない既成事実を論い、君が何度も反対した結婚を強制したのは私たちであり、あの娘は君から全てを奪う元凶と成り果てた」


「離婚に関してはもう法的にもケリがついています。一連の事柄が組織的な犯行である以上、許す許さないの話ではない。元凶どうこうは犯罪者の側であって、詐欺師の被害に遭ったお嬢さんではないでしょう。

 胡乱者の接近に気付かなかった私にも、あなたたちにも責任がある。それに今後、誰かがお嬢さんを担ぎ上げでもしたら大変ですよ? 私への贖罪などという言い訳は二度と通用しない」


 この辺にしとこう。

 もっと酷い言葉で罵ってやりたいところだが……佐藤さん、詩織さんの親権があちらにある以上はあまり酷くするのも問題がある。親権の変更に支障をきたす惧れもあるからだ。

 それに、相対する佐藤賢二氏はこの一族の中でもかなり常識的な人物。彼だけを責めるのは可哀そうだ。何せ、この人は入り婿だもの。

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