14.分厚い本
私が壁の裏側へ廻ると空気が少しおかしいと感じた。
田所さんは佐藤さんと何かを話していたようなのだが、私が来たと知るや否や、姿勢を正して見せる。その更に向こう側には鑑定士の女性の姿があった。
鑑定士の女性は田所さんとまでは言わないまでも、相応に歳を重ねた女性だった。
私の目算で六十を超えても、八十には至っていない。過去に培った経験のある私でも、この
私が得意とするのは、あくまでも青年から中高年までで、それ以前とそれ以降の判定には困難を極める。月に千数百人を見据えることのできる職場に置かれた経験によって培われた技術である。客として訪れる機会の少ない対象は、それこそ対象外なのだ。
穏やかそうな初老の女性。
それが第一印象なのだが……彼女を一目見て、私は首を傾げた。また、女性も私を直視して、首を傾げた。
「どこかで会ったことがあるような……」
「わたくしも、どこかでお会いしたことがあるような気がするの」
互いに首を捻るも特定ができない模様。
私の場合は会ったというよりかは見たことがあるという程度の話だが、恐らく彼女もその裏返しであるようだった。
「それ、ナンパの常套句だから! 榊さんも本気にしない!」
私の後に続いて現れた臼杵さんが声を荒げる。
ただ、本当に私はこの鑑定士さんに、以前にも会ったことがあると思われる。というのも、臼杵さんが榊と呼ぶ女性もそれらしき反応を示しているからだ。
「あら、臼杵ちゃんは余程彼にご執心なのかしら? 会ったことがあるというのは本当なのよ? どこで、というのを思い出せないだけで……」
「この人、十数年前まで〇△ホテルに勤めていたのだし、会ったことがあっても不思議じゃないわよ!」
「それ私の個人情報だからな。守秘義務はどこへ行った?」
「ああ、それよ! あのホテルの黒服さんね。パーティーの打ち合わせで何度かお会いしたことがあるような気もするわ」
離婚絡みで職を追われる以前の話なので、そこまで詳細に覚えていない。
お客様との出会いは一期一会で終わるか、リピーターとなられるかの両極端である。リピーターとなられるお客様の記憶はそれなりに残っているが、そうでないお客様の記憶というのは早々に上書きされてしまう。
「わたくしが幹事を務めたパーティーは一度限りだけれども、レストランの常連ではあったのよ」
「そんな話はどうでもいいの! 小坂さんもどう反応していいか困ってるじゃない。 仕事してよ!」
十年以上前の話を持ち出されても、臼杵さんの言うように困るとしか言えない。記憶も若い頃とは違い、すんなりと思い出されるわけでもない。
中学高校の同級生であっても会話すらしたことのない輩に関しては、顔は思い浮かんでも肝心の名前が出てこないことも多い。大学になると同じ学部でも関係ない奴は本当に赤の他人でしかなく、顔すら浮かんでこないが。
怒りに震える臼杵さんの顔は赤い。相当に怒っている様子が窺がわれる。
それを察したであろう榊女史も観念したのか、私を手招きした。
「小坂さんはこちらへ」
「秘匿する必要が?」
「そうね。個人所有のスキルというものは秘匿すべきものよ。場合によっては弱点の告白にもなるのだから、誰彼構わず教えるべきではないわね。チーム内で共有することもあるけど、半ば強制された関係では真のチームとは呼べないでしょう? だから、この場では本人にだけ告げるようにしてるの」
私がチームを組むに至った経緯を考えれば必然である。
しかし、私はこのチーム内の他二名に関しては信頼も信用もしている。約一名、未満の臼杵さんもいるが、それだってある程度は信用できる人物であると思える。
「個人情報の共有に関してわたくしは何も言わないわ。それはどこまでも自己責任でしかないもの。信の置ける相手のみに開示するよう心掛けなさいな」
「ご忠告感謝します」
私の疑問に答えた榊女史は、私に耳打ちするように告げる。
それは私が得たスキルという名の異能。
「小坂英一さん。貴方が最初に獲得したスキルは――」
「ちょっと待ってください! スキルというのはひとつではないのですか?」
「臼杵ちゃん、ちょっといらっしゃい」
私の記憶が確かであれば、座学でスキルに関する事柄には一切触れていない。
〝スキル判定〟という語句を初めて耳にしたのはチームを編成して以降、臼杵さんがチームの監督役に就いてからになる。私や田所さんの所作に呆れた臼杵さんが漏らした一言こそが初耳であったのだ。
「指導要領が変更されたのよ。概ね二年前からスキルのことは内緒にして、課題を出しているわ。スキルの告知は救済手段とすることで、個人の基礎能力向上やチーム内の連携向上を目指す方向へシフトしたの。実際にスキル頼りに教育された頃よりも、今の方針で育った探索者は潰しが利くの」
「へぇぇ、そんなことになってたのね」
「海外の模倣でしかないけど、 それでも有効な手段であるのなら幾らでも取り入れるべきだわ。だから早く告知してあげてよ。そうしないと話が進まないのよ」
こういった内輪話は該当者のいない所でやってほしい。オフレコであることは言われずとも解るので、余所で口にしたりはしないが。
しっしと振られる手に追い出された臼杵さんが距離を取ると、再び榊さんが私の傍に寄る。
「スキルというものは、えーとゲームでいうレベルが一定数上がる毎に獲得できる、だったかしら? わたくしゲームには触れたことがなくてわからないのだけど、若い子にはこう言えばいいと教えてもらったことがあるわ。探索者としての経験を積む程に多くのスキルを獲得できる機会に恵まれるということね。絶対に、とは口が裂けても言えないのだけど……そういうものだと思ってほしいな。
そして今回初めて小坂さんが獲得したスキルは、とても珍しいもの。わたくしの記憶でも国内では十例ほどしかなかったはず。そのどれもが個性的で、分類がとても難しいとされているものね」
「……あの、勿体付けずに教えてもらえませんか?」
私の背中に向けられた注目の視線をひしひしと感じる。
私は田所さんのように遠くの気配まで読めるような鍛練も修行も積んでいないが、家庭環境の影響で視線には敏感である。過敏なほどに。
「そうね。話が長くなってしまったわ」
「私が話の腰を折ったのが最初です。急かして申し訳ありません」
「小坂英一さんが獲得したスキルは〝召喚術〟よ」
「召喚?」
「海外も含めた事例で代表的なのは、モンスターを短時間のみ使役できたりするわね。でも、個人差が大きくて一概に〝召喚術〟と一括りに出来ないのも〝召喚術〟の特徴であるの。何を呼び寄せるかは貴方次第でしかないの。あくまで〝メイズやダンジョンにまつわるもの〟しか召喚できない制限はあるのだけど……」
スキルの取得について、臼杵さんは個人の深層意識を映した鏡のようなニュアンスであるような言い回しをしていた。ただ、私はそれほど物を欲したことはない。一般的な家庭を羨んだことはあるが、それも離婚を機に完全に諦めた。
私から見て平々凡々な家庭でも問題というものは、どこにでも幾らでもあるものだ。大人になるにつれ、大人になって久しく、そういった話は酒の席でもよく耳にした。
私と姉の場合は、それが単純に極端であっただけ。家庭環境に恵まれず不幸なのは、何も私一人に限った話ではない。世間に目を向ければ、ごまんといる中のひとりでしかない。
「考えているところ悪いけどね。魔法の発現に関しては、これを読むと良いわ。この書籍は、過去に獲得された魔法系スキルの発現方法の模索等が記載されているわ。獲得が判明しても、即座に使えるという訳ではないからね。何事も経験がものを言うわ」
十数巻で構成された百科事典ほどではないにしても、国語辞典だとか六法だとかと同じくらいの厚みを持った本を手渡された。この本だって、この厚みだ。タダではないだろうに。
「勘違いしないでね。それは魔法系スキルを獲得した探索者に配布されるものよ? 取得スキルを把握できるわたくしたち鑑定士が手渡す決まりなの」
分厚く重い本を片手に、今も熱い視線を送ってきている後方を振り返る。
佐藤さんの両手には、私と同様に分厚い本がある。一方、田所さんは手ぶらだった。
あぁ、田所さんは魔法ではなかったのだな。
当人が魔法を望んでいたにも関わらず、魔法は得られなかったと……。慰めの言葉は必要か?
「それでも、ありがとうございます」
「この後も大変だろうけど、頑張ってね」
その言葉は、今後探索者としてやっていくことへ向けた言葉であったのか。
それとも――
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