11.凱旋
「よもや初日に、たった一日で課題をクリアしてしまうとは……」
「あたしのチームは優秀だと、最初にお伝えしましたでしょう?」
臼杵さんは自慢げだ。
収容所じゃなかった……養成所に戻って早々、所長と目される人物と臼杵さんとの間で交わされている会話。チーム編成に纏わる一件で臼杵さんを制止した、あの人物を相手に。嘘を吐いてまで私たちを泳がせた成果にご満悦な様子。
私たちが養成所へ戻ってみれば、居残っていた職員連中もまた慌ただしい。所長の驚きは職員たちにしても同じようで、あまり歓迎されていないことが窺われた。
それも職員参加型の賭け事が成立し得ない状況にあり、賭け金を総舐めにした臼杵さんに思うところがあっても致し方ないが、私たちまで巻き込むのはやめてほしい。私たちは賭けに関して、知らぬ存ぜぬを通しているのだから。
養成所は中学・高校の校舎に似た構造をしている。机や椅子などの備品にしてもそう。間違っても大学の講堂が幾つも収まるような大きな建築物ではない。
三カ月単位で新規にクラスが設けられる形式は、かなり特殊ではあるが職員の数も有限である以上は仕方のない措置なのだろう。一応、東日本と西日本で新規因子保持者を受け入れる施設は別であると聞いている。とはいえ、日本全国で二カ所しかないのもどうかと思ってしまう。
電力の周波数が50Hzと60Hzで別れる境界で、東と西が区別されているというのもまた曖昧。境界付近の住人は東と西の支部の、どちらへ身を委ねるか選択できるなんて話もある。実際に中年男性のひとりは、愛知県寄りの静岡県民が東日本側のここへ来ているという例もある。
東西の話は余談だが、今も慌ただしく動き回る職員が何をしているかと言うと……パーティーの準備をしている。
机を寄せ集め、シーツにしか見えない布をテーブルクロス代わりに掛けている様は、本当に学生時代の文化祭のようでもある。遠い昔の記憶が甦り、またしても心穏やかではいられなくなる。
踏んだり蹴ったりの半生は最早呪われていると言っても過言ではないが、何も不幸自慢をしたい訳でもない。姉以外には愚痴も漏らしはしない。それも毎度の如く、切っ先を制して以降ずっと姉のターンが続き、私は終始愚痴を聞く機械になるだけだが。
食堂の従業員に無理を強いたのか、山盛りの唐揚げなどパーティーメニューが並び始める。適当に重ねられた皿が置かれ、氷水でドブ付けされた缶ビールとジュースの入った発泡スチロールが置かれてもいる。
パーティーの参加者は、臼杵さんと現在も話し続けている所長と私たちだけ。だというのに、ちょっと料理が多すぎやしませんか?
「私たちも交替で参加するんですよ」
「ああ、なるほど」
所長と話す臼杵さんを一睨みした職員が教えてくれた。〝やけ食い〟という単語が聞こえたような気もするが、気持ちはわからないでもない。ここは聞かなかったことにしよう。
油モノばかりが並ぶパーティーメニューを私たちだけで平らげるのは土台無理な話。残すのは料理してくれた方に申し訳ない気持ちもあり、職員たちの参加に異論はない。大体、普通に食せるのは食べ盛りの佐藤さんくらいなものだろう。
パキッ、プシッ!
「フライングも甚だしい!」
「少しくらいええじゃろ」
「まあ、ビールなんて水みたいなものですが……」
500mlのビール缶を掲げる、爺様。
咄嗟のことに苦言を呈した私はたぶん悪くない。せめて、チーム全員が揃ってからにしようや。
「お前さんも、ほれ」
「料理に手を出すのは流石にマズい。私からの提案を肴にでもしてもらいましょう」
受け取った缶ビールをなるべく音が出ないように開封した。
田所さんがビールを開けた瞬間、あの音で何人の職員がぎょっとして振り返ったと思うよ。真面目に働いている人の邪魔をしてはいけない。
今後の身の振り方に関する提案をしよう。
養成所での半年が終わる。早引けの交渉はまだではあるが、カリキュラムを順当かどうかは別としてもきっちり熟していることに変わりはない。
養成所での半年が終われば、仮免許を受領しての実地研修となる。そうなれば何事も個人の裁量に委ねられるはず。なので――
「修羅の道を往くおつもりなら付き合いますよ」
まずは小手調べ。
本心は違う。私が往きたいのだ。
まず、消息のわからない師範に会いたい。
仮に会うとしても、今の私のままではいけない。今のままでは合わせる顔もない。だから幼少期から青年期までの教えを取り戻さねばならない。
その為にどうすれば良いかは理解している。反復あるのみ、だ。
師範の黄泉路を逝くような鍛錬に由って、武術家としての私は形成されている。
いくら幼い頃の私が頼んだとはいえ、余所のガキを相手に一歩間違えれば死ぬような修行を施した師範は頭のネジが数本緩んでいる。いや、元々嵌っていなかった可能性すら垣間見えていた。
当時の、あれをなぞるような鍛練を積み上げるしかない。
「誰に後ろ指差されることもない。報酬に、賞賛まで得られる道は既に拓かれています」
国土を、生活する街を侵された人間たちは我先にと挑んだと言う。もちろん、メイズやダンジョンに、だ。
そこで判明したのが、普段通り動ける者と衰弱の果てに死に逝く者の違い。現在、メイズ&ダンジョン因子が重要視されるのには、それだけの理由がある。
私は勇気ある先人に感謝を表したい。生きて戦い続けた者にも、戦いの果てに挫折した者にも、そして死して危険を促した者にも平等に。
あなた方のおかげで私は過去を取り戻せるかもしれない。ありがとう、と告げたい。
「ふん」
田所さんはサキュバス戦の後も、おかしくなったまま戻ってきてなどいない。意識こそ回復したが、それだけだ。
私が過去を整理できていないことと同様に、彼もまた人に似た形のモノを斬ったことを引き摺っている。だからこそ、私の提案は彼の心情を揺さぶるのだろう。
私も、これが悪辣極まりない提案であることは重々承知している。
再び、人みたいなモノを斬りに行こうと誘うのだから。
だが、
私は鍛練を積み重ねたいが、死んでしまっては元も子もない。何かの拍子に死なないためにも、幼少期のように保護者は必要不可欠だ。
実際にサキュバスと遭遇して魔法の厄介さを思い知った。あんなのと今後も対峙するとなれば、誰かしらの手助けが欲くもなる。そこにちょうど良く、ずば抜けた才能を持つ人物がいれば、誰だって頼りたくもなるだろう。
「何を望む?」
「……私は過去に自分自身が壊してしまったものを取り戻したい。取り戻してから謝りたい」
私と姉の姉弟にとっては実の両親よりも、師範夫妻の方が両親に相応しい。姉の結婚式にも両親でなく、夫妻が出席していたくらいには。
他にも、
師範が行政に私たち姉弟のことを相談してくれたと聞いたが、一度目は綺麗に揉み消された。二度目には警察を介してから行政に訴え出てもらったものの、揉み消されることはなかったがどうにも話にならなかったらしい。
一度目も二度目もその直後には酷い目に遭っているが、日常茶飯事だったこともあって大して気にもしていない。
母親はあれで社会的地位のある人間だったことが災いした結果だった。最終的は父との離婚騒動で、その社会的地位さえ失ったと人伝に聞いている。
「戦いに際しての怯懦は私には存在しません。師範が鍛練の中で徹底して取り除いた。だが、私の命に届くだけの危険が無くば鍛練にはなり得ない」
そういや師範も田所さんのように真剣を振っていたことがあったな。恐怖から来る怯えを排除するため、鍛練の中で私の鼻の薄皮一枚を斬ったことを思い出す。
やはりあの師範は、田所さんと較べると遥かに頭がおかしい。田所さんは年甲斐もなくぶっ飛んではいても、一般常識みたいなものは備えている。
「卓越した師に、優秀な弟子か。羨ましいわい。息子はそれほど優秀ではなかったからのぅ」
「何が優秀なものか。私は……〝環境に育てられた〟のだと師範は言ってましたね。碌でもない家の中で、そうなるしかなかった子供ですよ」
「すまぬ」
「もう済んだことで、割り切っています」
本当に割り切ったつもりで割り切れてなどいない。母親に対して血が沸騰するような怒りは時が経つと共に失せたが、ただ冷たい殺意だけは残っている。
忙しなく動き回る職員の邪魔にならないよう教室の壁際で田所さんと会話していると、少し離れた場所で佐藤さんが臼杵さんに話し掛けていた。かなりの焦りを、その相貌に浮かべた様子で。
どうやら臼杵さんが匂わせたように、あの二人には何らかの関係がある模様。距離もあって全く会話の内容は聞こえてこない。
「いずれにしろ、あと一年は拘束されよう? 構わぬぞ」
「その言い方だと、あたかも私が主体のように聞こえますが?」
「くくくくくっ、儂に付き合うて修羅道に堕ちるのじゃろ」
亀の甲より年の功か。私の倍も生きている相手では上手くいかなくて当然だな。
でもまあ、結果としては悪くない。助力は得られたのだ。
田所さんに孫を見るような目で見られつつ、ビールを呷る。もう冷たくもないが、このくらいが飲み易い。すきっ腹なので水みたいなビールでも、ほろりと酔える。
助力を請う話も済み、そろそろ料理を摘まんでもいいかと壁際を離れようとしてところに、臼杵さんが近寄ってきた。
「あんたたち、何か勘違いしているみたいだから先に言っとくわよ! 仮免許取得後もあたしは監督役は継続するわ。探索者ってのは有象無象を集めた集団だから悪い奴もそれなりに多いのよ。そういう連中や金をケチって囲い込もうとする企業に騙されないためにも、監督役がチームに入って護衛兼教育役を務めるの。十年前は仮免許取得後には放任だったけどね。それだと、嫌になって辞めてしまう受講者ばかりが増えて、テコ入れされたってわけ!」
「……チームに入る?」
「そうよ。このチームの切り札は、あたしよ! あんたたち二人が相手だと霞んじゃうけど……そういうわけだから、あと一年よろしくね!」
私の立てた計画は早くも頓挫してしまった。
臼杵さんが同行するということは、つまり佐藤さんも同行するということ。臼杵さんは別としても、か弱い佐藤さんが同行するとなれば修羅の道は閉ざされてしまう。
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