9.枷
体幹トレーニングはよくある簡易なものだが、養成所に来る前からも毎日欠かしていない。
そのおかげもあって、私が背負っている佐藤さん的にも横揺れは少ないと思う。ただ、どうしても人が前に進むためには踏み出さねばならない。縦揺れにはどこまで耐えてもられるのか疑問であった。
「大丈夫かい?」
「はい」
佐藤さんはまだ大丈夫らしい。本当だろうか? 無理してないかな?
吐瀉物をぶちまけられるのは精神的にきついので、ダメなら早く申告してほしい。
遠い記憶、小学生時代を思い出して貰いゲロを想起してしまう。あの独特の匂いは梅干しを超えた強制力がある。唾が出る程度では済まない。吐瀉物の連鎖反応が起きてしまう。
モンスターが蔓延るメイズの中にあっては、その反応が著しく拙い事態を招くことは言うまでもない。
「急がんか」
クソ爺ぃめ! 結局は博打に出やがった。いや違う、しくじったのだ。
佐藤さんがいるのだから、もっと大きく安全マージンを確保すれば良いものを。しかも相手はモンスターの群れ。何頭いるかも判然としない規模の大移動。
大体、あの爺様がモンスターの気配を読み違えるなど、精神状態が全く改善されていない証拠だろう。やはり無理をさせるべきではなかったか。
「ファンシーブルの大群!?」
「何でファンシー?」
「このメイズはサキュバスが原因で一般には存在しないことになってるのは知ってるでしょ? だから学者先生方も入って来なくて、多くのモンスターに正式な名称はないわ。他のメイズやダンジョンに似たようなのがいるヤツらは兎も角ね。
可愛らしい色の小さな牛。目立つのは立派な角がある牡牛。牝もいるけどそこはそれよ。で、〝ファンシーブル〟 最初に誰が言い出したかもわからない仮名よ。少数派だと〝赤べこ〟って呼ぶ人もいるわね」
ちょいと小型の、ポニーサイズの牛さんだ。
ファンシーという名に違わず、その毛皮がショッキングピンクなだけの。全く目に優しくない色だが、緑と茶色が主体のメイズでは目立つから避けやすい。
「大丈夫、あれは草食モンスターよ。怒らせなければ問題ないわ。――――って言ってる側から、だめめえええええぇぇ!」
臼杵さんは、先行している田所さんを見るなり叫んだ。
佐藤さんをおんぶしている私は耳も塞げず、顔を顰めるしかない。女性の叫び声のうるささは年齢に比例しない。年寄りでもない限りは反比例などしてくれない。まるで音波兵器。
先行している田所さんはモンスターの群れの鼻先を掠めるように通り抜けることを諦め、最前列を足止めすることで全体の足並みを乱れさせるつもりのようだ。
ただし、戦場は選べと言いたい。
あのような拓けた空間で連中を迎え討とうとしていることに、当の本人がその危うさに気付ていない。幾ら異常が服を着て歩いている爺様でも時間の問題でしかない。
数頭を通路に引き込むなり何なり、他にやり方があるだろうに。
「相手がいくら小型とはいえ、数にすり潰される」
「佐藤ちゃんはあたしが預かるから、あんたも行きなさいよ!」
「いいのか?」
「あんたたちの暴走を許した所為で、あたしは既に監督不行き届きの懲罰ものよ。だからあたしもある程度は働いて、多くの素材を持ち帰ることで評価を上げないといけないの! とはいえ、佐藤ちゃんのお守りも大事な仕事よね?」
「好きにしろ。どうせ私たちには仮免許すらない。資源売買に直接関与出来ないからな!」
佐藤さんを背中から降ろし、抱えていたザックも置く。
佐藤さんの護衛と引き換えにピンク牛の素材を要求してきやがった。臼杵さんは間違いなく、現役の探索者だよ。金に汚な過ぎる!
プモォォォォ!
プポォォォォォォォ!
牛とは思えないキーのやたら高い嘶きは小さな体格が理由だろうか?
以前であれば喧騒の中でも多少の距離など関係ないとばかりに声を拾っていた田所さんだが、今回は臼杵さんの声が届いていない様子。
結構大きな叫び声だったんだが……、やはり今の田所さんはどこかおかしいままなのだろう。
ならば私がやるしかない。
ただ、問題がある。
武術家として田所さんは正道。私の場合は邪道だろう。
田所さんは身に付けた剣術のために刀を用いる。それに対し、本来の私であれば素手こそが何にも勝る武器となるはずなのだ。
現在スレッジハンマーという武器を手にしていることから判る通り、現在の私には欠陥がある。
私は若い時分に、愚かにも反射反応を抑制しようと企てた過去がある。その結果として、無意識下でないと実力を発揮できない枷が嵌っている状態。
枷を嵌めたのは私自身なのでどこまでも自業自得でしかないが、こういった場面はそうあるものではないにしても本当に後悔しかない。
◆
私が師範に教えられていたものが空手ではなく、古武術の一種であると気付いたのは大学を卒業する間際だった。
子供の頃から何かおかしいな? とは思ってはいた。教えられている技を空手の大会で使うと、必ず反則負けとなった。そんなことを何度か繰り返せば、この技は使ってはいけないのだと自ずと理解した。
しかしその頃にはもう自制できる状態にはなかった。
敵意・悪意・害意・殺意といった感情が僅かにでも含まる相手の行動があれば、それが例え友人の悪戯であっても反射で技が繰り出されてしまう程に、鍛え苛め抜かれた肉体はどのような状況にあっても変わらない。
それが中学を卒業した頃だったか。
高校に入っても師範の指導は受け続けた。その裏で、どうにか反射で繰り出される技を抑えられないかと試行錯誤を繰り返した。
少しずつ、少しずつだが反射で繰り出される技を抑制できるようにはなった。完全に制御することは不可能でも抑え込むことは可能だと感じたのは、大学も二年になった頃だ。
その半年後には近隣にあった同門の空手道場を介して大会に出場し、準決勝にまで進出したが結果は反則負け。
完全に制御できると思い込んでいたのは間違いだと知った。
全身の動きを監視するように精神を研ぎ澄ませるだけの余裕がなくなれば、もう抑制など利きはしなかった。
予選は事前に済んでいる本大会だけとはいえ、勝ち進む以上は連戦の影響もあった。対戦相手も相応に強かった。
ただそれだけに留まらず、私は師範に教え込まれた技を意図的に使用しないよう心掛け、ルールに合わせた状態を維持するためだけに精神を擦り減らし、体力を消耗した。
結果、スポーツである空手では許されない急所を狙ったとして失格判定を受けた。
師範は何も私に嫌がらせのために、このような技を私に仕込んだわけではない。
その唯一無二である最初の理由は幼い頃の私が求めたからに他ならない。
頭のイカレタ母親と融通の利かない父親から姉を守りたかった。そんな私の気持ちを汲んでくれたのが師範だった。
父親は決して悪い人間ではない。普段は子煩悩でとても優しいのだが、あまり物事を深く考える人間ではなかった。仕事帰りで疲れた頭と体では、よりその傾向に拍車が掛かっていた。
だから母親が自らの散財や不貞を隠匿するために、私たち姉弟をスケープゴートにしている事実に気付くこともなく、母親の言うがまま、父親自身は躾だと思い込んでいる暴力が毎日のように振われ続けた。
主なターゲットは私ではあった。ただ、いつ終わるかもわからない暴力を制止しようと姉が私の楯になることも多々あった。
父親は私たち姉弟が何を言っても一切聞く耳を持たず、躾から逃れるための嘘だと断じた。だから他人に頼るしかなかった。近所でも強面でガタイがよく、如何にも強そうな師範に縋ったのは私自身だ。
しかし、思春期を迎えた頃の私には虚栄心が宿る。
姉を守りたいという感情よりも、私自身が強い人間なのだ認められたくなっていた。
所詮は、初心を忘れ暴走したガキが自爆しただけの話でしかない。
自身のそんな思い上がりに気付いたのも、師範が私に教えていた何かが空手ではないと本格的に気付いたのと同時期。いや、大会で失格となった時か。
大学を無事卒業して故郷に戻り、道場へ挨拶に伺えば師範一家の姿形はどこにもなかった。かつての道場は社交ダンス教室に様変わりしていた。
兄弟子へ問えば、一家揃って夜逃げしたなどと言う始末。一体どこへ行ったか。その消息には皆目見当がつかなくなってしまっていた。
こんなクソガキをタダ同然で鍛えてくれた礼も出来ず、愚かにも虚栄心に逸った門下としての謝罪も出来ず、申し訳なさだけが募った。
その頃にはもう家族は無くなっていた。
母親の実態を知った父が、母親に対して三下り半を突き付けただけだ。両親が夫婦関係を清算するにあたり、実家はその対象となり売り払われ、私は帰る家を失った。
父と再会した際、私が許す形で和解はしたが家族としての関係は再構築できていない。幸い、実家から逃げるように嫁いでいった姉とは、今も姉弟としての関係は続いている。
◆
自らの過去や師範のことを思い出そうとすると、どうしても両親の顔が浮かんでしまう。ずっと思い出さないようにしていたのに、つい母親の嫌な顔まで思い出してしまい、心が騒めく。
今の私はハンマーを振うことしかできない。
無意識の中にいる過去の私が、今の私をきっとカバーしてくれる。
意識のある私が無意識をカバーすることは困難を極める以前に無理難題だ。出来もしないことは最初からやろうとするものじゃない。
大丈夫だ、何とかなる! 根拠は何もないが何とかするしかない。
「爺様、加勢するぞ!」
「突進には気を付けよ」
突進がヤバいのはやはり牛だからか? 小さくともやはり牛であるようだ。
私は田所さんからは距離を置き、二十メートルは離れた位置での迎撃を開始した。何かの拍子にあの刃に晒されれば、私では対処できない。
本能に根差す刃物への恐怖からなのか、過去の私なのか判らないがそう囁かれた気がした。
振り下ろす動作のみならず、振り上げる動作も用いる。上からはスタンプ、下からはアッパースイング。ついでにその際の反動も利用していく。
何頭いるかもわからないのだ。体力と筋力を節約するには反動も上手く使いこなす必要がある。
アッパースイングは中々にいい。反動も利用し易い。
振り上げた勢いのまま、ハンマーヘッドは後方に、その反動を利用してサマーソルトキックで小牛の顎を狙う。踵落としとは違ってギリギリまで視線を保てるのも都合が良い。
次回は靴も履き替えよう。スニーカーではダメだ。
中足を置くような前蹴りではなく、爪先を使うならやはりウエスタンブーツだ。安全靴も悪くはないけど、先が尖っているウエスタンブーツに一日の長がある!
サマーソルトキックの終点に着地直後、体のバネのみで反転しての踵落としに移行するも悪くはない。ただ、ちょっと腰に負担が掛かり過ぎるか。無理は止そう。
少し変則になるが、身体を丸めた状態での膝蹴り版サマーソルトキックも大いにありだ。こちらの方が最初から屈んだ状態で着地できる分、着地後の動作に遅延が発生しにくい。伸身を意識しなくて良いのは精神的にも肉体的にも楽だ。
一度柄頭から手が離れ、右肩から落ちて亜脱臼ぎみになったけど、地面に押し付けて即座に嵌めた。嵌める際、食いしばった奥歯が砕けそうだった。マウスピースが必要だよ。
野球のバッティングスイング後にハンマーヘッドを滑らせるように着地させ、その勢いを殺さずに回し蹴りへ転換するのは思ったよりも簡単だった。
姿勢制御に少々無理はあるが、跳ね返りの踵落としに比べれば腰への負担はそれ程多くはない。今後も改良を重ねれば、多用出来そうな良い手段になりそう。
殴るのは止めよう。こいつら鼻先と顎が硬すぎて拳が痛い。
でも、肉や骨を殴る感覚は久しぶりだ。懐かしいとも言っていい。
支給品にハンドクリームがあるか聞かなくては……。まだ秋口だが冬場の乾燥で拳ダコがペキッと割れるのは痛いんだよなぁ。
そうだ、拳の保護にカイザーナックルを探してみよう。支部にあるだろうか?
▽
▽
▽
「――ップ! スタッッッップ!!」
「……んん?」
「もうファンシーブルは全滅したわよ。あんた何なの、笑いながら虐殺してたじゃない。一部なんて復活した直後だってのにまたミンチに逆戻りよ!」
「なんか昔を思い出してな。楽しくなってた。ははは……」
「人が変わったみたいになってるけど、頭大丈夫? あんたまでおかしくなったら、あたし困るんだけど……」
「ああああぁぁぁ、うんんん。……たぶん大丈夫だ、世話を掛けたな」
「本当に大丈夫なのかしら? 魔石抜きはあたしも手伝うわね。数が数だから!」
「そうしてくれると助かる。佐藤さんは私が護衛しつつ、魔石を採取しようか」
「はい!」
ヤバい。
危機的状況に際して、自分でもどうかと思うくらいにハイになっていたようだ。
おかげで色々と改善する余地に気が付けたのは良かったのだが、臼杵さんに半眼で見詰められるのはちょっとクるものがある。きっとヤバイ人だと思われている!
にも拘わらず、佐藤さんはいつもの調子だ。いや、いつもより二割増しくらい笑顔が眩しい。この子に関しては感情も読めないし、未だによくわからないところばかり。
まあ考えるのは後にしよう。
しっかし、私の周りは見事にミンチだらけだな。それも頭部ばかりが。
戦闘の記憶は曖昧なのに、改善点だけを鮮明に覚えているのもまた微妙な気分になる。
「はははははははははははッ、はぁ~」
自分の記憶と妙に高揚した感情が噛み合わな過ぎて、乾いた笑いしか込み上げて来ない。
「どうしたんですか?」
「いや、何でもないよ」
「ちょっとあんたたち! 喋ってないで、早く魔石抜きなさいよ!」
「はいはい」
「はーい!」
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