3.陸の孤島合宿、三か月経過



「あの、少しよろしいでしょうか?」


「はい?」


 午前の講習が終わり、食事のために食堂へ移動しようと席を立ったその時。

 日に日に少しずつ距離を詰めて来る、黒髪を背中まで伸ばして眼鏡をかけた委員長タイプな少女に呼び止められた。

 あの日以来、この少女は私の隣の席を確保し続けている。

 先日も講師と少女の間にあった微妙な空気に思う所のある、多くの中高年が見守る針の筵の中。できれば、このまま食堂に逃げ去りたい。


「ここがわからないんです。少し教えていただいても?」


「メイズもダンジョンも今や一般常識の一部だよね? 普通に受講していればわかると思うけど……」


「この二十年前にあったという事件の話です」


 他人の意見を聞かない子だなぁ。そういや、講師の老婆心すら無視してたわ。


「二十年前の事件というのは日本でのことではなくて、海外の数か所で起こった出来事のことだよ。幸い日本で似たような事象が起きた際には、初動で上手く対処できたと当時のニュースでは報道されていたよ」


 普段は一緒くたに扱われるメイズとダンジョンだが、この出来事はメイズでは起きた試しはなく、ダンジョン限定での出来事だ。あくまで報道された範囲で、だが。

 当時の日本にはダンジョン自体が今ほど多くはなく、メイズばかりが目立っていた。それでも一大事に近い状況にはなったらしいが、対処が功を奏したとかで諸外国と同等の重大事件には至らなかった。

 諸外国で起こった重大事件の詳細は、ダンジョンからモンスターが街中に進出したというもの。どの国も軍隊が対処するしかない状況まで追い詰められたとか、連日にわたって戦場と化した現地映像がテレビを通して流れていたくらいだ。

 このような事態が過去にあったからこそ、日本という我が国も探索者の増員を図ろうとしているのだろう。


 ただ、彼女はまだ若い。見た目から十代半ばといった頃合いだろうか。

 当時の事情を知らない以上、当時を知る者に直接に聞きたかったのかもしれない。

 それなら「講師に聞けよ」とも思うが、この年頃は反抗期の真っ最中かもしれず、あまり怒らせるようなことは言いたくない。

 キレる若者に刺されたくはないのですよ。午後の訓練では武器の扱いも教わるため、笑い事では済まされない。


「そういうことが過去に実際あったんだよ」


「そうなんですね。詳しく教えてくださってありがとうございます。

 ……あの、この後はお食事ですよね。ご一緒してもよろしいでしょうか?」


「いや、あの、飯はひとりでゆっくり摂るのが習慣でね。悪いけど遠慮させてもらうよ」


 言えた。いや、言い切った。

 私と彼女の成り行きを終始見守っていた中高年が、視界の隅でサムズアップする姿が見える。ひとを色眼鏡で見ていたくせに!


 やっとのことで席を立ち、同胞たる中年男性たちと合流しようにも背後にある気配が消えない。楚々と後を付いてくる少女の気配が……消えてくれない。

 今日はこのままひとり寂しい昼食で済ませるしかない。ここで手のひらを返せば、背中から刺されそうで怖い。

 自業自得だ。有言実行するしかない。





「食休みはしっかりとったか? 探索者は自身の体調管理が何よりも大事だと毎回言ってるだろ?」


 午前中の座学とは打って変わり、午後は体を動かす訓練が基本だ。

 正直、飯食った直後に運動させるなと言いたい。


「あたしと同年代は基礎体力を付けることを主軸に、若い衆はとにかく走れ。爺さんはマイペースをちょっとだけハード気味にあげていこうか」


 お爺さんの名は田所さんと言う。御年八十四歳。

 私たち中年男性組と同じく徴兵された男性だ。

 何もあの年齢の御仁まで動員しなくても良いではないか、とも思うがこの御仁は私たちと比較してもかなり元気で矍鑠としていらっしゃる。

 近年でこそ隠居していたらしいが、その少し前までは剣術道場の師範をされていたとか。運動不足な中年のたるんだ腹の肉と比べるべくもない引き締まった腹筋の持ち主。腹筋に限らず、全身がしなやかな筋肉に覆われていて、脂肪があるように見えない。

 それでも午後の訓練を監督する女帝には及ばず、粛々と筋トレに励む姿には自然と感嘆の息が漏れてしまう。



「小坂さんは良い筋肉をしてるね!」


 女性でも男性の胸板をペタペタと触れるのはセクハラでは? と思い、同意を得ようと周囲を見れば、羨望を伴う嫉妬の視線に晒される。

 ただ、私に一切の他意はありませんよ。

 触れられるに留まらず、握った拳の小指側の柔らかい部分で叩かれてもいますからね。結構な力が籠っていて息が詰まるんですよ。


「つい先日まで現場仕事だったもので……」


 現場監督のはずが仕事の遅れを取り戻すべく、毎度毎度職人たちに混じって仕事をしていたらこんな筋肉になってしまったのですよ。それでも四十路に至ってからは、筋肉の維持が難しくなってきている。歳だな。


「ふ~ん。探索者になれば寿命も延びるし、多少は若返るよ。女の探索者はそれが目的なのも多いからねぇ」


 究極のアンチエイジングは探索者活動だと、ここに来る前にもどこかの書店の店頭に並ぶ書籍の表紙で見た覚えがある。

 実際に探索者として活動すると寿命が延びることは事実であると証明されている。寿命が延びることに反比例して現在の年齢が下がるとか何とか。そんな謳い文句。

 化粧品と健康食品をこよなく愛する女性が探索者となり、活躍していることも新聞やテレビ若しくは雑誌等でよく取り沙汰されてもいた。


「遠山さんはまずその腹の肉をどうにかしな! 北川さんは痩せ過ぎだ。もっと肉を食おうぜ!」


 午後の講師こと女帝の臼杵さんに指導されるだけで、中年層の顔がニヤける。

 臼杵さんは現役の探索者だから私らと同年代でも若く見えるだけなんだよ。本人もそう主張しているだろうに。

 女性相手に年齢の話はご法度。元より口にするつもりは……臼杵さん、睨まないで! ライオンに威嚇されているようですごく怖い。





「この中年細マッチョめ、モテ期か羨ましいにも程があるぞ。田所さんはどう思われますか?」


「うむ、良く鍛えられておる」


「いえ、そういうことではなく……」


 午後三時に訓練は終了。その後は大浴場で皆と汗を流す。

 探索者養成講習は強制収容されていることから合宿と同じ。

 少なくとも仮免許を取得するまで家には帰れない。どころか敷地すら出られない。ヘリで来たことを思えば、敷地を出れたとしても山の中だろう。


 電話は可能だが昔懐かしい緑やピンクの公衆電話を使用する必要がある。なんと、携帯キャリアの電波が届かない場所に全探連支部があるのだ。

 常設されるPCはネットに繋がっていて、私物PCの持ち込みも可能ではあるのだが、回線が特殊でメディア関連のアップロードに関わる通信は軒並み遮断される。これらは入所直後に受講した探索者保護法に基づいた処置である。


 数少ない探索者を守るためには講習の受講者にも本法が適用される。探索者の中にはメイズ・ダンジョン攻略を配信して稼ごうと目論む者は存外多いそうで、偶然にも映り込んだ他の探索者の個人情報を守るための法令である。


 建前上は。


 企業が探索者を囲い込むことは違法ではない。しかし、全員が全員囲い込まれてしまえば、違法でない以上は利益は企業側に独占を許してしまう。そうなれば、国や探索者協会としては面白くない。

 講師もそんな直接的な表現はしていなかったが、私なりに要約するとそんな感じ。

 最終的に税金として国に流れ込むのだから細かいことに拘るな、とも個人的には思うも色々な思惑が錯綜した結果であるのだろう。

 そういった思惑に巻き込まれた方は堪ったものではないが、一応探索者を守る法であることは違いはなく、無法であるよりはずっといい。



 そんな陸の孤島での合宿生活だが。

 私が何かと揶揄われるのは今期受講者の顔合わせがあった初日を除き、今では日常化している。特に件の少女が近付いて来てからは顕著だ。

 田所さんを御意見番に据え、やんややんやと騒ぐ様は学生時代の部活のノリに酷似していて、心の方も若返った気分になる。


 今日でちょうど三か月目の折り返し地点に到達し、講習も残り半分となった。


 週末には探索者絡みの歴史の試験があり、それを終えると残す座学は各種申請方法と資源取引に関する法令を残すのみだがこれらには試験はない。率先して覚えておかないと痛い目に遭うぞ、という嫌がらせのようなカリキュラムが組まれている。

 そして試験のない座学は朝から初めて十時には終わる。それも二週間程度で満了するらしい。以降は朝から晩まで全ての時間が訓練に費やされる。


 その訓練も基礎体力の向上を目的とした、現状の生温い筋トレではなくなる。

 探索者協会が管理するメイズでの実践訓練が始まる、という話だった。

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