2.養成所
世界に、日本に、メイズやダンジョンと呼ばれるモノが出現し始めてから早三十年が経過した。それも初めて発見されて以降の年数でしかない。
発見以前にも存在はしていたと推測されているも、いつの頃から出現し始めたかはいまだ判明してはいない。
探索者協会及び全探連では地上にあるものをメイズ、地下にあるものをダンジョンと呼称する。
メイズは過去商業施設にあった巨大迷路に酷似しており、主に樹木や石壁で区切られていることが一般的だ。ダンジョンは鉱山の坑道を模したものが大半だが、稀に箱庭の如く閉じた世界が広がる場合もある。
メイズ・ダンジョンを問わず、この中にはモンスターと呼称する怪物が棲む。
モンスターは人間に限らず多くの生物を襲う。メイズ若しくはダンジョンに侵入しなければ、まず襲われることはない。極めて稀な事例に外部に進出してくるモンスターの存在も確認されており、警戒は怠るべきではない。
このモンスターと呼ばれる存在は、世界各地の神話や昔話に登場する化け物や怪物がモチーフとなっている事例もあれば、どのような物語にも登場しないような醜悪で悍ましい姿のものまで多種多様、多岐にわたり存在する。
そんなメイズやダンジョンではあるが、資源の産出地として捉えればこれほど理想的な環境も存在しない。鉱石を採掘した鉱床も数日すれば元に戻り、全収獲した樹木の果実なども一月足らずで再び結実する。
今や、国家に留まらず大中小企業までもがメイズ及びダンジョンから産出される資源に着目し、新たな産業として確固たる地位を築きつつある。
「ここまでは昨日のおさらいだ。前も言ったが大人たちからすりゃ一般常識程度の内容だし、若い連中は義務教育課程の社会科の復習でしかない。
では続きを説明していく。面倒でもちゃんと聞いておけ、試験に出るぞ」
座学の講師が昨日黒板に書かいた文章を指差し、重要な部分に赤いチョークで線を引いていく。この赤線部分がテストに出題されると……実に分かり易い。
メイズやダンジョンで活動するための探索者資格を得るために、座学の単位も必要となる。
単位を獲得して探索者の仮免許を取得しなければ、この強制収容所こと探索者養成支部から出ることができない。誰も待ってすらいない家にだって帰れない。
ただ、メイズやダンジョンの歴史に関してはほぼ一般常識の範疇でしかなく、資格取得後に必要な知識かと問われると首を傾げたくなる。
その点、全探連や下部組織となる地方の探索者協会での各種申請の方法や、探索者に関わる法令の方が大切だ。
申請に関しては窓口でも相談できるだろうが、探索者が知っていなければならない法令を軽んじるわけにはいかない。知らないと損をするばかりか、下手をすると手が後ろに回ってしまう惧れもある。
「――ジョン因子に関してだが、君たちは既に精密検査を経て因子の萌芽が確認されている。このメイズ&ダンジョン因子が無いと探索者にはなれない。どんなに切望しようとも、な」
「また、因子が遺伝する可能性は現在否定的な見解が多い。完全に否定されていないのは、まだ三十年程度と探索者の歴史が浅いことが理由だな」
メイズ&ダンジョン因子とは、即ち探索者なるために最低限必要な特性のようなもの。
私が献血したのは何もあの一回限りではなく、前回以前にも三回は献血をしている。ではなぜ、前回の献血した血液にのみ因子が見つかったかというと、全人類にメイズ&ダンジョン因子は芽生える可能性がある〝らしい〟。
〝らしい〟というところがミソで、実際の所は何もわかっていないに等しい。
ただ現時点でメイズ&ダンジョン因子を持たざる者も、希望を捨てる必要はない。いつ何時因子が萌芽するか、誰にも自分ですらもわからないのだ。
そして、適性がない者は何も別にメイズなりダンジョンなりに入れないことはない。入ったところで数分と経たずに動けなくなり、衰弱死する可能性があるに過ぎない。
「現在、日本で活動している探索者の人口は約一万人。総人口の一割にも満たない。因子を有する君らは希少な存在なんだぞ」
メイズやダンジョンが発見されてようやく三十年経とうという時期に、発見以前に生を受けた私に因子が芽生えたことは疑問だ。
今年の五月末に四十二歳を迎える私は何故か因子が見つかった。より正確に言うのならば、献血に通うようになって発覚した。
「教室を見回してもらえばわかるだろう? 大人の割合が非常に多いんだ。メイズやダンジョンという存在が世界的に認識されたのが三十年前ということで〝それ以前に誕生した者が因子を持つはずがない〟というのは世間に蔓延る悪質なデマだ。ここは毎年テストに出るからよく覚えておくように。
かく言う俺も五十三と年寄り扱い予備軍ではあるが、十六年前に探索者資格を取得している」
講師の、常澄さんだったか? ここからだと名札の文字が小さく読めないが、最初の自己紹介で確かそう名乗ったと思う。
その彼が、首からぶら下げた二枚綴りのドッグタグをシャツの中から取り出して見せた。
「「「おおおぅ」」」
呻き声にも似たどよめきが教室内に響く。
精密検査の結果も陽性なのだが、それが何かの手違いであっては困る。
長年勤めたブラックではないにしても、限りなく黒に近いグレーな会社を休職しているのだ。と言うよりも、メイズ&ダンジョン因子の萌芽が発覚した時点で全探連に通達され、公的に雇われた弁護士が休職の手続きを進めてしまっている。
メイズ&ダンジョン因子が確認された義務教育課程を脱した日本人は、学生も社会人も男女の区別もなく全探連の所属となる。
この強制収容所もとい探索者養成所で半年に及ぶ講習を受講し、試験に合格すれば仮免許を取得できる。探索者(仮)として、更に一年間探索者として活動することが義務付けられる。それを達成すれば、仮免許が本免許に切り替わる。
本免許に切り替わった後は以降の行動に制限はない。強制的に休職させられた原職に復帰するもよし、そのまま探索者活動を続けようとも個人の自由だ。
一応、そのまま探索者を続けた場合には様々な優遇措置が用意されている。
仮免許取得から数えて五年間の税制優遇や、探索者を続ける上でのスキルアップ講習費用の無償化など、是が非でも多くの探索者を獲得したい国と全探連という三セクの必死さが窺われる政策ばかりが目白押し。
半ば強制的に探索者養成講習を受講している私だが、自身に因子が萌芽したことを未だに信じられていない。ここに来て、ようやくそれらしき事柄が講習内容に登った。
私と共に悲壮な表情を浮かべていた中年組もこれで一安心と、ほっと一息吐いている。先程漏れた感嘆は彼ら彼女らのものだけでなく、私のものも含まれる。
「大人たちだけじゃない。義務教育課程では探索者にはなれないとはいえ、逆に言えば高校生以上であれば探索者となれてしまう。子を持つ親として俺は、この制度に一言申したいが国も地方自治体も全探連も認めることはないだろう」
教室の2/3以上は成人が占めるが、見るからに幼さの残る少年少女がいないわけではない。逆に極一部には白髪頭の御仁もいらっしゃる。
四十人は座れる机と椅子があるものの、受講生は二十人程度しかいない。
机自体が個々に置かれているのだが、少々動かすくらいならば黙認されている。
受講者は、ほぼ年代別に固まって席を確保している傾向にある。
二十代から三十代前半、三十代後半から五十代以上と幅広い中高年男性組。成人男性と似たような組み合わせの女性陣。未成年は一人の少女除き、少年二人と少女一人の三人で固まっている。どう見ても八十越えの御仁は群れる気配はない。
だというのに、私の右隣に座るのは黒髪ロングの眼鏡少女がひとり。
私が先に着席していたところに彼女が後からやってきているので、特に疚しいところはない。この少女は以前からこちらの方向を観察していたかと思えば、日に日に距離を詰めてきていた。
枯れ専か? 失礼な、私はまだ枯れてなどいない!
枯れてはいないが少女に興味を抱くような趣味はない。逆に怖かったりするのは内緒にしたい。
「家庭環境や何やと理由はあるだろうが、探索者の活動は命懸けだ。モンスターに負ければ喰われる。それも運が悪ければ生きたままだ。大人たちには悪いが、子供たちは二十二歳まで猶予がある。これは大学生までを対象とした制度ではあるが、もちろん高校生でも受けられる。
講習だけ先に受けようと考えているならやめろ。講習ごと後回しにしないと受験勉強もあるだろうし、命に係わる探索者の知識を蔑ろにはすることは望ましくない。だから考え直すなら早い方がいいぞ?」
世間一般では〝徴兵制度〟と呼ばれるくらい悪しき習慣と思われている。
私もデマにまんまと騙され、自分の身に降りかかる出来事とは考えもしなかったが、日本の未来を担う若者よりも多くの年を重ねた私のような者が彼ら彼女らの防波堤になるべきだとは思う。そのための学生を対象とした延期措置なのだろう。
だが、悲しいかな。
講師の優しさは、覚悟の決まった若者たちには届かない。
「無駄話しは終わりましたか? 講習の続きをお願いします」
その代表として言葉を紡いだのは、私の隣の席に座る少女。
講師とは他人だと思われるので親の心子知らず、ではないがだろうが。それにしたって可愛げのない言葉である。
私と同年代、その上の中高年の男女から厳しい視線が向けらる。本来突き刺さるべき視線は少女へ向かわず、なぜか私へ向けられていた。
正直、意味がわからない。
私とは一切関わりのない少女である。断固無実であると主張したい。
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