第1話 ①〜④

「借りは返させてください。あなたに恩を感じ続けるのは嫌なので」


 蒼生は、そう辛辣に言い放ち睨みつけてくる少女の頑固さに対して困惑していた。

「・・・そうかよ。でも何度も言うが恩を感じられるようなことはしてないし、気にもしてないから」

 素っ気なく返した蒼生に、さらにその少女は不服そうな顔をしている。


 この二人の間に何があったのか。それは少し時間を遡る。


 入学式を終え、高校での新しい生活にも慣れてきた五月の末。

 休日にショッピングモールで買い物をしていた蒼生は、厄介な現場に立ち会ってしまった。

「そこのお嬢ちゃん、今一人?」

 ある少女がナンパ男に絡まれていた。

 男は、サングラスにジャラジャラとしたアクセサリー、派手な柄シャツにダボッとしたパンツと、いかにもな格好をしていた。

 急なことで反応に困ったその少女に対して、怪しい男はさらに続ける。

「良ければこの後お茶でもどう?近くにいい店があるんだよ」

 いかにもな格好に加えて、いかにもなセリフ。

 ナンパの常套句であるその言葉に、少女はさらに困惑して言葉に詰まる。

「え、えっと・・・」

「いいじゃんか。ちょっとお話するだけだし」

 言葉に詰まっている少女の腕を、男は荒々しく掴んで、連れて行こうとする。

「あ、あの、離してください!」

 流石にここまで来ると蒼生も見逃せない。

 蒼生は深い溜め息をついてから二人に近づいて行き、男の後ろから声をかけた。

「何を騒いでいるんですか?」

 突然横から入ってきた蒼生に男は勢いよく振り返る。

「なんだよ、お前には関係ねえだろ!なんか文句でもー」

 しかし男の言葉がそこで止まる。

 蒼生は声を掛けただけだったが、蒼生よりも背が低いその男は、自分よりも高いところから見下され、更に蒼生の切れ長の目に見られて睨まれたように感じていた。周りもそこに凄まじい圧を感じていた。

 見えない何かに凄まれた男はどんどん萎縮していき、突っかかってきたときの威勢はもうどこにもない。

「い、いや〜あの〜ちょっと道を聞いただけというか。別に下心があるわけでは・・・」

「ならその手を離したらどうです?」

「や、やだな〜今離そうとしてたんですよ今。・・・あ、ボクこの後予定があるんだったー」

 そう言ってナンパ男は勢いよく逃げ去った。

 男の背中を見て呆れて目を細めた蒼生は、絡まれていた少女に向き直り、話しかけた。

「大丈夫ですか?」

「は、はい。ありがとう、ございます・・・」

 話しかけた少女に蒼生は見覚えがあった。しかしすぐに思い出せず、頭を捻る。

「あ、あの、どうされました?」

 不審に思った少女の問いかける声を聞いて蒼生は思い出した。

 蒼生が助けた少女は、入学式で新入生代表挨拶を行った女子生徒だった。

(なんか見たことあると思ったら、名前は確か・・・北野だったのか)

 少女―北野天音は高校生活が始まって、まだひと月ちょっとしか経っていないにも関わらず、学校中、男女問わずに人気のある少女だった。

 人気の理由は天音のその容姿にある。

 漆黒で吸い寄せられるような艶のある長い髪、折れてしまいそうなほどに細い手足。それでいて緩急のある美しいスタイル。均整の取れた幼い顔立ちに琥珀色の瞳をした大きな目。

 百五十センチちょっとと小柄ながら、大人のような落ち着いた雰囲気をまとい、一つ微笑みかければその場には一瞬にして花が咲く。

 儚さも兼ね備えたような、まさに清楚と形容するのがふさわしい。そんな少女である。

「いや、お前の名前を思い出そうとしてた。北野であってたか?」

「な、なぜ私の名前を知ってるのですか?」

 天音は一気に警戒の色を見せる。

「お前と同じ高校でな。それに学校であんだけ有名なんだ。知らないやつのほうが少ないだろ」

 天音は容姿端麗であるが故に視線をよく集め、特に新入生代表だったこともあって、学年性別を問わず噂されている。

 蒼生もクラスは違うが話はよく聞く。クラスの男子たちが「今日も北野さんが」などと話しているので嫌でも耳に入る。

「まあ何にせよ、変な輩も多いからな。北野も気をつけろよ」

 一方的にそう言って蒼生は帰ろうとしたところで、天音が蒼生を呼び止める。

「借りは返させてください。あなたに恩を感じ続けるのは嫌なので」


 そして今に至るのである。

「あなたが気にしていなくても、私が気にするんです。借りをつくっておくのは嫌なんです。」

「別にいいって言ってるだろ」

(強情なやつだな)

 今の天音からはクラスの人が言うようなお淑やかで清楚という印象は感じられない。むしろ我儘で我が強いという感想を持ってしまう。

(とにかくここだと人目を引くし、学校のやつに見られないとも限らない。逃げるか)

「悪いがこの後、用があるから」

 そういって天音に背を向けて、蒼生は足早にその場を去ろうとする。

「ま、待ってください!せめて名前だけ教えてください!同じ学校ならいつか借りを返せるかもしれないので」

 それでも逃さまいとする天音に、逆に教えたほうが早く帰れるかと考えた蒼生は、振り返って天音の方を向く。

「伊達蒼生だ。・・・これでいいか?」

「伊達、蒼生・・・」

 蒼生の名前を聞いて天音は考え込む。

「どうかしたか?」

 逃げるチャンスではあったものの、その間を不審に思った蒼生は天音に問いかける。

「も、もしかしてですけど、中学校は青葉中ですか?」

「・・・そうだが、なんで知ってるんだ?同じ中学のやつはいなかったと思うぞ?」

 蒼生の把握しきれていないところにいたのかもと考えたが、この一ヶ月、中学からの顔を見た覚えはない。

 中学時代の交友関係は狭く、深めだった蒼生だが、学校の規模は小さめだったため、話したことはなくとも顔と名前は大体知っていた。

「あ、いえ、その、友達がそこの出身で・・・」

 何やらゴニョゴニョと口にする天音とただただ困惑する蒼生。

 ショッピングモールの真ん中で二人して固まっている姿は、とてもよく人目を引くようで、周囲の人達は怪しむように見ては、足早に横を通り過ぎていく。

「・・・・・・あの!」

 その羞恥心からか、顔を真赤にした天音は突然蒼生に背を向けて、肩を震わせながら声を絞り出す。

「と、とにかく、いつか借りは返しますから!」

 そう言って天音は走って逃げていく。

 そのとき段差もないところで躓きかけていたので、よっぽど焦っていたのだろう。あまりにも普段と違う様子で、本当に学校で人気の北野天音なのか疑問に思えてきた。

 短時間で二度も目の前の人に逃げ去られるという稀有なイベントに遭遇した蒼生は、自分が逃げようとしていたのにいつの間にかひとりその場に取り残されて、何がなんだか何も分からない状態だった。

(本当に何だったんだ?)

 あまりにも学校での姿と違いすぎて、脳の処理が追いつかない蒼生だった。


 休み明けの日の朝。蒼生は教室へ向かう最中に何やら人だかりができているのを見た。

 その中心には天音の姿があった。

「ショッピングセンターで変な男に絡まれたって聞いたけど、大丈夫だった?」

「はい。少し怖い思いはしましたが、助けていただいたので」

 どうやら昨日のナンパ事件について話しているらしい。このあたりでは人がよく集まるショッピングモールだったため、たまたまあの場に居合わせていた人がいたのだろうか、話は瞬く間に広まった。

 数人の女子生徒に囲まれて受け答えをする天音の様子は、やはりショッピングモールでのものとは大違いで、蒼生と話したときの挙動不審さはまるでない。皆の前では誰もが認める優等生である。

「目つきの悪い人がナンパ男を撃退したってやつ?」

「ええ。お礼を申し出ましたが、足早に去ってしまいました」

「えー!北野さんにお礼してもらえるっていうのに、変なのー」

 どうやらその目つきの悪い人というのが蒼生だということまでは知られていないらしい。

 ホッとしつつ天音の横を通り過ぎる。そのとき、天音と一瞬目が合い、その目はもの言いたげなものだったが、他の生徒に話しかけられるとすぐに、いつもの笑みを周りに向けていた。


 蒼生は教室に入ると読書を始めた。

 やはり周囲の生徒の話題は天音のことで持ちきりだったが、当事者とも言える蒼生は我関せずを貫く。自ら名乗り出ても面倒が増えるだけなのだから。

「よっす伊達」

 声と同時に読んでいた本に影がかかる。

「・・・真田か。おはよう」

 声と影の主は蒼生の友人で前の席に座る、柊人だった。

 手元から少し顔を上げて答えたあと、すぐに目を本に戻す。

「つれないなー伊達は。そうやって本ばっかり読んでるから人が近寄らないんだよ。もっと周りに興味を持て。愛想よくしろ」

「余計なお世話だ。それにお前だって他とあまり話さないだろ」

「・・・それはまあ、ね?俺だって本は読みたいしさぁ」

「はぁ・・・そっくりそのまま返すよ」

 二人はそう軽口を叩く。

 蒼生と柊人は席が近いだけでなく、読書という共通の趣味を持っている。

 休み時間も人と話すよりもその趣味を優先した結果、嫌われたり仲が悪い訳では無いが、いわゆる中心グループからは離れている。

 蒼生はこの意味のないような軽い言い合いが嫌いではなく、むしろ柊人との会話を楽しんでいた。

「にしても今日は朝から騒がしいな。なんでも女神さんが昨日ナンパされたらしいぞ」

「女神?・・・ああ北野のことか。あいつも大変だろうな。学校来て早々に廊下で質問攻めに遭ってるんだから。」

「あれ?伊達が珍しく乗っかってきた。普段なら興味ないとか言って流すのに、どした?」

「別にいいだろ。俺だって人のことを憐れむ気持ちはある」

 確かに今までクラス内で天音の話を聞いても、特になんとも思わなかったし、柊人からその手の話題を振られても興味ないと一蹴していた。

 しかし昨日の事があったからか、蒼生は以前よりも天音のことを意識していた。特に名前を言った後の不自然な反応が気になってしまう。

 しかしその意識はあくまでこういう人がいるんだな、という程度ではある。

「なーんだ。てっきりお前も女神親衛隊ゴッドネス・ガーディアンにでもはいったのかと」

「ゴッドネス・ガーディアン?」

「あれ、知らないのか?まあ表立ったことはしてないからな」

 柊人がいうには、女神親衛隊ゴッドネス・ガーディアンとはその名の通り、学年の女神である天音を守ろうと、勝手に男子たちが創ったファンクラブのようなものだという。

 まだ入学して一ヶ月しか経っていないというのに、学年問わず多くの男子が入隊しているらしいが、あくまで非公式である。

「これまた胡散臭いし、センスの欠片もないな」

「言ってやるなよ。まあ結構厄介なやつもいるらしいし、女神さんと接しようと思ってるなら気をつけたほうがいいな」

「だから俺は別に興味ないっての」

「へいへい、そうですかー」

 前言撤回。柊人のこういう余計なところは好ましく思えない。

 ニヤニヤしながら余計な忠告をしてくる柊人を睨みながら、蒼生は心のなかで厄介事に巻き込まれないことを祈る。何事も平穏が一番だ。

 しかし、人生はそんな都合よく進まない。

 油断した蒼生にまた面倒事が待っている。



 蒼生は放課後、夕飯の食材を買うためにスーパーへ寄った。

 現在一人暮らしをしている蒼生は、なるべく自炊をするようにしていて、両親から生活費として毎月振り込まれるお金で日々やりくりしていた。

 まとめ買いをするために行きなれたスーパーへと入り、カゴを持ってまわっていると、見慣れた、挙動不審な人影があった。

(あいつ、あんなとこで何をキョロキョロしてるんだ?)

 そこには、何やらちいさなメモを見ながら右往左往する天音の姿があった。

 あまりにキョロキョロし過ぎなその様子に、普段の冷静さや落ち着きはなく、下手をすると不審者にも見えかねない。

 明らかに困っているのが少し離れた蒼生からでもよく分かる。

(何か良くわからんが・・・助けてやるか・・・)

 最初は放っておこうと考えた蒼生だったが、あまりに怪しく、見ていられなかったため、渋々声をかけることを決めた。

 蒼生、高校に入ってから二度目の、天音救出イベントである。

 何をしてるのか話しかけるために近づいた蒼生に対して、天音は全く気づく気配がなく、手元のメモを見ながらブツブツと何かをつぶやいて、真剣そうな顔をしていた。

「ウロウロしてどうかしたのか?」

「ひゃっっ!」

 蒼生が後ろから声を掛けると、天音は変な声を出して体を震わす。

「何もそんなに驚かなくても・・・」

 あまりのリアクションに、蒼生は少しショックを受ける。

「だ、伊達くんでしたか・・・・・・急でびっくりしただけですし、何でもありませんので大丈夫です」

 少し間をおいて、明らかに取り繕った冷静さをまとわせながら答える。

「大丈夫ではなさそうだが・・・さっきから不審者にしか見えなかったぞ」

「ふ、不審者とは失礼なっ!私はただ買い物をしているだけです!」

 天音は心外だと言うように頬を膨らませて蒼生を睨む。

「買い物か。何を買うんだ?」

「母に頼まれてお肉や野菜などを・・・あっ」

 その時天音の持っていたメモがひらりと落ちた。

 そのメモを天音が拾おうと手を伸ばしたが、それより早く蒼生キャッチする。

(なんだ、このメモは・・・)

 蒼生はメモを見た瞬間に、驚愕のあまり言葉を失った。

 天音のメモにはびっしりと文字が書かれていた。

 買うものだけではなく、その商品がどこにあるかまで丁寧に書かれている、書き手の几帳面さが伝わるメモだった。

 しかし蒼生が驚いたのはそこではない。彼は注文の品数に目をむいた。

 野菜や肉などの食品はもちろん、洗濯用の洗剤まで書かれており、それはおよそお使いに頼む量ではない。

 天音のかごの中を見てみると、メモに書かれたうちの何一つとして入っていない。ここまで丁寧に場所が書かれているにも関わらず、この様である。

「お前、もしかしなくてもお使い初めてだろ?」

「そ、そんなことある訳ないでしょう!私だってこのスーパーに来たこともありますし、買ったことだってありますよ!」

 そう言ってはいるものの、こんな姿を見せたあとでは説得力がない。

 蒼生から呆れと疑いを混ぜた目で見られた天音はバツが悪そうな顔で白状した。

「・・・ここまで本格的なお使いをするのは初めてです」

 今まで頼まれたとしても、せいぜい次の日の朝に食べる食パンや、荷物とも言えないような小さなものであったという。

「はぁ、お前を見てるとこっちがヒヤヒヤする。手伝ってやるからついてこい」

 そう言って蒼生は天音からカゴを取り上げてメモに書いてある商品を入れていく。天音と違って慣れた手付きだ。

「勝手にやらないでください。一人でもできます!」

「どんだけ時間をかけるつもりだ。ここまでで一つも見つけられてないだろう。メモを見るに、今日の夕飯あたりだろうし、早く買って帰らないと間に合わないぞ」

「それは・・・そうですけど・・・」

「諦めて俺に手伝わせろ。北野はカートを取ってこい」

「・・・・・・わかりました。お願いします」

 天音はもっと言いたいことがありそうな表情をしていたが、有無を言わせない蒼生に諦めたのか、渋々従いカートを取りに行った。

 そのうしろ姿を見て蒼生は今日何度目かわからないため息を吐く。どうして朝に願った平穏な一日とは程遠いこの状況になってしまったのだろうか。

 こうして二人のお使いが始まった。

 


「そういえば君は何を買う予定なんですか?」

「俺か?まあ今日の夕飯の材料だな」

「私と同じお使いですか?」

「いや、俺は自分で作ってるからお使いとも言えないな」

「え、自炊しているんですか!?」

 天音は意外だという視線を蒼生に向ける。

「顔に出てるぞ。まあ、一人暮らしだと出来合いのもので済まそうとしてしまいがちだが、俺はなるべく自分で作るようにしてる」

「え、一人暮らし?」

「ああ、そうだ。北野は・・・一人暮らしじゃなさそうだな」

 さらに意外だという顔をしてくるので、蒼生は少し意地悪く天音に言う。

「そうですけどなにか文句でも?」

 天音は蒼生を睨みつける。

「文句というよりかは納得だな。その買い物スキルで一人暮らしは流石に無理がある」

「余計なお世話です。今まで機会がなかっただけですから」

 恥ずかしいのか、不貞腐れているのか、天音は不服そうな声で言い訳をする。

 さすがに嫌味過ぎだったかと思った蒼生は天音をフォローしようとする。

「まあ別に悪いとは思ってないよ。逆に北野にも出来ないことあるんだって知れたし。完璧超人じゃないんだなって思っただけ」

 そしてこう付け加えた。

「少し北野に親近感が湧いたよ。ギャップがあって、いいと思う」

 蒼生の隣を歩いていた天音は急に立ち止まる。

「どうした?」

「い、いえ何でもないです。は、早く買い物を終わらせますよ。一緒にいるところを誰かに見られても厄介なので」

「ああそうだな」

(やっぱり変なやつだ。学校での雰囲気とぜんぜん違う)

 またもや学校で女神と呼ばれる天音の意外な姿を目にした蒼生は疑問符を浮かべながらも買い物を続ける。

「あと買う必要があるのは何だ?」

「えっと・・・あとは洗濯洗剤です」

 二人はスーパーの洗剤売り場へ向かう。

「ありました!これで全部ですね」

 そう言いながら天音が手に取ったのは洗剤ではなく、柔軟剤だった。

「待て、それは洗剤じゃない。よく見ろ」

「でもいつも母がこれ使ってますよ?」

 一応使っているところを見たことがあるらしいが、お使いされたものとは違う。

「これは柔軟剤で洗剤とは違うんだよ。これ以外にも使ってるはずだ」

「言われてみると・・・確かに三種類くらい使っていたような」

 この様子だと柔軟剤がどんなものなのかも知らなそうである。ここまで来るとギャップどうこうでもなくなってくる。

 蒼生は天音に柔軟剤の使い方、というよりも、洗濯の仕方を一から説明した。高校生に教えるようなことかと疑問に思ったりもしたが、そこは下手に口にしない。

「洗濯をするにしてもいろいろな使い分けがあるんですね・・・」

「本当に知らなかったんだな・・・」

「そんな憐れむような目で見ないでください!私だってやろうとしたことはありますけど上手くいかなくて・・・」

「手順通りにやれば基本は問題ないはずだが?」

「できる人はそうやって言うんです!母にも言われました。私だって好きで洗剤を入れすぎたり、洗濯機から溢れかえさせたりしてるわけじゃありません!」

 どうやら蒼生では想像もできないようなドジを踏んでいるらしく、会ったことのない天音の母親に同情してしまう。

 蒼生の表情からバカにされていると思ったのか、天音は腕を組んで蒼生から目を背ける。

「どうせ私は生活能力が低い残念な女子なんですよ」

「はいはい」

 そんな面倒くさいムーブをする天音に蒼生は呆れつつも、バレないようにこっそりと笑っていた。


 全ての買うべきものを探し終えた二人は、レジで会計を済ませたあと、袋に詰めいていく。

 この袋詰めのときも、天音の初心者ぶりが出ていた。

 何から詰めれば良いのか分からなったのか、とりあえずカゴの上の方にあったものから詰めようとする天音に、蒼生は自分の袋詰めの手を止めて呆れながらも手伝った。

「袋には重たいものから入れていけ。潰れそうなものとかはあとだ」

 手際よく天音の買った商品も詰めていく。

 蒼生の主夫力の高さに、天音は呆気にとられていた。

「本当に一人暮らしなんですね・・・」

「疑ってたのか?」

「いえ、そういうわけでは・・・」

 図星だったのか天音は目をそらす。

「まあ一人暮らしは自分で選んだ道だしな、最初は大変だったが、一ヶ月もやれば多少は慣れる。洗濯だって難しくはない」

「一言余計です」

 もうすぐ一人暮らしの開始から二ヶ月ほどになる。その前から家事や買い物をしていたため、あっという間にこの生活に順応していた。

「よし、これで全部だな」

「ありがとうございます。助かりました」

 天音は感謝をしながら荷物を手にしたが、持った瞬間によろける。

 後ろへ倒れそうになった天音を蒼生がギリギリで抱きとめた。

「大丈夫か?」

「は、はい・・・」

 心配そうな蒼生の声に、天音は顔を紅潮させなっがら答える。

 背中を抱きとめたせいで、思ったよりも顔の距離が近くなった二人。しかし、真っ赤な天音とは対照に、蒼生は至って冷静で、いつも通りだった。

「まったく・・・お前を見てると本当に心配になるから、家まで送る」

 蒼生は天音から荷物を取り上げながら圧のある声で言う。

「こんな荷物、一人じゃ持ちきれないだろ」

「で、でも」

「こういうときは素直に頼ってくれ。さっきみたいに倒れられて怪我でもされたら困る。何でも一人でこなす必要なんかないんだよ」

 そのまま蒼生は出口へと歩き出す。

 口調は素っ気なく、無愛想な蒼生だが、本当に天音を心配しているのが伝わってくる。

「ま、待ってください!」

 ぽかんと立ち尽くしていた天音だったが、急いで蒼生の背中を追いかける。

「・・・もう、そういうところですよ」

 蒼生には聞こえない、小さい声で独り言ちた天音の表情は、とても自然柔らかいものだった。



「すまん、よく考えたら北野の家とか知らないわ」

 二人でスーパーを出ると、蒼生は少し言いづらそうに言った。格好良く送る宣言をしたものの、天音の家を知っているわけもなく。

「君は・・・意外と抜けてるところがありますね・・・」

「こ、今回はその、たまたまだ」

「そうですか」

 淡白な返事だったが、天音の顔には僅かに笑みが浮かんでいた。その笑みは学校で皆に向けるようなものとは違い、年相応な可愛らしいものだった。

 思わず見惚れてしまった蒼生はその場に立ち尽くす。

「どうかしましたか?」

「い、いや、学校での笑顔と違うなって」

「・・・変、ですか?」

 心配そうに問いかける天音に蒼生は柔らかい口調で答える。

「変じゃない。むしろそっちのが良いと思うぞ」

「き、君は恥ずかしさというものを感じないのですか!?」

「恥ずかしいも何も、思ったことを素直に口にしただけだが」

 なんの恥ずかしげもなくそう答える蒼生に、逆に恥ずかしくなった天音はスタスタと歩き始める。

「そ、そうですか。それより早く付いてきてください。送ってくれるのでしょう?」

「ああ、そうだな」

 天音の前では平生を取り繕っていた蒼生だったが、実際は結構ギリギリで。

(危なかった・・・)

 天音は気づいていないが、破壊力の高い笑顔を正面からくらった蒼生は、思った以上に動揺していた。油断すれば人に見られたくない、呆けた表情になっていたことだろう。

 こうして無事に(?)お使いは終わり、二人は天音の家へ向かった。



 気を取り直して天音の家へと向かい始めたものの、二人の間には気まずい空気が流れていた。

 先程のスーパーでは家事のことや料理のことなど、話のネタはたくさんあったが、二人きりで歩いていると、何を話せば良いかもわからない。

 ましてや相手は異性。普段の友達同士の内容では太刀打ちできないだろう。

 蒼生は人と話すことが得意ではない。見た目から相手を威圧してしまい、優しい声音を心がけようとしても、どうしても無愛想で怖い印象を与えてきた。

 自分から話しかけに行くよりも、相手から聞かれた内容に答える形式を好む蒼生としては、二人きりの状況は居心地があまり良くなかった。

 どうしたものかと蒼生が考えていると、天音が振り絞るように話題を振ろうとした。

「伊達くんは・・・」

 しかし完全に見切り発車で話しかけたのかその後に言葉が続かない。

「ん?」

「あ、えと・・・・・・」

 また沈黙が流れる。

 勇気を出して切り出そうとしてくれたのはありがたいが、逆に気まずさが増してしまった。

 たっぷり間を置いた後、ようやく天音は続きを口にする。

「伊達くんは、なにで登校しているんですか?」

「え?」

「べ、別に興味があるとか、そんなんじゃないですよ?ただ家まで来ると家が遠くなってしまわないかなと思っただけですし・・・全然変な意図とかはないですからね!」

 誰が聞いたわけでもない言い訳を早口でする天音に蒼生は困惑する。

 しかし、せっかく天音が話題を出してくれたのだから、会話を広げるために天音の質問に乗る。

「そうだな、普段は自転車で来てる。家まですごい遠いわけでもないしな」

「自転車・・・あれ、でも今一緒に歩いてますけど、どうしたんですか?」

「あ、ああそれは・・・」

 蒼生は少し言い淀む。

「そ、そう今日はたまたまバスだったんだ。気分的に自転車がきつかったから」

 とっさに嘘を吐く。

 蒼生は今日も自転車で登校し、スーパーに行ったのも学校帰りなのでもちろん自転車だ。しかし、天音をの家まで送るということで、自転車はスーパーの駐輪場に置いてきていた。

 まあ自転車を押すのが面倒だったということもあるが、天音がおそらく歩きだと考えて、自分だけ乗るのを躊躇った。

 しかし、バスを使うことがあるのは事実だ。

 家から少し歩いたところにバス停があり、そこから五駅ほどで学校前のバス停に着く。雨が降った日や疲れている日はバスに乗ることもある。

「そうだったんですか。家はどちらに?」

「普段スーパーに寄って帰るときにこの道を通るな。おそらくは方角としては同じだろう」

「なら良いのですが・・・」

「北野が気に病む必要はないと言っただろ?お前は何使ってきてるんだ?」

「私は普段からバスを使ってます。家から少し距離はありますがバス停があるのでそこから。先程のスーパーは学校と家の中間くらいに位置しますので、それで今日は頼まれたのでしょうね」

 最初は微妙な空気感だった二人も、波に乗ってきたのか、ぎこちないながらも会話は成立した。

「もうそろそろ着きますよ。そこの角を曲がれば―」

 天音の言う角を曲がると、そこはとても住心地の良さそうな閑静な住宅街で、オシャレで綺麗な一軒家が広めの道路を挟んで軒を連ねていた。

 曲がってから五分ほど歩いたところで到着した天音の家は、玄関まで手入れのされた庭が広がる一軒家で、白い外壁に黒い屋根、シンプルで一般的な外観でありながら、豪華な印象を与えた。

(随分と立派な家だな)

 マンション暮らしの蒼生は、その見た目に圧倒されてしまい、天音にはバレないように唸る。

 蒼生のマンションも狭くはないし、むしろ広く立派な方ではあるが、一軒家というものに憧れたことは何度もあり、天音の家はまさしく蒼生の抱いていた一軒家像に当てはまっていた。

「お付き合いいただきありがとうございました。ここまでで大丈夫です」

 天音は再度お礼を言って蒼生から荷物を受け取る。先程はふらついていたが今度は大丈夫そうで、なぜだか少し得意げな顔をしていた。

 その表情に思わず笑ってしまった蒼生は、今度は天音の不服そうに膨らんだ頬と鋭い目に睨まれてしまった。

「何か?」

「いや、コロコロと表情が変わって面白いなと思っただけだ」

「な、バカにしていませんか!?そもそも誰のせいだと・・・」

 思ったことをそのまま言ってしまう蒼生に不満と呆れの色を混ぜて天音はため息をつく。

「まあとにかく、今日のことは感謝していますので」

「何度も言うがそんなに大層なことはしてないし、押し付けたいわけでもないからな」

「君は本当に頑固ですね・・・」

「そのまま返すよ。強引さはお互い様だろう」

 そう言って二人はどちらともなく笑いをこぼす。

「君と話していると毒気を抜かれてしまいますね」

「良いんじゃないか?学校でのお前は気を張りすぎだと思うぞ。適度に発散しないとストレスで潰れるだろうからな、気をつけろよ」

「忠告ありがとうございます。ですが、私もこの接し方には慣れているので大丈夫ですよ」

 そう口にする天音の顔には一瞬だったが、うっすらと影が掛かって見えた。

 触れたくないところに触れたのかと後悔する蒼生だったが、どのように言葉をかけようか迷っている間に、いつもの学校でよく見る笑顔をたたえて、何もなかったかのように振る舞っていた。

「ではさようなら」

 これ以上の会話を続ける気はないという様子の天音に、蒼生はひとりモヤモヤしながら家の中に入っていく小さな背中を見送った。


 天音と別れてからもう一度スーパーへ向かい、自転車を回収して帰る。

 蒼生の家は天音と一緒に曲がったあの角を曲がらずに直進し、自転車ではない日に使うバス停を越えた先にある五階建てのマンションで、部屋は五階の角にある。

 エントランスは暗証番号を入力すると解錠し、閉じると施錠するオートロックタイプで、その先に広がるロビーが高級感を演出していた。

 実際蒼生の住むマンションは少し値が張っており、その分広さや安全性に関しては不満のない、立派な建物だ。

 結構な広さでありながら一人暮らしなため、どうしても持て余してしまう。

 一応両親と姉の部屋はそのまま残っているが、それとは別に客間もあり、高校生が一人で暮らすには豪華すぎるだろう。

 蒼生が家に帰ってきたとき、時刻は5時半。夕飯を作り始めなければならない時間だ。

(疲れたからといって作らないわけにはいかないんだよなぁ)

 蒼生は一人暮らしゆえに、自炊をしなくてはならない。

 コンビニのものや出来合いのものを買うこともあるが、自炊をしたほうが安く済ませられる。蒼生はバイトをしているわけではないので、出費を抑えるに越したことはない。

「さてと、作るかな」

 蒼生は夕飯のおかずを少し多めに作り、次の日のお弁当にも入れる。

 身支度に時間がかかる訳では無いが、なるべく長く寝ていたいし、まとめて多くを作るほうが楽なので、予め作っておき次の日の朝に詰めるだけという状態にしている。

 用意できなかった日は買うこともあるが、面倒くさがりで節約をしたい蒼生としては弁当を自分で作ったほうが買うよりも楽で良いと考えていた。なお、料理が嫌いなわけではないので弁当作りは面倒の部類に入らない。

 蒼生はさっと作ってさっと食べると、軽く食休みをした後に軽い筋トレをして入浴。そして次の日の支度や課題を済ませて、寝る前に読書をする。これが蒼生のナイトルーティンだ。

 しかし、今日に限っては寝る前の読書があまり進まなかった。

 理由は簡単で、一日が濃かったことからくる疲労だった。

(今日は恐ろしく疲れたな)

 思い返してみると、普段は一人で済ます買い物や下校も今日は天音が一緒だったのだ。しかも天音は壊滅的に買い物ができないので、労力はその分増えてしまう。

 しかし、この疲労感に不快さはない。

(なにげに楽しかったな・・・)

 初めての経験に、そして見たこともないような様子をした学校の女神を間近で見るという貴重な体験に、今まで人にそこまで興味を持ってこなかった蒼生が、天音という存在に興味を持ち始めた。

 興味と言っても、あくまで恋愛感情はなく、人として認知した程度のものであるが、当の蒼生からするとその感情に驚いてしまった。

(これからあいつと関わっていくことはある、のか・・・?)

 多くの人には女神のような振る舞いをするが、蒼生の前ではツンとした態度。

 それでもそちらのほうが天音はリラックスできているようにも感じて、そのことに蒼生はくすぐったさを覚える。

(まあ、俺の方から関わることはないだろうな。それにポンコツなところを見たがあいつは学校のアイドルみたいなやつだし)

 クラスで一人本を読み、人に対してあまり興味を示さない男子生徒と、学校中から女神と憧れの眼差しを向けられる人気者の女子生徒。

 普通だったら絶対に交わることはないと思うだろう。

 しかし、この考えが甘いことを、蒼生は割と早い段階で思い知らされる。

 まさか次の日にまた会うこととなるとは、このときの蒼生は考えてもいなかった。


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