第1話④

「すまん、よく考えたら北野の家とか知らないわ」

 二人でスーパーを出ると、蒼生は少し言いづらそうに言った。格好良く送る宣言をしたものの、天音の家を知っているわけもなく。

「君は・・・意外と抜けてるところがありますね・・・」

「こ、今回はその、たまたまだ」

「そうですか」

 淡白な返事だったが、天音の顔には僅かに笑みが浮かんでいた。その笑みは学校で皆に向けるようなものとは違い、年相応な可愛らしいものだった。

 思わず見惚れてしまった蒼生はその場に立ち尽くす。

「どうかしましたか?」

「い、いや、学校での笑顔と違うなって」

「・・・変、ですか?」

 心配そうに問いかける天音に蒼生は柔らかい口調で答える。

「変じゃない。むしろそっちのが良いと思うぞ」

「き、君は恥ずかしさというものを感じないのですか!?」

「恥ずかしいも何も、思ったことを素直に口にしただけだが」

 なんの恥ずかしげもなくそう答える蒼生に、逆に恥ずかしくなった天音はスタスタと歩き始める。

「そ、そうですか。それより早く付いてきてください。送ってくれるのでしょう?」

「ああ、そうだな」

 天音の前では平生を取り繕っていた蒼生だったが、実際は結構ギリギリで。

(危なかった・・・)

 天音は気づいていないが、破壊力の高い笑顔を正面からくらった蒼生は、思った以上に動揺していた。油断すれば人に見られたくない、呆けた表情になっていたことだろう。

 こうして無事に(?)お使いは終わり、二人は天音の家へ向かった。



 気を取り直して天音の家へと向かい始めたものの、二人の間には気まずい空気が流れていた。

 先程のスーパーでは家事のことや料理のことなど、話のネタはたくさんあったが、二人きりで歩いていると、何を話せば良いかもわからない。

 ましてや相手は異性。普段の友達同士の内容では太刀打ちできないだろう。

 蒼生は人と話すことが得意ではない。見た目から相手を威圧してしまい、優しい声音を心がけようとしても、どうしても無愛想で怖い印象を与えてきた。

 自分から話しかけに行くよりも、相手から聞かれた内容に答える形式を好む蒼生としては、二人きりの状況は居心地があまり良くなかった。

 どうしたものかと蒼生が考えていると、天音が振り絞るように話題を振ろうとした。

「伊達くんは・・・」

 しかし完全に見切り発車で話しかけたのかその後に言葉が続かない。

「ん?」

「あ、えと・・・・・・」

 また沈黙が流れる。

 勇気を出して切り出そうとしてくれたのはありがたいが、逆に気まずさが増してしまった。

 たっぷり間を置いた後、ようやく天音は続きを口にする。

「伊達くんは、なにで登校しているんですか?」

「え?」

「べ、別に興味があるとか、そんなんじゃないですよ?ただ家まで来ると家が遠くなってしまわないかなと思っただけですし・・・全然変な意図とかはないですからね!」

 誰が聞いたわけでもない言い訳を早口でする天音に蒼生は困惑する。

 しかし、せっかく天音が話題を出してくれたのだから、会話を広げるために天音の質問に乗る。

「そうだな、普段は自転車で来てる。家まですごい遠いわけでもないしな」

「自転車・・・あれ、でも今一緒に歩いてますけど、どうしたんですか?」

「あ、ああそれは・・・」

 蒼生は少し言い淀む。

「そ、そう今日はたまたまバスだったんだ。気分的に自転車がきつかったから」

 とっさに嘘を吐く。

 蒼生は今日も自転車で登校し、スーパーに行ったのも学校帰りなのでもちろん自転車だ。しかし、天音をの家まで送るということで、自転車はスーパーの駐輪場に置いてきていた。

 まあ自転車を押すのが面倒だったということもあるが、天音がおそらく歩きだと考えて、自分だけ乗るのを躊躇った。

 しかし、バスを使うことがあるのは事実だ。

 家から少し歩いたところにバス停があり、そこから五駅ほどで学校前のバス停に着く。雨が降った日や疲れている日はバスに乗ることもある。

「そうだったんですか。家はどちらに?」

「普段スーパーに寄って帰るときにこの道を通るな。おそらくは方角としては同じだろう」

「なら良いのですが・・・」

「北野が気に病む必要はないと言っただろ?お前は何使ってきてるんだ?」

「私は普段からバスを使ってます。家から少し距離はありますがバス停があるのでそこから。先程のスーパーは学校と家の中間くらいに位置しますので、それで今日は頼まれたのでしょうね」

 最初は微妙な空気感だった二人も、波に乗ってきたのか、ぎこちないながらも会話は成立した。

「もうそろそろ着きますよ。そこの角を曲がれば―」

 天音の言う角を曲がると、そこはとても住心地の良さそうな閑静な住宅街で、オシャレで綺麗な一軒家が広めの道路を挟んで軒を連ねていた。

 曲がってから五分ほど歩いたところで到着した天音の家は、玄関まで手入れのされた庭が広がる一軒家で、白い外壁に黒い屋根、シンプルで一般的な外観でありながら、豪華な印象を与えた。

(随分と立派な家だな)

 マンション暮らしの蒼生は、その見た目に圧倒されてしまい、天音にはバレないように唸る。

 蒼生のマンションも狭くはないし、むしろ広く立派な方ではあるが、一軒家というものに憧れたことは何度もあり、天音の家はまさしく蒼生の抱いていた一軒家像に当てはまっていた。

「お付き合いいただきありがとうございました。ここまでで大丈夫です」

 天音は再度お礼を言って蒼生から荷物を受け取る。先程はふらついていたが今度は大丈夫そうで、なぜだか少し得意げな顔をしていた。

 その表情に思わず笑ってしまった蒼生は、今度は天音の不服そうに膨らんだ頬と鋭い目に睨まれてしまった。

「何か?」

「いや、コロコロと表情が変わって面白いなと思っただけだ」

「な、バカにしていませんか!?そもそも誰のせいだと・・・」

 思ったことをそのまま言ってしまう蒼生に不満と呆れの色を混ぜて天音はため息をつく。

「まあとにかく、今日のことは感謝していますので」

「何度も言うがそんなに大層なことはしてないし、押し付けたいわけでもないからな」

「君は本当に頑固ですね・・・」

「そのまま返すよ。強引さはお互い様だろう」

 そう言って二人はどちらともなく笑いをこぼす。

「君と話していると毒気を抜かれてしまいますね」

「良いんじゃないか?学校でのお前は気を張りすぎだと思うぞ。適度に発散しないとストレスで潰れるだろうからな、気をつけろよ」

「忠告ありがとうございます。ですが、私もこの接し方には慣れているので大丈夫ですよ」

 そう口にする天音の顔には一瞬だったが、うっすらと影が掛かって見えた。

 触れたくないところに触れたのかと後悔する蒼生だったが、どのように言葉をかけようか迷っている間に、いつもの学校でよく見る笑顔をたたえて、何もなかったかのように振る舞っていた。

「ではさようなら」

 これ以上の会話を続ける気はないという様子の天音に、蒼生はひとりモヤモヤしながら家の中に入っていく小さな背中を見送った。


 天音と別れてからもう一度スーパーへ向かい、自転車を回収して帰る。

 蒼生の家は天音と一緒に曲がったあの角を曲がらずに直進し、自転車ではない日に使うバス停を越えた先にある五階建てのマンションで、部屋は五階の角にある。

 エントランスは暗証番号を入力すると解錠し、閉じると施錠するオートロックタイプで、その先に広がるロビーが高級感を演出していた。

 実際蒼生の住むマンションは少し値が張っており、その分広さや安全性に関しては不満のない、立派な建物だ。

 結構な広さでありながら一人暮らしなため、どうしても持て余してしまう。

 一応両親と姉の部屋はそのまま残っているが、それとは別に客間もあり、高校生が一人で暮らすには豪華すぎるだろう。

 蒼生が家に帰ってきたとき、時刻は5時半。夕飯を作り始めなければならない時間だ。

(疲れたからといって作らないわけにはいかないんだよなぁ)

 蒼生は一人暮らしゆえに、自炊をしなくてはならない。

 コンビニのものや出来合いのものを買うこともあるが、自炊をしたほうが安く済ませられる。蒼生はバイトをしているわけではないので、出費を抑えるに越したことはない。

「さてと、作るかな」

 蒼生は夕飯のおかずを少し多めに作り、次の日のお弁当にも入れる。

 身支度に時間がかかる訳では無いが、なるべく長く寝ていたいし、まとめて多くを作るほうが楽なので、予め作っておき次の日の朝に詰めるだけという状態にしている。

 用意できなかった日は買うこともあるが、面倒くさがりで節約をしたい蒼生としては弁当を自分で作ったほうが買うよりも楽で良いと考えていた。なお、料理が嫌いなわけではないので弁当作りは面倒の部類に入らない。

 蒼生はさっと作ってさっと食べると、軽く食休みをした後に軽い筋トレをして入浴。そして次の日の支度や課題を済ませて、寝る前に読書をする。これが蒼生のナイトルーティンだ。

 しかし、今日に限っては寝る前の読書があまり進まなかった。

 理由は簡単で、一日が濃かったことからくる疲労だった。

(今日は恐ろしく疲れたな)

 思い返してみると、普段は一人で済ます買い物や下校も今日は天音が一緒だったのだ。しかも天音は壊滅的に買い物ができないので、労力はその分増えてしまう。

 しかし、この疲労感に不快さはない。

(なにげに楽しかったな・・・)

 初めての経験に、そして見たこともないような様子をした学校の女神を間近で見るという貴重な体験に、今まで人にそこまで興味を持ってこなかった蒼生が、天音という存在に興味を持ち始めた。

 興味と言っても、あくまで恋愛感情はなく、人として認知した程度のものであるが、当の蒼生からするとその感情に驚いてしまった。

(これからあいつと関わっていくことはある、のか・・・?)

 多くの人には女神のような振る舞いをするが、蒼生の前ではツンとした態度。

 それでもそちらのほうが天音はリラックスできているようにも感じて、そのことに蒼生はくすぐったさを覚える。

(まあ、俺の方から関わることはないだろうな。それにポンコツなところを見たがあいつは学校のアイドルみたいなやつだし)

 クラスで一人本を読み、人に対してあまり興味を示さない男子生徒と、学校中から女神と憧れの眼差しを向けられる人気者の女子生徒。

 普通だったら絶対に交わることはないと思うだろう。

 しかし、この考えが甘いことを、蒼生は割と早い段階で思い知らされる。

 まさか次の日にまた会うこととなるとは、このときの蒼生は考えてもいなかった。

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