第1話③
蒼生は放課後、夕飯の食材を買うためにスーパーへ寄った。
現在一人暮らしをしている蒼生は、なるべく自炊をするようにしていて、両親から生活費として毎月振り込まれるお金で日々やりくりしていた。
まとめ買いをするために行きなれたスーパーへと入り、カゴを持ってまわっていると、見慣れた、挙動不審な人影があった。
(あいつ、あんなとこで何をキョロキョロしてるんだ?)
そこには、何やらちいさなメモを見ながら右往左往する天音の姿があった。
あまりにキョロキョロし過ぎなその様子に、普段の冷静さや落ち着きはなく、下手をすると不審者にも見えかねない。
明らかに困っているのが少し離れた蒼生からでもよく分かる。
(何か良くわからんが・・・助けてやるか・・・)
最初は放っておこうと考えた蒼生だったが、あまりに怪しく、見ていられなかったため、渋々声をかけることを決めた。
蒼生、高校に入ってから二度目の、天音救出イベントである。
何をしてるのか話しかけるために近づいた蒼生に対して、天音は全く気づく気配がなく、手元のメモを見ながらブツブツと何かをつぶやいて、真剣そうな顔をしていた。
「ウロウロしてどうかしたのか?」
「ひゃっっ!」
蒼生が後ろから声を掛けると、天音は変な声を出して体を震わす。
「何もそんなに驚かなくても・・・」
あまりのリアクションに、蒼生は少しショックを受ける。
「だ、伊達くんでしたか・・・・・・急でびっくりしただけですし、何でもありませんので大丈夫です」
少し間をおいて、明らかに取り繕った冷静さをまとわせながら答える。
「大丈夫ではなさそうだが・・・さっきから不審者にしか見えなかったぞ」
「ふ、不審者とは失礼なっ!私はただ買い物をしているだけです!」
天音は心外だと言うように頬を膨らませて蒼生を睨む。
「買い物か。何を買うんだ?」
「母に頼まれてお肉や野菜などを・・・あっ」
その時天音の持っていたメモがひらりと落ちた。
そのメモを天音が拾おうと手を伸ばしたが、それより早く蒼生キャッチする。
(なんだ、このメモは・・・)
蒼生はメモを見た瞬間に、驚愕のあまり言葉を失った。
天音のメモにはびっしりと文字が書かれていた。
買うものだけではなく、その商品がどこにあるかまで丁寧に書かれている、書き手の几帳面さが伝わるメモだった。
しかし蒼生が驚いたのはそこではない。彼は注文の品数に目をむいた。
野菜や肉などの食品はもちろん、洗濯用の洗剤まで書かれており、それはおよそお使いに頼む量ではない。
天音のかごの中を見てみると、メモに書かれたうちの何一つとして入っていない。ここまで丁寧に場所が書かれているにも関わらず、この様である。
「お前、もしかしなくてもお使い初めてだろ?」
「そ、そんなことある訳ないでしょう!私だってこのスーパーに来たこともありますし、買ったことだってありますよ!」
そう言ってはいるものの、こんな姿を見せたあとでは説得力がない。
蒼生から呆れと疑いを混ぜた目で見られた天音はバツが悪そうな顔で白状した。
「・・・ここまで本格的なお使いをするのは初めてです」
今まで頼まれたとしても、せいぜい次の日の朝に食べる食パンや、荷物とも言えないような小さなものであったという。
「はぁ、お前を見てるとこっちがヒヤヒヤする。手伝ってやるからついてこい」
そう言って蒼生は天音からカゴを取り上げてメモに書いてある商品を入れていく。天音と違って慣れた手付きだ。
「勝手にやらないでください。一人でもできます!」
「どんだけ時間をかけるつもりだ。ここまでで一つも見つけられてないだろう。メモを見るに、今日の夕飯あたりだろうし、早く買って帰らないと間に合わないぞ」
「それは・・・そうですけど・・・」
「諦めて俺に手伝わせろ。北野はカートを取ってこい」
「・・・・・・わかりました。お願いします」
天音はもっと言いたいことがありそうな表情をしていたが、有無を言わせない蒼生に諦めたのか、渋々従いカートを取りに行った。
そのうしろ姿を見て蒼生は今日何度目かわからないため息を吐く。どうして朝に願った平穏な一日とは程遠いこの状況になってしまったのだろうか。
こうして二人のお使いが始まった。
「そういえば君は何を買う予定なんですか?」
「俺か?まあ今日の夕飯の材料だな」
「私と同じお使いですか?」
「いや、俺は自分で作ってるからお使いとも言えないな」
「え、自炊しているんですか!?」
天音は意外だという視線を蒼生に向ける。
「顔に出てるぞ。まあ、一人暮らしだと出来合いのもので済まそうとしてしまいがちだが、俺はなるべく自分で作るようにしてる」
「え、一人暮らし?」
「ああ、そうだ。北野は・・・一人暮らしじゃなさそうだな」
さらに意外だという顔をしてくるので、蒼生は少し意地悪く天音に言う。
「そうですけどなにか文句でも?」
天音は蒼生を睨みつける。
「文句というよりかは納得だな。その買い物スキルで一人暮らしは流石に無理がある」
「余計なお世話です。今まで機会がなかっただけですから」
恥ずかしいのか、不貞腐れているのか、天音は不服そうな声で言い訳をする。
さすがに嫌味過ぎだったかと思った蒼生は天音をフォローしようとする。
「まあ別に悪いとは思ってないよ。逆に北野にも出来ないことあるんだって知れたし。完璧超人じゃないんだなって思っただけ」
そしてこう付け加えた。
「少し北野に親近感が湧いたよ。ギャップがあって、いいと思う」
蒼生の隣を歩いていた天音は急に立ち止まる。
「どうした?」
「い、いえ何でもないです。は、早く買い物を終わらせますよ。一緒にいるところを誰かに見られても厄介なので」
「ああそうだな」
(やっぱり変なやつだ。学校での雰囲気とぜんぜん違う)
またもや学校で女神と呼ばれる天音の意外な姿を目にした蒼生は疑問符を浮かべながらも買い物を続ける。
「あと買う必要があるのは何だ?」
「えっと・・・あとは洗濯洗剤です」
二人はスーパーの洗剤売り場へ向かう。
「ありました!これで全部ですね」
そう言いながら天音が手に取ったのは洗剤ではなく、柔軟剤だった。
「待て、それは洗剤じゃない。よく見ろ」
「でもいつも母がこれ使ってますよ?」
一応使っているところを見たことがあるらしいが、お使いされたものとは違う。
「これは柔軟剤で洗剤とは違うんだよ。これ以外にも使ってるはずだ」
「言われてみると・・・確かに三種類くらい使っていたような」
この様子だと柔軟剤がどんなものなのかも知らなそうである。ここまで来るとギャップどうこうでもなくなってくる。
蒼生は天音に柔軟剤の使い方、というよりも、洗濯の仕方を一から説明した。高校生に教えるようなことかと疑問に思ったりもしたが、そこは下手に口にしない。
「洗濯をするにしてもいろいろな使い分けがあるんですね・・・」
「本当に知らなかったんだな・・・」
「そんな憐れむような目で見ないでください!私だってやろうとしたことはありますけど上手くいかなくて・・・」
「手順通りにやれば基本は問題ないはずだが?」
「できる人はそうやって言うんです!母にも言われました。私だって好きで洗剤を入れすぎたり、洗濯機から溢れかえさせたりしてるわけじゃありません!」
どうやら蒼生では想像もできないようなドジを踏んでいるらしく、会ったことのない天音の母親に同情してしまう。
蒼生の表情からバカにされていると思ったのか、天音は腕を組んで蒼生から目を背ける。
「どうせ私は生活能力が低い残念な女子なんですよ」
「はいはい」
そんな面倒くさいムーブをする天音に蒼生は呆れつつも、バレないようにこっそりと笑っていた。
全ての買うべきものを探し終えた二人は、レジで会計を済ませたあと、袋に詰めいていく。
この袋詰めのときも、天音の初心者ぶりが出ていた。
何から詰めれば良いのか分からなったのか、とりあえずカゴの上の方にあったものから詰めようとする天音に、蒼生は自分の袋詰めの手を止めて呆れながらも手伝った。
「袋には重たいものから入れていけ。潰れそうなものとかはあとだ」
手際よく天音の買った商品も詰めていく。
蒼生の主夫力の高さに、天音は呆気にとられていた。
「本当に一人暮らしなんですね・・・」
「疑ってたのか?」
「いえ、そういうわけでは・・・」
図星だったのか天音は目をそらす。
「まあ一人暮らしは自分で選んだ道だしな、最初は大変だったが、一ヶ月もやれば多少は慣れる。洗濯だって難しくはない」
「一言余計です」
もうすぐ一人暮らしの開始から二ヶ月ほどになる。その前から家事や買い物をしていたため、あっという間にこの生活に順応していた。
「よし、これで全部だな」
「ありがとうございます。助かりました」
天音は感謝をしながら荷物を手にしたが、持った瞬間によろける。
後ろへ倒れそうになった天音を蒼生がギリギリで抱きとめた。
「大丈夫か?」
「は、はい・・・」
心配そうな蒼生の声に、天音は顔を紅潮させなっがら答える。
背中を抱きとめたせいで、思ったよりも顔の距離が近くなった二人。しかし、真っ赤な天音とは対照に、蒼生は至って冷静で、いつも通りだった。
「まったく・・・お前を見てると本当に心配になるから、家まで送る」
蒼生は天音から荷物を取り上げながら圧のある声で言う。
「こんな荷物、一人じゃ持ちきれないだろ」
「で、でも」
「こういうときは素直に頼ってくれ。さっきみたいに倒れられて怪我でもされたら困る。何でも一人でこなす必要なんかないんだよ」
そのまま蒼生は出口へと歩き出す。
口調は素っ気なく、無愛想な蒼生だが、本当に天音を心配しているのが伝わってくる。
「ま、待ってください!」
ぽかんと立ち尽くしていた天音だったが、急いで蒼生の背中を追いかける。
「・・・もう、そういうところですよ」
蒼生には聞こえない、小さい声で独り言ちた天音の表情は、とても自然柔らかいものだった。
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