第2話①
天音とのお使いがあった次の日、蒼生は日直の仕事があるため、いつもよりも早めに学校へ来ていた。
(この時間、人が少なくて落ち着いてるし、結構良いな)
登校時刻までにはまだ余裕があり、校内には一部の生徒しかおらず、静かで落ち着いた雰囲気の学校は蒼生にとって理想の状態で、安心するものだった。
これからは少し早く起きて、他の人が来る前に登校するのもありかも、などと考えながら下駄箱に向かうと、ある女子生徒が蒼生の置き場所の前でウロウロしていた。
(なんで会うとき、あいつは挙動不審なんだよ・・・)
またもや怪しく見えたその女子生徒は、学校一の美しさを誇る、生徒たちの女神様こと、北野天音その人だった。
自分の置き場所が塞がれて、少し鋭くなった目で天音を見ていると、天音はその視線に気づいたのか、そっと蒼生の方に振り返る。
目があった瞬間に体を跳ね上がらせる天音に、呆れ気味に息を吐きながら蒼生は天音のもとに歩み寄るが、何を怖がっているのか、天音はというと手に持った封筒らしきもので顔を隠そうとしていた。
周りに生徒がいないことを確認してから、蒼生は天音に話しかける。
「・・・何やってるんだ?」
「っ!べ、別に、何もしてませんが?」
「なにかしてるやつの返事なんだよな、それ・・・・・・そこ俺の下駄箱なんだけど」
「・・・知ってます」
退いてもらおうと素っ気なく言うと、言わずもがな知っているという口調で顔を隠しながら言ってくる。
なぜ蒼生の下駄箱の場所を知っているのかはあえて聞かないが、ここで何をしていたのかは気になるので、蒼生はまた同じ質問をする。
「知ってるならなおさら退いてほしいが、ソワソワして何かあったのか?」
掲げていた封筒を少し下げた天音はまっすぐ見つめてくる蒼生と目が合って、あからさまに目を泳がせる。
問い詰めるような蒼生の視線にとうとう耐えきれなくなったのか、ボソボソとではあるが理由を口にしだす。
「・・・その、じ、実は・・・・・・伊達くん、君に用があって――」
「・・・え、俺?」
「この場に君以外誰がいるんですか!もう、せっかく話そうとしてるのに」
「すまん、あまりに予想外だったから。続けてくれ」
まさか自分が指名されるとは思っておらず、話を遮ってしまったために、白い頬を膨らませて不満を訴えてくる天音を
「・・・いつ来るかわからないので、手紙を置いておこうと思ってたんですけど、ちょうど来たので、これ渡します」
何故か恥ずかしがりながら手紙を渡してくる天音に、「今言えばいいのでは?」と困惑しつつも受け取ったが、その場で開こうとしたところで天音に止められてしまった。
「ま、まってください!ここではなく、一人の時に読んでください!流石に恥ずかしいです・・・」
よくわからないが、天音からすると恥ずかしいことを書いたと思われる手紙を蒼生はもう一度見る。
一般的なお手紙用の可愛らしい封筒で、宛名にはしっかりと蒼生の名前が入っているものの、差出人である天音の名前は書かれていなかった。
「とにかく、その手紙に書いてあるとおりにしてください!」
そう言うと天音は蒼生に背を向けて足早に教室へと逃げていった。
その背中を見送り、蒼生も靴を履き替えて日直の仕事をすべく、自分の教室へと向かった。
天音と下駄箱で話して時間を使ったものの、教室にはまだ人は来ていなかった。
自分の席に荷物をおいて、日直の仕事である教室の換気や、黒板の掃除などを一人でこなしていく。
蒼生のクラスでは、日直は名前順の交代制で一人ずつ当番が回ってくるため、基本的には授業後の黒板消しや、教室内の整備などの仕事は一人で行う。中には他の人に手伝ってもらう人もいる。
入学してから初めての日直だったが、基本的に学校の日直は小中学校とほぼ変わらないし、以前柊人の日直の手伝い(強制)をしていたため、特に困ることもなく一つずつ終わらしていく。
残る仕事は日誌を職員室へ取りに行くだけという時点で、作業開始からまだ十分ほどしか経っておらず、教室内はいまだに人気がなく寂しい雰囲気だ。
日誌を取りに行くため廊下へと出れば、ぼちぼちと登校してきた生徒たちの挨拶が聞こえてきて、職員室に行くまでに数人の生徒とすれ違う。
この学校の職員室は学年ごとに先生が固まって座っていて、その手前で用がある先生を呼ぶようになっている。
「川合先生」
蒼生のクラスの担任である川合風花は新任の女性教員で、まだ20代なかばの若い先生だ。
「あら、伊達くん、おはようございます」
「おはようございます。日誌を貰いに来ました」
「随分と早いわね?教室の方は終わったの?」
「はい」
「ご苦労さまです。今渡すわ」
風花は机から日誌を持って蒼生のもとに向かう。
「そういえば今日の二限目の数学、先生がお休みになったから私の授業に変更になったの。一応ホームルームのときに連絡するけど、みんなに古典の準備お願いしておいてもらえる?」
「わかりました」
日誌を受け取った蒼生は職員室を出て教室にもどる。廊下には先程よりも多くの生徒がいる。
「北野さんおはよう!」
途中天音を取り囲んで話しているグループに遭遇する。
中心にいる天音は誰もが見とれるような優しい笑みで受け答え、その様子を遠目に見ている男子の顔はデレデレに溶けていた。
昨日と今朝とあれだけ取り乱していた天音だったが、やはりスイッチが切り替わると完璧少女としての姿になるようだ。
あまりに蒼生の前での態度と違っているが、考えても分からず、特に気に留めないで教室へ向かう。
戻ってきた頃の教室に先程の落ち着いた静けさはなく、朝から元気な生徒たちの声が聞こえる。
昨日のテレビの話、SNSで流れてくるインフルエンサー、課題がどうこうといった、どこにでもある日常会話を聞き流しながら自席に戻る蒼生は、自分しかいない、知らない静寂に包まれた教室の様子を思い出して密かに優越感に浸る。
明日は静かな状態で読書でもするかと考えていると、前の席の柊人がやってきた。
「おはよ、伊達」
「おう、おはよう」
そう軽く挨拶を交わしながら荷物をおいた柊人の目が、蒼生の机のあるものを捉えて鋭く光る。
「伊達君よ、そのお前に似ても似つかない封筒は何かな?」
指摘されて蒼生は、天音にもらった手紙を出しっぱにしていた事に気づき、後悔する。
「ラブレターか何かか?モテ男ですなー」
「気持ち悪い絡み方はやめろ。それにそんな甘いものじゃない」
「中身見たのか?」
「・・・まだ見てはいない」
見ようと思っていたものの、周りに人が増えてしまったため後回しにしていたのでまだ開けていない。
しかし普通の女子生徒にもらっていればラブレターと考えられなくもないが、差出人はあの天音であるのだから、柊人が期待するようなものではないだろう。
「差出人は?」
「さあな。名前が書かれてないからわからない」
天音が名前を書き忘れたことで誰からかは隠すことができる。
これで柊人に天音からだと知られれば、余計に騒ぎ立ててくる予感しかしないので、意地でも隠し通さなくてはならない。
「とりあえず中身見てみろよ!もしかしたら――」
「わかったから落ち着け・・・もらった俺よりもはしゃぐな」
蒼生は柊人に呆れつつも、やはり手紙の内容が気になったので、一人で見ろといってきた天音には申し訳ないがここで開けてみる。
封筒の中には便箋が一枚入っており、その内容は、
伊達くんへ
君に話したいことがあります。放課後に屋上へ来てください
北野天音
書かれている内容はたったそれだけで、ここからでは話しの全貌がつかめない。
「中身なんて書いてあるんだ!?呼び出しとかだったらほぼ確だろ!」
いつもより二倍くらい高いテンションで柊人が中身を覗こうとするので蒼生は急いで隠そうとするも、その姿が逆に怪しく感じられ、さらに柊人が詰め寄ってくる。
「その様子だと呼び出しだな?屋上あたりか?」
「お前には関係ない」
的確に場所まで予想をつけてくる柊人に少し引いてしまい、頬が引きつりそうになるのを堪えながら答える。
とにかく柊人に手紙を見られないように蒼生は急いで鞄の中にしまい込む。
「いいなーモテモテじゃん。ついて行っちゃおっかな」
「別にモテてるわけでもないし、やめろ。というか真田のがモテるだろ」
柊人は男子の蒼生から見ても整った顔立ちをしている。
第一印象の犬らしさは今も変わらないが、それでも爽やかな好青年のような見た目は、時折女子のイケメン談義に上がっているほどだ。
柊人と話していても何となく視線を感じ、ちらっとそちらを見てみれば一部の女子が柊人を遠くから眺めているということは度々ある。
しかし以前、柊人に話しかけて来た女子相手に顔を引きつらせ、普段話したがりの彼にしては珍しく、早々に話を切り上げて逃げるように走り去りったことからあたりが騒然としたこともあった。
柊人いわく、女子に対して苦手意識があり、今まで何度も逃げたことがあるそうだ。
なんでも小学校時代に原因があるそうで、本人は「あの年齢特有の無邪気な言葉の暴力だな」と笑って話していたが、何となく察した蒼生は柊人を気の毒に思っていた。
手紙をしまって柊人の尋問を必死にかわしているうちに、始業のチャイムまでもう少しになっていた。
「そういえば今日の数学、川合先生の古典になるらしいぞ」
「え、まじ?・・・やべー、今日俺当たる日じゃん!ちょ、何当てられるか教えて!」
「知らん」
天音からの手紙の内容や意図はわからないものの、ひとまず指示通り、昼休みに屋上へ向かうことにした。
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