第1話①
「借りは返させてください。あなたに恩を感じ続けるのは嫌なので」
蒼生は、そう辛辣に言い放ち睨みつけてくる少女の頑固さに対して困惑していた。
「・・・そうかよ。でも何度も言うが恩を感じられるようなことはしてないし、気にもしてないから」
素っ気なく返した蒼生に、さらにその少女は不服そうな顔をしている。
この二人の間に何があったのか。それは少し時間を遡る。
入学式を終え、高校での新しい生活にも慣れてきた五月の末。
休日にショッピングモールで買い物をしていた蒼生は、厄介な現場に立ち会ってしまった。
「そこのお嬢ちゃん、今一人?」
ある少女がナンパ男に絡まれていた。
男は、サングラスにジャラジャラとしたアクセサリー、派手な柄シャツにダボッとしたパンツと、いかにもな格好をしていた。
急なことで反応に困ったその少女に対して、怪しい男はさらに続ける。
「良ければこの後お茶でもどう?近くにいい店があるんだよ」
いかにもな格好に加えて、いかにもなセリフ。
ナンパの常套句であるその言葉に、少女はさらに困惑して言葉に詰まる。
「え、えっと・・・」
「いいじゃんか。ちょっとお話するだけだし」
言葉に詰まっている少女の腕を、男は荒々しく掴んで、連れて行こうとする。
「あ、あの、離してください!」
流石にここまで来ると蒼生も見逃せない。
蒼生は深い溜め息をついてから二人に近づいて行き、男の後ろから声をかけた。
「何を騒いでいるんですか?」
突然横から入ってきた蒼生に男は勢いよく振り返る。
「なんだよ、お前には関係ねえだろ!なんか文句でもー」
しかし男の言葉がそこで止まる。
蒼生は声を掛けただけだったが、蒼生よりも背が低いその男は、自分よりも高いところから見下され、更に蒼生の切れ長の目に見られて睨まれたように感じていた。周りもそこに凄まじい圧を感じていた。
見えない何かに凄まれた男はどんどん萎縮していき、突っかかってきたときの威勢はもうどこにもない。
「い、いや〜あの〜ちょっと道を聞いただけというか。別に下心があるわけでは・・・」
「ならその手を離したらどうです?」
「や、やだな〜今離そうとしてたんですよ今。・・・あ、ボクこの後予定があるんだったー」
そう言ってナンパ男は勢いよく逃げ去った。
男の背中を見て呆れて目を細めた蒼生は、絡まれていた少女に向き直り、話しかけた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい。ありがとう、ございます・・・」
話しかけた少女に蒼生は見覚えがあった。しかしすぐに思い出せず、頭を捻る。
「あ、あの、どうされました?」
不審に思った少女の問いかける声を聞いて蒼生は思い出した。
蒼生が助けた少女は、入学式で新入生代表挨拶を行った女子生徒だった。
(なんか見たことあると思ったら、名前は確か・・・北野だったのか)
少女―北野天音は高校生活が始まって、まだひと月ちょっとしか経っていないにも関わらず、学校中、男女問わずに人気のある少女だった。
人気の理由は天音のその容姿にある。
漆黒で吸い寄せられるような艶のある長い髪、折れてしまいそうなほどに細い手足。それでいて緩急のある美しいスタイル。均整の取れた幼い顔立ちに琥珀色の瞳をした大きな目。
百五十センチちょっとと小柄ながら、大人のような落ち着いた雰囲気をまとい、一つ微笑みかければその場には一瞬にして花が咲く。
儚さも兼ね備えたような、まさに清楚と形容するのがふさわしい。そんな少女である。
「いや、お前の名前を思い出そうとしてた。北野であってたか?」
「な、なぜ私の名前を知ってるのですか?」
天音は一気に警戒の色を見せる。
「お前と同じ高校でな。それに学校であんだけ有名なんだ。知らないやつのほうが少ないだろ」
天音は容姿端麗であるが故に視線をよく集め、特に新入生代表だったこともあって、学年性別を問わず噂されている。
蒼生もクラスは違うが話はよく聞く。クラスの男子たちが「今日も北野さんが」などと話しているので嫌でも耳に入る。
「まあ何にせよ、変な輩も多いからな。北野も気をつけろよ」
一方的にそう言って蒼生は帰ろうとしたところで、天音が蒼生を呼び止める。
「借りは返させてください。あなたに恩を感じ続けるのは嫌なので」
そして今に至るのである。
「あなたが気にしていなくても、私が気にするんです。借りをつくっておくのは嫌なんです。」
「別にいいって言ってるだろ」
(強情なやつだな)
今の天音からはクラスの人が言うようなお淑やかで清楚という印象は感じられない。むしろ我儘で我が強いという感想を持ってしまう。
(とにかくここだと人目を引くし、学校のやつに見られないとも限らない。逃げるか)
「悪いがこの後、用があるから」
そういって天音に背を向けて、蒼生は足早にその場を去ろうとする。
「ま、待ってください!せめて名前だけ教えてください!同じ学校ならいつか借りを返せるかもしれないので」
それでも逃さまいとする天音に、逆に教えたほうが早く帰れるかと考えた蒼生は、振り返って天音の方を向く。
「伊達蒼生だ。・・・これでいいか?」
「伊達、蒼生・・・」
蒼生の名前を聞いて天音は考え込む。
「どうかしたか?」
逃げるチャンスではあったものの、その間を不審に思った蒼生は天音に問いかける。
「も、もしかしてですけど、中学校は青葉中ですか?」
「・・・そうだが、なんで知ってるんだ?同じ中学のやつはいなかったと思うぞ?」
蒼生の把握しきれていないところにいたのかもと考えたが、この一ヶ月、中学からの顔を見た覚えはない。
中学時代の交友関係は狭く、深めだった蒼生だが、学校の規模は小さめだったため、話したことはなくとも顔と名前は大体知っていた。
「あ、いえ、その、友達がそこの出身で・・・」
何やらゴニョゴニョと口にする天音とただただ困惑する蒼生。
ショッピングモールの真ん中で二人して固まっている姿は、とてもよく人目を引くようで、周囲の人達は怪しむように見ては、足早に横を通り過ぎていく。
「・・・・・・あの!」
その羞恥心からか、顔を真赤にした天音は突然蒼生に背を向けて、肩を震わせながら声を絞り出す。
「と、とにかく、いつか借りは返しますから!」
そう言って天音は走って逃げていく。
そのとき段差もないところで躓きかけていたので、よっぽど焦っていたのだろう。あまりにも普段と違う様子で、本当に学校で人気の北野天音なのか疑問に思えてきた。
短時間で二度も目の前の人に逃げ去られるという稀有なイベントに遭遇した蒼生は、自分が逃げようとしていたのにいつの間にかひとりその場に取り残されて、何がなんだか何も分からない状態だった。
(本当に何だったんだ?)
あまりにも学校での姿と違いすぎて、脳の処理が追いつかない蒼生だった。
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