ガラスの靴の秘密

桐原まどか

ガラスの靴の秘密



皆さんは〈シンデレラ〉をご存知でしょうか?

両親を失った善良な少女・シンデレラが継母や義理の姉達にいじめられながらも、魔法使いの力を借りて、お城の舞踏会に赴き、王子様とダンス。しかし、魔法使いとの約束の時刻が迫ったシンデレラは、ガラスの靴の片方を落としていってしまうのです。

それを手がかりに王子はシンデレラを見つけだす事に成功しますが…。これはその陰に存在する、とある二人の、お話です。



それはシンデレラがこの世に生を受ける、遥か昔の事。

人間の住む世界とはへだたれた〈妖精の世界〉がありました。

ふたつの世界は隣あっていながら、交わる事は決してない、そのはずでした。


とある春の日の事です。

デュオ、という名の少年が、ぶらぶらと湖のほとりを散歩していました。

彼は生来、身体があまり丈夫ではなく、療養がてら、親戚の家に来ていたのです。仕事を手伝おうにも、あまり無理が出来ない為、彼は本を読んだり、このように散歩したりして、時を消費していました。

〈スケテ…〉

微かな、風の声とは違うものが、デュオの鼓膜を揺らしました。

「助けて」

今度ははっきり聞こえたそれは、幼い女の子の声に聞こえました。

デュオはキョロキョロしました。

人影がなかったからです。

どうも、湖の畔の茂みから聞こえたような…。

声の辺りを覗き込んだデュオは目を丸くしました。

果たしてそこには、デュオの掌くらいの大きさの、透明なはねを持つ…薄いヴェールのような衣服を身にまとった、少女―と形容していいのか―がいたからです。

彼女はデュオを見るなり、ギョッとしたように瞳を見開きました。

睫毛の長い、茶色い瞳でした。

そうして逃げ出そうとする素振りをみせたのですが、「いたっ!」と声をあげ、うずくまってしまいました。

よくよく見ると、彼女の向かって、下右側の翅が、むしり取られたように欠損しているのです。

血のようなものがにじんでいます。

デュオはなるべく優しい声音を意識して

「逃げないで」と言いました。

少女は怯えた瞳でデュオを見上げてきます。

「怪我をしてるね、ちょっと待っててくれるかい? 手当てするよ」

デュオは急いで、家にとって返して、必要な物を持ってきました。

少女は大人しく、茂みにいました。


「手当てするよ、少し痛いかな」

ガマンしてね、と言いながら、消毒液を染み込ませたガーゼで傷口を拭き、傷あてをあてました。

少女は痛みをこらえる表情をしていました。

「ありがとう。私の名前はディディ。私とここで会った事は、他の人達には内緒にしてくれる?」

デュオは少し考えましたが、わかった、と頷きました。言ったところで信用もされないでしょう。


それからデュオの湖への散歩には、ディディという彩りが加わりました。彼女は律儀にお礼をする、とやって来たので、デュオが頼んだのです。

「僕と友達になってくれない?」

ディディは逡巡しゅんじゅんしていましたが、コクリと頷いてくれました。

それから二人は話すようになりました。

ディディがあの日、怪我をしていた理由―人間の世界への亀裂を見つけて、好奇心から通り抜けようとして、無茶をした結果である事。

本来は妖精と人間は交わらない存在である事。

人間は怖い、と聞かされていたが、デュオはとても優しい、と。

デュオは照れて、「僕にはそれくらいしか、出来ないからね」と頭を掻きました。


時が過ぎました。

初夏。

萌える緑と花々に囲まれ、湖にいる魚の影を飽きずに眺めました。


夏。

眩い太陽光で日に焼けたデュオは、身体の調子が良くなっていました。

ディディは手を叩いて、喜んでくれました。

「立派な青年ね!」


秋。

風がひんやりしてくると、デュオが咳き込みます。そんな時、ディディはその小さな手で、デュオの背中をさすってくれました。

温かさがとても心地良く、感じました。


そして、冬。

珍しく、雪が降ったその日もデュオは湖の畔へ行こうとしましたが、流石に止められました。

ですが、ディディに会いたかった彼は、目を盗み、こっそり家を出ました。

いつもより、遅くなってしまいましたが、ディディは待っていてくれました。

その頃には二人の間に〈友情〉とはまた異なる感情が生まれつつあったのですが、二人は互いにそれについては沈黙していました。

そうして、もうすぐ春、という、とある日に、その沈黙が破られる事になります。


その日、デュオは気落ちしていました。両親からの手紙。

デュオを迎えに来る、という連絡です。なんでも腕の良いお医者を見つけた、とか。

健康にはなりたい。けれど…。

「デュオ!待ってたわ!」

にこにこと微笑む、背中に翅のある少女。

あぁ、この愛らしい存在をどうして置き去りに出来ようか!

デュオはディディにすっかり自分の胸のうちを吐き出しました。

ディディはその茶色い瞳に涙を浮かべ、「とっても嬉しいわ」と言いました。けれど、そんな彼女の表情がかげります。

「デュオ、私達はことわりの違う存在。いずれお別れは来るの。その時が来たのよ」

彼女は幼子をあやすように言いました。

そんな言葉にしかし、デュオはイヤイヤをするように首を振ります。

「嫌だ」

離れたくない。デュオが心底そう願った瞬間でした。

突然、一筋の稲光が天を裂いたのです。

晴天の霹靂。

ディディがそちらを見上げ、「王様…」と呟きました。

いまは雷に姿を変えた、妖精の王は二人に無慈悲な言葉を告げました。

「そなたらは悠久よりの理を破ろうとした。その罪により、そなたらに刑を執行する」

そうして二人―デュオとディディはその姿を変えられてしまったのです。



時は流れました。

それはある初夏の日の事です。

妖精の世界の女王が、古ぼけた小屋の中を、捜し物をしていました。

女王が捜していたもの―美しいドレス、馬車、馭者ぎょしゃ、などなどの魔法の道具達です。

「困ったね!見つからないよ!」と彼女は独りごちました。

女王はとある少女―名をシンデレラという、それは信心深い、美しい心の持ち主である少女―彼女の不遇な人生に一矢報いるべく、魔法の道具を捜していたのですが、最後のひとつが見つかりません。

ふぅ、と息を吐いた女王は、ふと棚の上の奥に、まるで隠されるように置かれている一対の、それは美しい―ガラスで出来ている靴を見つけました。

「これだよ!」

女王はそれをそっと手に取ると、いそいそとシンデレラの元へ向かう準備をしました。


荘厳な舞踏会に、突如現れた美しい少女に、王子の心のみならず、城全体がざわめいているようでした。そのざわめきで、ふと目を覚ましたものがありました。

果たして、それはいまはシンデレラの右足に履かれている、ガラスの靴―元はデュオだったものでした。

長い時の流れから目覚めた彼は、しかし、目の前を優雅に舞う、シンデレラの左足に履かれているガラスの靴―ディディに目を奪われました(正確には無機物ですので、目はありませんが)。

―ディディ!起きて!僕だよ!デュオだよ!

そう必死で呼びかけました。

念じた、の方が近いかもしれませんが。

―…えっ?デュオ? えっ?ここはどこ?

呼びかけに目を覚ましたディディは面食らっているようでした。

二人は―いまは一対のガラスの靴になって、シンデレラという名の少女の足元を輝かせていました。

あの日、無慈悲な言葉を投げた妖精の王ですが、ひとつだけ慈悲のかけらをくれていました。

壊れやすいガラスの靴となり、履いた者を幸せに出来たならば、二人を結ぼう、と。無論、王はそんな事は不可能、と思っていましたが。

時が流れ、統治するのが女王に代わり、二人は日の目を見たのです。


舞踏会で王子様と踊るシンデレラの様子を水晶玉で見ながら、女王はふと、昔の事を思い出しました。

厳しく威厳に満ちた父―前王が好んでいた、ガラス細工。

それらを眺めている時と娘である女王を見ている時は、父は柔和にゅうわな表情を浮かべていました。

「あの靴は…もしや…」

そう、女王が呟くと同時に、深夜十二時を告げる鐘が鳴り出しました。

「いけない!」女王は思わず立ち上がりました。

「魔法が解けてしまう!早く立ち去るんだ!シンデレラ!」



舞踏会の翌日から、国をあげての人探しが始まりました。

探し人は、舞踏会で王子と踊った、ガラスの靴を履いた少女。

その年頃と思われる少女達が片端から試されましたが、不思議とガラスの靴に合う者は現れません。


デュオはあの時―シンデレラが逃げ出す為に階段を駆け下りた―離れ離れになってしまったディディの事を思っていました。

いま、彼は、シンデレラが継母達にこの靴を見つけられぬように、と、シンデレラの部屋の地下に隠されていました。

あぁ、ディディ!どうか、無事でいておくれ!


少女を探す一行が、シンデレラの家にも訪ねてきました。

当然、シンデレラは蚊帳の外に置かれています。が、そこは目ざとい城の人間、部屋があると気付き、シンデレラの継母に尋ねました。

「この家にはもう一人、誰かいるようですね。娘さんならば、このガラスの靴を履いて頂かねばいけません」

継母はあの手この手で防ごうとしましたが、シンデレラの元に、ガラスの靴が運ばれていきます。


させるものか!!

やけっぱちになった継母は、ガラスの靴をうやうやしく、捧げ持っていた使者の服の端を、ぐいと引っ張りました。

もんどり打って転びます。

宙を舞う、ガラスの靴。

それは無惨にも音を立て、砕け散りました。

継母が立ち上がり、叫びました。

「おや!まぁ!ガラスの靴が粉々だ!これでは履けないねぇ」

そうしてニタリ、と笑ったのです。

その顔を見て、シンデレラは弾かれたように、自室に駆け込みました。

地下の扉を開け、もう片方のガラスの靴―デュオを取り出しました。

駆け戻ります。


粉々になったディディの姿を見た、デュオの心痛の悲鳴といったら!

けれど、それに構わず(それはそうですね)シンデレラは使者の前で、ガラスの靴に足を入れてみせました。

ピタリと合うそれを見て、使者は急ぎ、城に早馬を飛ばしました。

継母はあまりの事に、泡を吹いて倒れてしまい、二人の娘に抱えられる始末。


そうして、シンデレラは無事、王子との婚姻を果たしたのです。

片方だけになってしまったガラスの靴を手土産に。


―あの時の妖精の王がくれた一片の慈悲は、けれど果たされない。

デュオは悲痛の底にいました。

ディディは…砕けてしまったんだ!

そんなデュオの前に、一人の女性が現れました。

「父が遺した約束を果たしに来たよ」

妖精の女王でした。

そう、彼女は幼い日、夢見心地に聞いていたのです。

人間と恋に落ちた妖精の少女の話を。


妖精の女王は、あの時砕けてしまったはずのガラスの靴―ディディを懐から取り出しました。

そうして、呪文を唱えます。

すると―なんという事でしょう。

ガラスの靴は二人の妖精に姿を変えました。

ディディがデュオの頬に口づけをくれました。

「あなただけよ!」

その姿を見て、

「今度はあなた達が幸せになる番だよ!」と女王は言いました。


三人は仲良く、妖精の国へ行きました。

おしまい。…えっ?デュオを妖精にしてしまったら、シンデレラの元から、ガラスの靴が消えてしまって大変じゃないか?って。

うふふ。そこは妖精の女王。

抜かりはありません。

きちんと新しいガラスの靴をあつらえてきましたよ。

それはいまでも、キラキラと光り輝いています。

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ガラスの靴の秘密 桐原まどか @madoka-k10

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