第6話 罫線上のうさぎ
チャットアプリの未読数は今日も加速度的に増え続けている。見る気にはなれなかった。
その数字を増やしているのは皆、僕以外のクラスメイトだからだ。
高校二年生に上がってから間もなく、「これ、クラスのグループ作ったから」。
同級生の中でもとりわけ活発な女子と、隣には彼女と仲がいいのであろう日に焼けた浅黒い肌の男子がいて、僕は促されるまま招待を受け入れた。
中学から今に至るまで、
いつの間にか伸び生やしていた雑草のように、少し放っておくだけで未読の数が二桁、三桁とうなぎ上りに膨れ上がっていく。
あの無機質な通知音は、そう何度も耳にしたいものではない。
『――このショート見た? ヤバくね』
『待って田中の動きキモ過ぎてやばいんだけど笑』
『共有するわ』
『やめてくれマジでw』
気まぐれに覗いてみれば、知らない男子と女子が音楽に合わせてダンスを踊っている動画がタイムラインに貼られていた。尺は三十秒程度のよくあるショート動画だ。
田中と呼ばれた男子は終始、なよなよしたタコのような動きで、正直見るに堪えない。対して隣で踊っている女子は、手や足の振り一つ一つにメリハリが利いている。
クオリティには雲泥の差があり、それが
手にしたスマホをベッドの上に放り投げ、腰を下ろして天井を仰ぎ見る。課題はもう終わらせてしまった。夕飯もお風呂も済ませて、後は寝るまでの時間を潰すだけ。
さて何をしようかと考えていた時、耳覚えのない音に意識が引っ張られた。
――槇島小春:時生さん時生さん時生さん時時時生生時生さ――
文面だけならホラー映画のそれと変わらないが、送り主の名前を見て僕は安堵した。耳覚えのない通知音は随分と前にデフォルトから変更したものだと思い出す。
画面上の通知をスワイプすると、小春さんとのチャットルームに画面が
『あ』
『よかった』
『この文面なら未読スルーされないかと思いまして』
目を引かれたのは間違いない。が、軽く恐怖を覚えたのもまた事実だった。
『いたずらかと思ったよ』
『小春さんは今なにしてた?」
『クーピーで絵を描いてました』
『小学生の時に使ってたやつが余っていたので』
ちょうど黙読し終えたタイミングで画像が送信されてくる。
『うさぎ』
クーピー特有の優しい色合いは絵本のようで、それに合わせてうさぎも月も、シンプルに愛らしくデフォルメされている。
帰りのバスに乗っている時、小春さんは僕に友達登録用のQRコードを差し出してくれた。行き先は間もなく、小春さんの降りる停留所。たった二、三分の猶予に余裕を感じられる人間はいないだろう。
なんで、という疑問に先駆けて、違う言葉が口をついて出る。
「いいの?」
「はい」表情も変えずに頷き、「二度ある事は三度ある。でも三度目の偶然は、いつ起こるか分かりません。人と人が出会う偶然は、二回で充分です」
「……そっか。じゃあ――」
妙に難解というか、まわりくどいような言い回しには首を傾げるところだったが、拒んでやろうという気持ちはなかった。
スマホを取り出し、二度目の偶然を必然にする。
友達リストの一番上にある“槇島小春”という名前に、なぜだか僕は照れくさくなった。
『時生さんは友達いますか?』
しかし、その質問はさすがに聞く相手やタイミングを選んだ方が良いのではないだろうか。あるいは選んだ上で僕に言っているのか――まあ、どちらでも構わない。
あけすけな物言いに触発されて、僕はありのままを
『クラスメイトとは普通に話せるよ。でも誰が友達なのかはちょっと考えた事ない』
『どしたん? 話聞こか?』
『小春さん? 一応、そんな深刻に悩んでる訳じゃないからね』
やせ我慢や強がりなどではなく、本心からの言葉だった。
自分で言うのもはばかられるが、誰とでもコミュニケーションは取れるし、場の空気に合わせた立ち回りをするのもそれほど苦には感じない。
ただ、だからこそ僕は特別な間柄というものに
誰と誰が友人だとか、恋人だとか、そういった雰囲気を漂わせた人間は――あくまでも何となくだが分かるつもりだ。けれど、これが自分自身の事になるとそうはいかない。
他人とそうでない人間の境界は曖昧で、僕は、僕自身の人間関係を見極められた試しが無い。たぶん、今まで一度も。
思い浮かんだのはどこまでいっても他人事な、乾いた感想だけだった。
『ていうか、そういう小春さんは?』
話題の変え方が少し強引だったかもしれない。送信してすぐ不安になったが、返ってきたのは想像の斜め上の返事だった。
『校長先生と仲がいいです』
『この間は数学を教えてもらいました』
文字だけでは冗談のつもりなのか、本当に仲がいいのか判別がつかない。それでも今まで嘘をつかれた事はないのだからと、後者を前提に指を動かす。
『校長先生と?』
『でも珍しい、そういう人初めて見た」
『そうでしょうそうでしょう』
『時生さんもいかがですか』
『いかが、って?』
『校長先生と仲の良い人間はあんまりいません』
『なので人にマウント取り放題です』
『あれ……もしかして僕、今マウントとられてた?』
――こうして話している間にも思うことがある。小春さんが、僕に友達登録を許した理由はなんだろう。
人と喋るのが好きだから。
友達になりたいと思ったから。
好いているから――こんな事も分からないのは、僕が人や物事に、大した興味も抱かず生きてきたせいだろうか。
あのくだらないダンス動画を見て笑っていたクラスメイトなら、きっとすぐに答えを出せるに違いない。
そう思ってしまったのは彼らが僕よりもずっと、友達や恋人という存在を知っているような気がしたからだ。
『おや』
『どうやらそろそろ寝る時間です』
『ほんとだ。もう十二時近い』
小春さんから話を切り出してくれたのはありがたかった。明日、土曜日は午前からバイトがある。僕から言いだすとそれにかこつけて話を終わらせたみたいで、どことなく抵抗感があった。
閉め忘れていたカーテンを閉めて、互いに「おやすみ」を送り合う。先の小春さんに対する疑問が、
どうして僕は、小春さんと友達になりたいと思ったんだろう。
見知らぬ自分の輪郭が、闇に溶けて見えなくなった。
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