第5話 ブルーベリーのリップを口に
「いい眺めですね」
僕は耳を疑った。
「猫背のサラリーマンにアンニュイな面持ちのOL様、歩きスマホと談笑をお供にする学生たち。勤労と学業の対比に感動を覚えました。一枚撮っておかなくては」
「……ひょっとして小春さん、夜景見て“あれは労働者の光だ”みたいな感想抱くタイプ?」
「抱くタイプです」
小春さんはスマホをテーブルの上に置き、
「いつの間にエスパー時生として覚醒したのですか?」
「してないよ。なんか、一発屋で終わりそうな芸人みたいな……」
「ではサイキック久世橋」
「名前覚えててくれたんだ。ありがとう」
「マキシマックス小春です」
「そっちの方が覚醒してない?」
語感から思い浮かんだのは子供向けの特撮番組よろしく、巨大化した小春さんだった。ビルをなぎ倒す怪獣か、あるいはそれを打ち倒すためやってきたヒーローか。
まもなく小春さんの手前には、期間限定らしいイチゴのフラペチーノと、ブルーベリーを添えられたチーズケーキが運ばれてくる。正直、かなり食欲をそそられた。頭を使った後となればなおさらで、しかし夕飯のことを考えると僕も同じものをという思考には至らなかった。
小春さんはそれをスマホのカメラで収め、それからおもむろに僕の方へレンズを向けて、シャッターを切った。
「SNSのアイコンにしてもいいですか?」
「方々に誤解と混乱を招きそうだから、消してもらえると嬉しいです」
「ちゃんと切り抜きますので」
「逆に不自然だよ。自然体でいいよ、いやダメだけど」
小春さんが自身の顔をアイコンにするならまだしも、人の顔を設定しようとするのは狂人の所業に片足突っ込んでいるのではないだろうか。自分の顔をSNSのアイコンに
それにしてもまさか、こんな所で再会するなんて。
綺麗に切り揃えられた、乳白色を含んだ淡い金髪。チーズケーキを口に運ぶたびにさらさらと揺れて、装いは以前会った時と変わらない。
裾が長くて広いスカートは改めて見ても制服には思えず、私服と言い張ってもさほど違和感がなさそうだ。僕の着ているブレザーにスラックスを合わせただけの制服が、見比べてみると地味で味気ない格好に思えてきてしまう。
「時生さんはいつもここに? あ、そういえば偶然ですね」
そういう話の切り出しは、ふつう開口一番にもってくるものではないだろうか。とってつけたように添えられた“偶然”という単語が、また脱力感を誘う。
僕はかすかに微笑んで、「たまにね」と返してから近況を語る事にした。
「この間は結局、仮病ですって言い訳した。あとは普通に、学校通いながらバイトもして――ああ、スーパーで働いてるんだけどね――今日はシフト入ってないから、課題片付けてた。休みの日に勉強するのめんどくさいから」
「勤勉ですね。もしや、頭天才人間さんですか?」
「全然。小春さんは? 学校」
「可もあり、不可もありありといった具合です」
薄桃色の唇がストローに触れ、
「教室への道のりは、まだ遠いみたいです」
しまった、と後悔した。
あまりに分け隔てなく、小気味よく会話が進んでいくものだから失念してしまっていた。小春さんは、保健室登校なのだ。
詳細は分からないが、デリケートな事情が絡んでいるのだとしたら失言にも程がある。話題には気を遣うべきだったのに。
「……あ、えっと……」
ごめん小春さん、話題変えよっか。あまりにも弱々しい文句に
「そのままでいいです」
「えっ?」
「気遣いの有無は食べ物の味で分かります。遠慮がちな空気で食べるご飯は、すぐに美味しくなくなるので」
黒と紫に包まれた果実が口に運ばれる。
有罪か、無罪か。
口に運ばれてから
閉ざされた瞳に否応なく緊張感を刺激される。耐える事は出来なかった。
「……小春さん」
「――――」
「小春さん。味わってるところ悪いけど、唇にソースついてるよ。ブルーベリーの」
「これは新作のリップです」
「あっ、拭くから動かないでね」
前向きに捉えるなら、食べ物を味わっていられるくらい気を許している、という事になるのだろうか。そのままチーズケーキを完食してしまった小春さんから「美味でした」と感想が聞けたとき、僕の心には安堵が訪れた。
同時にスマホがバイブレーションする――小春さんのスマホからだった。
「あ……ごめん、ちょっとお手洗い」
席を立ち、スマホだけを持ってトイレに歩く。ここまでする必要もなかったように思うが、耳に入れられたくない話題もあるだろう。なまじ、自分の失言が尾を引いていたのもある。
たいして
「門限とか大丈夫?」
当たり障りのない言葉を置きながら椅子に腰かける。
「やはりサイキック久世橋ですね。エスパー時生さん」
「コンビ芸人?」
「そろそろ、家に帰らないといけません。もうすぐ夕飯みたいです」
時計を確認すれば、もう午後六時半を過ぎていた。僕の家でもじき夕飯の時刻だ。
「僕も帰るよ。バス、途中まで一緒だったよね」
混んでいるだろうなと言う予想は当たり、僕と小春さんは言葉もなく吊り革に掴まっていた。気まずさを含んだ沈黙なら居心地も悪いが、小春さんとはそうじゃない。
ひとつ先の停留所でバスが止まる。
脇腹を小突く硬い感触に、僕はちらりと横を見た。
「どうぞ」
小春さんのスマホに表示されていたのはQRコード。
チャットアプリの、友達登録に使うものだった。
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